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今日一日を楽しく深く生きて居たい

ある日のメール

2013-04-29 22:58:20 | Weblog
  ●● 様
(自分史ノート)何時も有り難う御座います。
今回は (健康と病気)をテーマにしているようで 私は興味深く読ませて頂きました。

健康については 沢山の知識と 実践をされて 色々経験も(罹患された病も含めて)されていて
とても参考に成ります。

何時もの同期会で 色々話して下さる事を聞きながら (こんなに知識豊富に成られたのには  きっと何かの切っ掛けが有ったのだろう)と感じていたのです。

やはりそうでしたね。

健康に自信を持って50歳まで生きて来られたのに 『前立腺ガン 平成16年。”シテイズンで病いは癒えるいわし雲”(市民病院の病室で)。』の経験をされたのですね。

(人は病で死ぬのではない  本人の持ってる寿命で死ぬ)と言われていますように 寿命のある人は大病しても生きられる。
寿命の無い人は 何をやっても ある日突然死ぬ事もある。
人は年の順番に あの世行きには成らない。
自分には知りえない 順番が有る気がします。
だから 人は生まれた時から 皆 同じ年なのです。
1歳も90歳も死までに残された時間は 1歳が多くて 90歳が少ないとは言えないのです。
ただ 確率から言えば 90歳の方が 残された時間は少ない場合が 圧倒的に多いというだけの事で 自分がどの領域に居るかは明確に知り得ません。
こんな事を言えば (健康に留意して努力するのは無駄  死ぬ時は死ぬのだから)と言う事に成りますが・・・・・
努力した分 やはり報われる様には成ってる思います。

ただ 私の場合 年齢を考慮してみて そんなに長生きしたいと思っていないです。
自分が 何の為に生きなければ成らないのか 何を遣る為に生きなければ成らないのか 大そうな目的が無いまま生きても仕方無いと言うような 所謂 ニヒルな感情の中で自分を見ています。

子供達を 一応社会人として役立つ様育てたと思いますし 私が夫を看取ろうとは思って居なくて あわよくば 私の方が看取ってもらいたいと希望してるし(ダメな妻です)・・・・・

(この世に 何かを残して死にたいと思ってないし 自分は 此の広大な宇宙の一片の塵であって 自分の生きて来た時間は それっきりで何にも残さなくて良い)と言う 死生観と言うか大げさに言うならば 宇宙観みたいなものです。

年を重ねるに従って 何事も相対評価ではなく 絶対評価の中で生きていますし それが通用する させる事のできる暮し方をして居るつもり?なのです。

こんな風に書いても 理解してもらえないかもしれませんが 要するに 自分がこの世に用済みになった時点で 次の世に行かせてもらえばいいのです。(私の場合です)
だから 長生きしようと あまり努力する方では無いかもしれません。

が 色々痛いのはゴメンなので 長生きの為ではなく 痛い思いをしない様 努力はしています。

無我無欲の境地に成れたらいいな~ と時々思いますが 程遠い話です。
だから 生きる事が苦しみで無い間 モタモタしながら 私いきてると思います。

今度 (延命) と(クローン人間)をテーマに考えを教えてください。
自然界を無視した様な気がして 私には疑問が多いテーマです。

それでは 今日は此のあたりで・・・・。
何時も勝手な事書いて 読んでくださって有り難う御座います。
私の周りには こんな事言っても一緒に考えてくれる友人が居そうに無いのです。

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