あられの日記

散歩先で心に触れたあれこれを記事にしてます。カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に入ってます。

勝海舟のお墓の隣にあるものは?

2017年04月04日 05時31分58秒 | 墓所巡り
幕末から維新へ。徳川幕府が終わる時、徳川幕府の代表が勝海舟で、官軍の代表が西郷隆盛で会談が行われた。歴史的にも稀な前の時代の首府の江戸の町が、焼け払われる事なく丸ごと新政府へ受け継がれました。歴史の教科書に必ず登場する江戸城無血開城です。
ちなみに、過去その会談の舞台を訪問した事があります。
秘密の名園で散歩(2009年10月6日)の記事 池上本門寺にある小堀遠州作の名園松濤園。

非公開の秘密の庭の奥に会見場がありました。池上本門寺に官軍の本陣が置かれてたのです。
ちなみに、小堀遠州作のお庭でおススメなのがこちら。
スカイツリーと五重塔(2013.3.27)の記事浅草伝法院のお庭から、浅草寺の五重塔とスカイツリーの2本の塔を伝法院の庭から1枚の画像に納める事が出来ます。
今ならしだれ桜と伝法院の建物も同じ構図に納まるんじゃないかな〜?
ちなみに、浅草駅から隅田川を超え、スカイツリーに向うと、上流側に石像が見えます。

この石像は勝海舟像なので、浅草周辺で桜散歩するついでに見物してみるのも一興。勝海舟が指さす先にアメリカがある。

旧島津公爵本邸(清泉女子大学本館)の見学を終え、東急池上線五反田駅へ戻りました。ふと?島津薩摩藩西郷隆盛勝海舟と連想が繋がり、去年の6月初めに洗足池を訪問し、そこで見た勝海舟のお墓の隣に西郷隆盛の石碑があったのを思い出しました。あの時は携帯電話持参で散歩してたのですが、目黒不動尊のあと洗足池に行ったら後の画像が消えてしまいまして〜。洗足池の記事に出来なかったのね。洗足池なら東急線沿いです。よってみよう!ってな事で予定変更です。
東急池上線洗足池駅下車。駅から見て右手の信号を横断したら目の前の細い道を直進します。しばらくは洗足池が見えません。道なりに進むと左手にこども公園が見えてきます。そこの左奥に唐突にお墓が2つ並んでいます。それがトップ画像です。お墓は勝海舟夫妻の墓です。洗足池の風景を気に入った勝海舟がここに庵を構え、ここにお墓を作るように遺言しました。
墓所巡りも折りにふれ散策コースに入れていますが、ここで歴史好きの萌えを大いに刺激してくれたのは、勝海舟夫妻のお墓の左側、池側にある石碑でした。

最初見た時は大きな石碑だなあ〜?程度だったんだけどね。正体が分かった所で変な叫び声を上げてしまいましたよ!だってこれだもん〜。

勝海舟こそ武士に終止符を打った人だと思うのね。幕府を倒した官軍についていた下級武士はさあ今から自分達の時代だ!と思ってた人も多かったと思うけど、実際始まった明治時代は彼らの希望を打ち砕くものでした。不平不満を抱いた男達は西南の役を初めてしまいます。西南の役の行く末を知りながら担ぎ上げられたのが西郷隆盛。西郷は新しい時代の禍根を断つ心づもりだったと私は思ってる。
幕末を維新に変えた立役者の一人だったのに、数年後には西郷隆盛は新政府の敵になった為、西郷の石碑は破壊撤去される運命にありました。それを阻止したのが勝海舟だったんですよっ。
江戸城無血開城という歴史の一大イベントで対峙した二人。その幕府方の代表だった勝海舟が、敵方の東征軍の将でありながら、明治政府の敵の立場になった西郷隆盛の石碑を、自分の庵の側に移転させたんですよ!勝海舟の心のうちはどうだったんだろうなあ〜。この記事の冒頭にあえて池上本門寺の江戸城無血開城の会見場の話題を持ってきたのは、実は洗足池から池上本門寺は徒歩圏なんです。すごく近いのね。洗足池駅から数駅先が池上本門寺の最寄駅なのだ。歴史好きなら訪問の価値があります。今なら日本人が大好きな桜も見れます。そういえば、洗足池も桜の名所なんだよね。…目黒川の桜を見に行こうと思ってるんだけど、ついでに見てこようかな?体力次第ですが。なぜに今風邪を引いてしまったの?自分…。

さて、この後この日の散策は、目黒駅へ向いました。徒歩8分で国立科学博物館付属自然教育園があるのです。ここの紅葉が素晴らしいって!
実際素晴らしかったんだよね〜。自然教育園の土地の歴史も讃岐香川出身者としてはチェックしたい場所だったし(江戸時代、この地は讃岐高松藩主松平頼重の下屋敷でした。私のまあ故郷の所縁の地です)現在は隣接する東京都庭園博物館(旧朝香宮邸)の方が有名ですが。
んで、なんでそちらの画像がない?いや、洗足池の記事の画像も手薄だったのか?と言いますと…。撮影に失敗しました。そもそも旧島津公爵邸の記事がここまで遅れたのも実は携帯電話のマイクロSDカードに画像が撮れてなかったから!それに気付いたのが五反田駅から洗足池駅へ移動の車内で再生した時でして…。最近撮影画像が携帯本体に残ってるのを気づき、風邪ひきで動けなかったんで、携帯本体からマイクロSDカードに移動出来るの?と触ってるうちに出来るのに気づきあらためて記事にしました。
洗足池に到着した時にあれこれ設定を変えたり、SDカードを取り出して再挿入したりあれこれやってみた結果、少しだけ撮影画像が残ってたのね。んで記事立てしましたが、う〜〜〜記事の出来に不満が残るわ〜。
んん??そういえば、西郷隆盛の石碑に何を書いてあるか?まだ紹介してなかったっけ?

これです。たぶん内容から西郷隆盛が仕える主はただ一人と決めていた殿、島津斉彬を失い、奄美大島に島流しされてた時のものじゃないかな〜?その後の西郷の一生を知って読むと涙が出そうな内容ですよね?勝海舟がこれを壊すのに忍びなく手元に引き取ったのもさもあらんですよ。勝海舟が幕府より咸臨丸でアメリカへ行け!といわれ、断食修行した時にも似た気持ちを抱いたのではないか?とか思っちゃったわ。

両国で江戸巡り(2012年3月6日) この記事に勝海舟生誕の地を訪問しました。この時の散歩の目的は、吉良上野介の屋敷跡&回向院だったのでついでに訪問しました。

東叶神社(2014年12月29日)の記事 こちらの記事は横須賀の浦賀にある神社です。ここは勝海舟断食の場です。安政6年(1859)、幕府は日米修好通商条約批准の為施設を派遣。随行艦として咸臨丸を派遣します。勝海舟は咸臨丸の船長の職を受託。航海と渡航の守護を祈願し東叶神社で断食修行を敢行しました。へえ〜へえ〜へえ〜でしょ?ここの勝守は航海安全・旅行安全とかスポーツ必勝のお守りで人気です。

*記事の出来と記憶力に自信がないので、4月2日に目黒川桜散歩のついでに洗足池に寄って来ました。
記憶があちこち間違ってたよ。例えば、西郷隆盛が島流しになったのは奄美大島。これは正解だったけど、一端薩摩に戻った西郷は、島津斉彬の次の殿様と折り合いが悪く、今度は沖永良部島に島流しになってまして、石碑の文章はその時のものらしい。
あと、この石碑はそもそも勝海舟が自腹で作ってお寺に納めたものを洗足池の別邸(庵じゃなかった)に引き取ったんだって。
その辺りを詳しく書いて(画像も取り直してきた)この記事を書き直したいんだけども、今は桜散歩を優先したいので後日!後日に推敲し直します。
疲れてしまって何を書いてるんだぁ〜〜!!目黒川の桜があないに人出を集めるとは…。目黒川は既に見頃になってました。
んで、洗足池では桜も咲いてないのに、あっちでもこっちでも花見の宴会やってました!もう呆れるばかり。私は花を愛でながらお昼ご飯したかっただけなのに…。その後、4月1日&2日限りで池上本門寺の重要文化財の五重塔のご開帳目当てで移動したら、そっちはまだ桜が2〜3分咲きでしたが。ダンナが「池上本門寺は何度か来た事がある!」と豪語したから、ちょいと突っ込んで聞いてみたら、墓所巡りも池上本門寺歴史巡りもやってない事が判明!急遽墓所巡りにダンナを連れ歩いて紹介してしまい、日蓮上人入滅の地で気付いたら15000歩超え!先週風邪ひきでへばってたのに、復活一つ目の散歩で無理するとかっ!もうくったくた。おまけに思いがけず数年前の記憶を脳みその奥から引っ張り出して、あの広大な本門寺の墓域を西へ東へと移動して脳みそが疲れてます。本当にダメダメ。いや、こんな文章を書いてる場合じゃなかった!桜が私を誘ってる〜お出かけしなくっちゃ〜〜!!
ジャンル:
びっくり
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