はるみのちょっとTea-time

日々の暮らしのなかで感じたこと、市民運動のことなどわたしのことばで、つづります。

71年前の真実は・・・

2016-10-10 | つるがのまち~あれこれ~

昨晩は、痛み止めや胃薬、睡眠導入剤を服用し

毛布にくるまって、眠りについた。

なんせ、寒気がおさまらなかったのだ。

 

今朝は、なんと!

さわやかに目が覚めた!

で、10時間近く、眠っていた・・・計算になる。

 

ここからは、昨晩、書くはずだったお話しになる。

 

8日の午後2時から、図書館で歴史講座が開催されたんだそうな。

 

講演の表題は

《「満蒙開拓」の事実から学ぶもの~人々はなぜ満州へ渡ったのか~》

講師は満蒙開拓平和記念館 専務理事 寺沢 秀文氏である。

 

話の内容は、タミヨさんいわく、

最後の満蒙開拓団が終戦の年の8月2日に

敦賀港から出航した・・・という。

 

講演の後、タミヨさんは

「8月2日に敦賀港から出航した船はなかったはずだ」

「海軍の武官府(漢字あってるかな?)に勤めていたから、

その当時のことはよく覚えている」

(註:海軍の武官府は現在の市立博物館にあった)

と講師に言いにいったそうだ。

 

講師のかたの話では、

満蒙開拓団で満州へ渡った人の手記が見つかり

その手記に15年8月2日に敦賀港を出航した・・・という

記述があったらしい。

 

タミヨさんの話では

敦賀港から沖縄へ、兵士を送ろうとしていたけれど、

それさえできなかったのに、

開拓団の船が出航できるわけがない・・・

日本海は、敵の潜水艦に取り囲まれていたし

毎日のように、グラマンが飛んできて、日本の船を見つけると

ことごとく沈めていたのに・・・とのこと。

 

この時期、すでに敗戦の影が忍び寄っていたというし、

海軍の船さえ、出航できない状態で

開拓団の船を出すというのは、無謀極まりない。

しかしながら、手記にそう書かれていたのも

事実だろうと思う。

タミヨさんの記憶に間違いがあるかもしれないし・・・

 

71年前の歴史の証言でさえ、こんなにも食い違うのだ。

はてさて真実は?

気になるなぁ・・・

 

 

 

 

 

 

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