ひとりごと日記

日本を普通の国に

1/4(月)?武田邦彦・井上和彦・半井小絵・居島一平?【虎ノ門ニュース 8時入り!】 その1

2016年01月05日 | 日記

1/4(月)?武田邦彦・井上和彦・半井小絵・居島一平?【虎ノ門ニュース 8時入り!】
https://www.youtube.com/watch?v=fxPy1cLzxjY

※テーマ【大東亜会議】

《第一次世界大戦》


武田邦彦さん

大東亜会議って言うのは、今、一平さんがお話になったように第二次世界大戦。戦争全体としてはね。
日本から見れば大東亜戦争ですけど、それの間に起こったことですね。
現在の日本の歴史の中で最も欠けた部分であり、かつ最も重要な部分だ、と。
最も重要な部分が欠けたのは当然で、日本の重要な活動を出来るだけ隠そうっていうのが進駐軍の計画ですから、まあ計画通りなんですね。

別に戦争に負けたら敵国に隠されるのは当たり前ですけど、それが70年も教科書にも載って来なかったっていうのは、
まあ日本の知識人が全部騙されてるもんですから、だからまずこの正月に中心的なところをやろう、と。
井上さんの方からまずは、第一次世界大戦の時の、まあ日本軍が山東半島とか色んなところで戦ってるんですが、それは別にして、
地中海で日本軍がどう戦ったか、その時どういう気持ちだったか、それからいってもらおう、と。
そこら辺から入ってもらったらな、と僕は希望しとるんですね。

井上和彦さん

まあ簡単に言えば、日英同盟があった時代って日本がほんとに坂の上の雲じゃないですけど、世界の頂点に居た時代ですよね。
それで日英同盟があったんでイギリスから、ヨーロッパ戦線でかなり苦戦してるんで陸軍の兵力を送ってくれ、或は海軍の部隊を出してくれ。
ところが日本はそんな遠いところは我が国の徴兵で集めた兵隊さんを、送ることは出来ない、ということで、国益をしっかりと睨んで、
あの当時でもやっぱり兵を出すか出さないか、というのは国益に準じてちゃんと言うべきとを言ってるんですね。これは凄い立派なんです。

で、そうこうしてるうちに今度、太平洋の方でもドイツがパラオ、サイパン、テニアンなんか全部ドイツ領だったんですね。
チンタオというところもドイツが権益を持っていた。
でもやっぱり日英同盟がありますから地域の問題として、日英同盟に基づいて日本も参戦するんですけども、
いずれにしても艦隊を地中海へ派遣してくれ、と。これは非常にもう切実なる願いだったんですよね。(居島さん/連合国側の?)連合国側の。

これは兵力を海路で移動させるにも、ドイツのU-ボートといわれる非常に小ぶりで優秀な潜水艦が、
これが輸送船を沈める、商船は沈める、兵員は海没する、というようなことが、被害が相次いで、何とかならないかということで、
日本は意を決して8隻の船を出すんです。

そこで簡単に言えば世界の予想をはるかに上回る大活躍を行います。
ここでこの時に、ある意味ではヨーロッパの国々は、日露戦争で勝ったのもまぐれじゃないの?と。
で、やったみたら日本の艦隊の活躍っていうのはもの凄い。

これはまた後で武田先生の方からもお話がありますけど、トランシルバニア号という船が沈んで、そこに三千数百名のイギリスの兵員が乗っていた。
その兵員を、何と横付けにして、船を横付けにして『松』と『榊』という船が横付けにして、3000名の人を救助するんです。
世界海事史上、攻撃を受けて沈没する船の乗員の殆どを救助するっていうのは、これはまず無い話なんです。

これを聞いたイギリスの国会で、ビッグベンですね、あこそで期せずして日本語で「万歳」の声が起こる。
この議場が日本語の「万歳」という言葉で埋められたという、もの凄く日本が評価され、人的貢献ですよね。
その後も日本の艦隊が、U-ボートの船が商船を見つけるや、どんどん魚雷を撃って来る。それが病院船であろうが関係ないわけですよ。

そんな中に日本の船だけは、1隻が魚雷に向かって突撃して。自分が犠牲になるわけです。
それでも、もう1隻が横付けになって戦いながら救助する、と。子犬まで救う、と。何だこれは?と。
それで寄港する港々では旭日旗ですね、あの韓国が最も嫌がる旗、あの旭日旗で埋め尽くされるんです。
それで日本の海軍は、いつぞや"地中海の守護神"と呼ばれて、船長さんたちが「日本の海軍が護衛してくれないんだったら行かない」と。「船出さない」と。
いうようなことまであったわけです。

そこで悲劇というのがありました。
それは活躍した『榊』という船が、このドイツのU-ボートにやられるんですね。
やられてその中で亡くなった50数名、約60名の方の戦没者+その他の行動中に亡くなった方々を含めて78名の方のお墓が実はマルタ島にあるんですよ。
これがしかもイギリス連邦の戦没者墓地に、一番いいところに、一番大きく、一番立派なお墓があるんです。
(『日本が戦ってくれて感謝しています2』の中にある写真を示す)

居島さん

『大日本帝国 第二特務艦隊戦死者の墓』という注が付けられてますけども。

井上さん

この銅板のプレートには戦没者の方の名前がずっと刻まれていて、この正面には「崇高な大日本帝国海軍 第二特務艦隊戦没者の墓」ということで、
こういうお墓があるんです。
これ実は2年前に安倍総理が日英協会か何かの会合で、このお話をされてるんですよ。
ひっそりとここに第二特務艦隊の海軍の墓地がある、そこで皆さんが待っておられるんだ、というようなこと。
でもあの話を理解する人って誰もいなかったんです。
(マルタ島を示す地図を出す)
チュニジアと、このシチリア島の間にあるんですよ。ここなんです。

こんなところで日本の艦隊がちょうどこの辺りで大活躍をするんです。
この辺りですね、アレキサンドリアからフランスのマルセイユまで兵員を運んだりする。サロニカの港も1つの拠点でした。
こういったところを日本の艦隊が連合国の輸送船、商船を護衛して世界平和に貢献する。
約7000人の方々を海から救助をし、788隻の船を護衛してるんです。

居島さん

ドイツのU-ボートっていう、ほんとに凶暴な。

井上さん

凶暴な。シーウルフって「海の狼」と言われるような凶暴な潜水艦から、自らを犠牲にして守る。その人たちのお墓がある。
私、CWニコルさんからある時に、井上さん、是非ともね日本の近現代史を知る上で、まさに武田先生がご指摘、一番強調したいと仰った、この抜け落ちた第一次世界大戦。
教科書なんかでは第一次世界大戦、1行あるか無いかくらいなんですけど。

半井小絵さん

そうなんですよ、私、いま話を聞いているとそんなに日本が活躍したんだっていうの初めて知りました。

井上さん

このことがあったんで日本が世界の一等国になって、これを思わしくないアメリカが何とかして日英同盟の、この絆を切ってやれ、と。
こう来まして日英同盟が切られた後に、日本が孤立していく、という。
ある意味では先生、これはもう大変なやっぱりことだったですね。

武田さん

この頃はまだ皆さん、半井さん今日は視聴者代表でよくまだ習ってない。
我々第二次世界大戦が頭にあるから、日本とドイツとイタリアと、同盟してるという感じですが、
これはまだ1個古い時代なので、ここら辺に(地図を示す)ドイツがあって、こっちが北ですね、これが地中海ですね。
ここにドイツがあって、そこからドイツとオーストリアハンガリー帝国という古い帝国がありまして、
ドイツ、オーストリアハンガリー帝国、それからずっとこう来て、今よく言うオスマントルコ帝国。この軸が枢軸側の同盟国だったわけですね。

だけど今から考えてみたらドイツは頑張ってたけど、オーストリアハンガリー帝国も、もうくたびれてた。
それからもうオスマントルコ、もっとくたびれてたから、まあ同盟側はくたびれている国ばっかだった。戦ってみると。
そこにイギリス、フランス、ロシア、アメリカが連合国側だったんですけど、それに日本がどっちに加わってたかと言うと、
日英同盟があったので、連合国側として戦ったわけですね。

ですからドイツがここら辺でU-ボート配置するのに対して、ここら辺を日本の特務海軍部隊が防衛した、というね。
それで非常にもうびっくりした、と。
日本人特有のやっぱり真面目な救助をきちんと、自分を先んじて救出する、というね。

井上さん

やっぱりイギリスの、日本の『榊』という船がやられたときに、これはもうお返しでイギリスの海軍が救助するわけです。
ところが救助した時に、後で日本の海軍の方から「我が艦隊の船を助けてくれてありがとう」と、やるんですけれども、
ところがイギリス側から来た返事が感動なんですね。

自分たちも驚いた、と。ところが救助した日本の兵士たちは、日本の水兵たちは、誰1人痛いとか、そういうことを言わない、と。
その救助されたことに感謝の意を述べるけども、この武士というか、痛いとか、ワーッとか苦しまない、というね。
もの凄いやっぱりこの精神性が高いというか、こういう人たちが僅か100年前に居たんですよね。

武田さん

ちょうど100年前ね、第一次世界大戦、1914年から18年までね。
ですからちょうど今、2016年を迎えたわけですが、ちょうど戦争が始まって1年目。百年前の1年目。2年目っちゅうかね。そう言う感じですね。
今、井上さんが言われたのを、士官の方である言葉を言っとりますが、これを長いんですけど、片岡中尉さんが言ってる。

居島さん

当時、地中海に遠征された方ですよね。

武田さん

日本の兵隊が苦しんだり泣きわびたりしなかったというのは、どういう精神があったか?ということがよく出てます。

井上さん

ちなみにちょっと補足でご説明すると、
片岡中尉は唯一『地中海の遠征記』という本の中で、残ってる手記の中でおそらく公に出版されてるものの中では唯一だと思うんですけれども、
もちろんこの明治の方ですね。
この方が遠征記最後、帰ってきた後に記録を残されてるんですけど、この手記がほんとに淡々と、粛々と自らの決意と言うものを述べられている。
これを読んで頂きたいなと思います。

半井さん

片岡中尉が任務を終えてマルタを去る時の心情を、こう綴られています。途中からですね。

「内地に働く人があってこそ、我らのがいせんを首尾よく遂げられたのだと思うと、自分1人の手柄のように帰国して自慢してみたいということも無ければ、
 褒めてもらいたいと思うことも無い。
 氷のような冷ややかな頭の中には、ただ日本の国家、極東に偏在したる祖国、世界の知力と富力とを傾けた戦争の生きた部隊を踏んだ一員として、
 ますます多事多難なるべく帝国の将来があるばかりであった」

ということですね....。

居島さん

いや、全く、現今の教科書では触れられない、なさ過ぎる、何て言うんですかねぇ...
第一次世界大戦に関して言うと、完全に僕の世代なんか直撃ですけど、
あたかも何か日本が欧州での大戦をよそに、火事場泥棒的に何か中国での利権を確保したとか、
対中国に対して21か条要求をしたとか、そういうことばっかりが教科書で書かれますけど、強調されますけど、
マルタ島の1件に関して、だって、もう、ちょっと出ないですよね、言葉が。

井上さん

出ないですね。
だから私も実際行ってみたら、その車に旭日旗が、この旭日旗がもの凄く勝利の象徴のように、尊敬の対象になってるんですね、この地中海地方で。
私はちょうど帰る時にも、車がこうバーッと行ったんで、見たら、その車の後ろ、側面が全部旭日旗。
そういうそのラミネートって言うんですか?これなんだよ!と思って。

要するに彼らの勇気とか、そういったものの象徴といいますか、正義とか勇気の象徴になってるんでしょうね、あれ。
僕、そこはインタビューしてません、ただ、戦勝国海事博物館というのがマルタにありまして、
名誉ある勝利の、という何か国かの国旗があるんです。

その中の1つが、日の丸がこう言う風な形(両掌を広げて示す)で、旗がこう。その後ろが実は旭日旗なんです。
これちょっとありますんで。(写真を示す)
これイギリスやらフランスなんかの、(武田さん/8か国になるんだね)そうですね。
その中のこの奥が、これ旭日旗なんですよ。

あと、壁にイギリスの巡洋艦か何かの写真がドーンとありまして、
その四隅に写真があるんです。その四隅の写真が、この日本の、マルタの当時、バレッタっていう首都なんです。(首都バレッタに溢れる人々の中に旭日旗)
これ見て頂きますと、旭日旗これ。こんなものを。

だからこの旗を見て船乗りたちは安心して航行が出来たということで、本当に地中海"海の守護神"という、その言葉。
だからこの旗を我々、ほんと大事にしなきゃいけないんでね、
だから私はある意味ではサッカーの競技場でこの旗を振る、というのは、もう要するに彼らからすると、
もちろんこの当時の方はもちろん生きておられないですけども、歴史を紐解いてよくよく考えてみたら、
あの旗こそ世界の平和と安定と秩序のために戦った正義の旗だっていうことを、我々ちょっともう1回ねこれ考え直さなきゃいけないですよね、先生、これ。

武田さん

今ね、このトランシルバニア号の事件、沈没と、それから日本軍の救助って話をしましたけど、
これはよく有名な話が第二次世界大戦でも、アメリカ軍の沈没した船を全部救助するとか、日本人はやっぱりそういう点ではちゃんとした魂持ってましたからね。
(居島さん/バタビア沖や、スラバヤ沖なんかでも、救助しましたもんね)そうですそうですね。

井上さん

それでスラバヤ沖の後でまたちょっと出て来る、インドネシアでの戦いですけど、
実はスラバヤ沖の戦いの時に、イギリスの駆逐艦が沈むんですよね。それを今度は『雷』という船が救助をする。
その時にイギリスの救助をするんですけども、じゃあ日本の船が近づいて行ったら普通、敵兵はどうするかって考えたら、普通、逃げたりするじゃないですか。

何で救助が出来たのか?ってのがあるんです。
これ実は、イギリスの救助されたフォール卿という方が後で述べてるんですけど、マニュアルで「沈没した時は日本の船に向かって泳げ」って。
(武田さん、半井さん、居島さん//ほおおおおおお~~~~~~)それで一杯、日本の船に来た。
自分の船の船員の数よりも多い人たちを救助するっていう、こういうことがあって、その前のマレー沖海戦っていうのがありました。

これ開戦3日目の戦いなんですけど、イギリスの東洋艦隊のプリンスオブウェールズとレパルスが沈没する、と。
日本の航空機が沈めるんですけれども、この時の戦いのあり方っていうので私、感動するシーンが一応後半に出て来るんですけど、
これある写真があって、写真というのは実は、レパルスとプリンスオブウェールズが沈む時に、それを救助する駆逐艦からの写真があるんです。

私これね、不思議たなあと思って、何でこんなものがあるんだ?と思ってましたら、実はこの時に日本の航空機が上空を飛ぶんです。
上空を飛んで、みんなこれアメリカだったら、アメリカ軍の飛行機だったら敵の船なんかボンボン沈めます。
もう救助中であろうが浮いてる人間なんか機銃掃射でやりましたからね。

ところが日本の航空機はザーーッと行って、みんなイギリスの水兵なんか飛び降りるわけです。やられるから。
そしたら打電するんですよね「我の任務は完了せり、救助活動続行されたし」。なんだこれは!?と。この武士道は何だ!と。
ということで戦艦プリンスオブウェールズはレパルスが沈んだ後に、またもう1機飛行機がやって来て、そこに、海に、2つの花束がポーン!

こういう武勇を称えて武士道と騎士道で、相手の武勇を称えるっていうこの日本の、日本人の素晴らしさっていうのを、我々ちょっと、1回、やっぱりね、
しかもこれね、先生ね、シンガポールのガイドブックに、シンガポールで売っているなんとかマスターズっていう、バーッと広げていくと、
相当大きい、1mくらいの地図なんですけど、そこに「ここでこういう戦いがあった、あそこでこういう戦いがあった」っていうのがあって、戦跡マップなんですよ。
で、そこに書いてあるんですよ。

半井さん

そのような話こそ日本の子供たちに教えた方がいいですよね。

武田さん

そうそう、だけどまあ、これが教えられないのは当然であって、日本が大東亜戦争に負けたわけです。
占領軍が本も全部焼いちゃうし、日本の良いことが書いてあった本、全部焼いちゃうし、
占領当時はやっぱり「俺たちが正しかったんだ、日本は間違ってんだ」ってやんないと、また日本人が息を吹き返すとこれ結構危ないからそれはいい思うんですよね。
やっぱり敵国がやっつけた相手を悪く言うのは、世の中当たり前だから。

問題はそっからいつの時点になったら日本人がそういうことをちゃんと教科書にも書き、子供にも教え、テレビでもやるか、と。
70年、ちょっと長いんじゃないの?というのが僕の感じですね。

ということで第一次世界大戦の中で、そういう日本軍の活躍があった。武士道も発揮された。
そして第一次世界大戦が終わって戦勝国がパリに集まって、有名な国際連盟っていう、国際連合の前のあれを作るわけですね。
その時に3大強国と言われたのがアメリカとイギリスとフランス。
それからそれに日本が加わって、まあ他にも国がありましたけどね。

そして戦勝国会議をやったわけですね。
戦勝国会議で有名なドイツにあんまり過剰な賠償金を出したりして、のちにナチスの台頭を許したりするわけですが、
そこに初めて、有色人種としての日本がね、国際会議に戦勝国として参加する。

やっぱりその時に行くには日本としては、ちょっと引け目もあったんですよ。実はね。
まだ完全に白人の世界の中で自分たちが一流国としてやるっていうのに、若干の戸惑いっちゅうか、あって、
むしろ行く人たちが「俺達が本当に一流国?そうなったの?」っていうね、感じで、まだそういう風にいってるわけですよ。
だから緊張感もあったし、それから国際会議っていうのに慣れてないわけですよ。

それまで白人は何回も何回もヨーロッパで会議をやって、僕がよく言う1885年にはアフリカを分割するためにみんなベルリンに集まったり、
悪いことばっかりしてるわけですよ。
だからそういう白人が集まって、それで中東をこうしようとか、山ほどやってたわけですよ。だからそれは彼らは慣れてる。

それで日本が来たら、そりゃあもう威張って来るから、と思ってた。彼ら。
そして中国のとこではチンタオとかあそこでとった。それから太平洋の南の方だけと、そっちのドイツ領もとった。
さぞかしガンガン来るだろう、と思ったら、ちょっとまずかった。
サイレントジャパンとか、サイレント何とか、とか言われてね、黙っちゃってるわけね。発言しない。
日本はそういう時でも、あんまり頑張るっていう気持ちが、そういう頑張るっていうか、任務だと思ってるからね。

だけども1個だけ頑張ろうと思ったのが、人種差別撤廃条項っていうのを国際連盟の第52条か、何かそこら辺に、
(居島さん/俗に人種平等法案と言われている法案ですね)そうそう、人種平等法案を出す、と。法案っちゅうかね、条項に足すわけですね。
その内容が今日はちょっと間に合わなかったんで出ないんですけど、簡単に言えば非常に簡単なもので、
今、戦争が起こるのは人種差別があるからだ、と。簡単に言えばね。
だから人種差別さえ無くせば戦争の多くは無くなるんだ、と。そういうのを加えよう、と。

その為には人種差別を撤廃しなきゃいけない。というやつね。
これは大胆ですよ?
だってその当時は全て人種差別の意識で、ヨーロッパ、アメリカが、アジアアフリカを全部植民地にしてたわけですから、
そこで人種差別の、ってだるま落としみたいになっちゃう。
人種差別の上に植民地があるわけだから、人種差別の、ってガラガラっといくわけですよ。

それからアメリカではもっと難しくて、その当時まだ国内での差別もありましたね。
だから黒人の差別も、もちろんリンカーンなんかの後だけど、だけどもやっぱりそれは非常に色濃くね。
その後50年経ってキング牧師が出て来ても、まだ黒人解放!ってやってたわけだから、だから非常にそういう時代だった。

そこのところに日本が来た。
ところが、なかなかおいそれと、その戦争の後だから。今みたいなことがあったから。
だから拒否出来ないんですよ、ヨーロッパ、アメリカ側も。

それで日本も割合と慎重に構えた。これだけは頑張って。
そしてまずアメリカの人たちに根回しする。
そしたらまあアメリカの人たちも、代表団も「いいかな?」と。いいかな、というのがきた。

歴史的にはウィルソンというアメリカの大統領が反対するんだけども、ウィルソンも最初は割合、賛成してた。
そのくらいしょうがねぇな、日本が言うなら、と思った。
イギリス本国も、まあまあいいかな?と思った。

ところがイギリス本国じゃ無くて、あの頃、イギリス大英帝国だったでしょ?
オーストラリアなんかね、白豪主義。白豪主義っていうのは、白い奴以外は一切要らない。

だからオーストラリアに行ったイギリス人は皮膚ガンが27倍にもなるんですよ。大体、行くべきところじゃないんですよ。

元々イギリス人の肌というのは、イギリス王国の曇った空の北の方の紫外線に適応している。
ところがアボリジニっていうのは、あこそに現地に居た、あれ黄色人種なんだけど、黄色人種の中でも黒い方なんですよ。
あれ何で黄色人種なのに黒いかって言うと、大体、南の方は紫外線強いんですよ。南半球は。
同じ緯度でも紫外線が強いんですよ。それであの色になってた。

あのアボリジニの黒い、黒っぽい黄色の色でちょうど皮膚ガンが1日に7000個出来るというのを基準になってたのに、
そこに白人が来たからバタバタやられたんだ。皮膚ガンで。まあまあ、いいけどね。(笑)

ところがその白豪主義のオーストラリアとか、そういうとこが猛烈に反対した。
イギリスの植民地ってインドなんかを除いては、カナダもやや、南アフリカもそうだし、ちょっと人種差別的なところがあって、で、イギリスがこうたいする。
今度はウィルソンが国内に帰ると、会議中に帰ったんだけど、アメリカの中で「冗談じゃないよ、そんな人種差別撤廃条項なんか国際連盟に作られたら、
もう国内やっていけないよ、じゃあアメリカはもう国際連盟入らないよ」と。元々アメリカってそういうところあるんですよ。
地球温暖化だって自分が提案しといて。(笑)はっきりしてるっちゃ、はっきりしてるけどね。自分の国益だけ守る。

日本みたいにお人好しで、日本だけが損するなんてのは日本くらいしかないんだけどね。
特に明治とか大正時代はそうじゃなかったけど、今はそうだ。
そういういきさつがあって、日本は最初の国際会議としては、井上さんどう思う?僕は頑張ったと思う。

※続く

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