ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

マイケル・オンダーチェ【イギリス人の患者】

2012-04-05 | 新潮社
 
とろりとした時間のなかでの物語。ゆっくり時間をかけて読みたい1冊です。
私が読んだ本には帯がついていなかったので、画像をみて、ほう、と思いました。
「ミステリアスな愛」。
確かに。でも、これをみていたら、読まなかったかも…。

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 イギリス人の患者

 著者:マイケル・オンダーチェ
 訳者:土田政雄
 発行:新潮社
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始まりは、まだ若い女性のひそやかな動き。
彼女はベッドに横たわる男の体を洗っています。男の皮膚は黒く焼け焦げ、どのような風貌であるかすらわからないほど。
男は身元が一切わからぬままにイギリス人とだけ呼ばれている患者で、彼女が看護婦であるとわかります。
二人がいるのは半ば廃墟と化している尼僧院。
連合軍が野戦病院施設として使っていましたが、すでに前線は移動したため、あたりはひっそりとしています。
イギリス人の患者を容体を理由に、彼女は強硬に尼僧院に残ったのです。

時は第二次世界大戦の中の春、イタリアのトスカーナ。
若い女性はカナダ人のハナ。従軍看護婦であることに疲れ果て、前線を離れました。
正体不明のイギリス人との生活に、さらに二人の人間が加わります。
ひとりはカラバッジョ。彼はハナの父親の友達で、ふたりはお互いの若いころ、幼いころを知りあっている仲です。
そしてもうひとりは若い兵士シン。地雷撤去のためにやってきた工兵でインド人です。

誰もが自分を閉ざし守るための殻を持ち、その一番外側で触れあうような日々が過ぎるなか、次第に彼らは一緒にいることに慣れていきます。
自分と人との距離を少しずつ近づけ、それでも踏み込みはしない場所の心地よさに身を浸すようにして、ゆるゆると語られていくのは彼らの過去と現在。
彼らを包む時の流れの遅さは蜜の甘さ、あるいはモルヒネの酩いに似て、これがもし永遠に続いてくれたら、と思わされてしまいます。
断片的なイメージの連なりを映しだしていくような、時に詩の言葉のような文章を、私はほんとうにゆっくりと、たぶん頭の中では声に出して読んでいたかもしれません。

けれども、しあわせな時間がしあわせな未来につながるとは限らない。
時も時であり、登場人物たちはそれほど楽天的ではなく、たぶん、そうあろうとしてもできない人たちです。
作品の端々に現われる苦さは、世界はユートピアの存在を許すほど甘くないと言っているようでもあり、少しずつ明かされてきたイギリス人の患者の過去と彼の語る恋も、後半に進むにつれ、破滅へと、彼がベドウィンによって奇跡的に一命を取り留めた飛行機の墜落事故へと向かっていきます。
4人の日々が決定的な別れへと近づいていくことの予告であるかのように。

そして、やってきた終わりを、ハナは「嵐」と振り返ります。
なすすべもないほどに荒々しく吹き荒れ、破壊の痕を残して去っていくもの。
すべては幻想だったと、何もかもを粉々にするほどの、その激しさを私は予想もしていませんでした。
私は何もかもを甘く見ていたのだと思います。

終わりのきっかけとその意味合いが私にとってはあまりに衝撃的で、読む目と手がしばし止まった後、残りのページはあとどれくらいかを思わずみてしまいました。
こんなふうに終わる?!
自分が何者であるかに、どこで生まれ、どこで育ったかを含めないこと、自分の国を意識せずいられることはなく、この溝は確かに深い。
頭で考えるよりも深いのだろうけれども、正直なところ「このまま終わったら、後味悪くてしょうがないから、それは勘弁して」とそんな気持ち。
そう思うこと自体が、戦争を遠くにしか感じていない証明だろうとは思うのですが。
…読者にやさしい著者でよかったです…。
溝は深くても、それでも、人が互いに思いあうことの可能性は、消えることはないのです。

読み終えてみると、『インド人の工兵』だったような気もしてしまいます。
知りませんでしたが、映画化もされていたようです。

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たぶん、観ません。きっと、小説のほうが好きだと思うので。


[読了:2012-03-24]





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「イギリス人の患者」マイケル・オンダーチェ (りゅうちゃん別館)
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