徒然日記~A&Aクリエイション~

季節のこと 徒然なるままに~

「赤とんぼ」の歌碑

2008年06月16日 09時22分24秒 | 国内旅行記
  <赤とんぼ> 三木露風作詞・山田耕筰作曲

 夕焼、小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
 山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)摘んだは まぼろしか
 十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた
 夕焼、小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

この「赤とんぼ」の歌の碑は兵庫県たつの市の竜野公園の入り口にあります。
三木露風は、ここたつの市の生まれです。
この碑の前に立つとセンサーで「赤とんぼ」が流れてきます。
竜野公園は鶏籠山のふもとにあり山紫水明の閑静なところです。
龍野は播磨の小京都と愛され、醤油・素麺などが有名な町です。
散歩がてらに訪れてみませんか。

 by aran   A&Aクリエイション


 <「赤とんぼ」の歌詞>
 有名な「赤とんぼ」の詞は三木露風によって1921年(大正10年)に発表されました。露風は函館のトラピスト修道院の窓の外に赤とんぼを見て、幼い自分を背負ってくれた子守娘を思いだし、詞を書きました。
 露風は5歳のとき父親の放蕩が原因で両親が離婚し、祖父に育てられたそうです。幼くして別れた母とふるさとへの思いが、「赤とんぼ」の歌詞になったといわれてます。

 <三木 露風>
(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964年12月29日)は兵庫県揖西郡龍野町(後の龍野市、現在のたつの市)出身の詩人。本名は三木 操(みき みさお)。小・中学生時代から詩や俳句・短歌を新聞や雑誌に寄稿、17歳で処女詩集を、20歳で代表作の『廃園』を出版するなど早熟の天才であり、北原白秋とともに注目された。早稲田大学および慶應義塾大学で学んだ。1918年頃から鈴木三重吉の赤い鳥運動に参加し童謡を手掛ける。1921年には、童謡集『真珠島』を出版した。この中の「赤とんぼ」は山田耕筰によって作曲され、広く知られている。1916年から1924年までトラピスト修道院で文学講師を務めた。1922年にはここで洗礼を受け、クリスチャンになった。

  (三木露風/ウィキペディア(Wikipedia)より一部抜粋)