『江戸の滑稽な化物を通して、その裏にある「文化」を明らかにする』という本です。

江戸滑稽化物尽くし
著者:アダム・カバット
発行:講談社
Amazonで書評を読む
そんなつもりで読んだわけではありませんでしたけれども(どんなつもりで手にしたかはもう忘れました。)、かわら版、浮世絵、読本、黄表紙もろもろは江戸庶民の生活に直結しているとよく言われます。
図も多くて面白い本でしたが、滑稽な面白さを説明することのむずかしさを実感することにもなりました。
どんなふうに面白いか説明しようとした途端、おもしろくなくなってしまう。
可笑しいとか楽しいとかって単純なことで、見てすぐに可笑しいと思わなかったら、もう説明されても感心はしたとしても、いまさら可笑しくないですものねぇ。
それはカバット先生のせいじゃなく。
…カバット先生って、なんだか楽しい響きだわ。
訳者不要のカバット先生は1954年ニューヨーク生まれの米国人で、武蔵野大学教授だそうです。
鏡花の作品への理解を深めることが江戸の化物を研究する目的のひとつだったとか。
りっぱな研究対象である妖怪、化物たちを現代と関連付けるとしたら、キーワードはどんなものになるでしょうか。
商売として使う(鬼太郎関連グッズはロングセラーですし、「豆腐小僧」なんてアニメも近年ありましたね。「怪物くん」もかしら?)のは、昔と変わらぬとはいえ、今の世では笑いのための化物は身近にはないように思えます。
それよりも、妖怪や化物は今や失われた夜の闇や、化物たちの生息地としての山河を惜しむためのものでしょうか。
それとも、妖怪、化物たちは人の心の闇にこそ…とか言ってしまう?
昨今は、コンピューターのプログラムの中から妖怪が生まれる作品もありますね。
ああ、そう考えれば、昔の仮面ライダーの怪人たちって、江戸の化物の作られ方に似ていたかも。
○○怪人とか、いろいろなものがつかわれて、付喪神みたいな感じ。
…ああ、収拾がつかないな、もう。
ランキングに参加しました。ぽちっとクリックしていただけるとうれしいです。
▼▼▼









