あられの日記

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日蓮上人入滅の旧跡

2017年09月08日 05時53分13秒 | 神社・仏閣
2017.4.2訪問。池上本門寺の有名人のお墓を巡ったあと、最後に日蓮上人が亡くなった池上本行寺さんへ行きました。
説明板発見:東京都指定旧跡 日蓮上人入滅の旧跡
日蓮上人(聖人)<1222−1282年>は、日蓮宗の開祖であり、「立正安国論」などの著作で知られています。日蓮は、文永11年(1274)に鎌倉を去り、甲斐国身延山に宗教冊堂の場を移していましたが、弘安5年(1282)、病の悪化により常陸国へ湯治療養へ向かう途中、武蔵国千束郡池上右衛門太夫宗仲の館(現本行寺境内)で示寂しました。
なお、病中の日蓮が。身延山を発って池上の地へ移ったのは、法華経を説いた釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)から艮(うしとら)、すなわち北東の方角に当たる純陀の家で入滅した故事にならったとする説もあります。」

赤門
池上本門寺の墓所から到着するのがこの赤門。本行寺の正面玄関です。門の手前右手を行くと、日蓮を荼毘に伏した宝塔があります。
赤門を入り、直進する。右手にあれこれ残っています。

御灰骨堂(おはいこつどう)
撮影したものをいつくか紹介。上の画像の御灰骨堂があります。
日蓮上人が入滅(亡くなった)後、遺体を荼毘に伏した灰を収めて安置してあります。

旅着堂(たびちゃくどう)
旅姿の日蓮の像を安置しています。

御硯井戸(おすずりいど)
日蓮上人が身延山から到着した翌日、この井戸の水で墨をすり、手紙を書いた。

まずは本堂に参拝。
その後、ご臨終の間のあるお堂へ。(トップ画像です)入れます。が、撮影は遠慮しました。
ただし、この建物は日蓮の死後、亡くなった部屋の跡に建てたお堂です。日蓮はなくなるまでの1月の間、池上家の仏間で法華経や立正安国論を講義してたとか。その時に日蓮が寄りかかっていた柱の一部が保存してあり、自由に柱に触ることができるとか。ブログ記事を書くのに調べてて知りました。チッ!訪れた時に知ってたら触ったのにな。

ご臨終の間の建物の裏手には、庭園があります。庭園の奥は池上本門寺のお山が迫っています。
こちら、ご臨終の間の入り口に掲げられていた提灯です。丸に雁金の家紋は日蓮宗の井筒に橘じゃない。もしかしたら池上家の家紋かもしれん。調べないとわからんけども。

最後にお会式桜
今ある桜はしょぼいけど、言われによりますと、日蓮上人がご入滅した旧暦10月(今の11月)に桜の花が咲いたと伝わっているので、お会式の万灯に桜の花を飾るとか。
もしかせんでも「お会式桜」って「四季咲き桜」なんじゃないかな?

訪問したのは2017年4月2日です。本来ならば、桜の季節なのだけども。上の画像のようにチョボチョボとしか花が付いてないからさ。10月桜だったかもしれんけども。4月にチョボチョボでも咲くならば、四季咲き桜じゃないかな?奇跡なんかじゃないと思うんだけども。宗教のことに突っ込み入れたらイカンので深追いはしません。
本行寺から池上本門寺の総門方向へ。道々に塔頭が点在してます。訪問した4月2日は春祭りが開催されていて、塔頭でもお祭りをやってるお寺があったのですが、この日は朝から目黒川の桜を追いかけて東急池尻大橋駅から中目黒駅。洗足池を1周して、さらに池上本門寺のお山を散策してるので、もう体力が限界だったので、総門そばの煎餅屋でご当地煎餅をお土産にしておとなしく撤収しました。

9月7日から11日まで、松濤園が公開中です。 数年までまでは、スタンプラリーをしたり、Q&Aを解けば入場できましたが、現在は特別公開日だけ入れるようです。 西郷隆盛と勝海舟の会見の地の庭をこの機会にぜひご覧ください。会見場は現存してませんが、庭は当時とあまり変わってません。

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