憲法改正で、伝統文化への強過ぎる擁護、国家教育(誘導)、基本部分(戦争の放棄、天皇、主権在民、三権分立、基本的人権の尊重)などにメスを入れようと策謀するならば、それは平民にとって現在よりも確実に悪い結果となって現れるのは言うまでもない。
繰り返す、百パーセント悪くなる。
例えば、平民のあらゆる基本的権利を阻害しようとしたり、天皇の役割が大きくなれば、主権在民は見事に消えてなくなる。
三権分立もなくなると、権力の集中が起こる。その結果は言わずもが・・・・
警察、役人、自衛隊などこれらは国の管理職である。管理職がやたら増加、展開することの意味を考えて欲しい。管理上の無駄な資金がかかり過ぎると国は破綻する。自衛隊など外国まで出張するようになった。お金もないのにである。当然しわ寄せは誰にくるのだ。面倒は誰が見るのだ。
経済力に見合った管理費でなければならぬ。経済力が落ちている以上、いや、借金財政なのだから余計にこの管理費にはメスを入れるべきだ。
九条の戦争の放棄、武器を持たないにもメスが入れば当然外国での戦争容認に動くでしょう。
そうなればいつかどこかで大国と衝突する可能性に入る。これからはいつも遠い陸地戦ばかりとは限らないのだ。核が飛んでくることもあり得る。テロに巡り合うこともある。
いつの時代も管理職は常に権力を有しています。さて、その裏のいろいろな誤魔化し、策謀も常に有しています。それらは今後は表面化しにくくなっていくことでしょう。
教育はそちらの方向への誘導だと私は判定しています。
どの方向に誘導したいのかは、作っているメンバーを見てみれば一目瞭然。国家の言いなりに良く聞く人材の育成であることは断定しても良いくらいです。
いろいろな美辞麗句を擁して国家思想を植えつけようとしています。「日本古来の美しい伝統と格式と文化を守る」と言えばなんとなく一見、良さそうで共感を得られそうである、が、得てしてそれにこだわるばかりに他の国や平民の伝統、文化を踏みつけにしやすいのです。
それを基本法の中に置くと言うことは、他の国や平民の慣習、伝統、文化をないがしろにすることなのです。これはけっして下衆の勘ぐりではありません。
彼らの名簿を見ても、言動とか、行いとか、顔つきとかで、目指しているものが分ります。
他人の批判に耳を貸すような人たちでしょうか。そう言う性質は憲法に表われます。
彼らにとって現平和憲法は邪魔なだけで憎憎しいだけなのです。右翼にとって目指すべきは富国強兵なのです。反発する者は即、脅威を与える暴力の洗礼です。ヤクザと変わらない、文句を言わせないような彼らの風貌、風体と行いと言動からは、まともな思想や憲法が出来よう筈もありません。その持っている作為的な心が如実に憲法に反映されてしまうのです。その暖かい心の通った法律からはかけ離れてしまうでしょう。
日本人の作った憲法は大日本帝國憲法です。比較してみてください。我れが我れがの自己主張の15年戦争の結末があの原爆投下の結果です。
ところが現憲法の手枷足枷によって60年以上も平和が維持されています。この状態をムザムザ壊す必要が何処にあるのですか。平和過ぎて刺激でも欲しくなったのですか?どんなに時代が変わろうとも人殺しの武器は持たない。自衛隊でも殺したり殺されたりはさせたくない、と言う信念だけは貫こうではありませんか。憲法の変性は日本人の心の変性と周辺諸国は読みます。今は周辺諸国と仲良くして行こうとする人材よりも、競争し勝負し戦ってこその優越性の維持につながるとする人材の方が多くなってきた事を示唆しています。
残念ながら今、国民もマスコミもはっきり右傾化への道をヒタヒタと歩み進んでいます。後追いの中国からの恐れでしょうか。この必要以上の「恐れ」と言う心は必要以上の敵愾心を生じさせます。「過去の負い目」もあるだけにこの「復讐されるんではないかの恐れ」は倍増する。
自ら止めることのできない、いや、止めるブレーキ制御機能の希薄な日本社会だけに困ったものである。
繰り返す、百パーセント悪くなる。
例えば、平民のあらゆる基本的権利を阻害しようとしたり、天皇の役割が大きくなれば、主権在民は見事に消えてなくなる。
三権分立もなくなると、権力の集中が起こる。その結果は言わずもが・・・・
警察、役人、自衛隊などこれらは国の管理職である。管理職がやたら増加、展開することの意味を考えて欲しい。管理上の無駄な資金がかかり過ぎると国は破綻する。自衛隊など外国まで出張するようになった。お金もないのにである。当然しわ寄せは誰にくるのだ。面倒は誰が見るのだ。
経済力に見合った管理費でなければならぬ。経済力が落ちている以上、いや、借金財政なのだから余計にこの管理費にはメスを入れるべきだ。
九条の戦争の放棄、武器を持たないにもメスが入れば当然外国での戦争容認に動くでしょう。
そうなればいつかどこかで大国と衝突する可能性に入る。これからはいつも遠い陸地戦ばかりとは限らないのだ。核が飛んでくることもあり得る。テロに巡り合うこともある。
いつの時代も管理職は常に権力を有しています。さて、その裏のいろいろな誤魔化し、策謀も常に有しています。それらは今後は表面化しにくくなっていくことでしょう。
教育はそちらの方向への誘導だと私は判定しています。
どの方向に誘導したいのかは、作っているメンバーを見てみれば一目瞭然。国家の言いなりに良く聞く人材の育成であることは断定しても良いくらいです。
いろいろな美辞麗句を擁して国家思想を植えつけようとしています。「日本古来の美しい伝統と格式と文化を守る」と言えばなんとなく一見、良さそうで共感を得られそうである、が、得てしてそれにこだわるばかりに他の国や平民の伝統、文化を踏みつけにしやすいのです。
それを基本法の中に置くと言うことは、他の国や平民の慣習、伝統、文化をないがしろにすることなのです。これはけっして下衆の勘ぐりではありません。
彼らの名簿を見ても、言動とか、行いとか、顔つきとかで、目指しているものが分ります。
他人の批判に耳を貸すような人たちでしょうか。そう言う性質は憲法に表われます。
彼らにとって現平和憲法は邪魔なだけで憎憎しいだけなのです。右翼にとって目指すべきは富国強兵なのです。反発する者は即、脅威を与える暴力の洗礼です。ヤクザと変わらない、文句を言わせないような彼らの風貌、風体と行いと言動からは、まともな思想や憲法が出来よう筈もありません。その持っている作為的な心が如実に憲法に反映されてしまうのです。その暖かい心の通った法律からはかけ離れてしまうでしょう。
日本人の作った憲法は大日本帝國憲法です。比較してみてください。我れが我れがの自己主張の15年戦争の結末があの原爆投下の結果です。
ところが現憲法の手枷足枷によって60年以上も平和が維持されています。この状態をムザムザ壊す必要が何処にあるのですか。平和過ぎて刺激でも欲しくなったのですか?どんなに時代が変わろうとも人殺しの武器は持たない。自衛隊でも殺したり殺されたりはさせたくない、と言う信念だけは貫こうではありませんか。憲法の変性は日本人の心の変性と周辺諸国は読みます。今は周辺諸国と仲良くして行こうとする人材よりも、競争し勝負し戦ってこその優越性の維持につながるとする人材の方が多くなってきた事を示唆しています。
残念ながら今、国民もマスコミもはっきり右傾化への道をヒタヒタと歩み進んでいます。後追いの中国からの恐れでしょうか。この必要以上の「恐れ」と言う心は必要以上の敵愾心を生じさせます。「過去の負い目」もあるだけにこの「復讐されるんではないかの恐れ」は倍増する。
自ら止めることのできない、いや、止めるブレーキ制御機能の希薄な日本社会だけに困ったものである。