徒然なるままに

なるようにしかならないと、達観できればいいのですが

メディア

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最近のメディアについて考えさせられることがありました。ちょうどイタリアの作家であるウンベルト・エーコ―氏著のヌメロ・ゼロという本を読んでいて気になった一文がありました。「この世には報道すべきニュースは無限にあるが、どうしてこの事故については伝えねばならず、もう一方の事故は無視しなければならないのか。ニュースが新聞を作るのではなく、新聞がニュースを作るのだ」。文部科学大臣が今日午後1時30分に加計学園問題に関する文書について民進党が示した文書のうちいくつかは確認できた。しかし、全く同じものではないものもあると保留しています。さて、今朝の朝刊でこのことについて読売新聞が既に報じました。「文科省の再調査の結果、民進党入手の文書と類似する文書が省内にあることを確認した(略)文科省幹部らによると「同一の文書と言い切れない」」さらに「政府は内閣府での調査を行う方向だ」と報じています。公表されていない時点でこれだけの記事は普通で言えばスクープでしょう。内閣府の調査を行うということは今日午後になってから公になっています。その反面、組織犯罪処罰法改正案に関しての国会の動きについては他の新聞と変わりません。この法案に関する記事は他の新聞の半分以下です。テレビでも系列局のワイドショー番組で宮根氏が「内容に差があるということは先に民進党が示した文書は元の文書を加工したものと言えますね」とゲストに振っていたのには驚きました。そして従来、この番組は組織犯罪処罰法改正案や加計問題について殆ど話題にしてきませんでした。ところが今日積極的に取り上げたのです。前述したヌメロ・ゼロの言葉が頭をよぎりました。これでいいのでしょうか。
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