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中東に平和を! 79 なぜ疲弊したのか 17: コンゴで何があったのか 5

2017年05月12日 | 連載完 中東に平和を

< 1.コンゴ動乱の映画 >

これまで、植民地化によって社会が如何に破壊されるかを見て来ました。
今日は、独立したコンゴに何が起こったかを見ます。
そこには典型的な争乱のメカニズムが働いていました。




*2

コンゴの独立と動乱
コンゴはベルギーとフランスに分割支配されていた。
そして1960年、それぞれが独立し、現在のコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に至る。
またポルトガル領のアンゴラの飛び地、両コンゴに挟まれたカビンダも、1975年に本国と共に独立した。

その始まりは、過酷なベルギー領コンゴの末期に起きた。
この地ではキリスト教が根を下ろしており、これと土着信仰を融合させたキンバンギ宗が1920年代に興った。
これは黒人の救世主がやがて白人を打ち滅ぼすとされ、抵抗運動が広がた。
これは政府によって弾圧されキンバンギは獄死した。

50年代より、徐々に独立の機運が盛り上がり、ルムンバとカサブブが別々に独立闘争を開始した。
一方、ベルギー政府と白人入植者達は、この地から即刻手を引くことを決めた。

しかし、これが動乱の始まりでした。
独立時に行政を担える人材は皆無で、学位取得者は16名しかいなかった。
それまで、ベルギーは本国で植民地管理を行い、まったくアフリカ人を政治に参加させていなかった。
国の経済は民間企業に握られており、多国籍企業一社だけで国家収入の27%に達していた。



< 3.カタンガを描いたドキュメンタリー >


カサブブを大統領、ルムンバを首相とし独立したが、部族優先か統合かで対立した。
一方、鉱山確保を狙ったベルギーと国際資本に支援されたチョンベはカタンガの独立を宣言した。

ベルギーは鎮圧を口実に軍事介入したので、ルムンバは国連軍を要請するが、これが彼の命取りとなった。
国連軍は西欧側に立ちカタンガ政権を保護したので、彼はソ連に急接近した。
そして国連と米国の支援を受けたモブツ大佐がクーデターを起こし、ルムンバは殺された。




*4

この1960年から1965年のコンゴ動乱で約10万人が殺された。
モブツは大統領になり1997年まで独裁者として君臨した。
彼の蓄財は国の対外債務に等しい6000億円と言われた。
彼は、後の内戦激化の折に亡命しモロッコで死んだ。

その後も、コンゴは民族対立と資源獲得を巡り、内戦と周辺諸国との戦争に巻き込まれていく。
そして何十万単位で殺され、餓死し、難民が発生している。



< 5. カタンガ内戦の映画 >


この果てしない争乱には共通のメカニズムがある

A. 新興宗教の誕生: 植民地支配への不満は、白人の宗教(キリスト教)に対抗する宗教を生み出した。

キリスト教は白人支配と一体と見なされ、先住民は土着信仰やイスラム教、新興宗教に助けを求め、これは大規模な抵抗運動につながった。

B. 宗主国と海外企業の横暴: かつての宗主国と海外企業(国際金融、多国籍企業)は、権益確保の為に、いつまでも植民地を支配する。

その為には傀儡政権や独裁者の支援、クーデター幇助、軍事介入を辞さない。

C. 代理戦争(冷戦): 米ソは互いに相手の同盟国を潰す為に、軍事支援と軍事介入を行った。

超大国は、ある国が自国の傘下に入らなけらば支援を拒否し、逆に相手国に支援を求めたら敵と見なして来た。
特に米国は、コンゴだけでなくベトナム、エジプト、イラクでもこれを行い、地域を戦乱に陥れた。


次回で、「中東に平和を!」を終了します。



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