迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

上方芸能の戦後。

2017-11-11 23:11:55 | 浮世見聞記
横浜にぎわい座の「上方落語 戦後復活落語会」にて、楽しみにしてゐた「軽業」を聴く。

先代の桂文我がNHKの公開録音の会場におゐて酩酊状態で口演した、ある意味有名な音源、また同じく先代の桂小南が東京風へと見事にアレンジしたものと、いずれも録音でしか聴ひたことがない噺で、肝心の軽業の場面をどうやってゐるのか─なにしろ音源では下座の演奏とお客の笑ひ声しか聞こえないのだ─、ぜひそれを見たかったのである。

綱渡りの場面は扇子を綱に、二本指を両脚に見立てるなど、そのシンプルさが楽しい。

この噺は“入れ込み噺”、東京で云ふところの前座噺ださうだが、歌舞音曲の素養も求められる、なかなか大変な噺だと思ふ。


もう一つの楽しみは、トリの桂きん枝。

大阪在住時代に関西ローカルのTV番組でよく見た懐かしい顔だが、本職の落語を聴くのは今回が初めて。

噺は「悋気の独楽」で、マクラからいかにも大阪らしい語り口でぐいぐいと惹き付け、決してお客の気を逸らせないその上手さ!

さすが関西の売れっ子や、と感服仕る。


戦後、上方落語が復活したのは終戦からわずか三ヶ月後、焼け残った四天王寺本坊における落語会からと云ふ。

それから七十年、上方落語は“実体”を伴ふ形で継承されてきた。

そこが、昭和三十年代に娯楽の多様化からお客と合理主義の興行会社に見棄てられて事実上崩壊し、いらい名前ばかりで実体が存在しない上方歌舞伎との、決定的な違ひと言へる。

実体といふ意味では、能楽と同じく作品世界が一般人にはとっくに理解されくなってゐても、税金の投入とそれぞれの暑苦しい職人魂でとりあへず形は保ってゐる文楽といふ芸能も、上方には存在してゐる。

が、笑ひをとる芸能が一人勝ちしてゐる背景には、今回のきん枝師のマクラにあった、

「なにせ元手のかからん商売でして……」

に、ポイントがありさうだ……。
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