ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

悲しいできごと。

2016-11-03 19:25:52 | 唐桑日記

「なんで、他の人にはちゃんと、話せなるのに、私には、話せないの?話を聞きたいと思ってるのに」

「べつに。話したいときははなす。」

「そんなんじゃ成り立たないでしょう」

「話せる人には話すし、話せない人には、話せない」

「もう、いいよ」

こっちが、もう限界だった。

「悪いけど、聞きたいと言うけど、いつも自分の話しかしないじゃん、昔から。」

「私が?」

「最初だけ聞いたふりして、あとは、自分の話しかしない。そんな人に話なんてしたくない。もう、そういう人なんだなと思ってもらうしかないよ」


そういうところが、ほんとうに、悲しくなる。他の人とは話せるのに、自分には、話せないなら、それは、自分に原因が、あると、思えない。


「あなたの話を聞きたいの。」自分の要求ばかりで、
「なんで、私に話そうとしないの?」と聞こうとしない。

いつだって、話さない僕が、悪いと思っている。もう、何年もそういうことが、続いて、今さら、話す気なんてない。

それに、他の人に聞いてもらいながら、
ポジティブに生きていけるならば、それは、良いことだと、思って欲しい。「私が想像する息子は、そんなことはしな
い」自分の中の理想をフィルターにして、見られるのは、もう疲れた。


でも、言えてすっきりした。
家族はいいこと、ばかりではないね。
それに、自分のことは、思ってる以上に、わからない。



かと言って自分が人の話を聞こうとしているかといえば、そうでもない。子どもがいたら、母のように、話を聞かない親になりそうだということを。
意識していないと、いけない。

34歳、まだまだ人生は長いよ。引き締めて生きよ、自分。




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