伊勢一風花 落柿の音

もう一人の自分

ツバキ咲く

2013-03-21 | 
 庭のツバキが次々を咲いている.ボクはつい変わった花のツバキを植えて見たくなるのだが,家内は,ツバキは一重のいかにもツバキらしいツバキが良いと言う.若い頃は面白くないことを言うなと思っていたが,最近だんだんとごく普通のツバキが良くなって来た.歳をとったということなのかと苦笑いしつつも,それはそれで悪くないとも思うのだ.春は巡り,ツバキは咲いて咲いて,ぽとり,ぽとりと落ちて土に帰って行く.

帝玉

2013-03-08 | 
 遠く南アフリカには面白い植物がたくさんいる.昔は本当に一握りの奇特な趣味家が収集していたものだが,近年の多肉植物ブームでかなりのものがホームセンターにも並ぶようになった.帝玉は晩冬の花だ.普段の様子と花の艶やかさのギャップが面白い.特段レアな植物ではないものの,初めて見る人を驚かすに十分なインパクトがある.力強さが戻って来た午後の日差しに咲く姿は健気でもあるが,今年の季節外れの春の陽気には少々面食らっているかもしれない.

ひな祭りのウメ

2013-03-03 | 
 今日はウメではなくモモの花を観るべき日なのだろう.促成栽培のモモの枝はきれいに咲かず,なにやら不幸になるようで,どうにも飾る気がしない.この時期,庭でもウメが満開だ.毎年,ヤレヤレと思いながら取り出すおひな様と待ちかねて匂いを確かめる庭のウメ.いつも同じことをしているので,去年はどうだったのか,思い出しても比較のしようがない.こうして歳を重ねるのだろうなと思う.

もの作り,花創り

2013-02-06 | 
 カーネーションが苦境だという.近年,輸入のカーネーション切花が急増しているのだ.しかし先日Fに誘われて参加したセミナーで,日本を代表するカーネーション生産者の話しは少し違っていた.日本のカーネーション切花の消費は減っていない,今のカーネーションがあるのは輸入切花のお陰でもある.これからは上手に競合していかなければならないと.卓越した生産技術とオリジナル品種をもつ彼は,決して状況をネガティブに捉えていない.ボクは久しぶりにもの作りの魂を感じ,嬉しくかつ頼もしく思った.

冬の京都

2013-01-16 | ヒト
 冬枯れの日本庭園は,どこか薄紫色をしている.京の底冷えは,外を歩く時よりも開け放たれた広縁のある建物の中の方が強く感じられる.ボクは他の観光客に混じって尼門跡の由来などに耳を傾け,美しく彩色された襖絵で仕切られた座敷に座ったのであろう人のことなどを勝手に想像していた.確かに生身の人間が生きた空間も,たった数世代後にはすっかり物語の世界になってしまう.時間とは一体何なのだろう.エントロピーの増大に抗う生き物が生み出した極めて主観的な時の流れに比べ,平然その場に在り続けるかに見える庭もまた実は人の手で秩序が保たれていることをボクたちは忘れがちだ.そのうち目の覚めない朝が必ず訪れる.それまではゆっくり歩くしかないのだと思うと,仕事に戻るのがとても億劫になった.

謹賀新年

2013-01-02 | ヒト
 また新しい年が始まった.一昨年の東日本大震災以降、この国の在り様はいろいろな意味で試されている。この世を生きるとはどのような意味をもつのか、次世代に何を残すべきなのか、繁栄とは何か、幸せとは何か.この答えの出ない禅問答をそれでも繰り返す意味があることを、多くの人が気付いたことは、よかった事だと言えるだろう.しかし、人の生きる時間はあまりにも短く,今の幸せを達成できなければやはり幸せとは言えないのだろう.再び目の前の利益最優先の政府が生まれ、ボクは言いようのない不安の中で、神前に向かった.どうか大きな過ちが起きませんように.

自殺防止の青い光

2012-12-10 | ヒト
 久しぶりの東京.仕事が終わって夜の駅に入ると,ホームの外れに青色LEDが取り付けられていた.この秋から首都圏の駅では,自殺防止のために青色LEDが設置されたのだ.コンビニの前の青色誘蛾灯は馴染みの風景だが,このLED照明は先端の科学技術で生まれ,さらにそれを利用して慎重な研究の上で自殺防止に効果があるとされた結果を受けたものだ.毎日通う駅のホームにこのあおいろLEDを見て,人々は何を思うのだろうか.せめて無意味は四角のLED版にせず,装飾としてホームに取り入れようとは思わなかったのだろうか.これをまじめに考え,実行に移した人々,またそれを気にも留めない通行人たち.ボクは言葉にできない恐ろしさを感じてしまった.一体ヒトはなにを求め,どこに向かっているのだろうか.

ハマボウの紅葉

2012-12-01 | 
 仕事を抜け出し,ボクは植物園へと車を走らせた.晩秋の平日,しかも余り天気の良くない園内は人影も疎らだった.イロハモミジもすでに枝先から枯れ始め,紅葉の季節は終わろうとしている.石段を登りながらふと目をやるとハマボウが綺麗に紅葉していた.いつも花の時期にしか気に留めることはなかったのだが,鮮やかだが落ち着いた色合いを出している.ボクは立ち止まり,一枚一枚異なる色あいを確かめた.どんよりとした空と紅葉を見ていると,自分の存在が何やら希薄になり,このままフェードアウト出来そうな気がする.こりゃ危ないなと思いつつ,逃避が心地よい自分をどうすることも出来ない.

タイのホテルにて

2012-11-15 | 世界
 バンコクにはいつものように生温かい風が流れていた.相変わらず車は道路を埋め尽くし,人々は阿吽の呼吸でその道路を横断する.20年前と大層な変化もあれば,何も変わらないところもある.確かなことは,人々はあの日も今日も同じようにその日を生活しているということだ.ほんの数時間飛行機で移動すると,そこには違うシステム,常識,世界観で暮らす人々がいる.そしてその人々の暮らしはグローバル化という波に浮かぶ多くの小舟の1つであり,我々の生活と彼らの生活は同じように揺れている.ボクはなおバーツに比べて異様に強い円を握りしめ,国とは何だろうかと何度も何度も考えてしまう.

リトープス

2012-11-03 | 
 穏やかな秋の陽射しを受け,窓辺にリトープスが咲いている.遠く南アの平原に埋もれるようにひっそりと暮らす生ける宝石.春に脱皮する様はエイリアンのごとき生き様で,花時以上に生命の力を感じるときでもある.人はこんな植物を見て驚き,手元に置きたくなる.よくよく眺めると窓の模様は一つ一つ異なり,その変化は無限のようだ.一度人に認められ,その変異が掘り出され始めるとそれは後戻りの効かない園芸植物への道を歩み始める.友人Fは,常々言っている.これは植物の仕業ではなく,ヒトの本性が具現したものだ.園芸とはヒトのサガの副産物なのだと.