元気を貫く考え方(85・95才現役で)

健康寿命はプラス思考であること、良い「気」を持ち、日常の些細なできごとを元気になるような「受け止め方」をしましょう。

徳川家康の素晴らしき遺訓

2016年10月17日 | 青年・老人
 「人ヒトの一生イッショウは重荷オモニを負オうて遠トオき道ミチを行ユくがごとし 急イソぐべからず」 まではよく知られていますが、更サラに、素晴スバらしい遺訓イクンが続ツヅきます。

 「不自由フジユウを常ツネと思オモえば不フ足フソクなく心ココロに望ノゾみ起オコこらば困窮コンキュウしたる時トキを思オモい出ダすべし」
 「堪忍カンニンは無事長久ブジチョウキュウの基モト」
 「怒ドは敵テキと思オモえ」
 「勝カつことばかりを知シって負マくることを知シらざれば害ガイその身ミに至イタる」
 「おのれを責セめて人ヒトを責セむるな」
 「及オヨばざるは過スぎたるより優マサれり」と

 徳川家康トクガワイエヤス(1542~1616)徳川幕府トクガワバクフの祖ソ。政略セイリャクにたけ、天下テンカを統一トウイツして徳川幕府トクガワバクフ約ヤク300年ネンの治世チセイの基礎キソを固カタめました。

 日本ニッポンの戦国時代センゴクジダイには 3人の偉人イジンが出デました。それぞれ、性格セイカクが違チガい、行動コウドウの違チガいもはっきりしています。その性格セイカクの違チガいから、有名ユウメイな「ホトトギス」の歌ウタがあります。
信長ノブナガ… 鳴ナかぬなら 殺コロしてしまえ ほととぎす
秀吉ヒデヨシ… 鳴ナかぬなら 鳴ナかせて見ミせよう ほととぎす
家康イエヤス… 鳴ナかぬなら 鳴ナくまで待とうほととぎす

 信長ノブナガは 相手アイテのおもわくや周囲シュウイの事情ジジョウなどを気キにしないで、自分ジブンの思オモった通トオり行動コウドウするような点テンすなわち直情径行チョクジョウケイコウといわれるところ、また容易ヨウイに人ヒトを寄ヨせ付ツけず、人ヒトを容易ヨウイに信用シンヨウしないところも見受ミウけられます。さらに感情カンジョウの起伏キフクが激ハゲしく、すぐに怒るオコることも欠点ケッテンでしょう。しかし直観チョッカン鋭スルドく、未来ミライを見通ミトオす才能サイノウも素晴スバらしくて、実現ジツゲンこそしませんでしたが日本ニッポンの裏側ウラガワにまで進出シンシュツする計画ケイカクまであったといわれています。そうした計画ケイカクは着々チャクチャクでしたが部下ブカの謀反ムホンにより志ココロザシ半ナカばで死去シキョしてしまいます。

 秀吉ヒデヨシは、一農民イチノウミンから宰相サイショウにまでのし上アがったくらいですから、機略キリャク、才能サイノウも十分ジュウブン、良ヨい業績ギュセキも多々タタ残ノコし偉エラい人ではありましたが、晩年バンネンは家督跡目カトクアトメ相続ソウゾクで偉人イジンらしからぬ醜態シュウタイを見ミせ、偏狭ヘンキョウなファミリー意識イシキの執着シュウチャクで自滅ジメツしました。

 家康イエヤスは天下テンカを取トるまでは、一度イチドも戦争センソウに勝カったことがないといわれましたが、人ヒトを生イかす才能サイノウに恵メグまれ、そういう人ヒトたちの支ササえで最高位サイコウイまで上ノボり詰ツめた偉人イジンです。人ヒトの意見イケンはよく聞キき、辛抱強シンボウツヨく気キが熟ジュクすのを待マつ忍耐力ニンタイリョクも並々ナミナミならぬものがあります。

 結局ケッキョク、最後サイゴに家康イエヤスが戦国時代センゴクジダイを終焉シュウエンさせることができ、その後ゴに成ナした体制タイセイで約ヤク300年ネンものあいだ平和ヘイワの礎イシズエを築キいた人ヒト、かみそりというよりは鉈ナタのイメージの人ヒトですね。

 彼カレの遺訓イクンを見ミると、政治セイジ・経済ケイザイで平凡ヘイボンな、しかし本当ホントウに大事ダイジな要点ヨウテンだけは押オさえているなと感心カンシンさせられます

 人ヒトにより、感カンじ方、見方ミカタは違チガうでしょうが、やはり三人ニンの中ナカでは一番イチバン歴史レキシに功績コウセキがあったといえるのはで家康イエヤスしょう。その評価ヒョウカは「凡人ボンジンの最高位サイコウ」とでもいえるのでしょうか。 公平コウヘイに見ミても家康イエヤスが一番イチバン、尊敬ソンケイできます。 凡人ボンジンが元気ゲンキで長生ナガイきするには平凡ヘイボンでもこの家康イエヤス家訓カクンを全部ゼンブ実行ジッコウするようにしたら?

  有川愚鈍  雑感
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