
「『特別支援教育』の『特別』ってなによ?」
そう問いかけるブロガーの方がいらっしゃいました。話の流れから察するに、解説を求めるというよりは問い詰めるような様子でした。
理由あって、そのブログ記事にコメントはつけなかったのですが。この問いに対して私が答えるとするならば、以下の説明になります。
「特別支援教育」は言ってしまえば「訳語」です。言葉のみならず特別支援教育という取り組みそのものが、実は輸入品のようなものなのです。
“Special Needs on Education (特別な教育的ニーズ)"や“Special Needs Education (特別なニーズ教育)"という英語で表現されたものを、日本語表現と日本の教育界の状況を鑑みて翻訳したものが「特別支援」と「特別支援教育」なのです。
関連で“children with special needs (特別なニーズを持つ子ども)"という表現も使われています。汎用の教材・指導法では学ぶことに困難があり、その困難に対応した別あつらえの教材・指導法が必要になる子どもたち。意味としてはそんなところでしょう。
そんな彼らが他の多くの子どもたち同様、教育を受ける権利を「普通に」行使するために、指導において「特別な」配慮をする。「特別支援」とはそういうことです。
“Special Needs Education”という英語を日本語に置き換えたものが「特別支援教育」というわけですが。私は他にいい訳語があるとは思えず、これが妥当だと思います。単に言語センスがなくて、より優れた訳語を考えつけないだけかもしれませんが。
日本語における「特別」という表現には、対象を持ち上げるとか奉るといったようなイメージが付随することもありますが。「特別支援教育」の「特別」は、上述の由来を踏まえ便宜のため用いているものと割り切っていただくのがよいと思います。
重要なのは実践です。教育の現場が、その“Special Needs”に応えられるようになることです。
文科省から確認を取ってはいませんが、特別支援教育の輸入元はおそらくアメリカですね。もちろん、それ以外の国の教育制度も参考にしているとは思いますが。
そのアメリカで出版された、「インクルージョン」というタイトルの本の翻訳版を持っています。副題には「普通学級の特別支援教育マニュアル」とあり、中身はその通りインクルーシヴ教育を実践するための指南書です。
原著のタイトルは“Inclusion, 450 Strategies for Success (インクルージョン、成功のための450の方策)”で、副題は“A Practical Guide for All Educators Who Teach Students with Disabilities.(障害を持つ生徒を指導する教育者のための実践ガイド)”です。
教職者であった原著者のペギー・ハメッケン氏が、1990年代に勤務先の学校でインクルージョンを実践したときの経験が元になっているとのこと。彼女はインクルーシヴ教育をテーマに修士号を取得されているそうです。
4人いる翻訳者の代表、重冨真一氏はダウン症のお子さんをお持ちの方で、仕事のため滞在したアメリカでインクルーシヴ教育に出会ったそうです。この本の原著はそのアメリカ滞在時に購入されたとのこと。
翻訳書には「訳者まえがき」があり、この本が書かれたアメリカの教育制度について簡単な説明がされています。その中でお子さんが通われていた学校を例として挙げ、以下のように書かれていました。
インクルージョンを実践する学校の一日を訳者の娘が2002〜03年に通ったカリフォルニア州の小学校(児童数450人)の例で見てみましょう。
当時15人の障害児(学習障害児を除く)が在籍していました。すべての障害児は普通学級に籍があり、登校するとまず普通学級に鞄をおいてから、特殊学級に集まります。
そこで特殊教育担当教師(1人)がその日のスケジュールを説明し、子どもたちの様子を見ます。その場には特殊教育の補助員(10人)も来ています。特殊学級での指導は短時間で終わり、障害児たちはスケジュールに従って普通学級に戻るか、補助員と一緒に学習します。
娘の場合、英語の授業をアメリカで育った子どもたちと一緒に受けるのは難しかったので、その時間は別室で補助員から教わり、その他の時間になると普通学級に戻って、補助員の支援を受けながら授業を受けるという形でした。
補助員は授業の予備知識を障害児に与えたり、障害児が教室にいられなくなると付き添って気持ちを落ち着かせたりします。特殊教育教師は全校に1人で、普通学級担任は各々20〜30人の生徒を抱えているのですから、インクルージョンの理念は補助員抜きに実現不可能と言えます。
アメリカの普通学級には、たくさんの大人が入ってきます。担任教師と補助員だけでなく、必要に応じて特殊教育の教師も入ります。保護者がボランティアで手伝いますし、教育実習生が何ヶ月もいたりします。本書でもそうした大人の存在を前提に提案されているアイデアがあります。
また学校や学校区に心理、言語。作業療法、特殊体育の専門家がいて、彼らが普通学級の中や外で障害児の指導をします。
私の娘たちが通っている学校のやり方は、この重冨氏のお子さんが通われていたアメリカの学校にちょっと似ています。
朝、娘たちはまず「原学級」と呼んでいる、彼女らが所属する普通学級のクラスへ登校します。そしてランドセルから学習用具を取り出して机の中に仕舞い、ランドセルを教室内の所定の棚に収めます。それから、朝のホームルーム活動の時間を普通学級のみんなと過ごします。
朝のホームルーム活動が終わると、普通学級のクラスメイトと「いってらっしゃい」「いってきます」の挨拶を交わして支援学級へ移動します。そして1時間目を、支援学級に在籍する1年生から6年生まで全体で行う活動に使います。
全体活動の内容はいろいろですが、月曜は「スピーチ大会」と決まっているそうです。週末にどんなことをして過ごしたか、ひとりずつ発表しているとのこと。しかしウチの長女はおしゃべりできないので、私が連絡帳で報告した家での様子を先生が代わって発表しているそうです。
2時間目以降は、支援学級で少人数グループに分かれて個別の課題に取り組む子と、普通学級の授業に参加する子に分かれます。
長女は知的な発達の遅れが大きいので支援学級での個別指導の時間が多いほうなのですが、普通学級の授業にもかなり参加しています。体育、音楽、図工、生活科などが中心ですが、まったく理解していない国語や算数の時間でもクラスにいることがあります。
アメリカの学校と違って補助員はいませんから、支援学級の先生が普通学級に入り込んで付き添ってくださいます。でも人員数の都合から、普通学級で過ごすすべての時間に付き添ってもらうことは叶いません。普通学級の担任の先生おひとりで、なんとか工夫して対応していただく時間もかなりあります。
普通学級に参加する時間が多いのはありがたいことなのですが、付き添いなしで担任だけで対応というのは長女の場合だと困難が多いはずです。低学年の頃は、いつの間にか教室からいなくなっていたことも何度かあったそうです。
娘が1年生のとき、「あれ?いない!」と気付いたその直後に校庭を走っていく娘の姿が窓の外に見えた、という話を担任から聞いたことがあります。安全の面でも問題ですし、学習に参加していないのでは教室に居る意味もありませんから、補助できる方をつけてもらいたいと思ったものです。
その後、特別支援のための人員は増えたのですが、支援を要するすべての児童に手が足りているのどうかは、一保護者という立場では分かりかねております。我が家の娘たちは困っていないようなのですけどね。
ともかく、インクルーシヴ教育に補助員の存在が重要であることは、はっきりしています。
アメリカの補助員と同様の職務を担う、介助員という制度を導入している自治体もあるようですが、地域によって教育サービスにバラつきがあるのはよいと思えません。文科省が全国的にこの介助員制度を普及させ、適正に用いられ質の高いインクルーシヴ教育が実現されることを求めます。
その補助員、あるいは介助員の方にどういった働きを期待するのかについては、また後の記事でお話します。
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トップの画像にあるのは、「デンドリチック・クォーツ」と呼ばれる種類の石です。
和名を「樹枝入り水晶」と言いますが、本当に木の枝が入っているわけではありません。酸化マンガンのインクルージョンが樹枝のような形に結晶化しているのです。
石の中に水墨画のような世界が見えます。


























