圏外1

2016-11-20 09:55:30 | 戯作
「きれいだねぇ」

“姫”は心底惚れ惚れしたような声で、その“女小姓”を見た。

そして、「ねぇ、そう思うだろ?」と、傍に控える“腰元たち”にも同意を求めた。

しかし“腰元たち”は、なぜ“姫”がその“女小姓”だけをいきなり褒めはじめたのか訳がわからず、ただ曖昧な微笑を浮かべるばかりだった。

すると“姫”はもう一度、

「お前さん、本当にきれいだよ」

と、その“女小姓”に目を細めた。

二度までも褒められたその“女小姓”は、

「滅相もございません……」

と、面(おもて)を伏せようとした、その時だった。


“姫”の眼が、細めた瞼の奥で、サッと険しい光を帯びた。

そして、

「白粉が濃いってことだよ!」

と鋭く言い放つやいなや、紅のついた細筆を、その“女小姓”の顔へ、横一文字に払った。



「あっ……!」

広岡和斗(ひろおか かずと)は自分の叫ぶ声で、目を覚ました。

そして反射的に、両手で顔をまさぐった。

しかし掌についたのは紅ではなく、おのれの顔から吹き出た汗だった。

広岡は一瞬茫然として、辺りを見回した。

白い壁に囲まれた、狭い殺風景な部屋。

そうだった……。

広岡は詰所の長椅子で、居眠りをしていたことに気がついた。

いやな汗をかいちまった……!

広岡は忌々しく舌打ちすると、手についた汗をそのまま制服で拭った。

そしてポケットからハンカチを取りだすと、こんどは顔と首筋の汗を拭った。

襟の内側に沁みた汗が手の甲に触れて、広岡はますます不快になった。

ほんの少し目をつぶるだけのつもりが、すっかり熟睡してしまったようだ。

おまけに、いやな夢まで見た。

身も体も疲れているとき、広岡は決まって“過去の自分”の夢を見るのだった。

広岡は深いため息をついて、壁の時計を見た。

交代の時間まで、あと二十分。

広岡は詰所を出るとトイレに行き、洗面台の蛇口を勢いよくひねった。

噴き出す水を両手ですくって顔を洗うと、濡れたままの顔を鏡に映した。

そして再び、おのれの顔を手で撫でた。

もちろん、なんともない。

当たり前のことだが、それが余計に、広岡を忌々しくさせた。

詰所に戻る途中、廊下で駅員の山口と会った。

「お疲れ様です」

お互いにそんな挨拶をかわしてから、

「どうなりました、例のクレーマー爺ぃは?」

と、広岡は山口に訊いた。

「今度来たらぶっ殺す、って言ってやったよ」

山口は仲良くしている広岡には、そんな冗談を言った。「……いつもの通りですよ。なだめすかして、お引き取りいただいた」

「ご苦労様です」

近所に住んでいるらしいその“クレーマー爺ぃ”は、ようするに独り身で寂しいのだろう、ときどき入場券を買って駅構内をうろついては、些細な出来事を目敏く見つけて、「アンタらはなっとらん!」と、駅事務所に怒鳴りこんでくるのだった。

「広岡さんはこれから?」

「ええ、これから改札口で立哨……、“置き人形”ですよ」

広岡の自嘲に、山口はただ苦笑いだけして、向こうへ去って行った。

置き人形、か……。

広岡はもう一度、そう呟いた。

「なんも変わっちゃいない、今も昔も……」


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