人間的に優しい人にとって勘違いしていることが、優しさと善の押し売りをすることです。本人は善いことをしていると悦に入って気持ちいいのですが、知らず知らずのうちに周囲に対して迷惑をかけているという現実を分かっていないものです。
親切にすることは事態は全くほめられたことです。しかし、その親切をすることによってかえってその親切を受けている本人が自立成長せず、甘えるだけの人間になるようでは、せっかくの善行もあだと化します。
それと、一番見えない迷惑があります。それは、優しさを受けている人がその人以外の人間に対しても大きな期待をしてしまい、今まで対処してくれた人間に対して敵意を感じるようになることです。これでは、今まで自立ということで接してきた人にとりましては、たまったものではございません。自分の満足のために人に善行を施そうとしている人は、もっと神経を周囲に巡らし、自分の行為は和を乱す原因になっていないかよくよく考えなければなりません。
親切にすることは世間一般的には褒められた行為で、推奨される人間の行為ですが、独りよがりで行う善行は慎まなくてはいけません。こういうと、善いこと正しいことをしているのだから、どうしてまわりから、とやかく言われなくてはならないのかと、憤慨してしまう人もおらる事でしょう。
兎角、人の世を生きるというのは難しいものです。嘘も方便という言葉もあります。人間社会に生きるうえにおいて、道徳や倫理をふりかざし、それ一辺倒に生きるということは、他人を支配することになる一面をもっているということです。
しっかりと頭に入れておきたい処世術です。
トラックバック
- この記事のトラックバック Ping-URL











今の時代は、白髪の年配者も平気で不道徳な行為をします。嫌われても、キチンと注意する事が大切でしょう、和というのは「なあなあの関係」とは違います。人間としての正しい心を身につけ、初めて築けるものだと思いますよ。
霞ヶ関の官僚は彼らの身内で和を保っているのかも知れませんが、その実際は見ての通りでしょう?