青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。絵馬修復師。

「民進党」から「希望の党」に行くのは、変節の極み

2017-10-17 | 政治家のあり方
 大和大学政治経済学部講師の岩田温氏は、こう指摘する。

 <希望の党の候補者を眺めてみると、まことに不思議な思いがする。「排除」が悪いのではなく、むしろ「排除」が足りないのではないかと思えるのだ。

 昨日まで集団的自衛権の行使容認に反対し、護憲派として議論を展開していた人々が、今日は、安全保障関連法に賛成し、憲法改正を支持するというのだ。

 無論、生き残るためだろうが、あまりに醜悪だ。希望どころか絶望の念が込み上げてくる。>


 私もそう思う。

 昨日の産経新聞ニュースにはこういうのもある。←(クリック)

 こういう小川純也候補などはいわば“造反組”で、天に唾を吐いているようなもの。民進党時代は「憲法改正に反対、安保関連法案にも反対」と言っていたのに、当選しやすそうだと考え「希望の党」にお願いして公認をもらった。その時には自身の信念を変え、「憲法改正に賛成、安保関連法案にも賛成」とする誓約書に判を押して立候補した。それが、大人気でまたブームが起こり「希望の党」が圧勝すると思っていたのに人気がなくて自分の当選も危うくなると、また「憲法改正に反対、安保関連法案にも反対」と叫んでいる。

 愚かな男だ。自分に先を見る力が無いがために今の状況があるんじゃないか。そんなに云うんだったら、なぜ無所属か立憲民主党に行かなかったんだ。そのほうがもっと人間として筋が通っているだろう。自業自得だ。


 高知県の小選挙区高知1区にも「民進党」から「希望の党」に移った、大石宗候補がいます。

 高知県議会の民進党県議を務めていたが一期半で辞職し衆院選に出馬したが、落選。その次の衆院選にも出馬したが、残念ながら落選した。

 平成27年4月の立候補者17名の室戸市議選では、H候補(落選)を積極的に支援し、大石氏は市内の四国銀行前で行った街頭演説で「(他の候補には投票せず)H候補に投票してください!」と連呼したことが市議選後に発覚。選挙後、当選した市議会議員全員から反感を買った。

 そして、今回の三回目の衆院選出馬は「今度こそ何とか国会議員になりたい」と考え、民進党にいてこれまで長く訴えてきた安保法案反対や憲法改正反対など左寄りの主義主張をかなぐり捨てて保守政党の「希望の党」に公認申請を出し、同党から出馬しています。

 岩田氏が指摘するように、大石候補はこれまで「集団的自衛権の行使容認に反対し、護憲派として議論を展開していた」。それが、希望の党に行った途端、街頭では「安全保障関連法に賛成し、憲法改正を支持する」と発言しないと反党行為になるから、そう演説をしているのでしょう。

 それとも、小池代表と交わした誓約書の内容を無視し、自党の「希望の党」の政策を無視し、安保関連法案のことと憲法改正のことについては一切口にせず、当たり障りのないお茶を濁すような演説で聴衆をけむに巻いているのだろうか。

 又、こうも思う。

 比例区で当選すれば「私は最初から憲法改正と安保関連法案には賛成でした」なんてごまかしはつくが、もし落選したらその後はどの政党に入りどのような主張を繰り返すんだろうか。今度は立憲民主党に入り、「集団的自衛権の行使容認には反対で、以前から憲法改正にも反対でした」と前言を翻すのだろうか。

 私は今回、左派の「民進党」から保守の「希望の党」に移った候補についてはこのように見ているが、全国の有権者の皆さんも私と同じように見ているのではないか。「あいつら信用ならない」と。

 岩田氏はこういう状況を「醜悪」と指摘するが、私は一言、「節操がない」と思いながら見ている。


 人間は揺らぎない心と揺らぎない精神を持たねばならない。

 それが「信念」だが、男は一本筋が通った行動をしなければ人から馬鹿にされます。

 政治家は特にそうだ。この前まで「左」と言っていたのに少し状況が変われば今度は「右」と言うようでは、有権者は信用しないし、それまでの信用も台無しにしてしまう。

 民進党の議員や新人ら左翼志向を持った者たちは、今回の衆院選では小池人気にあやかろうと保守政党の希望の党に鞍替えして立候補しているが、実に節操がない。誰が見ても愚かしく、軽々しい。だから、戦況を見ての通り、そういう候補には国民の人気が集まらず、「左」を貫き通している立憲民主党の人気が高いが、それは政治家になろうとする者たちの「信念」が問われている証だといってよい。立憲民主党のような「左」でこの国を守れるかと言うとそうではないが・・。

 橋下徹前大阪府知事はこのような候補に対し、次のように厳しく指摘する。

 ライブドア・ニュースから ←(クリック)

 <(前略) 当選するためだけに希望の党に来たチョロネズミが、小選挙区では落選しながら比例復活したらややこしい。こういう連中は自分に実力がないにもかかわらず、議員バッジを付けたとたん、偉そうないっぱしのことをほざく。おそらくこういう連中が党の結束を乱し、希望の党の勢いが弱いと見れば、まずは小池さんの看板のすげ替え、代表の交代を目論む。それでもダメなら、どこの党にいるのが一番当選しやすいかを考えて、党の移籍を目論む。比例復活議員は簡単に移籍はできないので、残存民進党参議院議員や立憲民主党と合わさる新党結成を考えるのか。ここまで来たらもう茶番だけど、これがチョロネズミ議員の実態で、こういう連中が野党にいる限り強い野党は誕生しない。

 こういう連中を小池さんにはズバッと斬って欲しかった。(後略)>


 手厳しいが、橋下氏がおっしゃっていることは至極当然のことで、私も同感だ。

 政治を目指す人間には「信念」が必要。この「信念」があれば、あっちへ行ったりこっちへ来たりはしないものだ。そういう政治家になろうとしている人間を橋下氏は「チョロネズミ」と言っているが、当人さんたちには腹立たしいかもしれないが、的を得ている。

 「物事を得か損かで判断して動く奴に碌な人間はいない」の教えもある。

 人生は若い時から夢を持つことは大事だ。だが、自分に基本となるものが備わっていないのに、分不相応に「国会議員になりたい」「代議士という偉い人になりたい」なんて夢を手に入れようとしてもなかなか実現しないし、知人と親戚以外には共感が得られないだろう。

 苦労もしないで大層なことを考えるから他人の痛みが理解できないんだから、政治を目指す前にもっと一般社会の中で色んな人生経験を積み、人生を学び、大いに揉まれることが大事。楽に世渡りしようとせず、つらい仕事に従事し没頭する。こう指摘すれば先の市議選後に私に一喝されたときのようにまた言い訳ばかり言い募り抗弁するだろうが、衆院選後はそこが自らの欠点と認めることから始めなくてはならない。

 そのような下積みがあってこそ、他人の痛みや辛さが少しづつ理解できてくるものだ。
 
 政治家になる前に、苦労して働きながら一般社会のルールや礼儀を学ぶこと。

 政治に口を出すのはそれからでも遅くはない。

 人の世(日本の現状)と人の心(人心)を知ってからでも遅くはない。

 そして、左志向で議員になろうと思っても、この日本の政治は成り立たないことを知る必要がある。左志向の政治家ではいつまで経っても国民の心、県民の心をつかむ(支持される)ことができない。この国は何十年たっても保守政党を軸に動いていくことを身をもって知ることだ。


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「安倍1強政治」と悪く言うが、本当は・・

2017-10-16 | 国のあり方
 テレビを見ていても、新聞を見ても、よく「安倍1強政治」という言葉や文字がよく出てきます。

 又、衆院選の街頭演説でも、野党の代表らが「安倍1強政治に反対」なんてことを叫んでいます。

 それらを見て、私は「あなた方は物事の正しい見方が間違ってますよ。東京の有名大学などを出て国会議員の選挙に出たりメディアに関わっている身なのに、こんなことも理解できないの?」と思います。

 ほんの一年ぐらい前まで自民党にいた小池百合子氏も街頭に立ち、自分も関わっていた「1強」の政党に向かって「安倍1強政治に反対!」、「アベノミクスにノー!」と叫ぶが、私は「ほんとにあなたは何んにもわかっちゃいないが、その1強にはこの間まであなたも関わっていたんだよね。そういうのを“自分に向かって唾を吐く”というんだよ」と教えてあげたくなる。

 「カイロ大学はおろか、小さな田舎町の高校しか出てないこんな粗野な人間でも理解できることなのに」と。

 「誰か代わりに教えてあげて」。


 この「安倍1強政治」の言葉を聞いたり見たりするたびに思うのは、「安倍1強で悪いんだろうか」、そして、「安倍1強となったのは安倍首相など自民党が行ってきた政治が悪いからだろうか」、と思う。

 「安倍1強政治」と、まるで安倍首相が行ってきた国政運営が「1強」になったことが悪いかのように、野党の議員ら、テレビ・新聞、コメンテーターたちは言うが、それは本当にそうなんだろうか?

 国民の皆さん、本当はそうではないんですよね。

 真実は、こうでしょう。

 国の政治を俯瞰して見てみると、事実は、自民党と公明党の与党は除き、国政に野党の政党がいくつあるか知りませんが例えば野党政党が8つあると仮定すると、その8政党に国民の支持が得られないという現実から、

 「安倍真っ当政治」と「野党8弱政治」の構図

 になっているのは疑いなかろう。

 自民党の安倍政権がしっかりと地に根を張って政治を進めてきて、野党の政党がただ政府の足を引っ張るだけの政治活動を進めてきたからこその、今の状況がある。そして、野党や左翼メディアが与党政権を批判すればするほど、この状況は深化していく。

 国民は野党政党のそれらの未熟さや知恵の無さ、足を引っ張るだけの発言力の非公正さ、判断力の悪さ、「良いことには与党の案にも賛成する」という理解度も無いことなどをトータル的に見て、「野党の政党は全部だめだ」と判断を下し、「自民党じゃないとこの国は守れない」と結論を出したからこそ、その結果、「安倍1強」になったもの。

 だから、野党がだらしなく、野党の方からこけているんだから、何も安倍政権を悪く言う理由など無い。「オイ、おかしいぞ」と指を指されるのは、むしろ野党と左翼メディアの方である。

 蓮舫さんが言ったじゃないか。「一番じゃないといけないんですか? 二番じゃダメなんですか?」。あれですよ、あれ。あのような考え方だから、野党はいつまで経ってもダメなんですよ。二番でいいなんて思ってるから、一番になんかなれないんだ。

 何事も一番になろうとする思いが大事で、たとえ一番になれなくても「一番になろう」と頑張る。だから一番にもなれるし、「1強」にもなれるんです。そこには「不断の努力」というものが必要になる。その「努力」を自民党は積み重ねてきたということになり、野党の各政党はその「努力」が足らないということになる。

 野党の議員や左翼メディアの働く人たちはそういう「地道な努力」も無しに、保守中道の政党を嫌い、なんとかその足を引っ張って努力しないで一番になろうとしているということです。そんな下劣な考えで以って賢明な国民から賛同が得られるわけがなかろう。

 こういう精神を改めない限り、そして国民から広く支持を得られるよう、「良いことはよい、悪いことは悪い」と正しく判断できるようになり、地道な政策論を党内で戦わせない限り、例えあの民主党のように一度政権についたとしても、長く政権が続くなんてことはどだい無理な話である。


 現状は、安倍政権が憲法改正を目指しているからと、憲法9条にすがり続ける共産党や社民党や民進党を支援する左翼メディアが躍起になってテレビや新聞で安倍首相批判を強め、それを見た国民が“洗脳”され、世論調査の電話に「自民党は支持できない」のボタンを押す。 ・・という流れになっているだけのこと。

 だから、安倍政権が悪いのではない。

 むしろ野党と左翼メディアの方が、非常に質が悪い。

 現在はそういう「政治に狂ったメディアの時代」になってしまっていて、間違いなくメディアが上から目線で政治を左右させてやろうとしている、非常に不条理な時代になった。

 今の国政の状況を見て「自民党政権1強」とするならそうかもしれないが、それはある一面でしか物事を見ていないと言っておきたい。

 その「1強」の構図は自民党と公明党の自・公与党だけの力で為しえたものではなく、多くの国民の支持に支えられていることも忘れてはならない。加えて、野党各党それぞれが政党としてしっかりしてなかったこと、まとまりの無さ、つまり野党自らのエラーによるもの。

 だから、安倍政権が悪いのではない。

 「安倍1強政治」という評し方は、間違いなく正しくない。それもいうなら、むしろ「野党全弱政治」か「野党混乱政治」と評価する方が的を得ている。

 私はいつもそう思いながら、この言葉「安倍1強政治」を新聞で見ているし、テレビで聞いている。

 ま、「安倍1強政治」と言えば誰もがその一言で国政の状況を片づけることができるが、「そういうものの見方は的確ではない」と指摘しておきたい。 

 一つお教えしておこう。

 偏向放送と虚偽情報を垂れ流す左翼のテレビ・新聞・週刊誌から正しい政治は何一つ学べないから、見てはならない。

若者よ、ネットなら産経ニュース、テレビならBSフジの「プライム・ニュース」を見て、正しい政治を学ぼう!


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地方政治人材論

2017-10-15 | 政治家のあり方
 組織にとって、いい人材とはどういう人物だろう。

 初めて市議になった平成15年5月から、空白の四年間を除くと、これまで十年半になるが、市議会議員をしながらそんなことを何度も考える。

 市会議員が表立った場所で行なう仕事といえば、一年に4回行なわれているわずか六、七日間ぐらいの議会会期中に、本議会で質問と質疑と討論に参加することと委員会で質疑することぐらい。このどれかに何回か登壇し発言すれば、それほど内容の無い発言でも市民の皆さんには住民のために真面目に働いてくれている議員だと映る。

 そのことによってその議員は「忠実な議員」と評価してくれるかもしれない。

 その議場の姿だけで次の選挙で投票を決めることもあろう、わずか年間28日間の見た目だけの判断で。

 しかし、そんな一年の内のわずか28日間に一度の発言すら無い議員のことや、議会のない八ヶ月間も報酬を頂いているのに議員活動と言えるほどの行動をしていない議員のことを考えると、本当に彼らが「公に忠実な非常勤特別職公務員」かといえば、そうとは言い難い。

 では、議員の職務に対する心構えとはどんなものか。

 基本は、憲法第15条「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。これは「議員は、住民全体の利益のため、法令に基づいて公平にその権限を行使すべき立場にある」ということ。市長等執行機関と議事機関の二元代表制からいうと、議員は常に執行機関とは一歩離れていなければならない。それが離れずに密着するならば、議会は有害な組織となる。

 地方議員の“バイブル”『議員必携』は次のように教える。

 議員の職務は、「執行機関を公正に眺め、厳正に批判し、行財政執行上の重要事項について適正で公平・妥当な結論を見出してこれを決定するのが議事機関である。また、逆に、議員が執行機関から離れすぎては適切な行政執行の正しい検証は出来ないし、又、非難や批評は出来ても、議会の使命である正しい批判と監視はできない。この原則が守られなければ行政は乱れ、ゆがめられ、民主的で公平な運営が損なわれる。議会の構成員である議員は、常に執行機関とは一歩離れ、二歩離れない姿勢が大事である」。


 では、室戸市政の在り方はどうだ。市議会の在り方はどうなんだ。

 残念ながら、いまだに違法な事業案や無駄な公共施設改修事業案が議会に提案され、それに議会の三分の二の議員が賛成し続けていて、昔から全く変わり映えのしない道徳心のかけらもない政治が続いています。


 では、議会においていい人材とはどんな人物か。

 指標の一つは「行政の不正や不適正な業務に対して勇気を以って苦言を唱えることが出来るか」だと思う。

 地方議会においていい人材とは、上記した憲法第15条の規定と『議員必携』にある「議員の職務」の記述を堅実に順守する人物であるといえる。

 だが、一向に行政の過ちは改まらず、改めさせる立場の議会も4議員を除いて、みんな見て見ぬ振り。

 一般社会の人たちが次代に生き残ろうとするならば、室戸市と市議会の教訓に学ぶ必要がある。

 勿論、それは“反面教師”としてだ。


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衆院選で国会議員になる人の資質を問おう!

2017-10-14 | 政治家のあり方
 今日、14日(土)の読売新聞にこんな論説記事が掲載されていました。記事は、もう長く親しみを感じ乍らその評論を見て聞いている、読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏のもの。

 表題は、「政治家の原点を考える」。その記事の次の部分に共感を覚えた。

 <衆院選挙が公示され、選挙戦が真っ盛りです。今回の選挙はどの政党に政権をゆだねるのかと言う「政権選択選挙」です。さらに言えば「安倍政権是か非か」の選挙です。と同時に候補者が政治家にふさわしいのか、その真贋を見極める大事な機会でもあります。
 というのも、政治家のスキャンダルが相次いでいます。いったい何のために政治家になろうとしたのか。政治家の資質、品位が問われているからです。
 (中略)
 政治家が失ってはいけない原点とは何だろうか。こういう国にしたいというあふれるばかりの情熱を持って主張すべきを断固主張する。そしてその底には心から人を思いやる気持ちがなければならないと思うのです。>


 私は、橋本氏が言われる通りだと思います。特に、

 「候補者が政治家にふさわしいのか」、

 「政治家が失ってはならない原点は、心から人を思いやる気持ちがなければならない」、


 この二点は『政治家となる人の資質』として必ず持っていなければならないと思っています。

 よく国会議員が問題になったとき、その議員を見て思うのは、「政治家としての資質に欠ける」点。橋本氏が指摘するのはそういう国会議員であろう。

 かつて衆院選に二度出馬したことがある人が、先の室戸市議選において室戸市の町なかでH候補の応援演説を行いました。このことを考えると、市議選の候補者は17名でしたので、この演説は「他の16名の市議候補には投票せず、H候補に投票をお願いします」ということになります。

 二度も国会議員の選挙に出た方の応援演説が行われましたので、私も「また落選するかもしれない」と辛かったが、何とか無事に当選しました。

 このことを今も時折考えますが、国会議員候補だった人物が市議選の特定候補に肩入れして室戸市のど真ん中で街頭に立ち、「ほかの候補には投票しないでください。H候補に投票をお願いします」と演説をしたことは、如何にそのH候補が落選したとはいえ、その時の市議選で当選した現在の市議13名に対し、非常に失礼なことだし、あってはならない事だと思っています。

 橋本五郎氏は、記事で問う。

 「候補者が政治家にふさわしいのか」、

 「政治家が失ってはならない原点は、心から人を思いやる気持ちがなければならない」。

 そこで今回の衆院選に関し、私からも同じことを立候補されたそれぞれの候補に問いたい。

 「あなたは政治家にふさわしい資質を持った人か?」、「あなたは、心から人を思いやる気持ちがあるか?」。

 そして、有権者の皆さんにも問いたい。

 「あなたが支持し投票しようと考えている候補者は、政治家にふさわしいのか?」、「国会議員になってから議員の仕事もせず、不倫や不正をやってしまう人ではないか?」、

 「あなたが支持し投票しようと考えている候補者は、政治家の原点である、心から人を思いやる気持ちがあるか?」。


 選挙ではよく、「知り合いだから」「友達に頼まれたから」「親戚だから」等と投票しますが、その前に「その候補は政治家として他の候補よりも国を守る力や能力や経験があるか」を自分に問わなくてはなりません。

 いくら親戚であっても、市民や県民や国民を踏みつけにして「国会議員に何とかなりたい」が先走っている候補は、国民のためにも県民のためにも市民のためにもなりません。

 親戚や知り合いでなくても、親戚や知り合いの候補よりも他に優れた候補がいたら、その有能な候補に投票したほうが自分のためにもなる。これこそが道理というものです。

 室戸市議選でお判りでしょう。選挙結果が上位の親戚や知人に選ばれた議員よりも、選挙結果は下位の方でも議員として有能であればむしろこっちの方が市民のためになっています。

 国政選挙も、こうあるべきです。テレビや新聞に惑わされることなく、高知県民のために働けるだけの能力と経験を持った候補を支持すること。それが延いてはあなたのためになるものです。

 とにもかくにも、今回の選挙に行くべきです。行って、あなたの意思を込めて投票していただきたい。

 あなたの一票で国は右にもいくし左にもいきます。そのことによって発生した政治の動きはあなた方、有権者が責任を取ることです。

 国の政治が良くなればそれはあなたのお陰、悪くなればあなたの所為。

 そういうことです。


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投票に行かない有権者に政治を批判する権利はない

2017-10-12 | 人間のあり方
 全国の有権者のみなさまに選挙に関する大事なことをお教えします!!

 全国の有権者の皆様がもしや選挙について勘違いしていないかと思い、今日は“「政治参加」とはいかなる意味か”について書きます。

 10日は衆院選の告示日でした。国の近未来を決める大事な選挙です。

 でも、中には大事な選挙なのにこの選挙で投票にも行かず、棄権する人がたくさんいます。まちの投票率が60%だとすると、そのまちの有権者の40%の住民は投票に行っていないということ。こんなことではダメです。こんな政治意識では、まちが良くなるわけがありません。

 そこで、お願いがあります。

 お家を守る奥さんから旦那さんや投票権を持つ十八歳以上の子どもさんに、次のようにクギを刺してほしい。

 「えいかね、お父ちゃんも子供らもよう聞きよ。国の政治のやり方や無能な国会議員の仕事ぶりに不満を持っても、選挙の時に投票に行かんような人間にはその政党や議員を批判する権利はないぜ」。

 「そうやきん、ブツブツ言わんと、早よう投票に行ってき」。


 これはなぜなのか、読者の皆さんはお分かりですか?

 まず、投票所に行って投票すれば「政治参加」したことになり、投票所に行かず投票しなかったら「政治不参加」となります。

 これはお分かりでしょう。

 「政治不参加」、つまり選挙の投票日に投票しないということは、政治に関して参加していないということになります。因って、投票しないいうことは同時に、政治に対する発言権も失ってしまうということになります。

 こうして投票日に投票にも行かず政治に対する発言権を失えば、国政、県政、市町村政や市町村議会の不正や不馴染めや怠慢行為などについて批判できなくなる。

 もし、今後、衆院議員が不倫して議員辞職や離党やと騒がしくなっても、衆院選の時に投票所に行って投票していない有権者は、批判の一つもしてはなりません。なぜならば、投票権を放棄すれば同時に、発言権も失っているからです。

 お分かりかな。


 よく、国政選挙や、都道府県知事選や、県議選や、市区町村長選や、市区町村議員選の時に投票にも行ってないのに、国政に対し、県政に対し、市区町村政に対し批判している御人がいますが、あれは以っての外で、政治に参加もしていない人間に政治を批判する権利などありません。

 日頃から関心がない政治を馬鹿にし、「民主党政治は…」とか「自民党政治は…」と批判しながら、選挙になると「おれには関係ない」とうそぶいて投票にも行かない人がいますね。あなたもそうじゃないですか?

 権利を放棄したそういう方々には、「それは政治が悪いんじゃなく、その前にあんたの方が悪いんだ」、「あんたがた有権者が投票に行かないから、政治も悪くなるんだ」、「国の有権者がみんなで投票しさえすれば、政治ももっと良くなるかもしれないじゃないか」とお教えしたい。

 投票に行った有権者が法令を順守しない悪質な政治家や職責を果たさない地方の政治家たちや自治体職員を批判するならいざ知らず、投票にも行っていない「政治不参加」の有権者が自分の不真面目さを棚に上げて政治や政治家を批判する等、以ての外です。

 なぜなら、政治に参加していないからです。政治に参加していないということは、いわば“蚊帳の外”。蚊に刺されるのは当たり前のことです。

 そんな投票にも行かない有権者に政党や政治家や行政を批判する権利など、これっぽっちもない。

 さあ、私にそうやって批判されないためにも、あなたも衆院選に投票に行きましょう。そうすることで国の政治や政党、政治家にお願い事もできるし、批判もできます。だって、その権利を持っているんだもんね。


 「為すべき時に 為すべきことを 為せば成る」は私が作った教訓。「為せば成る 為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」の教訓を創ったのは上杉鷹山とされる。

 どちらも「何事もやるべきことをやろう、やるべき時にやろう」ということです。

 期日前投票もできますし、22日には近くの投票所へ行って投票してください。さすれば、国政に対する発言権は手に入ります。


 以上、室戸市議会の一人会派「鷹山会」から、衆院選投票についてのお知らせでした。


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衆院選、各党の予想される議席獲得数

2017-10-11 | 国のあり方
 ここ数日の国民の政党に対する声を鑑み、単刀直入に獲得議席数を予想したい。

 ●自民党は、公示前議席は284でしたが、立候補者332名中、260~280議席

 ●公明党は、公示前議席は34でしたが、立候補者53名中、30~50議席。

 自・公の与党として合計すると公示前議席の318議席から少し減って、310議席前後と予想します。

 ●希望の党は、立候補者235名中、50~60議席。

 小池代表が問題山積の東京都政を放っぽり出して国政選挙に夢中になっていることに都民も国民もみんなが腹を立てていることが、新党の票が伸びない原因。

 発言にもウソが多くて、先の知事選と都議選では都民をだまし、あろうことか自分が支援を受けた「都民ファーストの会」の議員まで出汁に使い、今度は日本全国の人たちを騙すことになるが、小池氏は「勝ったらこっちのもんだ」と思っています。

 恩義ある自民党をコケにして飛び出し、知事選と都議選で支持した都民をコケにし、都民ファーストの会の議員をコケにし、今度は難題山積に頭を悩ましている東京都職員をコケにしながら、国民をコケにしようとしています。

 自分が総理大臣になりたいがために策をめぐらしているそうだが、自分の欲望、我欲だけで動き回っている、最低の政治家だ。

 都民も国民も小池知事の行動を支持も支援もしてはなりません。それが賢明な有権者というものです。

 ●立憲民主党は、立候補者78名中、判官びいきもあって、25議席ほど。

 他の野党の政党のことはどうでもいい。

 結局、選挙戦に入った今の時点で、私は自・公の与党が勝利し、さらに安定政権が続くと見ています。


 北朝鮮が今にも戦争を仕掛けてこようとしているときに、「戦争法反対」なんて言っている平和ボケした政党では与党政権に太刀打ちできません。

 それは、ハードだけでもダメ、ソフトだけでもダメ。

 平和とは、ハード(武器)とソフト(法律)という二つの防御体制が整っていてこそ守られることを知るべきです。

 左寄りのメディアも政治家たちも「自衛隊を憲法に書き込むな」なんて言っているようでは、まだまだ甘い。

 国政は「外交」と「内政」に分けられ、これが両立しなければ国家たり得ず、「国防」は「外交」の最たるもの。その「国防」は大半の国は「軍隊」として担い存在するが、日本の国は敗戦国ということで「軍隊」なり得ず、戦後少ししてから戦勝国から「自衛隊」としてその存在が許されているだけだ。

 そういう自衛隊のことを左寄りの思想を持つ政治家もメディアは「災害救助隊」としてだけその存在を認めているようで、北朝鮮や中国など周辺の独裁国家からの脅威に関する対応には未だにとやかく言い続けています。

 日本国憲法に自衛隊を明記することを批判し続けている人たち全員に問いたいが、周辺の不穏な動きに厳しく対処して国を守り国内の災害にも昼夜を問わず懸命に働いているあの自衛隊の人たちは「災害救助隊」なのか?

 もしそうだと思っているならば、北朝鮮がミサイルを撃ってきたとき、自衛隊の皆さんは手を出さず、左翼の政治家とメディアの諸君が先頭に立ちミサイルや大砲の球が飛んでくる中を国民の盾となって戦うことができるのか。これを問いたい。

 出来ないだろう。そういう口ばっかりでクソ度胸も無い人間らが、国民と国とを守ってくれている自衛隊の存在をなぜ否定出来るのか。そう問いたい。自分たちができないことだからこそ、自衛隊に任すしかなかろう。

 共産党や社民党やかつての民進党の議員やメディアが安保改正法案のことを「戦争法」と批判してきたことなど、ちゃんちゃらおかしくて、話にならん。


 いまだに忘れられません。

 昭和40年すぎだったか、私が20歳の頃でした。美術大学への進学を許してもらえず家業の銘木製材所で柱を担いで汗水たらして働いていた時、大学生の安保闘争がありました。たくさんの大学生が「安保反対、安保反対」とデモをしていた光景をテレビで見て、「親は生活費の中からなけなしの金を絞るように創り出して仕送りしているだろうに、その息子は親の気も知らず、自分の将来の人生も考えず、ワッショイワッショイとやっている。アホじゃないか」と思っていた。「親不孝者だ」と。

 今の左翼政党の政治家たちが言っていることも左翼メディアが報道していることもあれと同じ。「安保反対、安保反対」と口々に言い募るが、全くの不毛の批判。又、そうすることが全く国民のためになっていないのに、それは体の隅まで染みついた思想のようで、彼らはそのことに何年たっても気付きません。

 左翼政党である民進党から抜け出て保守政党と主張する希望の党に“移籍”した細野氏は、昨年の安保改正法案の審議中、国会議事堂前の左翼のデモグループの中に入り、「安保法案反対」「戦争法案反対」とやっていた。又、今年も「憲法改正反対」と言っていたはず。それが、希望の党に入った途端、思想を左から真ん中に変えたのか変節し、「安保法案賛成」「憲法改正賛成」と言っている。

 もしかしたら、民進党から希望の党に移籍した人たちはみんな自分のこれまでの過ちに気付いたのかもしれませんね。それならそれでよしとしますが、よもや、数年たてば希望の党から抜け出て再度、左に傾いた政党に入り「憲法改正反対」と言うんじゃないでしょうね。


 そもそも国防を担う自衛隊の存在を認めたくない人たちは国の政治を語ってはならず、憲法には自衛隊の存在をはっきりと明記することが必要です。

 又、日本国憲法の第八章「地方自治」、第92条には地方自治についてと地方自治法制定が規定されていますが、この条では私が提唱している「地方議会法」に関連した項も追記した上で、別に「地方議会法」を制定するぐらいにまで高めなくてはならないと考えています。

 当然、その「地方議会法」には、首長が違法な議案を提出した事件や、議員がその違法な議案に賛成した事件に関し取り締まる条文を設け、懲役刑も含めた罰則を規定すべきだと思っている。そうすれば、首長も議員が地方議会を甘く見ることもなくなり、全国の地方議会から不正は消え、健全な組織運営が行われることになる。

 (※当電子情報誌が「地方議会法」について書いた記事) ←(クリック)

 これらのこともあり、新しい憲法を作るか、それとも現在の憲法のいくつかの部分を改正する必要があると私は考えています。

 全国には仕事もしてないのに報酬だけは住民からおけんたいのようにもらっている議員がたくさんいます。地方議会の議員たちを縛り付けるためにもこの法律「地方議会法」は制定すべきです。

 私は今回の衆院選をこのように見ています。

 21日までの間、TBS毎日放送やABC朝日放送や共同通信社から記事の配信を受けている地方新聞など左翼メディアが自民党に票が入らないようにやっきになって、手を変え品を返して叩き続けるだろうが、残念ながら今回は都知事選や都議選のようにはうまくいきません。

 自宅でテレビを見ている奥さん方もそういうテレビや新聞に騙されないで、世論調査の電話がかかってきて「どの政党を支持しますか」と聞かれたら、「自民党」の1番のボタンを力いっぱい押してやりなさい。

 なぜならば、北朝鮮がミサイルを撃ってきたときに頼りになるのは、女性が代表の希望の党でもなく、左翼の野党でもなく、唯一、自民党政府だけだからです。


 尚、挙げた獲得議席数は、当たるも八卦、当たらぬも八卦ですが、多分こうなるでしょう。


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選挙運動は地方議員の職務ではない

2017-10-10 | 政治家のあり方
 (これは以前に二回ほど掲載したテーマですが、再度お考えいただきたい)

 さて、もうすぐ衆議院選が行われますが、国会議員の皆さんはその選挙の用意で忙しく、国民生活を左右する国政については、全く眼中にない様子。

 これからの話は何も国会議員の選挙に限ったことではなくて、都道府県知事や都道府県議の選挙にしても、市区町村議の選挙にしても同じですが、現職議員が四年に一度などの選挙の時、もう半年ぐらいも前からその所管する政治のことには関心を示さず、個人的な自分の選挙運動を始める現象が全国あちこちで見られます。

 又は、市区町村議が自分本来の議員としての職務をほったらかしにして、縁のある知事や県議や首長が行う選挙運動の支援活動にばかり関わっている例が多い。

 そこで、言っておきたいことは、地方議員の職責とは、四年なら四年、決まった任期いっぱい議員の務めを果たすようにと命じられ、その職務を果たすことを約束して県民や市町村民から毎月報酬が議員各自の銀行の通帳に振り込まれています。

 地方議員の皆さんはこのことを決して忘れてはなりません。

 だが、どうもそのことをよく解かっていない住民からの負託をほったらかしにする、自分勝手な議員が多い。

 選挙が近付くと自分が所属する政治をほったらかしにして、友人やお世話になっている政治家の選挙に関わり事前運動をしている。

 だから、一年前からとか、半年前からとか、3か月前から始めるその選挙運動は、地域住民から報酬をもらいながら県知事の応援、県議会議員の応援、自分個人の選挙運動をしているということになるので、その期間は住民から「そんなことしてないで、任期いっぱい、議員としての仕事を全うしろ! 報酬ドロボウじゃないか」と言われても仕方がないのである。

 私だって四回、市議選に出ていてその点はよく認識しており、市民から叱られても「その通りです」と頭を下げます。

 このことを理解している知事や県議会議員や市区町村議員は本当に少ないんじゃないか。

 選挙運動は議員など政治家の職務ではない。しかし、今も言うように、選挙運動の期間中にも県知事や地方議員として報酬をもらっている。

 もらわなきゃ何も悪くはないんだが、その選挙前の事前運動を行っている数ヶ月間もみんな給与や報酬をもらっている。

 だから、現職の知事や市町村長や議員が選挙前に運動をする事がダメなんです。恥ずべき行為と言ってもいい。


 そこで、議員のバイブル『議員必携』から議員の職責とはどのような活動をいうのかを紐解いてみる。

 「議員の一見一句は住民の声であり、議員が行う質問や質疑、討論は、同時に住民の疑問であり意見であり、表決における一票は住民の立場に立った真剣な一票でなければならない」。

 「議員の判断は、議員は住民全体の代表者であり、奉仕者であるという立場に立っての『一般的な意思』による判断である」。

 「議員は唯単に住民の声と心を代表し、代弁するだけの役割に終始するだけ出なく、常に住民の中に飛び込み、住民との対話を重ね、住民の悩みと声を組み取りながら議論を重ねて調査研究を進め、(中略)時には住民に訴え、時には住民を指導して、その実現に積極的に努力する事が大事」。

 「議会が持つ『具体的な政策の最終決定』と『行財政運営の批判と監視』という二つの使命を完全に達成できるよう、議会の一員として懸命に努力する事が議員の職責」。



 以上が『議員必携』に載っている職責ですが、ここには「議員の選挙活動・選挙支援活動は議員の業務ではない」とは書いていません。でも、選挙活動の全てが、議員の仕事、業務ではないのです。

 私がいうのは、「選挙活動も議員の職務だ」と勘違いしている議員が、国会議員にも、都道府県議にも、市町村議の中にもいます。その証拠に、国会議員が告示前なのに堂々と駅前で肩からタスキまでかけて街頭演説をしている。以前は自分の名前を書いたタスキだったがそれが違反となって、今は「本人」なんて書いてある。例えあれが違反でなくても、政治家がみんなやってる事前運動について、「選挙前の事前運動も議員の職務だ」という考え方は誤りで、改めなければならない。

 国会議員も首長や地方議員などの地方政治家もその認識を持つべきだ。

 
 話ついでにもう一つ、選挙の事前運動に関してのエピソードをお聞かせしましょう。面白い話ですので、ここでご紹介しておきます。どこかでこのエピソードを話題にしてみて下さい。へんてこな議員もいるもんだなと。

 以前、私がまだ議員一期目の頃でしたが、室戸市議会にこんなことを口走った議員がいました。

 一昨年(平成18年)だったか、国政選挙の告示の日、室戸市議会の臨時議会が開かれました。

 議会開会5分前の予鈴のベルが鳴り、午前10時の本鈴を待って議場がシーンとなっている時、突然、市長席に座る武井市長に向かって一人の議員が議席から怒鳴った。

 「市長!どういうつもりな!今日が選挙の公示日やと解かっちょって、わざと今日、臨時議会を開いたがやろが!議員はポスターを貼りに行ったりして忙しいのに!なに考えちょら!」。

 その男はある政党の室戸支部の役員で、ポスターを貼りに行けばお金をくれるシステムになっているそうだとあとで聞いた。それで腹が立って、怒ったらしい。

 つまり、すべては金が原因。浅ましいったらありゃしない。議員の職務遂行よりも自分の利得を優先させるそんな政治家が正しいか正しくないかは、ここで私が言わなくてもわかるでしょう。

 その男が市長に怒りの声を上げた時、議員になってまだ2年目の私はすぐにこう思ったものです。

 「バカが。選挙は議員の職務ではないぞ。この議会審議の仕事を全うするのが市議会議員としての職務じゃないか。この新人議員でも解かる初歩的なことを、なぜ二十数年も議員をしている人間がこの程度のことが解からないんだ。そんなに国会議員の選挙が大事なら、市会議員をやめて、ポスターを貼りに行け!」と。


 世は、衆院選の公示日だといって騒々しい。全国の都道府県議や市町村議は駆り出され、うまくこき使われるんでしょう。それで自分の町や県が良くなればうんとやればいいが、その国会議員を応援したからといって世の中が本当に良くなるんだろうか。私はずっと長くまちの政治の流れを見ているが、一向に良くなった気配はない。

 室戸市の県道椎名室戸線を改修してほしいと、市役所や議会関係者や市内の団体が二十年前から、そして十年前からも、五年前にも、三年前にも県や国にお願いしてきても、放っておかれたまま。先日も9月議会が始まるころに高知県知事に宛てて「県道椎名室戸線の新規路線の整備を」と特集を組んだ議会新聞をお送りしたが、さてどうなることやら。

 このようにいくらこの田舎の道路を良くして下さいとお願いしても、国会議員や知事がこの室戸に来るのは選挙直前ぐらいで、何の頼りにもならない。

 私は国会議員なんか、その議員が事業費を国から奪ってくるわけではないから効率的ではないので、何の役にも立たないと思っている。

 だから、選挙の時、まちに自分が支持する候補がやって来たら街頭演説ぐらいは聞きに行きますが、政党なんかにゃ、絶対に入らないし、自民党は長く支持してきたが、県会議員や国会議員の選挙には全く関わっていない。議会では一番熱心に調査活動、議会活動をしていると自負しているが、それで困ったことは一つも無い。

 信頼できる議員は、市議会議員である自分しかいないと心に決めている。

 そうです。私は室戸市議会議員の中でも谷口議員を一番信頼しています。

 浮津などの国道を改良するのも国会議員が当てになるとは思っておらず、私が国交省土佐国道工事事務所に強く要請し、あの浮津交差点の水路及び国道拡幅整備事業が実現した。国会議員や県会議員の協力を仰いで実現したものではない。

 県道椎名室戸線の新路線整備に関しても、県も県議も当てにならない。私はそう思っている。

 
 話を戻すが、だから悪いことは言わない。地方議員は国会議員の選挙運動に関わるのはやめておいたほうがよい。それよりも、市町村議としての本来の職務に懸命に取り組むことです。それが一番、あなたのまちの住民の皆さんのためになり、役場の業務改革につながり、回りまわってあなたのためにもなるんです。

 もう一度申します。地方議員としてのあなたの職責を全うすべきです。

 他人の選挙に関わることはその期間、あなたは議員としての職務を果たしていないことになります。ということは、住民のためにもなってないということになります。報酬も、仕事をしていないからもらえないということになる。

 但し、例外として、不正な市政運営を行う市長を変える時には、懸命に選挙運動に関わること。なぜなら、実効性が高いからです。まちの政治が一変して、健全な政治が始まるからです。

 こういう場合以外(つまり、その町や村に確実に効果が生まれる余地がない場合)は、地方議員が国会議員の選挙や知事選や県議選にはかかわらないことです。議員としての職務遂行の貴重な時間を取られて損になっても、得にはならん。

 私はこれまでもそう思ってきたし、今もそう思っている。

 頼りになるのは自分の頑張りだけだ。


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高知県展を見に行ってきましたが、二段掛けにはガッカリ

2017-10-09 | 文化・芸術・スポーツ
  

 出品前に撮影した今年の県展入選作「驚愕の大地」100号です。入賞を目指していましたが、残念ながらこのような地味な作風は審査員のお目に叶わなかったようで。

 でも、地道にコツコツと描き込んだ、大変いい作品なんですよ。(自画自賛)


 昨日の日曜日、今年の県展を妻と一緒に見に行ってきました。

 洋画部門に今年も入選はしましたが、二階の会場に入り自分の絵を探すと、右側の二段掛けに作品を展示した壁面の、上の方に掛けてありました。

 自分の作品だからどんな絵を出したかはわかっていますが、自分の作品の下に立って見上げると、その距離およそ3~4m。この高さではこの絵をどう描いたかなど、見る人に分かるわけはありません。作家としては、どの作家も「私の作品を近くで見てほしい」と思っているから、残念の一語に尽きます。

 だから、昨日もしばらくその二段掛けになった壁面の傍で見て観察をしてみましたが、展覧会を見に来られた方々は私の作品だけでなく、二段掛けした上の作品にはほとんどすべて目もくれず、下に展示してある作品ばかり見ながら先へ進んでいました。

 「かわいそうに」。

 思うに、作品を鑑賞する人には二通りあって、ある人は絵を描いたことはないが興味があって見に来られた人。もう一つは、県展に作品を出して入選した人と落選した人。両者とも芸術や文化に関心が深いから、高知市から遠く離れた室戸や東洋町、土佐清水や宿毛市からでも高知市の県立美術館にやってきています。

 作品を県展に出品した人たちは芸術に関心があるとかないとかではなく、芸術に心血を注いでいる本人さん。

 絵を描いている人も絵は描いてないが芸術に関心が深い人も、その作品がどうやって下描きをし、上にどのように描き進めたかも見たくて、そしてそれを知りたくて会場にやってきたことは間違いないでしょう。

 それが、二段掛けにしてある上の方の作品を見ても、何を描いてあるのかぐらいは解るが、作品の詳細は全く解らない。だから、みんな上の方に掛けられた作品に興味を示さず、二段掛けの下の作品ばかり見ながら先に進んでいるというわけだ。

 毎年県展に出品し入選させていただいてはいますが、今年初めて二段掛けした壁面の上の方に展示され、今までそうされたことがなかったので、そうされた作家の皆さんの心情が今回、初めて手に取るように理解できました。

 私は30歳から38歳までも高知県展に出品し入選してきましたが、当時、ある中央の公募展にも出品して入選し東京都美術館に展示されました。その展覧会には一人で見に行きましたが、私の作品は二段掛けになってはいませんでした。でも、一部の作品は二段掛けに展示されていた。だから、当時から展覧会で一部の作品は二段掛けされることは知っていましたが、初めてそういう立場になって、思いました。

 「絵画鑑賞というものは、“その作品をどのように描き込んでいるか”、“下描きはどのように描いて、その上からどう描き進めているのか”などを細部まで観察するものと思っており、これじゃ会場に来られた方々は作品の傍によって見ることができない。だから、会場に来られた人たちは上に展示されている作品にはみんな関心を示さず、先に進んでいる。私は私の作品もじっくりと見てほしいが、下から3~4mも離れたら真面に作品が見えないから興味が沸くわけはなく、見ない」。

 その作品を描いた私でさえ、室戸岬の海岸風景を描いた自分の作品に興味が沸かなかったほどです。たぶん、読者が今年の県展に見に行き私の作品を見てくださっても多分、その作品に興味は沸かないでしょう。

 実に残念でした。

 「落選するよりは、ましやけんどなあ」。

 このように二段掛けに作品を展示する原因は、間違いなく県立美術館全体の展示室が狭いから。だから、一つの会場で作品展示が収まり切れないから、作品全体を県立美術館と高知市文化プラザの二つの会場に分離して展示し、開催しています。又、そのことはある一面として、主催者側が高知市の公共施設である高知市文化プラザの利活用頻度を高めることに協力し、敢えて分離している面もあります。

 但し、分離開催はそれなりにリスクを負い、県展に関する「一体感の無さ」や「盛り上がりに欠ける」点がこういう開催方式にしてからずっと指摘され続けています。全員とは言いませんが、文化プラザに見に行った人は美術館の方にはいかないし、美術館に見に行った人たちは文化プラザの方には見に行かない。

 こういう現象がずっと続いていますし、このことは主催者側もよく理解しながら県展を開催しています。


 話を戻すが、作品を高い上の方に展示されていた私は首うなだれ乍ら、県展洋画部門の会場を見て回りました。

 詳しくは書きませんが、ある特選作品には「えっ、これが」と思いました。ある褒状の作品にも「えっ」と思った。

 「単なる入選」作品の中には「これは特選だろう」という作品も数多くあったが、「審査員が違えば見る目も変わる」と解し、「世の中こんなもんだ」と自分の心に“落とし前”を付けた。

 審査員の鍵岡正謹氏は、高知県立美術館長をしておられた時期に『山脇信徳 日本のモネと呼ばれた男』という評論の本を出版された方。その後に岡山県立美術館長となり、同館の顧問になられた方で、画家として自分が大作を描いた経験も無い、美術評論家。その点を考えると、今年の審査結果に私が多くを望んでも無理だと結論付けた。

 やっぱり絵画の審査は、日本国内におられる有名画家の先生に審査をお願いしたいものです。ならば、落選しても特選になっても自分の心の中で納得できるし、解消されます。


 話は変わるが、高知県展の推移をこうして毎年見てきて考えるが、私の作画への思いをくすぐり「絵を描きたい」と思わせてくれる作品が年々少なくなってきたのは確かだ。

 毎年、一番「絵を描きたい」と思わせてくださるのは、無鑑査作家の川崎太一先生の作品です。その抽象画には「オレも・・」と思わせてくれます。

    
 (平成27年の県展会場最終日の閉館前、川崎氏とこの作品の前でしばし歓談する)

 そのバランス感覚、その色彩感覚、画面を実に軽妙に切り取る構図などには毎年感動を覚えます。昨年は会場に作品を展示されてなかったから何かあったかなと思っていましたが、今年は一階の会場に展示されていて、一安心。一昨年、会場の先生の作品の前で5分ぐらい立話しをさせていただきましたが、もう一度お会いしてご教示願いたいと思っている。

 もう一つ、気になった作品が、日本画部門にあります。昨年の県展日本画部門で「あの絵は特選にしてほしかった」と記事に書いた方の作品です。この方の作品は私のように見る目がないとその素晴らしさが解らないようです。(豪語!)
  
 (昨年の県展最終日の閉館前に撮影した池さんの作品。いいでしょう! この絵もほしいと思わせる作品です)

 今回、高知県展を見に行かれる方は是非とも日本画部門の池佐喜男さんの作品をご覧いただきたい。タイトルは「よさみのおとめ」。この作品も、私が審査をすれば、間違いなく特選です。

 昨年の作品同様、水墨画のような作品で、物語性があり、ダイナミックな動きもある秀作。左下には座るむすめごが。右上にはカラスか何かの鳥が何かに驚いたように羽根を大きく広げて羽ばたいている。その下の海岸は白波が立ちざわついている。なぜ、これが入賞ではないのか、昨年同様に驚いています。たぶん、審査員の先生がこの絵が何を表現しているのかもこの良さも理解できていないんだろうなと私は感じました。

 池さんという作家について私は知らない人なんですが、「実に悔しい二年間でしたね」と同情致します。「また来年、共に頑張りましょう」。


 話は洋画部門に戻りますが、この部門の作品が年々減少しているのを見て、地方議員の目で以って「高知県の人口減少がこういう県民の芸術活動の面にも影響しているんだな」と思ったものです。

 私が市議選で落選運動に遭い落ちてから四年間描いてきましたが、その時からの県展洋画部門への出品数です。

 第65回県展(平成23年)・・・471点(記念展のため多い)
 第66回県展(平成24年)・・・451点
 第67回県展(平成25年)・・・451点
 第68回県展(平成26年)・・・412点
 第69回県展(平成27年)・・・405点
 第70回県展(平成28年)・・・437点(記念展のため多い)
 第71回県展(平成29年)・・・364点

 洋画部門への出品点数だけですが、見ての通り、65回展と比べるとわずか六年間で107点も作品数が減少しています。

 五年後の76回展には「出品点数300点」、十年後の第81回県展には「出品点数250点」も考えられます。・・・・・

 「衰退する高知県展」、それが私には手に取るようにわかります。

 県展開催のことよりも、県展を主宰する高知新聞企業さんが県民にもっと県展に関心を持ってもらう苦心と、高知県がもっと県民の芸術活動を支援し、絵画教室を県内各地で開催したりする苦心が必要になろうと考えました。

 さあ、来年はどうしようかな。市議選出馬前の27年1月に描いた公表していない作品を来年の県展の間際に手直しし、出品する予定。今度は二段掛けされないほど素晴らしい作品に仕上げ、特選を目指しましょうか。(笑うところですよ)

 しかし、今年の県展の二段掛けには参りました。あれじゃ、私が細部まで描き込んだ作品の良さなど鑑賞に来た方々に分かるわけがない。あー、残念だ残念だ。

 ご参考までに、昨年の県展入選作品をご覧いただきましょう。

  
(100号の作品「海の声が聞こえる」。室戸岬のビシャゴ岩の横の岩と波を描きました)

 尚、高知県展はこの6日に開幕して22日まで行われています。

 読者の皆さんも高知県立美術館まで足をお運び頂き、私の作品、川崎先生の作品、池さんの作品、この三点だけはちゃんと見てきてくださいね。(笑)


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教訓:虚言で有権者を釣る政治家に騙されてはならない

2017-10-08 | 政治家のあり方
 (再録記事)

 私がまだ議員一期目の時でしたが、次のような記事を書いた。

 <兎角、人間は耳触りのいい甘い言葉に弱いものです。

 「お金をあげる」、「物をあげる」、「こうしてあげる」。

 そんな言葉を他人からのやさしさと受け取り、簡単に受けてしまう。

 それはやさしさの発露である場合もあります。

 反対に、やさしさなんか全くない時にそんな甘い言葉を投げかけている場合もあります。それは、「人を釣る」場合。エサをつけて人を釣る場合です。

 お金をくれるんでしょう。物をくれるんでしょう。でも、そのあとが怖い。

 くれたお金以上のお金を巻き上げられることがある。くれた品物以上の代償を払わされることもある。

 やさしさ故の場合もある。でも、この世では、何のお世話をした覚えもない人から金や物をもらうのは止したほうがよい。

 あとの負の代償が怖いから、美味しいエサだと思って食いついてはいけない。

 それが人生訓というものだ。>


 これを読んで、いまの民進党と小池新党の関係を想起した。

 前原代表もだまされやすいのか、小池氏と会談し、「民進党を解体したらその議員みんなが小池新党に入れてくれるんだ」と思った。そして党の議員を集めて「小池新党に行かないと衆院選では民進党は埋没してしまい、負ける。みんなで合流しよう」とか何とか言って、賛同を得た。そして、衆院議員全員が「希望の党」に入ろうとした。

 しかし、小池氏に「保守の考えを持っている人以外の、リベラル(左派・左翼的思考。もっとわかりやすく言うと、昔の社会党みたいな主張をする人たちの思想)の考え方をする議員は入れません」とやられた。

 結果、元社会党だった人など左志向の議員はいれてもらえない。

 こんな合意形成はそもそもおかしいのであって、前原氏はいったい小池氏と何を話し、何を結論付け、民進党全員を集めて説明したのかということだ。小池氏と話した時、結論として小池氏は「民進党の衆院議員全員を受け入れるということではなく、リベラルの考え方を持っている人やこれまで安保法制に反対してきた議員、憲法改正に反対の議員らは入れることはできませんよ」とくぎを刺されていたはず。

 なのに、前原代表は民進党の議員を前に「みんなで合流する」と説明し、合意されている。

 その証拠に、10月1日に小池氏はこう取材に答えている。産経ニュースから ←(クリック)

 どこまでも無能ぶりを発揮する前原氏であった。

 いわゆる、“子どもの使い”だ。

 実に愚かしい。この程度の政治家がよくも二回も代表になったものだ。しかも、その二回とも大きなミスをし、民主党(民進党)の議員を困らせ、党を混乱させている。一つは「偽メール問題」、そしてこの「民進党解党事件」。

 所謂、今回は小池氏に甘言で釣られたのである。そうして、結党以来、保守政党と社会党が一緒にいるような体質でずっとまとまりがなかった民主党(民進党)は消えてゆくのであった。

 但し、小池新党にふるいに掛けられたリベラル、いわゆる左派的・左翼的な考え方を持った社会党的な議員たちは、実態は社会党である「民主党」という新党を作ろうとしている。しかし、結局は彼らも取るに足らない野党になり、社民党と連携する程度の、やがて国政においては埋没し、国民から忘れ去られることになろう。

 これも哀れである。

 又、全国各地には民進党から出馬しようとしていた立候補者がいますが、その中には「希望の党」に公認を受けて立候補する人もいます。でも、これらの人たちも小池氏や若狭氏の“踏み絵”を踏まされる運命にあります。

 高知県内にも「次の衆院選には民進党から立候補しよう」としていた現職やこれから国会議員になろうとする候補者がいるが、その立候補者の中には室戸市内の街頭に立ち、高知県選挙区(一区)の民進党の新人候補としてこれまで何度も「私は安保法案には反対です」、「憲法改正には反対です」と演説をしていた。

 そこで「希望の党」の政策協定書を確認した。

 1、希望の党の綱領を支持し、「寛容な改革保守政党」を目指すこと。
 2、限定的な集団的自衛権の行使を含め安全保障法制を基本的に容認し、現実的な安全保障政策を支持すること。
 3、憲法改正を支持すること。
 4、2019年10月の消費税10%への引き上げは凍結を容認すること。
 5、外国人に対する地方参政権の付与は反対すること。
 6、政党支部において企業団体献金を受け取らないこと。
 7、この選挙で、党の支持する金額を党に提供すること。(民進党にある政党供託金を目当てにして)
 8、希望の党の公約を遵守すること。


 今まで民進党の立候補予定者として、室戸市民に対し「安保法案反対、憲法改正反対」と主張していた社会党的な考え方を持つ立候補予定者・大石宗氏。

 この人物は、どうしても国会議員になりたいからとこれまでの主張を180度転換し、今度は「希望の党」の公認をもらって左派から保守に「転向」し、10日からは「安保法案賛成、憲法改正に賛成」と主張するという。

 それこそ、政治家の一番悪い点で、明らかに変節、日和見主義、ご都合主義であり、人間としても信用ならない。

 以前、室戸市出身で自民党高知県連の県議だった植田壮一郎氏は、県議会で橋本知事を支持したことで自民党県連から放り出されてしまい、しばらくして左派の民主党に擦り寄った。「希望の党」公認のこの新人候補はその反対で、今まで民進党の候補予定者として「私は左派の政治家になりたい」と主張してきたのに、風向きが変わると今度は10月10日からは「私は保守派の政治家になりたい」と主張を変えた。

 つまり、自分というものが無い。「なんでもいいから国会議員になりたい」、ただそれだけのことで、人間としていかにも軽いし、未熟だ。

 室戸市民の皆さんは、このように簡単に自分の主義主張を変える候補に騙されてはなりません。こういうことでは、「希望の党」が破たんしたら、また立憲民主党に入るだろう。

 高知県民の皆さんは、いつも主張を変えることなく保守の道をまっしぐらに進んできた自民党の現職・中谷元氏を応援していただきたい。

 この方は将来の総理大臣と見ていますが、何よりも自分の立ち位置が揺らがない点だけ見ても政治家として信用できます。


 大物の中谷元氏と、高知県議を一期余りしかやってない経験不足で政治的知識不足の大石氏と比較することすら気が引けますが。 


 かくして参議院議員の任期が切れたら長く国民を惑わせてきたあの民主党は消えていきます。

 女一人に惑わされ、かき回され、あげくに消えていく。

 上の文で書いた「美味しいエサ」とは美しい小池百合子氏で、民進党の男どもはそれに食いついたのか。

 「あとの負の代償が怖い」と私が教えたはずだったのに。
 
 “後悔先に立たず”とはこのことです。

 実に哀れである。心からお悔やみ申し上げる。


 最後に、世の政治家たちに向けての教訓です。

物事を得か損かで判断し動く奴に、ろくな人間はいない。

 小池氏然り、前原氏然り、「希望の党」に入ろうとしている候補者全員然りだ。


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「人生、照る日曇る日」

2017-10-07 | 人間のあり方
 数年前の高知新聞のコラム「小社会」の記事の冒頭部分に次のような故事が紹介されていました。

 《中国・清末(清時代の末期)の政治家・軍事家で、太平天国の乱平定に活躍した曽国藩(そうこくはん)がこんな言葉を残している。「収穫を問うなかれ、ただ耕耘(こううん)を問え」。成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要、という意味だ。(後略)》

 この曽国藩という人物の名は初めて聞くし、この言葉、いわば教訓も初めて聞いた。そして「耕耘」とは、田畑を耕すことをいいます。

 そこで、自問した。

 まちづくり活動を実践してきた三十年ほど前からの過程を振り返って、「収穫は問うなかれ、ただ耕耘を問え」の言葉のように、“結果を追い求めるのではなく、どのくらいの田畑を耕してきたか”、いかに遮二無二努力してきたかと自らに問うてみた。


 色々とありました。まちづくり活動を始めたのは昭和61年、40歳から。それからはずっと自分の家庭を重視せず、顧みずに次から次へと喫茶店の売上げから、そしてそれでなくても赤字状態の地域雑誌の売上げの中からお金を出しながら、町おこし活動を続けてきた。

 儲けにならない事が分かっていても八年あまりの間、出版し続けてきた地域雑誌にしても、また議員になってから出版した地質写真集など二冊の本にしても、本当に自分の家庭のためになっているかと問われれば、なっていない。むしろ、その度、その度に家の借金になり、それを数年かけて返済してきている。

 そんな状態だったので、いまでも思いだすが、地域づくり活動を始めた頃に、中学生だった娘から「お父さんは自分勝手や」と強く言われたことがある。自分は頑張って町のために尽くそうとしていることでも、家庭にとっては何のためにもなっていないことを、痛烈に娘から批判されました。私はその通りだと思い、胸が痛んだ。

 でも、その娘が地元の高校を卒業し岡山の大きな会社に就職して数ヶ月経った夏ごろ、電話で聞いた言葉が忘れられません。「お父さんが町のために頑張りよったのが、働き出して、いま初めて解かった」。その時のこの言葉で、少しは救われた気がした。


 いま70歳を過ぎてこれまでを振りかえって思うが、地域づくりの活動を始めた頃から支えとなっていた言葉があります。

 特に地域雑誌を出版していた時の仕事は、夜寝る時間を減らし、飲食など遊行の機会を極力断って、全てをこのまちづくりに賭けた生き方をしていて、その頃に一つの言葉を思い浮かべ、それを何か支えのようにして活動の二十数年間を生きてきた。

 それがタイトルにした、「人生、照る日、曇る日」。

 わたくし如きがえらそうなことは申せませんが、良く言えば“悟りの境地”であり、またある面、“開き直り”ともいえます。「まあ、長い人生だ。こんな日もあらあ」と。

 意味するところは、「一所懸命に努力して働いていても、人生は良い時もあれば、悪い時もある。外的原因、内的原因によって、良くなったり、悪くなったりする。でも、悪い事があっても挫けず、怠けず、正直に、頑張って前向きに生きていたら、その内、また良い事がある」ということです。


 だから、何事をする時でも休まない。自分に自信がないから、ずっと毎日働き続けます。

 休む時間や休める日々のある議員になってからも、毎日、何かに取り組んで仕事を続けています。それは又、自分ひとりの勝手な判断で休む事が、市民の意識や感覚に立ち考えて見れば、間違いなく負託に応えていないことになるから。だから、毎日何か議員としての仕事か、発行した地質写真集や町並み画集の発行など、地域リーダーの一人としての仕事に取り組んでいる。

 休めば、「人生、照る日、曇る日」が、「人生、曇る日、嵐の日」になることが分かっているから、休まない。

 私自身が自分の全てを信用しているわけではないから、休みません。

 70歳も過ぎるといつ死を迎えるか分からないと悟っているから、休まず走り続けている。

 いつまでも命があると考えるほど欲深くは無いから、休まない。

 「収穫を問うなかれ、ただ耕耘を問え」。(成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要)

 議員でなくても、身銭を切って市民活動を実践している人ならば、成果を求めず、継続した努力をすることが大事です。ならば、「人生、照る日、曇る日」、“成果”は必ず向こうからやって来る。

 但し、いつ何時も身銭を切ることが無く、“収穫”を急ぎすぎるためにすぐに行政の補助金に頼る人たちは、その限りではない。金づるである行政からの金が途絶えれば、間違いなく努力しなくなり、早晩、やめてしまいます。

 行政もそんなグループへの支援は、もういい加減に止めることです。その“深情け”な行為はその人たちの“成長”のためにならない。何の継続的な効果も生まないし、却って、行政によってその土地に依存体質の人間や団体を生み、育て、増殖させてしまうだけだ。

 「可愛い子には旅をさせよ」というではないか。行政が住民に本当に地域力を付けてもらいたいと思ったら、冷たくして突き放す方がむしろ力がつく。さすれば、性急に“収穫”を求めない、ただ夢中で“耕耘”に励む人がたくさん生まれ、育つだろう。

 そういう面から言うと、今はやりの言葉に「ポピュリズム」(大衆に迎合して人気を得ようとする政治姿勢)という言葉があるが、補助金を与えて住民を過保護にしていることと、選挙で国民や住民に媚びへつらう政策を訴え掛ける政治家とは一緒で、そういう甘い考えのもとに編み出した政治の姿勢が国や一般社会を狂わせてしまうといえます。


 「ポピュリズム」で思い出しましたが、その最たるものが今の小池氏とその政党の動き。

 昨日に公表した「消費税凍結」と「原発ゼロ」の公約など、あの民主党が政権を取った衆院選の時と同じ(※)です。普通は、「こういう政策を実現したい」という意志を持った議員らが集まって協議し、そこで「この政策を実現するためには新しい政党を立ち上げなくては実現できない」と考え、政党を作るものです。つまり、「目的」があって、「手段」が後から来るものです。

 それが今度の「希望の党」は、「手段」が先に来て、後付けで「目的」が来ている点から、不純。小池氏は政党を作ることを「目的」にし、最近になってようやく政策や公約を「手段」として急ごしらえで作成し、公表しています。集まった顔ぶれを見ても、政権を取ってから誰がどんな立場につくのか、見えてきません。

 総理大臣をする人物はいない、財務大臣は、総務大臣は、法務大臣は、外務大臣は、文科大臣は、厚労大臣は、農水大臣は、経産大臣は、国交大臣は、環境大臣は、防衛大臣は、官房長官は、等々、それぞれの職務を今の自民党政権移譲に出来るものが「希望の党」の中にいるのか。立憲民主党や、日本維新の会や、社民党や共産党と連立を組むのか知らないが、その中の議員に大臣の仕事がまともにできる人間がいるのか。私はいないと思うが、どうだろう。またもや、民主党時代の3年3か月間のように国民を惑わせ困らせたいのか。

 皆さんは覚えておられますか? あの時、民主党は次のような公約で国民に投票を呼びかけました。

 ●埋蔵金60兆円を発掘します。
 ●公共事業9.1兆円のムダを削減します。
 ●公務員の人件費を2割カットします。
 ●沖縄基地は最低でも県外に移設します。
 ●高速道路を無料化します。
 ●ガソリン税を廃止します。
 ●最低時給を1000円にします。
 ●消費税は4年間、議論すらしません。
 ●日経平均株価は3倍になります。等々。

 あの時、私は「こういうことは実現不可能だ」と考え自民党に投票しましたが、大半の国民はこぞって騙され民主党に投票しました。その結果はあの通りです。国政は大きく揺らぎ混乱したことを皆さんは覚えておいででしょう。

 いくらカッコを付けて主張したって、能力がない人間が政治にかかわると、あの体たらくです。国政にしても室戸市政や市議会にしても同じで、懸命にそれに打ちこむ思いや考えがない人間を選挙で選ぶと、悪政は続き、それによって国民や住民は被害を受けてしまうのです。

 だから、いくら街頭演説で「私にお任せください。公正・公平な政治を行います」なんて行ったとしても、騙されてはならない。ダメな人を選挙で選んではならない。有権者は候補を見る目を持たなくてはなりません。

 知事が知事の仕事に専念しないために混乱が続いている東京都政の状況を見てもお分かりのように、その知事である小池百合子氏が扇動している「希望の党」に投票しても国政は乱れ、かつての民主党と同じ道をたどり、結局は投票した国民が騙されるだけだから、一票たりとも投票してはなりません。

 それが国民の賢明な判断というものです。


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