ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

海野 弘【ホモセクシャルの世界史】

2009-01-22 | 文藝春秋
 
途中でこれをなぜ読んでいるのかわからなくなりました…。
もともとは同じ著者の『パトロン物語 アートとマネーの不可思議な関係』を読んでいたとき、芸術家の中には同性愛者が多く、それが1つの潮流となっていることが書かれていたので、それならば、と思ったわけですが。
…甘かったです。
そんな程度の興味では太刀打ちできませんでした。
けっこうな時間をかけた(単に読み進めるのが難儀だった…)のに、なんだかよくわからなかった…。
おそらくそれは私が知識の素地が薄いところで読んでいるからで、本来ならばいろいろな文献が参照されているので、この問題を追及しようと思うときは入門書的な位置づけになる本なのかもしれません。

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 ホモセクシャルの世界史

 著者:海野 弘
 発行:文藝春秋
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各分野の世界史に登場する人物たちのつながりや分布に「同性愛」というフィルタをかけて見直してみようという本で、さまざまな文献を元に筆が進められていきます。
それに沿って読んでいくと、もう、出来事のすべてが「同性愛」の人脈で語れてしまうような錯覚に陥ります。
同性愛といっても、ここで取り上げられるのは男性同士の関係。
女性同士のものは、男性同士の関係の周辺にあったごくわずかな例に触れるのみです。
こういう文献の残り方や、研究のされ方まで、男女の差は徹底しているものなのかと。
男性が歴史の表舞台に立ち続けていたわけですから、「ホモセクシャル」で語ることができてしまう世界史の一面があるということも道理なのでしょう。
政治も、学問も、芸術も。王国の衰退も、スパイ事件も。
誰と誰が付き合いがあって、別れて、そこから人のつながりが別の方向に広がって、と。
そういうことがギリシャ時代からローマ時代、ヨーロッパの王朝やらイギリスの事情と、延々続くわけです。
しかも、出てくる人名のうち、わかるもののほうが圧倒的に少ない。
○○が愛して連れ歩いた××。
○○も××も知らなかったら、お手上げです。
ああ、そうなのですか、としか感想が湧かない。
しかも、この人たちのつながりから生まれたものについては深い言及はなく、つながりを追うことが主眼。
そのつながりを基にして歴史や芸術を考え直すと新しい解釈が生まれるかもしれないと書かれることは多いのですが、新たに解釈をするとどうなるかを語ったものではありませんでした。
たとえば、ゾルゲ事件や尾崎秀実の事件のことを「同性愛」という切り口で考え直してみる必要があるだろうとように預けられてしまう。
無理ですって…。すごく大雑把にしか知らないのに。

ただ後半になると時代が近くなるためか、多少わかりやすくなりました。
20世紀にはいっての「バレエ・リュス・コレクション」。
人と人がつながって、そのつながり自体を、マイノリティとしての同性愛を舞台の上に顕在化させたことで、新しいタイプのバレエが生まれたこと、そしてその後の流れがわかります。
パブロワについての言及はほとんどありませんし、どういう文脈で読むかは考え方次第なのでしょうが、下品な言い方をすれば、綺麗な女を見せるためのものだったバレエの中に、綺麗な男を見せるための作品が生まれ、興行主の好みに応じて演じる者も変わって、それがそのまま、その時代のバレエの流れのひとつとして定着し、現代に至るものとなっているというわけです。(ただ、現代のそれを同性愛の切り口で読み取ることに私はさほどの意味を感じません。)
文学ではモデルと登場人物の性別をすり替えてしまわれてもわかりませんが、舞台では、どう汲み取るかは別として、はっきり目に見えますから隠しようがない。
美しい男は美しい男のまま舞台上に存在するわけです。
実際、綺麗ですしね。ニジンスキー。この本に載っていた写真は特に綺麗でした。ディアギレフが同性愛者じゃなくても、いずれ世に出たのでは思うのですが、どうなのでしょう。
やはり、ディアギレフの存在なくしては無理だったのでしょうか。

それにしても、伝記が書かれるような人は手紙や手記がずいぶんと残っているものなのだなと驚きます。
伝記を書いてもらうためにわざわざ書いておいたか?と疑ってしまいたくなるくらいでしたが、誰を好きだったか、なんていうゴシップまで後世に残って、果てはそれが友愛であったか恋愛であったかを考察されてしまったりするのは気の毒です。
特に後半のハリウッドの俳優さんたちの誰がゲイだったかというような話は。
まあ、読んでおいていうのはナンですが。
ただ、誰を、あるいは何をどう愛するかは、その人が生み出すものに影響することですし、大きな変化がその時代のマイノリティから生まれることが多いことを思えば、この同性愛という観点で読みなおすことには意味は小さくないのだろうと思います。






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6 コメント

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なんか… (こうもり)
2009-01-23 15:44:28
誤解されるかも知れませんが…興味津々です。
海野 弘氏好きだし…ニジンスキーも好きです。読みた~~~いです!
Unknown (樽井)
2009-01-23 21:56:44
 この手の本は、基礎知識がないと面白さも理解も半減なんだろうなぁと基礎知識がなくてお見送りしています。
 海外はともかく、日本の政治の舞台でそういう繋がりがあったりするのでしょうかねぇ。そういうのが今のあの国会議員さんたちの中であるとか想像したくないなぁ。
 梨園だったら当たり前にありそうだけれど。
はい! (きし)
2009-01-23 23:23:49
次回、お持ちいたしますわ~。
ニジンスキーのところは少しですけれどね。
後半になるほど、著者の見解がはっきりしてきて面白くなります。
最後で問題提起して、以下に続く、なのか?と思ったくらいで。
樽井さま (きし)
2009-01-23 23:39:54
…耳が痛い…。といっていると、どの分野も読めなくなってしまうので、そこは恥知らずに手を出しております
どの本も十全に理解することは同様に難しいですし。
日本なら学閥がそれに相当するのかも。現在どういう関係であるかということより、当時のつながりが長く、縛りあるいは絆となって…ということのようですよ。
彼らにも若く美しい時期があったわけですし、日本は伝統的にこの文化に対してタブーという感じが薄いですからねぇ。十分あり得ると思います。別にそれでも気にしないけど。
Unknown (樽井)
2009-01-25 22:36:38
 こんばんは。
 ああそうか、若い時の繋がりと考えればありはありだし、学閥もありですかね。確かにそういうのはありそうですね。東大学閥とか早稲田学閥とかありそうですね。
 
イギリスだったら (きし)
2009-01-27 00:40:13
こんばんは、樽井さん。
イートンとか、歴史的にそういう感じだったみたいです。この本によると。
学閥といってしまうと、友愛重視な印象になりますけど、選民意識とつながっている臭いもしますね。
まあ、深く追求するのはなしってことで、聞き流してください(笑)

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