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全くの独白

人間存在の危うさ(私設ツウィッター#9)

2017-03-12 15:19:27 | 日記
* 人間存在の不安定さをつくづく思う。
「天才と狂人は紙一重」と云う。実際のめり込み過ぎて発狂してしまう文士や芸術家はいる。
生死も紙一重である。
能登で高校生が殺害された。夕方、学校からの帰りに近くのバス停で母親に電話し、車で迎えに来てくれるのを待って居る時に攫われたらしい。
バスの来る時刻を知らなかったので停留所迄出たのかも知れない。その時刻を知っていて、学校で電話して待っていれば、犯人に会う事も無く、無事であったかも知れない。
犯人はその後、通り掛かった車に飛び込んで死んだらしい。死なせた方にとっては迷惑千万で、そんな事が無ければごく穏やかな日常生活が続いて居たのにぶち壊しにされてしまった。これも又紙一重の事態である。
最期まで周囲に迷惑を掛け通した男であったが、死ねば仏である。

* 大地震や大津波でも、多くの人が生死を分けた。
犠牲者の中には善人も悪党もいた筈である。難を逃れた人の中にも善人と悪党とが居る事であろう。
避難所でも、只管周囲に感謝し、不便さに耐え忍ぶ人がいる一方で、些細な事でトラブルを起こす人もいる様である。
「神も仏も無いものか」と言いたく成るが、どんな教えに於ける神でも、その裁きの基準は人間とまるで違うようである。
何にせよ死ねば仏である。

* 台所に立っていると、ニュース番組の声が聞こえて来た。大臣か何かが、止せば良いのに「故郷を捨てるのは簡単だが、飽く迄住み続けて復興に尽力する事が大切である」というような事を言っている。泣く泣く故郷を離れた人達への思い遣りに欠けていると、𠮟られても仕様が無い。
食物なら吐き出しても、我慢できさえするなら又口に入れ飲み込んでしまう事ができる。どうしても我慢できないなら捨ててしまう手もある。併し言葉は、一旦吐いたが最後忽ち魂を宿し独り立ちしてどんどん遠ざかってしまい、呼べど叫べど戻ってくる事は無い。
吐く言葉を選ぶに当たっては慎重の上にも慎重であるべきで、どんなに慎重でも慎重過ぎるという事は無い。
尤も吾人にすれば「何と軽はずみな」と思うが、あのような立場の人は喋るのが仕事、発する言葉の数は一般人のそれと比べ物に成るまい。
行き届かないのも、宜なる哉。
併しその僅かな不行き届きに依って、場合に依っては首が飛ぶのであるから、ここにも紙一重の事態がある。
眞に人間存在は、薄氷を踏む様なものである。

 

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