あられの日記

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座間神社

2017年03月08日 05時59分42秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
座間神社さんの77段の階段に千体のひな人形を飾るというイベントを楽しんだ後、初訪問の座間神社さんの境内をチェックしました。

本殿脇に大きなご神木がありました。

ご神木は樹齢300年のシイの樹です。複雑な枝ぶりになったのは何故だ?ちなみに、ご利益は健康成就・病気平癒・延命成就など。両手をシイの木肌にかざして心を落ち着けてみると、パワーを感じるとか。作法を知らずにご神木の木肌をスリスリしちゃったわ〜。
ちなみに、上の画像奥左手には意外な風景が広がっています。

問:ここはど〜こだ?
答え:座間キャンプです。不思議な風景です。奥の続く桜の木。咲くと更に不思議な光景になるんだろうねえ。桜の季節が楽しみだ!

え〜と?なぜにワンコ?くま?
座間神社さんは「相模の飯綱さま」と親しまれ創祀は神代といわれていますが、一つは欽明天皇(539−571)に坐摩郷(座間の古名)に悪疫が流行した折りに飯綱権現の化身である白衣の老人が現れ、崖下の森の中に湧くわき水を使うようにすすめたので、村人がそのすすめに従ったところ、悪疫はやみました。そこで飯綱権現を祀ったというものです。
別の説もある。そっちでは約800年前の源頼朝が鎌倉へ幕府を開いたころ、悪疫が流行した時に白衣の老人が来て、日本武尊を祀れば悪疫が治まると教えたので、日本武尊を祀ったといいますが、その時代は正和二年(1313)で、祭神は飯綱権現だったとか。
ちなみに飯綱権現から座間神社に名前が変わったのは、明治に入ってから。幕末維新の大混乱期では、防火の神様でもある飯綱権現より後世防火の神様でもあった日本武尊押しにした方が神社のご祭神として、時の権力者にウケが良かった模様です。庶民の知恵ですね。この時代は廃仏毀釈やら信仰弾圧期でもありました。存続こそ氏子の正義だった模様です。
裏手でこんなのも見つけた。

なぜに狛犬がワンコとニャンコ?ここは

ハイ、伊奴隷寝子社とかいていぬねこ社。〜〜〜〜無理矢理感あるなあ〜。本来は脇に小さく書いてある蚕神社だったのかも?
でもこれで座間神社さんの絵馬がわんこだった理由がわかった!くまはやっぱり謎ですが。
説明板発見:伊奴寝子社(いぬねこ社)蚕神社
「ご祭神:保食神(うけもちのかみ)
かつて畜産や養蚕が盛んな頃、当社の境内に家畜などを疫病から守護する蚕神社(伊奴寝子社)が祀られていました。
古くよりこの社にお参りすると願いが叶えられるという篤い信仰が伝えられていましたが、いつしか時代が変遷して現代では多くの人が、愛するわが子同様に家族の一員として犬や猫と生活を共にしており、人間の家族以上に愛情を注ぐ人も少なくありません。
この社は、大切なペッとの健康や幸せを願い、疫病や怪我の回復を祈り、事故などに遭遇しないための全ての愛しい生き物たちをお守りするための社です。
また、「犬」「猫」像を手のひらでさすると願いが叶えられます。」
へえ〜へえ〜へえ〜。今どきには合ってるね。
境内には他に飯綱稲荷大明神・山王社・明王社・浅間社・道神社・天神社・蚕神社・芭蕉の句碑がありましたが、画像撮影してません。
夫婦円満の象徴 夫婦さわら

階段下に座間神社の神水座間神社の由来となった白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山裾から涌き出る清水を使うように告げた。御神水は、座間神社の石垣の下、神社会館すいめいの右脇空き地のあります。ここが自転車置き場でした。自転車を回収に行ったら調度水をくんでる女性がいました。…美味しいんだろうか?このわき水は夏は冷たく、冬は暖かいらしい。
コメント
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