「なんで、他の人にはちゃんと、話せなるのに、私には、話せないの?話を聞きたいと思ってるのに」
「べつに。話したいときははなす。」
「そんなんじゃ成り立たないでしょう」
「話せる人には話すし、話せない人には、話せない」
「もう、いいよ」
こっちが、もう限界だった。
「悪いけど、聞きたいと言うけど、いつも自分の話しかしないじゃん、昔から。」
「私が?」
「最初だけ聞いたふりして、あとは、自分の話しかしない。そんな人に話なんてしたくない。もう、そういう人なんだなと思ってもらうしかないよ」
そういうところが、ほんとうに、悲しくなる。他の人とは話せるのに、自分には、話せないなら、それは、自分に原因が、あると、思えない。
「あなたの話を聞きたいの。」自分の要求ばかりで、
「なんで、私に話そうとしないの?」と聞こうとしない。
いつだって、話さない僕が、悪いと思っている。もう、何年もそういうことが、続いて、今さら、話す気なんてない。
それに、他の人に聞いてもらいながら、
ポジティブに生きていけるならば、それは、良いことだと、思って欲しい。「私が想像する息子は、そんなことはしな
い」自分の中の理想をフィルターにして、見られるのは、もう疲れた。
でも、言えてすっきりした。
家族はいいこと、ばかりではないね。
それに、自分のことは、思ってる以上に、わからない。
かと言って自分が人の話を聞こうとしているかといえば、そうでもない。子どもがいたら、母のように、話を聞かない親になりそうだということを。
意識していないと、いけない。
34歳、まだまだ人生は長いよ。引き締めて生きよ、自分。