ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

雪村登城リレーウォーク⑤本番

2016-10-29 21:53:01 | 日記

 今月半ばに下見歩きをしていて、雨の予報も出ていたリレーウォーク本番の日がやって来た。

 集合は当市南隣市の東郊外にある駅近くの児童公園に8時30分である。

 自宅最寄りの駅まで20分程歩いて20分程電車に乗りそこから公園まで5分ほど歩くことになる。

 しかもこのリレーウォークは午前と午後に亘ってなので途中で昼食を摂ることになるから予め昼食の準備をしておく必要がある。

 集合する場所近くの駅まではこの交通機関の民鉄の肝いりで行なわれているので集合地点までの電車の切符を関係者に配られるが、当区ガイドの会のメンバーが切符を預かっているとのことで乗車する駅に8時集合ということである。

 朝7時30分頃自宅を出たが、その駅まで直接行けば20分も歩けば十分間に合うが、昼食を用意する必要があるので駅に行くまでにその駅近くのコンビニでオニギリを3個買って集合駅に行くと既に女性2人が来ていたが、私が来ると思う方向ばかりを眺めていたのか駅の反対側のガードをくぐって彼女らの真後ろに到着してデイバッグの中から物を取り出している時こちらに振り向いて私が来ているのにびっくりしていた。

 彼女らと合流して次の電車に乗ったが、到着した駅では同じ電車に乗って来ていた当区ガイドの会の他のメンバーも全員揃った。一緒に集合場所である児童公園に向かうとこの市のガイドの会のメンバーは多くの人が来ていた。

 早速班別に分かれて班旗やその班への参加者に配る班の識別のためのフェルトで出来た色つきリボンである黄色のものを貰う。

 今日の参加者は144名と言うことであるが、6班体制なので1班あたり24名分のリボンである。

 南隣市のガイドが最初にガイドし、市境を越える手前で私とバトンタッチをすることになった。

 受付は9時30分開始ということで受け付けの済んだ人に資料とリボンを手渡すことになる。

 1班当り24名分の色のリボンを渡し終えた時点で次の色のリボンを持った班の人が手渡す。

 私が担当する班は一番最後となる6班で1班から順番に10分置きに出発することになっているので当班は1班が出発してから50分後に出発となる。

 受け付けにやって来た参加者の数が24名になる度に各班が出発していったが最後に6班のみが残って参加者が来るのを待つことになったが受付終了となる時刻が近づいたが未だ10名分のリボンが残っている。

 と言うことは参加申し込みをしてきた人のドタキャンとなるが、当日の申込みの人が4名いるのでドタキャンは14名ということとなり他の班が24名で出発したのに対し当班は参加者14名で出発となった。

 ただ受け付けにいたスタッフも若干加わったので総勢20名ほどで最後の班として出発となった。

 最初はその近くにある大きな八幡神社であるが、この後に行くガイドポイントの村には雪村一行が分宿したと言うことである。

 従ってその村を出立する時にはこの神社に武運を祈るために参詣したものと思われる。

 その後は隣り合った村があった場所だがここにも配下の者が泊まったということである。

 その後は府下でも最も古い民家だと言われる屋敷や戦国時代に名を馳せた武将の子孫が暮らす5000坪もある敷地にある大楠やそのすぐ傍の古墳もその敷地内だということである。

 その後は日本で最も大きい前方後円墳がある傍の公衆トイレでトイレ休憩をしたあとその外堀沿いに移動して行く。

 走行しながら移動を続け昼食を摂る場所である元都市環濠があった場所にある長い公園で各班がそれぞれ陣取って昼食を摂ることになった。

 昼食時の休憩を終えた後はさらに北上して元都市環濠であった中にある明治維新後廃藩置県で県庁となっていた寺やフランス軍艦の兵士が上陸して土佐藩士とイザコザが起き、フランス兵21名を殺傷した見返りに莫大な賠償金と関係者の処刑と言うことで11名の土佐藩士が切腹をした寺などを経由していよいよ当市との境になっている河川にやって来た。

 その川の手前でバトンタッチをし、以後は私が案内することになった。

 当区の南端から古道沿いに順次北上して当区内にあるガイドポイントを案内し最後に当区にある有名な神社の絵馬堂がゴールとなり最後に挨拶をしてアンケートを書いて貰い解散となった。


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