玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*うりずんの沖縄⑤

2017年04月24日 | 沖縄の旅

 宿主と千葉の宿泊客Mさんと私の三人が親しく話すようになったのはなぜだったか。宿主の成田正雄さんは、特に若い女性には「ワチキのマサオのオはオスの雄です」と笑いながら答える人だ。宿泊客と話すときは、パソコンで相手の住む地域の地図を出しながら会話を進めてゆく。彼については、まず東京の世田谷区に住んでいた。20代で車椅子生活となり、その時の入院中に知り合った看護師さんと結婚する。40歳で沖縄に移住してかれこれ20年以上が経過したという。

 

 あるとき私は低血圧で起き上がれない宿主の依頼で、ある番組の録画予約の操作をした。回復した彼と一緒にMさんと私の三人で、その「情熱大陸」という番組を見た。それはクメール織物復興のためカンボジアに村を作った日本人のドキュメンタリー番組だった。その日本人の名は森本喜久男という。京都出身でカンボジアに住む森本氏を、成田さんは訪ねたことがあると言って、クメールの絹織物と森本氏の著作を私たちに見せた。

 成田さんはMさんのことを「かつてJALに勤め、現在は少し認知が入っている」と手短に私に説明した。そういえばMさんは動作緩慢、口元締まらず、足を引きずる歩行である。「千葉から毎日のようにゲート前はいつが山場かなどと電話してくる。この間は来たかと思えば一日で帰ってしまうんだから」とぼやき節である。「オマエさんはゲート前で死ねばいいんだ」と成田さんに言われて、「名誉の戦死ということですね」とMさんは、にやにやしながら言い返していた。

 Mさんは、私の好きな落語家だった春風亭柳昇師匠にどことなく似ている。そしてMさんと私は同じ期間の宿泊予定だった。二人で食事をする機会も多かった。滞在中の食料を買い込んでいる私と違って、食事についてはなんの用意もなかった。私は食料を調達する店の場所を教えたりした。「おかげで栄養失調にならずにすんだよ」とMさんは言う。ゲート前でも隣り合わせに座り込む。彼は集会で「特にゲート前の沖縄の女性パワーは素晴らしいと」無難にスピーチした。

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