おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

落内遺跡の発掘現地を見聞撮

2016年03月08日 00時00分00秒 | 施設等

写真1 落内(おちうち)遺跡第3次発掘調査の現地説明会。国指定史跡下野薬師寺跡の西側隣接地1,200㎡の発掘結果説明。2016年03月06日


写真2 落内遺跡(一部)。建物跡①に建つ身舎(母屋・もや)は南半分に3面庇(②・③)が付く特殊形状建物。2016年03月06日


写真3 アマヤ・作業舎の庇(①)。左右の妻側にも庇が延びる。庇の下にユウガオ果実・フクベ
 庇の下でフクベは細紐状に剥かれ、天日干しされて干瓢になる。庭とビニールハウスには干瓢が干されている
 栃木県下野市薬師寺2丁目。2013年06月23日



写真4 庇(①・②)が延びる蔵と作業舎。埼玉県久喜市八甫。2016年03月06日

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 梅香る下野薬師寺跡
 西隣りの落内(おちうち)遺跡は第3次発掘調査中(注1)
 2016年03月06日、現地説明会が開催された
 筆者はKさんと見聞撮
 当地は筆者の里みち・農道歩きのルート

 調査結果は次のよう(注2)
 掘立柱塀(ほったてばしらべい)に区画された敷地内に①~③の遺構などを確認
  ①5棟ないし6棟の掘立柱建物跡、②掘立柱柵、③竪穴建物跡20軒以上
 掘立柱建物跡付近から7世紀中葉~後半の土器が出土
 この土器と掘立柱建物跡が同年代と仮定すると、建物群は豪族・下毛野(しもつけ)氏に関係深い遺構と考えられる
 掘立柱建物の一つは身舎(母屋・もや)の南半分に3面の庇(②・③)が付く特殊形状(写真2の建物跡①)
 この建物跡は、国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡(隣接の上三川町・宇都宮市)で確認された3棟とほぼ同じ形状と規模
 同じような建物跡は全国的にもほとんど類例がない 
 竪穴建物跡は出土遺物から10世紀頃の遺構と考えられる
 
 さて、筆者は身舎に付く3面庇の説明を伺い、次の庇を想起
  当地や埼玉県、茨城県の農家に建つ作業舎や蔵の庇(写真3・写真4)
  桁に沿い、張出し幅が広い庇
  庇の下はユウガオ果実や農具などが置かれ、作業可能な空間

 さてさて、掘立柱跡に置かれた玉切り杉丸太は遺構理解に役立つ
 丸太は既知のOMさんが提供(弊ブログ2016年02月24日
 発掘地はOMさんの梨畑だった
 発掘調査を終えると砂をかけ、作土を埋めて畑となる
 早ければ4月から作付けされる

 注1 栃木県下野市教育委員会が2015年11月10日~2016年03月25日に、遺跡2,200㎡のうち1,200㎡を発掘
 注2 典拠は現地説明会資料
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記


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