迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

かかるところへ正義の味方。

2018-01-15 21:41:57 | 浮世見聞記
日が暮れてから、世田谷ボロ市へ出かける。

早々に店じまいを始めてゐるところもあり、

「いまからは早すぎだろ……」

と苦笑しつつ、綺麗な着物がたくさん吊ってあるお店で、縁あって商売道具になるものを庶民的な値段で手に入れる。

かうして少しずつ買ひ集めていくのが、手作りの楽しみだ。



綺麗な着物と言へば、自治体が成人式をやり直す救済策を検討してゐることについて、

「税金の無駄遣ひだ」

と、善意に水を差してゐるのがゐるといふ。



税金云々などともっともらしい正義を宣ってゐるが、やうは水を差すことで悦に入る病人であり、相手になることはない。

また、自治体内でも人員確保の困難を理由に、難色を示してゐるのがゐるとのこと。

やうするに、他人事なのである。

東日本大震災のとき、まったく被害に遭はなかった土地の人が、平気で「うちはノープロブレム」と笑ったのと、同じ感覚だ。



誰が言ひ出したのか『絆』などと云ふ語感にすっかり酔っ払ひ、そのじつおのれだけは生き延びやうと食料品を血眼になって買ひ漁り、そのくせ被災地産の商品は忌避した自分が一番カワイイ輩を、私は決して忘れはしない。


かういふ輩は、おのれも一度被害に遭へば、いっぺんに黙る。




“税金の無駄遣ひ”とは、もっともっと、違ふことをいふ。


同じところを毎回ほじくる“公共工事”や、

今年度の予算を使ひ切るために、

つまり来年度の予算を多く分捕るために、

使ひもしない高額製品を大量に買ひ込んで、

地下倉庫に隠してゐるお役所関係や、

公務中に、“人生の伴侶”でない相手とお手々つなひで仲良しこよしなセンセイなどなどなど──






晴れ着を着られる機会のやり直しは、

一納税者として、

私は賛成である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 格調ある気さくな江戸糸あや... | トップ | 一過後の大敵。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。