あられの日記

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国宝になった深大寺の釈迦如来像

2017年10月16日 05時46分52秒 | 神社・仏閣
2017.10.1訪問。
山門に「国宝白鳳仏 特別拝観」の立札を見て深大寺さんへ。

山門を内側から撮影。「浮岳山」の山号が掲げられている山門も素敵だなあ。と撮影。実はこの山門、慶応元年(1865)の火災で焼失を免れた建物で、現在深大寺さんで一番古い建物なんだって。趣きたっぷりの茅葺屋根です。

ご本堂にまずは参拝する。前の人が拝み終わるのを待つ間、本堂右手の大きな木が気になって観察。

ムクロジ(無患子)です。
説明板発見:実は果皮を水につけてこすると、石鹸のように泡立ちます。古くは石鹸として使われていました。また、硬くて光沢がある実は、羽子板の羽つきの玉や数珠として使われています。漢字で「無患子」とかくことから、「子が患わ無い」と言う意味で、無病息災を願い、お正月に子供達が羽根つきをします。

本堂脇に素敵な飾り付けがありました。お参りが終わったので、国宝の白鳳仏はどこにあるのだろうか?

拝観順路の紙を見つけました。

あそこの階段を上がればいいのだな。
上の画像左の建物は、手水舎です。手水舎の右となりにある大きな木の花を見に深大寺さんに参拝に来たのが前回です。
 なんじゃもんじゃの木(2009.9.26)の記事 こちらの記事に深大寺さんのなんじゃもんじゃの木の画像があります。
深大寺 (2010.6.1)の記事 こちらの記事にもなんじゃもんじゃの木の画像と、前回訪問した時の深大寺さんの詳しい記事を掲載してあります。

あれ?階段登ったら、また本堂みたいなのがある??とりあえず参拝。元三大師堂です。
元三大師とは、慈恵大師の事。慈恵大師の像を安置してます。幕末の火災で焼失。慶応3年(1867)に復興。
元三大師堂の右手に大きなだるまが飾ってあります。
2009年の3月3日に、だるま市を見物に来ました。確か、WBC(ワールドベースボールクラシック)の必勝祈願だるまや阪神タイガース必勝だるまを売ってたのを思い出す。
あれ?高浜虚子の像がある。撮影しそびったのですが、像の左に高浜虚子の句碑が立ってます。境内には句碑が幾つかあるようで。
元三大師堂の右手に釈迦堂があります。その中に今年9月15日に国宝指定されたばかりの、銅造釈迦如来倚像が安置されてます。

安置されてる像は撮影禁止なので、飾ってあるポスターをご覧ください。
ちなみに、現在は拝観料は基本無料です。お賽銭をすれば、説明チラシをいただけるので私にしてはお賽銭を弾んで50円投入しましたが、来年4月1日より、拝観するのに300円の拝観料が必要になります。気軽に国宝の白鳳仏を見たい!と思った方は今のうちかも?いやいやいやいや。
説明板発見:国宝 釈迦如来像
総高83、9センチメートル
銅造 金色仕上
白鳳時代 7世紀
東京・深大寺蔵
日本の白鳳仏を代表する作例として、平成29年に国宝に指定された。
関東で最も古く、また当初の姿をよく留めている。頭頂から足元まで通して蝋型による一回の鋳造で作られている。銅の純度が極めて高く99%であるが、これも白鳳仏に通じる特色である。優しい微笑みをたたえる少年像で、法隆寺夢違観音像や新薬師寺香薬師像(昭和18年に盗難)とその作風が近く、同じ工房での制作と推定される。

日本の古代の時代表記
今日、日本古代の時代表記については、政治・行政的区分として、飛鳥時代、奈良時代とされている。しかしその中間に当たる時期は、両者にはない文化が見られることから長く「白鳳」と呼ばれていた。白鳳は文化期としては重要な時代概念であることを考慮し、深大寺では白鴎文化期を白鳳時代と表記している。
飛鳥時代 593〜662
白鳳時代 662〜710
奈良時代 710〜794


さてと?すっかり脱線しちゃいましたが、本日の目的は神代植物園です。さてと?どこの坂を登ればいいんだっけ?
あ。境内配置図がある。

え〜と?よくわからんなあ〜。でもおそらくこの坂のハズ。

あ。動物慰霊祭があるんだ。緩い坂を上った先に深大寺そばの店が。その奥に、神代植物園の深大寺門が見えてきました!!

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