世界の高級車メーカーに影響を与えたクルマ

「各部に外国車の影響を受けることが多く、独自性は薄い」と言われがちな日本車であるが、60年を超える日本車の歴史を振り返ると、「外国車に影響を与えた」、「強いインパクトがあった」、「世界初の技術を採用した」、「爆発に売れた」といったエポックメイキング(画期的な)なクルマも思い出すとたくさんある。そのなかには「壮大な失敗に終わったという意味で印象的だった」というクルマも少なからずあるが、そんなエポックメイキングなクルマをメーカーごと、年代ごとに挙げてみたい。

1)初代ソアラ(1981年)

 排ガス規制やオイルショックによる1970年代という厳しい時代を過ごし、復調の兆しが見え始めた1981年に登場した初代ソアラは当時最強の2.8リッター直列6気筒DOHCエンジンやデジタルメーター、気品ある内外装などを持つ「(当時の)クルマに対する夢や憧れが詰まったクルマ」で、上級グレードは300万円級だったが、ヒット作となりトヨタのイメージリーダーという位置付けを確立した。また初代ソアラのコンセプトを延長した2代目ソアラはバブル景気という追い風も幸いし、初代ソアラ以上の大ヒット作となった。

2)7代目クラウン(1983年)

 クラウンというクルマは一般的には保守的なイメージが強いかもしれないが、じつは技術面を筆頭に革新的な試みを行うことが多いクルマである。そのなかで7代目クラウンはマイナーチェンジで日本初となるスーパーチャージャー付エンジンを搭載。また日本自動車史上に残るキャッチコピーである「いつかはクラウン」を使ったのもこのモデルである。

3)初代MR2(1983年)

 当時のカローラのパワートレインを前席後ろに移した、日本初のミッドシップスポーツカー。モデルによる違いはあるものの、ミッドシップらしいシャープなハンドリングが最大の魅力で、トヨタ車らしくというか2人乗りのミッドシップながら一応の実用性を備えていたことも特徴だった。

 またトヨタはミッドシップスポーツカーを2代目MR2(初期モデルはかなり問題のあるクルマだったが)、MR-Sと初代MR2から24年間に渡って作り続けており、トヨタの「やると決めたことはしつこくやり続けてモノにする」という良きDNAを象徴する1台ともいえる。

4ドアクーペというコンセプトを先取りした名車も

4)X70系マークⅡ三兄弟(1984年)

「一般の人が買える限界近い250万円前後の価格で豪華でカッコよく見える」というコンセプトで爆発的な人気車となり、「マークⅡ現象」という言葉も生まれた。

5)初代カリーナED(1985年)

 4ドアでありながらピラーレスハードトップに2ドアクーペ並みの約1300mmという全高のスタイルを持つという「4ドアクーペ」というコンセプトを持つ。当然ながら4ドアなのにリヤシートは狭く、乗降性も悪いため自動車メディアでは酷評も多かったものの、美しいスタイルと4ドアという実用性のバランス、コストパフォーマンスの高さを主な理由に大ヒットを飛ばす。初代カリーナEDのヒットで2代目モデルでは兄弟車のコロナエクシヴやマツダペルソナ、日産プレセア、三菱エメロードといったライバル車に加え、カローラセレス&スプリンターマリノという1クラス下で同じコンセプトを持つモデルまで登場した。

 カリーナED自体は1998年に3代目モデルで歴史を閉じるものの、凄いのはそれから10年近くあとにベンツがCLSやCLA、BMWも4シリーズ、6シリーズのグランクーペといったカリーナEDに近い4ドアクーペをラインアップするようになったことだ。機能面以上にスタイルで日本車が外国車に影響を与えることは少ないだけに、良し悪しは別にしてカリーナEDのエポックメイキング度は際立つ。

6)初代セルシオ(1989年)

 1980年代に入るとクルマも含む日米貿易摩擦が大きな問題となり、日本から輸出されるクルマには台数の規制が課せられるようになった。そうなると安い価格帯のクルマはアメリカでの雇用も生む現地生産、日本から利幅の大きい高額車を輸出したいという流れもあり、アメリカ市場を中心に販売する高級車として産まれたのが初代セルシオだ。しかし初代セルシオはそういった事情以上に「ベンツ、BMWを凌駕する」という強い意志を持って生まれたクルマで、具体的には圧倒的な静粛性を含む快適性、各部のクオリティの高さ、燃費の良さを保ちながら、初代セルシオと同じ4リッターV8級エンジンを搭載するベンツSクラスやBMW7シリーズ以上の加速力、最高速といった動力性能を備えることを目標に開発され、目標をほぼ達成。とくにアメリカと日本で大ヒットを収めた。それだけに初代セルシオはベンツやBMWをはじめとする世界の高級車メーカーに多大な影響を与え、このことは未だに日本車としては稀有なことといえる。