11月24日(月)
朝から原稿を書く。窓の外では雨が降っている気配あり。午後遅くに第1稿を完成。気分を変えようと雨足の強いなかを池袋。リブロで新刊を見ていたら、小中陽太郎さんの『市民たちの青春 小田実と歩いた世界』(講談社)が眼にとまった。パラパラとページを繰っていたら、そこに私の名前を見つけた。入手して地下鉄で「第九章 別れ」から読んだ。「都知事選をめぐる決闘と別れ」という見出しの叙述に「きっかけは有田芳生だともいえた」とある。宮本顕治さんが小田さんを批判したきっかけだという。時期は1987年となっているが、これは1983年の記憶違い。「(有田の)父親は京都府知事候補にもなった共産党系の大物弁護士である」には苦笑した。まったくの事実誤認だからだ。多くの間違いがあるが細かくは書かない。しかし物語としてはすこぶる面白く、しかも小田さんとの訣別が都知事選挙での対立にあったことを、はじめて知った。表紙カバーを取ると、そこには若き日の小田さん、その隣に鶴見俊輔さんがいる。こうした回想は時代の息吹を知るためにとても貴重な作品だ。
しかし回想は個人のなかで紡ぎ出された物語でもある。そこには事実もあれば思い込みも避けられない。ノンフィクションのジャンルに入るが、そういうものだと理解するしかない。単行本『X』の取材をしていてもこういうことがあった。木村久夫さんが処刑を待つ獄中で残した遺書は田辺元『哲学通論』の余白に書かれた。ある人物はこの本を「私が渡した」と回想記に書いている。それが事実ではないことを私は取材で確認した。証拠もある。おそらくご本人のなかで紡いできた物語のなかでは、「そういうこと」になっていたのだろう。記憶と回想記はそんなものだと割り切ればいい。吉村昭さんはひとりの回想を信じては間違うと語ったことがある。「本当にこの人は記憶力がすごくて、もう間違いないと思われる人でも、そういう記憶間違いがありまして、証言者の場合は3人以上いないと正確じゃないという感じを持ちましたね。ふたりだけじゃちょっと心もとないです」(『あの人に会いたい』新潮文庫)。『戦艦武蔵』取材時の感想だ。吉村さんらしい。
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「明日も晴れー大木晴子のページ」を
書いています大木です。
ページの中、フォーラム(ひろば)に
下記のタイトルで『酔醒漫録』を
リンクさせていただきました。
「小中陽太郎さん!私の名前は聖子ではなく
晴子です!!★有田芳生さんのブログに!」
よろしくお願いいたします。