青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

政治家鑑定法、教えます

2014-06-28 | 政治家のあり方
 昔々の中国に「三国志」の物語があって、そこにたくさんの著名な登場人物がいた。その中に諸葛孔明という人物がいた。

 受け売りだが、「諸葛亮 孔明」とは、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍略家で、その数多い三国志の登場人物の中でも随一の人気を誇るのが孔明(らしい)。

 戦乱の世に勇猛な武将が幅を利かせる中、知性派として数々の功績を残した(らしい)。劉備の家臣としてその能力を発揮し、「三顧の礼」(目上の人が格下の者に対して三度も出向いてお願いをすること。劉備が諸葛亮を迎える際に三度たずねたことに由来)で知られ、「天下三分の計」(後漢末期に諸葛亮が劉備に説いた戦略)を説いて希代の軍師と名を馳せ(たようであ)る。


 そんな諸葛孔明が残した言葉に「人物鑑定法」というものがある。

(諸葛孔明の人物鑑定法)
一、ある事柄について善悪の判断を求め、相手の志がどこにあるかを観察する。
二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。
三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察する。
四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。
五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。
六、利益を誘ってみて、どの程度清廉であるかを観察する。
七、仕事をやらせてみて、命じたことおりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。


 この七項目は、リーダーの立場から部下を評価する手がかりとして述べたものですが、広く人物鑑定法としても当てはまる部分が多い。

 唯、私はこの“人物鑑定七カ条”を論語について検索していて見つけたとき、これは「人間のありよう」としても使えると思い、文面を置き換えてみた。

 それが次の「政治家鑑定七カ条」。

 ちょっとこじつけのような部分もあるが、上の一から七までの「人物鑑定法」と比較しながらご覧頂けたらと思います。

谷口總一郎の政治家鑑定法

一、全ての事柄について法令を順守し、公平・公正・適正かをよく吟味した上で、住民目線の健全な判断を下し、我欲は捨てて志を立てる。そんな人。

  (法律はことごとく守らないし、財政には疎くて大金を無駄に遣って“死に銭”にしてしまうし、事業計画書は収入と支出の計算が全く破たんしているにもかかわらずそれで良しとする。これらのことで、その人物が善人か悪人かが分かる)

二、悪事を見たら臆することなく、手加減もせず、その想いを簡潔に核心を突く言葉に置き換えて、真正面からぶつける勇気を持つ。そんな人。

  (そのことによって、善人なら謙虚に改めるし、悪人なら「これは正しい」と言い張って更に悪事に突き進んでいく。これらのありようで、その人物が善人か悪人かが分かる)

三、事業を興す時、周りにいる部下や番頭格、議員、友人・知人など助言者から多くの意見を求め、それが自分の構想に対して否定的な指摘であったり改善を求められたとしても、その指摘が妥当で、的を得ていると率直に感じ取った時には、謙虚に、そして即座に誠意を以って考えを改める。そんな人。

  (部下であろうが、番頭格であろうが、友人であろうが知人や恩人であろうが、いったん力を得ると人の言うことには耳を貸さず、間違った方向に問答無用で突っ走る、そんな人生はやがて破たんする。でも、そんな人物は破たんするまで他人の意見を聞かないから、行き着くところまで行って、やがて止む)

四、突然事業が行き詰まることがあっても、迷うことなく毅然として正しい判断を下し、将来に禍根を残すことのない行動をとる。そんな人。

  (自分の組織と関係が深い倒産寸前の会社から「数千万円の支援がなければ撤退するぞ」と脅しにも似た要求をしてきた時、「そんなに急に帰られたら困る」と慌てふためき、その要求を飲む。それを一年の間に二度も飲む。案の定、その会社は一年後、まちの人たちのお金であるその数千万円を持って東京に帰ってしまった。とても健全な組織経営と言えるものではないが、町の人たちはその人物がその時、愚かな判断を下して大失態を犯したことを全く知らない。それを知っている一部の人たちも目をつむっている)

五、人物の本性は酒を飲まさずとも、金と職を得たあとの振る舞いでよくわかる。善人は金と肩書を欲しがることなく職務を粛々と遂行して、いつも清廉潔白である。そんな人。

  (だが、欲深い人と悪人は金がなければ仕事しないし、金があっても仕事しない。人より高い地位に就きたがり、高い地位じゃないと真面目に仕事をしないし、高い地位に就いたとたん法律を無視し守らなくなるし、その権力を振り回して正義の声に耳を傾けなくなり、聞くのは利害関係にある人の声だけ)

六、利益や権利、権力を手にすることなど全く考えたことなどなく、無私の心で自らの財産を投げ打ってでも地域に尽くし続ける。そんな人。

  (いつも権利や権力を手にすることばかり考え、そのためには大恩ある人でも騙すし、陥れるし、利用もする。そのくせ、大恩ある人が困っていようが、谷底に落ちかけていようが、助けようとしない。そればかりか、恩人から「人を騙してはいけない」、「人の道に外れた行為だ。改めよ」と教示されると逆切れして、恩人に向かって怒り狂い、仲間とともに排除しようとする)

七、仕事がいつも几帳面で、基本を踏まえて揺るぎがないから信頼でき、いつも安心してその仕事ぶりを見ていられる。そんな人。

  (土佐では仕事ぶりが小汚い様子を「やることがせこい」とか「やることがへすらこい」とか「えてこすり」とか言う。この言葉は、ちょっと悪質な面がある様子を表現する。例えば、ここに県議をしている一人の政治家がいます。その人は他人に「これをやってくれんか」「あれをやってくれんか」と頼むことは人一倍エライ。それを当たり前のことだと思っている。だが、その頼まれた人が困った時にその人物に「すみませんが、助けてくれませんか」とお願いすると、「いやその日は忙しいから」と逃げる。しかし、その日、彼はヒマをしていたのです。
  つまり、他人を使うことはエライが、恩人のために尽力したり助けたりすることはない、そんな“されること”ばかり期待している政治家だ。だから彼の政治家としての信頼度はゼロなんだが、選挙になるとその候補の本質と政治について知らないおばちゃんたちと、その候補の本質は知っているが利害を優先する人たちの支えで、いつも勝つ。
  でも、人生、いつまでも人を騙せるわけではない)


 以上、俄かづくりですが、それほど的を外してもいないでしょ? 諸葛亮公明の「人物鑑定法」ほど文章は明快ではないが、それほど参考にはならないということでもないでしょう? よければ参考にしてください。


 もう一度、要旨だけを書き連ねて終わりとする。

谷口總一郎の政治家鑑定法

一、全ての事柄について法令を順守し、公平・公正・適正かをよく吟味した上で、住民目線の健全な判断を下し、我欲は捨てて志を立てる。そんな人。

二、悪事を見たら臆することなく、手加減もせず、その想いを簡潔に核心を突く言葉に置き換えて、真正面からぶつける勇気を持つ。そんな人。

三、事業を興す時、周りにいる部下や番頭格、議員、友人・知人など助言者から多くの意見を求め、それが自分の構想に対して否定的な指摘であったり改善を求められたとしても、その指摘が妥当で、的を得ていると率直に感じ取った時には、謙虚に、そして即座に誠意を以って考えを改める。そんな人。

四、突然事業が行き詰まることがあっても、迷うことなく毅然として正しい判断を下し、将来に禍根を残すことのない行動をとる。そんな人。

五、人物の本性は酒を飲まさずとも、金と職を得たあとの振る舞いでよくわかる。善人は金と肩書を欲しがることなく職務を粛々と遂行して、いつも清廉潔白である。そんな人。

六、利益や権利、権力を手にすることなど全く考えたことなどなく、無私の心で自らの財産を投げ打ってでも地域に尽くし続ける。そんな人。

七、仕事がいつも几帳面で、基本を踏まえて揺るぎがないから信頼でき、いつも安心してその仕事ぶりを見ていられる。そんな人。



 以上、諸葛孔明ってオジサンは知らないけれど、師の教えを模倣し、政治家の人物評価の方法として創造しました。

 全国の読者のみなさんには、ぜひとも参考にして頂きたいと思っています。



※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月28日(土)付けGooブログランキング(203万3729ブログ)中、2848位でした。

やっぱり、土曜日と日曜日は自治体や会社などが休みとあって、いつも勤務時間の休み時間にそこのパソコンで記事を見て下さっている方々がお休みのため、検索数が少なくなりますね。いい内容の記事なのにね。ま、致し方ないか。
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地方議員に関する「民意」とは

2014-06-26 | 政治家のあり方
 統一地方選も来年4月とあと1年を切りましたので、今日は2012年9月に書いた記事を再掲して、「民意」について考えていただきます。

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 先日、「役人天国…」という記事を書いた。その中から一部紹介します。

 
いくら議員職が「民意」であるとしても、議員の職責の一つである“行政のチェック”を全くせずに“行政を庇い擁護する”ような元行政職員の地方議員では、「民意」の上に胡坐をかいているとしか言えません。そんな“行政のチェック”もしないで違法な議案に賛成してしまうような元市職員の議員なんて住民は望んでいないことを考えれば、民意でもなんでもないことがわかろう。

 もしこの意見に腹を立てる元市職員の市議会議員がいたならば、ちゃんと住民からの負託を全うできるように手厳しく“行政のチェック”を行い、違法や不正な議案には手厳しい質疑を行い、そしてここが一番肝心であるが、表決においても毅然と勇気を持って反対した上での話だと書き加えておきたい。

 これこそが選挙で投票するときの住民の思いであり願いである、「民意」。

 故に、選挙に当選すればそれで「民意」が達成したと思うのは大きな勘違いであり、その後の4年間に議員としての役目が果たせたかどうかによって、「民意」に叶う役目が達成できた議員と全く「民意」に叶う役目を果たせなかった議員とがいるということになります。だから、『市職員といえども選挙に出て当選してるんだから「民意」だ』と思うのは、如何にも短絡的な考え方であり、暴論。

 まずは、議員としての職務責任を果たしてこその「民意」達成だと早く気付くことが大事。

 住民はちゃんと行政が行っている違法や不適正な予算の支出に議員が住民に替わってストップをかけてほしいと願っているものです。このことを考えれば、議会において議員が違法や不正な議案にノーチェックで賛成している姿は決して「民意」とはいえず、それでは「民意」が泣く。だから、厳しい指摘に腹を立てる前に、ちゃんと“議会議員とはいかにあるべきか”、“議会議員とは如何に為すべき立場にいるのか”を考えることです。

 くどいようですが、ちゃんと職務を果たしてこその地方議員であって、職務責任を果たさずにいて当選すればあとはあまり仕事せずにいても「民意」と考えていることこそ、愚かと言えよう。

 政治家という“職業”は、その職責を果たしてこそ「民意」を全うしたと言える。地方議員は、こういう基本原理を参考書を読み毎日もっともっと勉強して職務に当たるべきであろう。



 先ごろ、この記事を見た元行政職員で今はどこか室戸市の近くで市議会議員をしている匿名の方から、「元市職員の議員でも住民の民意で選ばれた議員職なのに、なぜ『天下りのように』と言うのか。民意をどう考えているのか」とお怒りのコメントをいただいた。勿論、私は返答のコメントで厳しくお答えした。「ただ選挙で当選したから民意を得られたというわけではなく、しっかり4年間、議員活動をしてこその民意。住民から頂いている報酬の半分も仕事をしないし、市長の不正に賛成などしておいて、なにが民意だ!」と。


 さてそこで、今日はこの「民意」についてもう少し深く掘り下げて考えてみたいと思う。

 きれいごとや自慢を言うつもりはないが、私が議員時代に取り組んできたことについての打ち明け話も含めて、ま、少し聞いてください。 

 年末12月13日の記事『あの時の1秒が後の45年の人生を生んだ』でお分かりの通り、小生、戦後にありがちな栄養失調のために体が弱かった小学1年生ごろから中学校を上がる頃までいじめられっ子でした。腹を殴られ、顔をたたかれ、ある時には上級生に頭を野球のバットでスイングして叩かれたこともある。そのたびに地面に這いつくばり、「クソ、今に見ておれ」と思い続けた。そんな情けない子でも自分なりに真面目に勉強はしてきたつもりで、ひどく痛めつけられた体験から、高校を卒業し家業である銘木製材所でトラック運転手をするようになってからは体力もついてきて、極力、強い人には媚びへつらわず理不尽な行いやもの言いには立ち向かってゆき、弱い立場の人はなんとか助けたいと思い、自分の町が寂れ行くのを見かねて自分のお金をつぎ込んでもきた。

 喫茶店主の時はコンサートや映画会を主催して福祉施設に寄付をしてきたし、日本唯一の手書きタウン誌を発行して県東部地域の発展のために赤字で借金が膨らむのを承知で足掛け9年間出版会社を経営してきた。このことについては、地元室戸市民の皆さんはよくご存じだと思います。

 そうやって今までいつも純粋な子どもの心を失わないようにといつも考えていたし、組織・団体・企業らは出来る限りは他に依存せずに自立すべきだとも考え、そう発言し、実践してきた(つもり)。 

 だからこそ、地方議員になってからも、行政が平気で行っている違法業務とそれを許す議会などに驚き、カルチャー・ショックを受け、そんな国やまちの法律を犯す悪いことは改めるようにと、議会では孤立無援になるのを承知で行政にだけでなく、議会側にも併せ批判してきた。

 いくつか例を挙げる。指定管理者候補であった東京の企業と陰でこそこそと事前交渉する違法業務。特定企業の社員宿舎を県からお金を借りてそれを市民のお金で支払っていくようにして建設してあげるという、とんでもない違法業務。これはいまだに違法な状態にある。そして、私が止めるのも聞かず、既に倒産状態にある企業に室戸市の法律を犯す違法な手法で赤字補てんの補助金を与えてしまい、結局、1年もたたない間にその会社は約6000万円もの市民のお金を手に東京に逃げ帰ってしまった。

 これら市が違法や不正であることをよく認識しながら行った諸々にわたる理不尽な違法業務には今でも思い起こすと怒りを覚えるが、これらについて、8年間、純粋な子どもの心を以って「法律を守ろうじゃないか」「真面目にやろうじゃないか」「人の意見は真面目に聞こうじゃないか」「今の改革の時代に合わない議会組織は変えようじゃないか」等といってきたが、中に「古い体質を変えられては個人的に困る」とか「市長を守ろう」と考えている者がいてその抵抗に遭い、「組織を良くしよう」と真剣に考える者が他にいなかったこともあって、議会に8年間いて何も変わらなかった。

 唯、組織を変えようとする者が自分一人であったとしても、行政改革と議会改革は時代の流れで重要なことであり、そういう考え方を誰かが組織内に広めなくてはならないしそういう改革思想を議会議事録に掲載して後世に伝えることも重要だとの考えから、議会改革に関して無理解な議員らによる妨害や門前払いを食いながらも、絶えず「改革をしよう」と声を出し続けてきた。

 これらすべては「いつまでも子どもと同じ純粋な心を以って市民のために尽くしていたい」という、気構えからだった。

 こんな仕事ぶりが自分を選挙で選んでくださった市民の「民意」というものだと思って。


 では、ここで基本に立ち返り、この選挙民の「民意」とはどういうものかを考えてみたいと思う。

 辞書で「民意」と引くと、次のように書いてある。

   

 「民意」とは「人民の意志」、つまり、国の選挙の時に国民が投票した結果「国民の意思」が示されるのであり、まちの選挙の時に住民が投票した結果「住民の意思」が示されるということで、それらが「民意」。

 しかし、考えていただきたい。「民意」とは、選挙民が「あの人は親戚だから」とか「あの人は俺の知り合いだから」、「あいつは俺の飲み友達だから」「あの候補はうちに他の身に来たから」などと、自分が気にいった立候補者を選挙において当選させることが「住民の意思」だろうか。

 又、「あんたは俺たちが投票して当選したから、私たち住民の想いや意思は達成された。だから、これから4年間は質問にも質疑にも出なくてもいい。議会で座っているだけでいいし、他の議員が行っている質問や質疑も聞かずに居眠りしていてもいいよ」、これを「住民の意思」だと言えるのだろうか。

 いや、違うだろう。

 私はこう思う。

 「民意」、つまり「住民の意思」とは、「私はあんたに投票したんだから、毎月市民のお金から報酬を与えられている議員任期の4年間、休むことなく弛まず努力して“行政をチェック”し、議会において絶え間なく登壇して発言し、まちの活性化や産業振興につながる提言も行う、そういう議員になり、務めを果たしてくれよ」。

 これが「民意」ではないか。

 4年間、休みなく一生懸命に議員職に取り組んでいたら、結構忙しいものです。

 1年に議会は3カ月に1回開かれ、合計4回、任期4年間では16回開かれる。1年の4回開かれる議会に毎議会質問に立とうとすれば、議会終了後の3か月目に行われる次の議会までの2ヶ月間、自分の個人的に持っている仕事や酒を飲んで遊んでばかりいてはまともな質問や質疑は出来っこないので、その2ヶ月間の最初の月には行政の調査活動を行わなくてはならない。

 議会が終わった次の月には、行政においていま問題となっている事業や次の議会で執行部から提案されるだろう事業に対する調査を当該役所に行って担当者から状況調査をしたり、県庁に行き調査をしたり、全国の先進地自治体がその事業に関してどのように取り組んでいるかなどをネット検索や直接問い合わせるなどして調べなくてはなりません。そうしてその約1カ月は費やされます。

 そして、次の議会前の1カ月間には、先の月に調査した内容の中から自分のまちの自治体が行っている事業やこれから行おうとしている事業の問題点をあぶり出し浮かび上がらせして、質問原稿や質疑原稿の文章を構築してゆきます。その原稿は議会開催告示日の10日、1週間前までにはあらかたまとめ、告示日までは“本読み”。この原稿を毎日、何度も何度も読んで議員一人の持ち時間(室戸市議会は質問発言が50分)内に収まるように原稿を短くする(私の場合はいつも原稿が70分ぐらいになったため)削除作業を行います。(室戸市議会においては2回の一般質問が許されているので、私は1回目は約45分ぐらいにおさめ、2回目の再質問のために約5分残して質問を行っていた)

 当然、次の議会に提出される議案書が渡されるのは議会開会の1週間前の告示日だから、質疑原稿はその告示日から大綱質疑が行われるまでの10日ぐらいの間に大急ぎで内容調査と先進地事例などの調査をし原稿を書き上げることになる。

 そうして議会が開催され、一般質問が終わり、大綱質疑において登壇し議案の内容について密に疑義を問い質して、その議案に異論があって反対する場合やその議案に大賛成(たいていの場合、重要議案だけだが)という場合には反対討論や賛成討論を行うと決意し、討論が行われる1週間後の閉会日までに討論原稿をこれも大急ぎで作成し、登壇することになる。

 この討論とは他の議員が全員やろうとしなくても自分が討論において発言することが重要。この討論での発言によってこそ、議会に提案された議案に問題があることを議事録によって後世に伝える意味でも価値があるもので、地方議員のバイブルと言われる『議員必携』にもそのことは書かれているので、議員の皆さんはよく読んで学んでいただけたらと思う。

 これらが議員としての正しい姿勢ではないか。

 これらのことを私は二期8年間、一度も欠かさずに合計32議会のすべてにおいて行ってきました。

 なかなかここまで市議職を行うというのは難しいと思うが、私がやってきたんだから同じようにやろうと努力すれば全員ができることだと思っている。このように8年間を通して全ての質問に登壇し持ち時間のおよそすべてを使って質問した議員は1959年3月の室戸市議会開設以来初めてと思っていまして、どこかの元市職員の議員が行っていたような『議会だより』広報紙に掲載するために毎議会登壇し質問時間3分や5分だけして答弁をもらうという、そんな小手先で住民をだますような姑息な行いだけは1回もしていません。

 自分が行ってきたことを例に出して誠に恐縮ですが、地方議員とはこうあるべきだと思って、議会前まで夜11時、12時ごろになっても原稿を書いたり調査資料のまとめ作業に毎日毎夜、明け暮れていた。

 そこで、なぜ私がそうして毎日、毎日、休みなく議員としてのいろんな仕事に取り組んでいたかと言いますと、毎月市民から下さる報酬とは重いものだと、痛烈に思っていたからです。

 地方議員の報酬は、毎月、各議員の貯金通帳に議会事務局から議員報酬は振り込まれます。議会が開かれた月だけ報酬が支給されているわけでもないし、議会が開催されている日(室戸市議会では5日か6日)だけ日当として1万円が支給されているわけでもない。

 室戸市議には議会が開かれていない月でも、毎月報酬27万円(自分が議員当時は議員年金の掛け金分が4万3000円差し引かれ手取り約21万5000円ぐらいでしたが、年金がなくなった現在は約26万円が市議に対して毎月支給されている)が支給されていて、議会のない間の2カ月は報酬がない(1年間で報酬が支給されるのが4カ月だけで後の8カ月は報酬は支払われない)というのならば、8ヶ月間、議会議員としての活動が無いままどう生きていようと問題はありません。ですが、地方議員には議会が無い月も毎月報酬が支給されています(例外として全国には日当制の議会もいくつかある)。

 又、この報酬に加えて支給される賞与は年2回、6月に約38万円、12月には約40万円が振り込まれています。当然、議長には報酬は毎月6万円多く、副議長と二人の常任委員長にはそれぞれ2万円多く振り込まれ、賞与もそれに準じて多く支給されています。(これは報酬と同じように、各議員の仕事量には比例しません)

 だから私は、「地方議員になったら怠けていては住民に申し訳が立たない」、と考えていました。

 「自分に課せられた職務を真面目に果たさなければ住民の皆さんに申し訳が立たない」。私は8年間、ずっとそう考え、毎月議員としての調査活動や住民の中に埋もれている問題を探し考えていた。それこそが住民の想い・意思に応えるべく行う議員としての仕事、つまり議員としての職務責任であると思っていた。

 議員たる者に課せられた職務責任があって、それを全うしてこその「民意」であろうと思う。

 「あの候補を市議選で当選させてやりたい」。それが「民意」か? そうではないだろう。議員として4年間、住民から負託された職務を気を抜くことなく休むことなく責任を以って全うしてこそ、地方議員としての職責を果たせたと言えるし、ようやく「民意」に叶う仕事ぶりが達成できたと言えるのではないか。

 私はこう考えるが、全国の地方議員の皆さんや、全国の市区町村民の皆さんはいかがお考えでしょうか。

 だから、結論を言うと、一般市民から地方議員になられた方々も元行政職員でいま地方議員をやられている方々も同じで、議員になればその議員になった時から「民意」という重圧・負担が肩に乗っかかっていることを片時も忘れずに議員活動に励むことです。そうしていたら、まず「民意」は達成できるでしょう。

 しかし、投票した住民みんなが望んでいる“毎日のように行政及び地域のの調査活動を行い、毎議会一般質問に出て、重要議案や問題とされている議案には質疑を行い、討論も積極的に行い、違法や不正や不適正な予算投資などの問題議案には堂々と勇気を持って反対する。

 議会後には情報公開のために議会であった問題点などを個人的議会新聞を制作して地域内に広く配布してほしい”という「民意」を無視し、任期の4年間16議会で質問に登壇したのは1回だけという元市職員の議員がいたり、4年間に一度も登壇せず議会でただ座っているだけというのでは、そんな行いは「民意」でもなんでもない。

 私はそんな議員を見るたびにいつも「このただ飯食らいが」と心の中で呟き、罵っていた。

 「誰が選んだんだ、こんな人間を。だれが投票したんだ、こんな人間に」と。

 真面目な議員や私に投票して下さった方と同じ賢明な住民の皆さんからそうやって4年間批判されないように、住民から“お給料”を頂く身の地方議員となったら「民意」を全うするよう心掛け、休まずに仕事に精を出していただきたい。

 この程度の能力しか持っていない私ができたんだから、みんなやろうと心を変えたらきっと出来ます。

 地方議員も国会議員も同じで、とにかく全ては自分に“お給料”を下さっている住民、国民のために働くこと。

 その住民、国民から負託された「民意」を全うすべく働くことです。

 勿論、首長のあり方だって同じで、小松室戸市長のように国や町の法律を無視して行っている不正な政治手法も、公正な政治をしてほしいと日々願っている住民の「民意」を蔑(ないがしろ)にしているものだといってよい。 だから、12月3日の市長選において彼に投票してはならない。それだけは室戸市民にお伝えしておきたい。


 以上、選挙民(有権者)の「民意」について、ほんのさわりですが、書かせていただきました。全国民の皆様が投票をする時の参考にしてください。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月26日(木)付けGooブログランキング(203万3186ブログ)中、1725位でした。
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東京都議会の実態こそ、地方議会の実態だ

2014-06-24 | 政治家のあり方
 やっとですが、「私がやりました」と自白したようですね。さっさと自首すればいいことを。

 えっ、「何のことだ」って?

 世界中に日本の地方議員はバカばっかりだって情報公開した、東京都議会のあの件ですよ。

 だから、毎日のように私が言い続けているでしょ、「地方議会の議員は住民のために働くという基本を忘れ、大半が報酬目当ての下品なバカばっかりだ」って。


 室戸市議会の議員だって小松市長の不正な市政運営の片棒を担いだんだから、あの女性差別のヤジを飛ばした東京都議会の鈴木章浩議員のことを批判なんかできないんですよ。

 私が地方自治法や市の条例に違反している小松市長のことを指摘し、批判し、改めるようにと追及した時、およそ全議員が無視し、あるいは批判し、挙句の果てには「もういいじゃないか」とか、「お前はこれで8回目だろう」と庇い立てした。

 挙句の果てに、現在、室戸市議会議長で議長席に座っている山下議員なんかは「議長、その議案は表決で可決しているから違法ではないということになっているじゃないか」と口走り、私から「不正な議案が可決したからといって、それが公正な事業に変わったということにはならないぞ!」と大声で叫ばれ、シュンとなった出来事まである。

 中には極少数に公正でまじめな議員もいることは確かだが、地方議員の実態はこの程度のもんだ。


  なぜこの都議が本議会での一般質問の、それも議会審議にまだ慣れたとは言えない新人議員が質問している最中にからかってヤジを飛ばしたのか等を、地方議会評論を専門としている私が厳しく指摘しておきたい。

 ●任期が少なく議会経験の浅い者をなめているから。

 ●若い者をなめているから。

 ●女性をなめているから。

 ●この女性議員がかつてさんまちゃんの番組「恋のから騒ぎ」等に出てタレント活動もやっていたそうだから、議場の男性議員は大半がテレビに出ていたこの女性議員をいつもまるでタレントのように軽く見ていたから。

 ●先の都議選の後、他の議員の頑張りや一生懸命さが目障りだったし焦りも感じていたから、それを邪魔し、まともに議員らしい活躍ができない自分を議会内で何とか優位においておきたかったから。

 ●本議会中、議事に集中していない、いつも不真面目な議員だから。(見なくても解る!)

 ●都議会をなめているから。

 ●都議会をなめているということは、この議員たちに投票し、1年間に報酬1668万円と時代遅れの政務調査費720万円の、合計2388万円(そのほか、議会や委員会に出席しただけで費用弁償という金まで別にもらっている)を与えている都民をなめていることになるから。

  (しかし、どの都議も1年に2400万円近い仕事など出来きゃしないのに、削減もせず、よくもまあこれほど高いお給料をもらい続けれるものよナア。呆れてものが言えん。分不相応に与えすぎるからこういうことをしでかすんだ。半分の1200万円でも多い)

 ●ヤジを飛ばしても周りの議員らもそういう類の議員たちばかりだから即日、名前が挙がってこなかった。因って、この鈴木議員を庇い立てした議員も鈴木議員と同類と言え、議会に対する厳しさが足らないと言えるから。

 ●議員みんなが職に甘えて未熟ゆえ、未だに議会改革もできず古ーい体質のままの議会だから。



 ●しかし、この女性差別発言の議員をその発言を聞いた直後、議長は何をしていたのか。

 耳が聞こえない議長でなかったら即、議事を止め、その議員を起立させ、議会運営委員会を招集して協議し、厳しく処分すべきだろう。それを行わなかったことは議長としての能力を疑う。よって、即刻、対処できなかった吉野議長も批判されるべき立場だ。

 因って、この議員も無能だ。

 ●更に言うと、この鈴木議員のすぐ後ろの席には自民党の吉原幹事長が座っていたそうだが、鈴木議員をかばって「誰がヤジを飛ばしたなんて、私は知りませんよ」と取材に応えている。

 私はいつも口癖のように言っているが、ほんとうに“どいつもこいつも”だ。 


  とにかく、地方議員が議会審議をなめていることだけは確かだ。

 更に言うと、議会審議をなめているということは、自分たちに投票してくれ報酬を下さっている住民を舐めているということになる。


 全国の地方議会とはそういう組織だと、住民は認識した方が良い。

 
 「東京都議会だって、室戸市の議会と似たようなもんよ。いくら東京と言えども、恐れおののくほど偉くて高い能力を持った人たちばかりが集まった組織ではない」。

 この事件があった日の報道を見て、我が家でも妻にそう教えてやった。

  私から室戸市議会の体質の悪さを8年間にわたり地方政治のあり方について教えられてきた妻は、「そうやねえ。けんど、本当にあんたがいつも言うように、住民から何のために報酬を貰いようと思うちょうろねえ。不正に賛成する室戸市の議員もそうやし、この東京都議会の女性議員をからこうた議員もそうよ」と申しておりました。

 東京都議会の議員さんと室戸市議会の議員さんたち、あなた方は物事のなんたるかを知らないようだが、妻は私の日頃の鍛えようがいいから、物事のあり方はよく知っていますよ。

 
 これでこの騒動を作った鈴木議員は次の選挙で落選は確実。こういう男に投票してはいけない。

 私は真面目すぎて市長を支持支援する議員と市長支持派の市民によって落とされましたが、この議員は議会開会中の新人議員の質問も真面目に聞いてやればいいものを軽く見、馬鹿にしてヤジを飛ばすという、あまりにも不真面目過ぎて落とされるんでしょうね。

 あの一言で人生を狂わしてしまいましたね、鈴木議員よ。

 若い!

 でも、鈴木議員は「もうひと言は、私は言っていない」と言っているそうだから、もう一人いるんじゃないか、愚劣な弱い者いじめの議員が。その議員も早く出てきた方が身のためだ。早く自首して出てきなさい。


 最後に一つ、健全にはできないかもしれないが、地方議会で行われていることがそのまま住民に伝わるようにする方法は、例えば今回、東京都議会で女性差別の発言があったことが即日、全国に流れたのは議会中継の画像と音声をマスコミが許可を得て使用、テレビニュースで流したのですが、室戸のような地方でも末端といってもいい小さな町の政治の場にもインターネットによる議会中継を一日も早く導入すべきだ。

 そうすれば、市民は家にいながら、市長が議会に提案した違法な議案に賛成しているのはどの議員かが一目瞭然、判明する。その効果は覿面(てきめん)に現れよう。

 室戸市議会は歴代の議長がしっかりしていないから、議会改革に非常に後ろ向きな議会で議会改革をするというとすぐに嫌がらせをして改革をさせないように議員たちが徒党を組んで妨害工作をするそんな幼稚な議会だが、その幼稚さや愚かさを全国に伝えるためにも、ネットによる議会中継を早くやるべきだ。

 ま、議員たちからは何度か「ネットでの議会中継をしよう」とかいう話は出てきたが、口先で言っているだけで誰も本気で考えて言っているわけじゃないから、そんな話はすぐに立ち消えになってしまう。この繰り返し。私はそれを、「ウソつきが市民に対して良いかっこをつけているだけだろう」と、すべてお見通しだった。だから、議会改革について素養のない議員ばかりだから、多分、この議会中継は室戸市の人口が2000人ぐらい、いや、500人ぐらいに寂れ衰退してやっとその大事さに気付き、導入するんじゃないかと思っている。

 今の議長と前の議長が就任時に高知新聞の記者の取材を受けた時、「議会改革をやります!」というウソをついたのと原点は同じ。新聞を見る高知県民にいい恰好をしているだけの話。

 “有言不実行の類”としか言いようがない。

  胸の内に「決意」の無い人間が何を言ってもウソになる。

 自分に素養がないことを心も技量も無い人間が何を言ってもウソになる。



 最後にもう一つ言っておかなくてはなりません。

 小松室戸市長、あなたはこの東京都議会の議員がやったことを笑えませんよ。あなたも室戸市議会に地方自治法や市の条例に違反する議案を提出したあげく、その不正を私から追及されるとそれを認めず、「これは違法ではありませんから、このまま運営してゆきます」と虚偽の答弁をし、あれから6年も経つが未だに改めていない。

 いわば海千山千で、ウソをついて人を騙したのに白を切り続けた、この小松室戸市長も東京都議会の鈴木議員と“同じ穴の狢(むじな)”。

 ウソをつく人は、本当のことを言えない、勇気と度胸がない臆病者。あるいは、市長選出馬決意の時、「私が室戸市長になったら谷口さんが進める市町村合併に取り組みます」と約束した小松市職員のように、裏に魂胆がある時にも他人にウソをつく。

 小松市長、あなたが室戸市の室戸岬高速バスターミナル建設事業に関して徳島バスの社員宿舎を市費1444万円(高知県の補助金および貸付金)で建設しようとした時、私は市議会で6議会に亘って追求しましたが、その4議会目かの一般質問であなたにこうお教えしました。

  「人間は時に、うっかり間違いを犯すものです。そんな時、間違いを犯したと解った時や他人から間違いを指摘された時には、その時すぐに間違いを認め、すぐに素直に改めることです。そうすれば誰だって許してくれるものです」。

 しかし、市の担当職員も違法だったと認めている事業を、あなたはこうして何議会にもわたって不正事業だと認めようとしませんでした。他の議員らは勇気がないからはあなたに向かって何も言えませんが、あなたがやっている市政運営は明らかに間違っています。

 室戸市の事業だけでなく、全国の地方自治体の事業は地方自治法等々の法律と自治体が制定した条例や規則等を守ってこそ、公正だと言えます。だから、地方自治法や市の条例を守らないあなたは過ちを犯しており、今すぐ『この事業は不正でした。市議会議員の皆さん、市民の皆さん、申し訳ございませんでした。改めます』と謝罪していただきたい」。

 こうお教えしましたよね。

 覚えておいでですか? 

 そうそう、このことも大事なことだから、全国の読者に情報公開しておかねばなりません。

 あなたは室戸市長選に初当選して1週間後の平成18年11月27日(月)午後4時、奥さんを伴い当家にやってきました。慌てたように私の議員事務所に入るやいなや、選挙でお世話になったからといって奥さんが万円札を何枚か入れた封筒を私に渡そうとしましたよね。

 私は法令を順守するクソ真面目な議員だったからその汚れたお金を貰いませんでした。反対に「そんなお金があったら、二人おる娘さんに何か買おちゃりや」と言ったところ、奥さんは私の情けが身にしみたと見え、目には涙をいっぱいためていましたよね。奥さん、覚えていますよね?

 私はそんなお金は貰いませんでしたが、私のような公正な人間はそういるもんじゃないからわかるが、市長選を手伝った他の人たち、県議1名と市議約5人と後援会幹部は全員が自分のふところに入れましたでしょう、「貰うても誰ちゃあに分からんきん、貰っておこうか」ってネ。

 その行為は公職選挙法において「事後供与罪」というれっきとした選挙犯罪になるんですよ。あなたは「贈賄罪」、金をもらった県議と市議たちらはみんな「収賄罪」で逮捕されるべき身。白を切り続けても、この犯罪は事実として4年も前に高知県警に告発した事件。逃げおおせるものではない。

 覚えておいでですか?

 私と妻は目の前で起こった選挙違反事件であるため、よく覚えていますよ。


 唯、悪い人間の性の悪さはなかなか改まらないものです。

 論語に 『過ちて改めざる、是を過ちという』という言葉がある。これは、「本当の過ちは、過ちと知っていながら悔い改めないことである」との意ですが、この言葉は不正な政治運営を行ってきた小松市長と、その不正な市長を庇い応援してきた室戸市議会議員たちに向けられているといってよい。

 ま、“○○は死ななきゃ治らない”とかいうから、彼らのこの性悪と人を人とも思わない傲慢さは死ぬまで治らないだろうがネ。

 選挙違反事件について友人曰くに、「次の室戸市長選では県警が動員をかけ、選挙前から選挙後まで市内のあちこちに張り込んで内偵するって言ってた」そうだから、市長選の候補も支援議員も違反した全員が逮捕されるかもしれません。地域の浄化に関しては大変良いことで、私は大歓迎。大いにやってほしい。

 そして高知新聞の一面に逮捕されしょっ引かれる候補の姿を撮った写真をつけ、デカデカと報じていただきたい。



  しかし、私がこうやって政治家の不正行為を告発し続けても室戸市民は不正な政治家に甘いからみんな知らんぷりしているし、12月3日の市長選ではまたもやこの人を選び、更に来年4月の市議選でも金を貰った市議を選ぶんでしょうね。

 笑っちゃうよ。


 どいつもこいつも、考え方が甘い!!。
 住民のためにあるべき政治を舐めちょう!!!



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国士は消えてゆく

2014-06-23 | 地方のあり方
 (この記事は2012年2月13日に地方の政治について書いた記事です。もう一度、お読みになり、あなたが住んでいる町や村の政治についてよくお考えいただきたい)

 
 「小さな町の地方の政治家たちを見ていると、仕事ぶりよりも、“欲”ばかりが目につく」。

 これは、私が平成15年5月に地方議員として仕事を始めたときから今まで、ずっと思っていることです。

 ●まず目につくのが、政治の場に着任することで得られると考え発揮する「金欲」。

 能力なんかないのに、「選挙で当選したら、議員としての仕事を全くしなくても報酬をこれくらいくれるそうだ」という、まるで泥棒のような「金欲」。

 ●次が、そういう「金欲」から議員になった人間の、報酬が2万円増える委員長や副議長になりたいとか6万円増える議長になりたいと考える、「金欲」+「出世欲」+「名誉欲」。

 鍛錬の足らない木偶の坊に限って、こういう企みばかりして生きている。報酬を与える側の住民こそ、いい迷惑だ。

 ●そして、これも「金欲」に関係するが、首長を取り込んで政治の裏で不正な利権・利益誘導に動くなど、権力を笠に着ての「権力欲」等々もある。

 政治家になっての住民から負託されている職務を遂行することよりも、大多数の議員が何がしかの、こういう地位や金や権力に関わるものばかりに目的がある。いや、「第一目標にしている」と言った方が正しい。

 そういう議員の行動は毎月“お給料”を頂いている住民から負託された“行政のチェック”など政治的職務は二の次、三の次になっていて、財政をはじめとして行政業務全般についての調査や勉強などをしているのは、議会の中でほんのわずかの議員だけ。

 政治家たちは住民のために職務優先で働いてそういう「欲」を全部捨ててしまえばいいのに、自分にはもともと議員としての“地力”が無いことを自覚していることもあってか、どうしても「欲」の方が勝り、金欲、出世欲、権力欲などを捨てずに優先させてしまっている。

 自慢できることだから何度でも言うが、私は市会議員時代、考えがあって初当選した最初から委員長になろうとしなかった。

 その理由は明白。元々私には、そんな金欲や出世欲、権力欲がなかったからです。

 あったのは、私が長い間行ってきた地域づくり活動を見ていただいてもお分かりですが、ただ「この高知県東部地域が元気になってほしい、室戸が元気になってほしい」と思っていることだけ。議員をやめた今もその意識は同じ。

 ですが、みんな委員長や議長になれば報酬が2万円、6万円増えるという理由から、自分に委員長や議長にふさわしい品格や知識など能力があろうが無かろうがお構いなしに、委員長や議長になりたがった。

 
 でも、委員長や議長になろうなんて思ってもみなかった私は、実はこう考えていました。

 「この委員長とは言わば会議の行司役だ。

 ・・・ということは、委員長は本議会や常任委員会において質疑はできない。

 とならば、違法や不正が行政にあっても問い質すことはできなくなる。これでは住民の負託にこたえられない」。


 ・・・という諸々の問題が発生することを重視して、私は議員任期の8年間、委員長職に背を向けてきた。

 だから、逆に言えば、質疑できる議員の立場でい続けたことによって議員として務めた8年間ずっと、住民の負託に応えることができたと言える。

 (これらのことは、私の行政調査活動で接し議会での発言を見ていた平成15年から現在まで室戸市役所の課長及び課長補佐を務めた皆さんならば、よく知っておられるだろう)

 そんな時、これら私が議員時代も議員を退職した今も考え続けていたことに関連するいい評論を見つけたので、全国の地方自治に関心が深い皆さんにご紹介しておきたい。

 現職の首長と地方議員の皆さんは自分の間違った行いについて他人から意見されることを特に嫌がり避けますが、それらの方々は特に真剣に考えるように。


 元総務大臣・片山善博氏とともに私が尊敬しているのが作家の藤原正彦氏。

 その藤原氏は週刊誌『週刊新潮』に随筆「管言妄語」を連載していて、その記事は読者からは非常に高い支持を得ていますが、2011年9月29日号の「管言妄語」に「国士は消えていく」のタイトルで上のような出来事について書いていた。その一文を、喫茶店においてあるこの週刊誌を読んでいて「私が思っていることと同感だ」とうれしくなり、さっそく書店に行って買ってきたので、一部ご紹介する。


 藤原正彦・「国士は消えていく」

 数学者の世界で、出世欲とか権力欲と言った欲望に支配されるような人をほとんど知らない。私の先輩には、せっかく東大に入りながら、尊敬する先生が地方大学に移ったということで自分もそこへ転学した人がいた。あくまでも学問が中心で偏差値による格付けなどは気にもとめない。利己的なまでに学問中心だから、ある助教授などは、数学教室から急十昇進を要請されながら、「今日中になると雑用が多くなって研究に差し支えがでる」という理由で昇進を拒否してしまった。

 確かに教授になると、教室主任を始め教室運営の責任を負わされる。(中略)私もこういった委員をいくつも押し付けられていた時期には、研究に全力を打ち込めなかった。

 だからある教授は他大学から移籍を請われた時、「助手待遇という条件なら移ってもよい」と答えたという。数学者にとって、じっと考え続けられることのできる環境こそが重要で、地位や金や権力などはほとんど眼中にない。ただ名声欲はある。目覚ましい研究成果を上げて名声を博したい、大問題を解決して数学史に名を刻みたい、という気持ちは恐らく誰でも持っていると思う。
 
 対照的に、ほとんどの政治家は出世欲や権力欲に突き動かされているようだ。昨日まで熱く語っていたことを周囲の形勢がちょっと変わっただけで平気で翻意してしまう、などというのは日常茶飯だ。こういう光景を見ると私などは驚き、地位や出世や権力を目指す人生とは何なんだろうとつくづく考えてしまう。恐らく政治家を志したときは「国家国民に尽くしたい」と健気に思っていたはずだ。それが「そのためには地位と権力が必要」、次いで前段を忘れ地位と権力が目的化してしまうのだろう。

 西郷隆盛は「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは艱難(かんなん)を共にして国家の大業(たいぎょう)は成し得られぬなり」と言った。日本が今、本当に欲しているのは始末に困る人、すなわち国士だ。西郷は機を見るに敏な人々により葬りさられた。この国で国士は、地位を上げるにつれ徒党をなす権力亡者たちに煙たがられ、ついには左遷され、排斥される。だからこそ国士を貫こうとする人はめったにいない。政治の不毛がいつまでも延々と続くわけだ。


 
 私は「その通りです。著名な作家先生にこんなことを申しては失礼ですが、藤原先生、あなたは物事の何たるかが解ってらっしゃる、よく言って下さいました」と感じ入った。

 室戸市の政治関係者と室戸市民の皆さんはこの文章をどういう思いでお読みになったでしょうか? 自慢するわけではないが、まるで地位や金や権力に媚びない“始末に困る人”の谷口總一郎のことを書いているようにお思いになりませんでしたか? 

 文章の最後の方の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」である議員の谷口は「(西郷は)機を見るに敏な人々により葬りさられた。この国(町)で国士は、地位を上げる(議員として知識と能力を高める)につれ徒党をなす権力亡者たちに煙たがられ、ついには左遷(選挙妨害)され、排斥される」と続く個所なんかは、全く私のことを指し言っていると思いませんか?




 西郷さんの言葉について詳しく知っているわけがありませんので、少し調べました。それを基に、知ったかぶりして解説しておきたい。

 明治維新の英傑・西郷隆盛は、その言葉を伝える『西郷南洲遺訓』で「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん。困難に遭い苦しみ悩むこと)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と述べている。

 これは、「命も名誉も財産も何もいらないというような人には困ったものだが、そのような人でなければ、困難を分かち合い、国家的な大きな仕事をすることはできない」、「自己の利益や自己の保身をいっさい前提をしない、まったくの無私の精神に基づいた政治家の出現がいまこそ望まれる。そのような境地に立ってこそ、真の改革を果すことができる」と説いたもの。西郷隆盛(西郷南洲)が『西郷南洲遺訓』の中で山岡鉄太郎(山岡鉄舟)を指して言った言葉とされる。

 藤原先生は、「ほとんどの政治家は出世欲や権力欲に突き動かされているようだ。昨日まで熱く語っていたことを周囲の形勢がちょっと変わっただけで平気で翻意してしまう、などというのは日常茶飯だ。こういう光景を見ると私などは驚き、地位や出世や権力を目指す人生とは何なんだろうとつくづく考えてしまう。恐らく政治家を志したときは「国家国民に尽くしたい」と健気に思っていたはずだ。それが『そのためには地位と権力が必要』、ついで前段を忘れ地位と権力が目的化してしまうのだろう」と言っておられる。

 でも、私だけは藤原先生が言うところの“ほとんどの政治家”ではなかった。室戸市では“ほとんど”以外の市会議員である私だった。

 出世欲は無かったし、権力欲もありませんでした。あったのは、室戸市民に「お前の議員としての仕事ぶりは、毎月おれたち市民から議員に対し与えている報酬分の仕事をしていないじゃないか!」と叱られないように、市民から頂く毎月の報酬分(27万円)以上の仕事をすることだけ。

 あったのは現地・現場主義で、職務の基本としている「為すべき時に 為すべきことを 為せば成る」の精神で働くことだけ。二人の市長の不正を追及したり市議たちがその不正に賛成していることを批判しそれらを市民に情報公開したことや、室戸市の中心点として国道及び排水路改良が急を要すると考え数年を掛けて国交省を動かし浮津交差点改良工事を実現させたことだけでも、8年間の報酬分以上の職務責任は果たしたと言えよう。

 そして、九州柳川の掘割を復活(水路再生事業)させた公務員・広松伝(つたえ)さんの言葉「プランニングに机はいらない。必要なのは足と目と、土地の人と対話する耳と口、そして何よりも土地の人の気持ちになり切る心である」を胸に、ほんとうに真面目に働いてきた。


 目の前の今やるべき仕事をやるべき時にすぐに実行に移し明日に先送りしないことと、人の話をうのみにして信用したりせず自分が現場に立っての周辺調査と関係者からの取材(聞き取り調査)を最も重視した。これも夜遅くまで働くトラック運転手時代と雑誌記者時代などの職業経験が活かされたもので、“人生は楽することばかり追わず、厳しい世界でいろんな経験を積んでおくものだなあ”と痛感している。

 これまでの議員だった8年間だけみていただいても、議員活動然り、市民への情報公開しかりで、ただ住民のために尽くすことだけを考えて働いていたのは、私に価値ある一票を投じて下さった328名の室戸市民の方々が一番よく知っておられる。

 行政業務の調査活動に励み、行政運営が正しく行われているかを厳しくチェックし、市長と担当課職員3名が東京の大企業に出向いて行った不正な事前交渉を察知し綿密に調査した上で議会において暴露したり、市長と担当課と県市町村振興課が一緒になって行った地方自治法違反・県補助金条例違反の違法業務を暴露し追及してきた。又、まちの負債を明らかにしないことを問題視してデータを収集し住民に公表してきたし、まちの衰退のバロメーターである人口減少のデータを調査したうえで今後予想される減少の推移なども住民に広報してきた。

 そういう田舎町の貴重な「国士」が、「議員としての能力を上げるにつれ徒党をなす権力亡者たちに煙たがられ、ついには左遷され、排斥され」たのである。

 「だからこそ国士を貫こうとする人はめったにいない。地方政治の不毛がいつまでも延々と続くわけだ」と、藤原氏は説く。

 だいたい大学の教授や評論家の中には、自分に政治家や地域づくりの実体験がないのに上から目線でその分野全てのことが解っているようなことを政治家や地域リーダーに向け語るのを聞いて笑ってしまう例が多いが、作家・藤原正彦氏には政治家の実体験がないのに、この方は物事をよくわかっておられる。

 「田舎町の貴重な国士が、議員としての能力を上げるにつれ徒党を為す権力亡者たちとそれを支持支援する悪い人たちに煙たがられ、ついには左遷され、排斥された議員がいた」なんて、こんな地方の小さな町の政治体質まで解っておられるんだから、それは間違いない。


 しつこいようだが、最後にもう一度言おう。

 藤原氏は文中で、≪この国で国士は、地位を上げるにつれ徒党をなす権力亡者たちに煙たがられ、ついには左遷され、排斥される。だからこそ国士を貫こうとする人はめったにいない。政治の不毛がいつまでも延々と続くわけだ。≫と書く。

 私はそれに倣い、≪この室戸市で国士は、地位を上げるにつれ徒党をなす権力亡者たちに煙たがられ、ついには左遷され、排斥されてしまった。だからこそ国士を貫こうとする人はめったにいない。このまちの政治の不毛がいつまでも延々と続くわけだ。≫と言おう。


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他人が見ていない場所や時間での努力こそ、一番大事

2014-06-19 | 人間のあり方
 昨日、絵を描く時において手間暇をかける作業の大事さについて書いた。 

 私の画法は、色をおいてはサンド・ペーパーで磨く作業を何度も繰り返し行いながら仕上がりに近づけていきます。

 アクリル絵具は置いた絵具がどんどんと盛り上がってゆく油絵と違い、置いた絵具の水分が飛び、30%や40%は痩せます。だから、このよう無作業を繰り返し行うことで、多少ですが作品の重厚さが増し、表現を豊かなものにしてくれる。・・・と私は考えています。

 普通、アクリル画を描く人でもこのような手間ヒマを掛けず、上へ上へと色を置き、どんどん仕上がりに持っていきます。

 ではなぜ、他の作家のように上に絵具をどんどん塗り重ねて早く仕上げる努力をせず、このような下準備に手間暇ばかりかけて仕上げようとしないのかですが、それは“他人が見ていない場所や時間での努力こそ一番大事だ”とこれまでの人生経験から自分自身が会得したから。

 解っておられる人は私の考えは解って頂けるのではないか。

 この絵画活動だって他の職務だって、それは同じだと思っている。

 自身の人生を振り返りながら、その“他人が見ていない場所や時間での努力こそ、一番大事なこと”についてお話ししたい。
 

 18歳から始めた原木を積んだり製品を積んだりするトラック運転手時代も昼に走り夜に県外へと走りし、疲れに疲れていました。他の人には「負けないぞ」の一心で。
 
 40歳で始めた喫茶店の商売でも朝早く午前5時半に家を出て貸店舗の店に入り店内の掃除を済ませて自宅に帰るのは午後10時ごろだった。長時間の仕事に、疲れに疲れていました。「お客さんに喜んでもらいたい、楽しんでもらいたい」の一心で。

 その後、開業した日本ではオンリーワンの手書きタウン誌出版の仕事だって、午前7時に家を出て取材や本の販売等々を行い、夕食を済ませると午後8時までは夜の街を歩いて本を売り歩き、家に帰るとそれからは新聞紙Ⅰページ大(A2)の原稿用紙を使って手書き原稿の作成作業。それは午後1時を過ぎ、2時を過ぎ、時には午後3時まで書いていた。「読者に何とか喜んで読んでもらいたい」の一心で。

 「辛いだけで、実入りの少ない仕事」だとみんなに言われ続けてきたが、私はそうは思いませんでした。「他人が見ていない場所や時間での努力こそ一番大事だ」、そう思って、「この本を待っている人たちがいる」と思いながら出版し続けました。

 室戸市議会議員だった8年間も同じだった。

 初当選してすぐに武井市長とミクプランニング社とのつながりに疑いを持ち、指定管理者公募においての不正を発見し、調査の上で徹底的に追及した。この時には半年ぐらい前に室戸市の温浴施設取材に協力し資料提供をしたことがあり親しくなった日本経済新聞の辣腕記者や東京新聞のベテラン記者に協力してもらって、市長と市職員3名の不正を市議会で徹底的に追及した。

 そのことは、現在14名いる室戸市議の中の9名の議員がよく認識しているので、室戸市民の皆さんは是非ともその議員に聞いてみていただきたい。当然、市職員だった小松市長も私が不正に厳しい人間であることはそのとき以来、よく知っていたはずだ。

 しかし、その市職員だった小松氏も市長になったとたんに豹変。支援議員との約束を反故にしただけではなく、2年間の営業で1億1千万円もの赤字を出して既にいつ東京に撤退するかもしれない倒産状態になっているミクプランニング社に対し、条例違反(赤字補てん)となる6000万円もの市費を支援してしまった。

 議員総会での協議に中でその不正な支援金支出を止めたのは、16名いた室戸市議会の中でたった一人、私だけだった。議会でもその不適正な市費の支出に勇気を以って反対できる議員は一人だけだった。

 結局、組織経営のなんたるかを知らない市長と市職員、市会議員たちが行う政治によって、東京の企業にその6000万円はだまし取られたことになる。不正で私に徹底的に批判され、追及され続けたことは室戸市議会議員と市職員、室戸市民はよく知っています。

 小松市長の不正な市政運営はたくさんあるが、もう一つ挙げると、地方自治法違反となる室戸岬高速バスターミナル建設事業。これも簡単に違法だとわかる事業案だったが、その違法事業を停め続けたのは私だけだった。調査を重ね、東京のふくおひろし氏(残念なことに、先日お亡くなりになりました)にも友人と言っていただき教えを乞いながら、室戸市議会で約2年近く追及し続けた。

 なぜこれほど長く追及し続けたかは簡単なこと。市民のためには法令を順守しながら職務を遂行すべき立場の市長職にありながら、法令があるのを熟知しながら悪事を働き、追求されてもそれを認めず、こちらが違法改善する方法まで調べて提案したにもかかわらず、「私は違法な事業を行ってしまいました。市民には申し訳なかった」と改めもせず、白を切り続けたから。

 だからこそ、自治体の首長と行政職員の業務運営を監視し自治体の業務が公正・公平・適正に行われるように批判し導く立場にいる地方議員だった私は、自分の職務を適正に遂行すべく、粛々と働いてきた。初当選の平成15年から11年になるがその間ずっと、法令を順守せずに違法な政治を進める町の悪人たちを蹴散らしてきた。

 しかし、当事者たちに反省の意思がないため、その不真面目を叱っても、室戸市の不正な政治体質は一向に変わりません。


 今の絵画活動だって、他の職務においても同じだと思っている。

 「仕事ぶりに心がこもっているか否か」。そこが一番重要だ。

 それは見る人が見れば、すぐわかる。物事の良し悪しが解らない人がいくらたくさん見てもそれは到底解るまいが、物事は見るべき人が見ればその良し悪しはすぐわかる。

 「他人が見ていない場所や時間での努力こそ、一番大事」。この積み重ねも重要だ。

 他人が見ていない場所や他人が見ていない時間での努力の積み重ねがあってこそ、歳を経る毎に熟練というものが身に付いてくるものだ。だから、室戸市の政治のように、国やまちの条例などに平気で違反している批判精神のかけらもない公務員(首長、議員、職員)は全員、過去から現在まで何一つ、物事のなんたるかの素養も身に付いてこなかった人たちだと断言してもよい。

 積み重ねとは、一朝一夕には成し得ないものだ。

 小さな時から、挑戦し続け、その間には失敗も数々あった。それによって何度か大きな痛手も受けた。自分が稼いだお金を地域に投資したことから、金銭的にも苦しくもなった。家族は当然、猛反発する。しかし、努力は惜しまず、「正しいことならいいじゃないか」と働き続けてきた。評価されれば少しは気も楽になるが、人から評価されることは少なく、反対にそのたび重なる努力を妬む多くの人に足を引っ張られた。それでも、地域が良くなることを楽しみにしながら努力し続けてきた。そうして努力してきても地域や組織の中でそういう人は浮きあがり、最後には排除され、やがて死んでゆく。そうして5年ぐらい過ぎると、そんな人がいたことなんか、もうみんな忘れてしまいます。

 世間とはそういうものなんでしょうが、やっぱり生きているうちは自分だけでも“他人が見ていない場所や時間での努力こそ、一番大事”と思って、働くことだ。

 企業に勤務する人の仕事だって、店の商売でも、議員や首長や行政職員の仕事であっても、絵を描いたりする職人の技術に関しても、人が見ていない場所での努力は人生において肝心なことで、重要です。それによって、絵画作品だけではなく、そのものの“出来栄え”が重厚なものになるのはまちがいない。

 人間ならば、努力しないで生きている人たちから見ると無駄とも見えるその長年に亘る行為によって、品格や見識も身についてこよう。

 室戸市の市長や市会議員のような不勉強ぶりでは、まったくダメ。若い人も60歳や70歳を超える人でも同じで、とにかくいつの日も人の目が無い場所や時間においての勉強を怠らないことです。寝る時間を惜しみ、休む時間を惜しみ、能力や技術を磨くことです。

 室戸の政治家たちは私が議会で訴える「政治は法令を順守しながら道徳心を以って公正にやるものです」の声には一切、誰一人として耳を貸さなかったが、人の適切な助言や教えには素直に耳を貸すことと、そういう素直な精神を幼いころから身につけておくことも大事だ。さすれば、自分の誤った方向性を正してくれる。

 であるが、年齢も40歳を過ぎれば薹(とう)が立ち、他人の言うことに耳を貸さなくなって、悪い人間はますます悪い人間になってゆきます。

 だから、“鉄は熱いうちに打て”の教えがあるように、正しく真面目な性格に鍛えるのも10代が一番大事。このころになにが正しくて何が正しくないことかを教え実行させ、“苦労は買ってでもせよ”を実践させ、20代、30代と正しく導いてゆくと、“他人が見ていない場所や時間での努力こそ、一番大事なこと”だということが身に付き、余程の出来事がない限り、死ぬまで正しい生き方ができる。

 読者の皆さんはどうお考えかわかりませんが、私はそう思っているし、そうありたいと考えて生きてきた。


 またもや小難しい政治の話になったが、お許し願いたい。どうしても不正な政治を平気でやり続けている室戸の人たちを許せないもので。

 ま、今は12月3日に投票日に決まった室戸市長選に出馬する為、その準備で忙しく飛びまわっている。昨日もスーパー「オーシャンの駐車場で友人から「市長選に出るとブログに書いてあったが、本当に出るがあかね」と聞かれ、「うん、でるよ。応援してね」とお願いした。

 瀬踏みの結果次第では立候補を正式に表明する。

 但し、市民から「法令に違反することが多い小松市長を落選させるため、是非とも出てほしい」の声が小さければ出ない。

 不正な市長を市長選で当選させ、その小松市長の不正議案に賛成してしまうような議員に投票して当選させてしまうような市民だ。この結論は押して知るべし、目に見えていよう。

 室戸市民は政治不正に非常に甘く、不正な政治家にも厳しい批判など一つも言えずに甘いため、昔から不正に寛容な政治が続いていますが、残念ながら、これはこれから後も10年、20年と続いてゆくことになります。それは、市長の不正を追及した議会で唯一の公正な議員である私を市民が選挙で排除したことで、明白。

 そうして、室戸市は夕張市と同じように毎年400人前後の人口が減少していますので、今から31年後の2045年に室戸市の人口は0人となって、いま1万3000人の町はやがて村となり、終には消えてしまいます。

 ・・・ということです、高知新聞さん。


 最近、県内自治体の首長選において現職以外に対抗馬がなくて無投票当選する例が多いですねえ。そのことにもちょっとひと言、ふれておきたい。

 これが呆れるほど多い。順を追って言うと、

 2月4日の中土佐町の町長選は現職と新人の一騎打ちで、現職が当選。

 4月8日の香美市長選は、新人4名の中の一人が当選。

 4月21日の馬路村長選は、無投票で現職が当選。

 4月22日の四万十町長選は、現職と新人の一騎打ちで、現職が当選。

 4月22日の黒潮町長選は、無投票で現職が当選。

 4月25日の越知町長選は、新人3名の中の一人が当選。

 6月28日の奈半利町長選は、無投票で現職が当選。

 12月3日の室戸市長選も、私がでなければ無投票で現職が当選することになる。

 そうなれば、今年高知県内で行われた8回の首長選の内、半分の4回が対抗馬がいないまま現職が当選してしまうことになる。

 無投票当選の原因は、まさにその町や村に人材がいないことの証。

 中には素晴らしい現職の首長もいるかもしれないが、室戸市の小松市長のように不正な事業を強引に実施してしまう首長もいるかもしれません。だから、首長選が無投票当選で終わってしまうことに関して、私は批判的だ。

 高知新聞でそういう「無投票当選」という記事を見るたび、「地域の中に首長を務めるほどの人材がいないということになるが、果たしてその町や村の人たちはそれでいいのか」と思う。

 12月の室戸市長選にもし現職の対抗馬がいなければ、公職選挙法(事後供与)、地方自治法(公の施設)(議員総会においての議案の事前審議)、市条例(指定管理者条例)と、何度も違反を繰り返してきた小松市長が再選されてしまう。

 読者の皆さんはこの「対抗馬がいなくての無投票当選」の原因が分かりますか? 首長選で対抗馬がいないのはなぜなのか。

 その理由を言いましょうか?

 ●その町や村の住民がまちの政治に全く関心を持っていないからです。

 ●そして、まったく関心を持てない理由は、市長や市会議員など町の政治家に「魅力がないから」。

 ●投票する住民が、惚れるほどの人材ではないから。

 投票しているとて、その候補の手腕や能力に惚れて投票しているわけではないから。

 ●不正な事業、不正な行政運営だと認識しておりながら強引に事業化してしまう市長に魅力を感じていないから。

 ●その不正な政治に賛成し続けている議員たち全員に魅力を感じていないから。

 これが実態。

 でもね、これが選挙となるとまた別の話なんですね。

 選挙は町の一大イベント。だから、告示の4カ月ぐらい前から市民はみんなで盛り上がり、ワイワイ楽しみます。

 そうですね、12月3日に投票がある室戸市長選なら、8月ごろからか。来年4月初めの高知県議選と4月末の市議選なら、来年1月ごろから話題には事欠かない。候補が放っておいても市民の方が勝手に選挙を盛り上げてくれる。

 しかし、その市民はみんな町の政治には別に関心があるわけじゃないから、選挙が終われば次の選挙までまちの政治には全く関心を持とうとしない。

 市長が不正な事業を議員や建設業者や団体の人間たちと利害を以って不正に市の予算を使っていても、「別にそんなこと、私たちには関係ない」とばかりに無視し続けている。まちの政治が悪くなって一番困るのは自分たち住民なのに。

 だから、毎度言っているように、地方自治体や地方議会で行われている不正や怠慢の全てはその町や村に住む住民に責任があって、その理由は政治に無関心だから。

 それが原因だと断言する。

 つまり、「住民は政治に関し怠惰である」と言い替えることができよう。もっと簡単に言うと、為すべきことを為さないという点から、怠けているということです。

 唯、これは室戸市民に限ったことではなく、高知県内のどこの住民でも、全国の特に地方と呼ばれている市町村の住民はみんなこんなものです。だからと言ってみて見ぬふりしてはいけないんですが、それぞれの住民意識が変わらなければどうしようもない。


 以上が今日の結論です。

 私は間違ったことは言っていません。皆さんそれぞれが自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。

 自分のまちの政治についてや、自分たち住民がまちの政治について如何に無関心かと、その無関心によって政治が如何にネギ曲げられて進められているかなど、よく考えてみてほしい。


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新作『地層、渦巻く』の制作(3)

2014-06-18 | 私の絵画制作活動
 絵画に関心がない方々には申し訳ありませんが、記事を数日書いていないので、お口汚しになりますが、私の画業報告をさせていただきたい。

 5月26日から描き始めた新作『地層、渦巻く』(P100号)の制作は、題材である風景が通常の開けた風景ではないことから考える時間が多くて、現在、40%ほどの仕上がり具合。大半の部分が下塗りのままの状態。完成までまだ道半ばの状態です。

 題材にした風景は、室戸岬の突端から高い岩場の上を乗り越え乗り越えしながら波打ち際まで進み、北側になる室戸岬灯台の方を向いてその岩場の上から俯瞰したもの。

 室戸岬の海岸にはあちこちに砂泥互層の地層と斑レイ岩など火成岩の地層が混ざり合い、隆起・沈降し、褶曲し、直立した岩場が見られますが、中でもこの場所は平成3年発行の地域雑誌で室戸半島の地質特集を組み室戸市の海岸全域を取材をした時から絵心をくすぐられていたもので、岩の上に這い上がり下を見ると、まるで地層が渦巻いたように感じられ興味深かった。

 ということで、今回はこれまでの室戸岬の海岸風景を描いた作品群とは少し趣向が違った制作に取り組んでいます。

  (その現場の写真)

 

 (下書きの途中)

  

 (描き始めて3週間目となる現在の状態)

  

  描き込んでいるのは左側の上部ぐらいで、スペースとしては全体の4分の1程度。苦心しながら前進しては後退、前進しては後退と、進めているので、進行状況としては遅々として進んでいない。

 その理由は、描き込んではサンドペーパーで表面を磨き、また線描を加えた上で色を置き、その上をまたペーパーで磨く、という作業を繰り返し行っているためです。

 これによって作品の重厚さを表現してくれますが、普通の画家はこのような手間ヒマを掛けません。上へ上へと色を置き、どんどん仕上がりに持って行きます。

 ではなぜ、他の作家のように上に塗り重ねて早く仕上げる努力をせず、このような下準備に手間暇ばかりかけて仕上げようとしないのかですが、それは“他人が見ていない場所や時間での努力こそ一番大事だ”とこれまでの人生経験から自分自身が会得したからです。

 この絵画活動だって他の職務だって同じだと思っている。


 ということで、5月26日から描き始めたこの作品の完成予定は、福岡市の阿蘇神社から依頼があった絵馬修復が終わってからになるので、8月に入るかもしれません。


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地方議会のチェック機能なんて、全く信用ならない

2014-06-13 | 議会改革
 数日、画業に精を出していて、記事を書けなくて、ごめんなさい。

  
 さて、先日、高知新聞にこんな興味深い記事が載っていました。 

         

 記事から要点を抜き出してみよう。そのあとで、地方自治・地方議会評論家(?)の私が厳しく論評を加えたい。

 ≪馬路村の清岡博基村議(72歳)が4月末、4期目の任期を8カ月残して突然、辞職した。その理由は、同僚村議の親族が「村役場に就職しているから」だった。執行部に対する議会のチェック機能の低下を危惧し「議会が家族会議になってはならない」との持論だった。≫

 「同僚村議」とは、4月の補欠選挙で当選した57歳の新人議員のことで、その議員の息子が馬路村役場の職員をしていた。57歳の人の子どもだからその職員は30歳前後と想像される。

 ≪清岡氏は「人口が1000人を切った(5月末で、947人)小さな村で、役場に親族がいるものが議員になり、議会が“家族会議”のようになる。それは正しい形ではない」と主張した。≫

 この記事の文面から推測すると、57歳の新人議員の息子である職員は30歳代だと思うが、人口の少ない村などでは30歳代の課長も珍しくなく、現在、若くして馬路村議会に執行部の一員として出席している課長か、それとももう10年もすれば課長になると見られる職員かもしれません。

 だから、村が議会に提出した議案に父親が質疑し、それに息子が答弁する、そういう状況はあってはならない。清岡議員は、そう考えたのであろう。

 その通りだ。

 至極ごもっともな話だ。

 異論の出ようはずもない指摘で、清岡議員が辞職したことはともかくとして、地方行政と地方議会という組織のあり方に厳しい私は清岡氏の訴えは正しいと考えます。

 私や以前議長も務めた清岡氏のように組織のあり方をよく理解している人物なら、厳しく物事のあり方を世間に知らしめたいと考えるのは至極、当然の成り行きである。

 例えば、議会の前に家で息子に「あの事業についておれはこうしたいから、お前は議会でこう答弁してくれよ」と指示しておく。こうやって、馬路村の上治村長も知らないところで村の事業がこの親子によって動かされていくことは大いに予測される。

 又、例えば、息子が建設課の職員で、議員である父親は村の公共事業に関わる建設業の仕事に従事していて、家で息子にあってはならない頼みごとをする。こういう例も無いとは言い切れません。その時、公務員の息子には地方公務員法に規定された守秘義務があるが、家庭において父親に秘密事項を漏らすことも当然推測される。

 裏ではこういう不適正で不公正な行為が行われているのに、地域には「組織の基本的なあり方」を理解できないし無関心な唐変木が自分の無知を棚に上げ、公正な発言や健全な行動を起こす人を批判します。

 だからこそ、これらの事例も推測できるため、清岡氏が自分の身を切って厳しく指摘されたということだ。

 「指摘する時期を逸しては何の意味も無くなるから」と。

 室戸市議会の議員のように、「この議案は地方自治法違反に当たるが、小松市長に可決させてくれって頼まれたから、賛成してやるか」と不正に賛同するような“まーいいいか議員”たちにはこの清岡氏の行動の意味なんかまったく解るまい。

 ≪村民や近隣市町村からは様々な意見が出ているが、大半は清岡氏への批判だ≫

 そうやって批判しているのは、組織のあり方が全く解っていない人たちで、そういう人たちは「組織は慣れ合いになってはいけない」という基本が解っていないし、そのことを深く考えようともしないから、いつまでたっても組織とのかかわりが、なあなあ。「まー、いいじゃないか」で全てを済ませておくのである。

 他方、清岡氏や私のように組織の悪い体質を見て批判する人間は組織から、そしてやがては地域から排除されるのである。

 本来は公正・公平・適正を欠き、道徳心から言っても不適正な行動を行いその組織を悪くする多くの人たちが排除されるべきなのに、世の中が間違っているのか地域の体質が悪いのか、組織内では常に、ほんの少数の公正・公平・適正で道徳心に富んだ人物の方が排除されてしまいます。それは特に、地方でも田舎とよばれるような小さな地域社会で度々発生する。

 こうやって、市長の不正を追及しそれを改めるようにと尽力してきた私が逆に市長を応援している市議や市民から批判され、市議選運動期間中に「市長の邪魔をするあいつに投票するな」という落選運動によって落選したことや、議員と職員が親子である不適正さを指摘しそれに抗議するように辞職したがために批判されている清岡氏ですが、私に言わせると、そんな批判などはお門違い。

 今回、清岡氏がとった一連の行動の基になったのは、村議会において議員が質問や質疑を行い村長や職員がそれに対して答弁をするにしても、親が議員で息子が職員では慣れ合いになるじゃないか、という指摘でした。それに対して、上治村長も議長も他の議員たちや村民らも大半が批判的らしいが、では、他の場合では皆さんはいかがお考えかいくつか例を提示してみようか。

 ネットでは「理詰めがすごい人」という評価を頂いている私から、親子が議会にいることには何の問題もないという意見を持つ馬路村内外の人たちにお考えいただきたい。

 村議会において父親が村長で、息子が村議の場合はどうか。

 また、40歳代の息子が村長で、60歳を過ぎた父親が村議の場合もあろう。

 また、父親が村長で、課長が息子で、村長の兄が村議の場合もあろう。

 こういう事態になった時、清岡氏を批判しているあなた方は、清岡氏が指摘されている「まるで“家族会議”」という感じを受けませんか。

 組織のあり方を理解している私ならば、笑ってしまうでしょうね。

 「なんだ、これで政治と言えるのか。家で二人が話あって村の事業を決めておいて、議会に来てそのシナリオ通りに物事を進めているのか」。

 「これじゃ、室戸市の小松市長が議長と企み、市議会の全議員が議会開会の半月ぐらい前に毎回、議員総会を開いて市長及び担当課長と議員とが重要議案に対して質疑応答を繰り返し行って議案の事前審議をしている不正な議会運営と同じだ。これもそれと同じで、親子である職員(村長)と議員とが家で事前審議をして議事を進めていると言われても仕方がないぞ」。

 「こんな茶番劇なんか見ていられない。よく親子で質問と答弁ができるなあ。おまえら二人は恥ずかしくないのか」。

 組織体制のあり方が解る当たり前の神経を持っていたら、このくらいのことは言うだろう。

 ≪父親が村議で、息子が村役場職員。清岡氏の言うように、それで議会のチェック機能が低下するとしたら、それこそ問題だ≫

 中芸支局の浜崎記者はこう指摘する。

 もっともだ。

 だが、全国の地方議会で「議会のチェック機能が完全に発揮され、自治体において不正な事業や行政運営が全く行われないように尽力している議会」なんかあるんだろうか。私は1議会も無いと思っている。

 室戸市議会についてはもう読者の目が腐るほどこの点について記事を書いてきたからよくご存じでしょうが、地方議会という組織の実態は、議会には首長に寄り添う議員が多いため、地方自治法や市区町村の条例に違反する議案や事業が数多く議会に提出され、それに異議を唱える議員も中にはいますが、不思議なことに、議員の大半が異議を唱えながら表決になると賛成している。変わりモンだと後ろ指を指されたくないのかどうか知らないが、私に言わせるとそんな不正に賛成している議員など、「正しいことを正しいと言えない意気地なしだ」。

 だから、馬路村議会の議員が全員、議会に出てきた地方自治法や村条例に違反する議案に全議員が反対しその議案を否決しているかどうかは知りませんが、違法な議案にも全て賛成し続けてきた室戸市議会の状態を考えると、馬路村議会も疑わしいと思っている。

 (ま、馬路村は室戸市が行っているように違法な議案だと解っておりながら議会に提出する傲慢さなどないことから、議会がチェック機能を発揮するまでも無いのかもしれません)

 ≪5期連続で無投票当選の上治村長の妻は、村長2期目の時に退職した。上治氏は「職員人事のこともある。不公平感がでてもいかん」としながらも、「村長と職員の関係にあった私たち二人の場合は、今回の議員と役場職員との関係とは違う。子どもが役場におったら議員になれんというのとは違うと思う」と、清岡氏の行動に首をかしげる。≫

 (※新聞記者やテレビの記者は誰か自分の持論と同じ意見を持つ人物にしゃべらせてそれを大きく記事として掲載する手法をよく用いる。この記事を書いた記者も上治村長と同じ考え方だったのではないか。それが「・・と、清岡氏の行動に首をかしげる」の部分に強く表現されているように見える)

 村長は「職員人事のこともある。不公平感がでてもいかん」と考えたという点から、「妻は定年前だったが、人事などで他の職員から『自分の嫁さんだからあの職場に異動させた』などと言われたくないから、途中退職させた、ということになる。しかし、上治村長は「同じように家族が職員であっても、議員の場合は例えその職員が議会に出てくる立場の課長になったとしても、不公正でも不適正でもない」と言いたいようだ。

 では、例えばの話、馬路村議会において村議が息子である課長に質問し質疑し、村長と職員の関係ではなかった“家庭において、自治体側と議会側双方の一員である者二人が事業を進めるのか進めないのかなどについての謀議を計る”行為を行い、二人はそのことを誰にも他言せず、そのはかりごとを議会で実行した場合、公正であるべき議会はどうなるのか。

 そういう状況において、チェック機関である馬路村議会のチェック機能は発揮出来ていると言えるのか。馬路村議会のチェック機能は低下していることにならないのか。

 これを上治村長だけでなく、馬路村議会の全議員、全職員、そして馬路村の村民に問いたい。

 申しておきますが、室戸市では室戸市が行う市政運営に対して室戸市議会はチェック機能を発揮していません。違法でも何でも全ての議案に議員が賛成し、全ての議案が可決してきました、多分、今もきっと同じでしょう。それを厳しく「自治体の政治運営は法令を順守して行うべきだ」と厳しく言い続けてきた私は落とされましたが、今回の馬路村議会と馬路村役場に清岡氏が投げかけた一石も同じものだと言ってもいいでしょう。

 組織体質の悪さは誰かが犠牲になってでも厳しく指摘し、改めさせるべく働くことが重要。それによって改めるか改めないかは、後に残った者たちに託された責任となる。

 唯、そういう状況の時、大半が改まらない場合が多い。


 そのよい例が室戸市。私がいなくなった今、室戸市議会に組織改革について経験を積んできた「不正は許さないぞ」というチェック機能を発揮できる議員は一人もいないし、市長は市長で40年間の公務員時代に上司の指示による不正容認の職務に馴らされてきたためにまったく法令順守の精神に欠けており、こうして執行部と議会とがナアナアの政治を続けている。それらを支持し支援しているのが市民。こういう構図では、室戸市の政治が良くなるわけはない。

 ≪清岡氏は「よりよい村とより良い議会にするために村議や村職員、村民のそれぞれがこの問題を考えてもらいたい」としているが、議員職をなげうってまでの訴えが村民にどう響くか。≫

 そう、清岡氏が辞職した行動に対してちょっと懐疑的に記事を終わっている。

 記事から推測するに、記者は「議員辞職して、それでこの提議した“事件”が問題解決となるのか」と考えているのであろうが、真面目一辺倒の人間は大人になっても真面目で、そういう人が地域のために地域づくり活動に汗を流し続けてきて、60歳を過ぎると更にその公正さには磨きがかかり、他の人たちには見えないものまで見えてくるんです。これはそういう純粋な人にしか見えないし、決意し行動できない。

 私も清岡氏も昭和の終わりごろから地域づくり活動に関わり、平成元年(1989年)の中芸地区の青年団の若者たちが主催した「加藤登紀子魚梁瀬ロックフィルダムコンサート」などをきっかけにして、それぞれがその地域の地域振興に寄与しようと活動を深めてきた仲間。今から数えると、二人とも別々のまちで約30年ぐらい地域が少しでも良くなってほしいと思い努力しながら働いてきた。

 だから、清岡氏が記者の取材に応えて、「よりよい村、より良い議会にするために、それぞれが考えてほしい」と話した気持ちは、私は痛いほどよくわかる。そこなんです。何とか良くなってほしいんですよ。

 記者は「議員職をなげうってまでするようなことだろうか」と考えたようですが、公務員という給与で守られた職にいる人たちや地方議員や自分と家族のためだけに生きてきただけの人には、例え年齢が70歳になろうが80歳になろうが、地域のためを思って「自分の時間」と「自分のお金」と「自分の汗」とを捨てて活動してきた人の気持ちなど解るわけがない。それは、死ぬまでわからないでしょうね。

 「議員職をなげうってまでの訴えが村民にどう響くか」と懐疑的に記事は終わっていますが、馬路村村民や高知県民みんなに響かないとしても、清岡博基氏の気持ちは私にちゃんと響いている。

 清岡氏の行動を支持し、こう応援の声を挙げたい。

 「他の誰が批判しようとも、政治のあり方を知らない人間がなにを言っても的外れでしかありません。あんたは偉い。立派です。今回のことで、あなたが私と同じ気持ちを持って自分のまちの政治に向き合っていたことが良くわかりましたよ。

 ま、任期手前で辞職するほど急がなくてもよかったが、それもこれまであなたが強く“村を良くしたい、村議会を良くしたい”と思ってきたことの証の一つでしょう。補欠選が終わってから、『これでは議会のあるべき姿が損なわれ、公正さが失われる』と感じてすぐ決断した行動に、間違いはありません。

 ここで一つ付け加えておかなくてはならないことは、「なぜ清岡氏がすぐに議員辞職したのか」について。

 これは清岡氏も村長や議員、職員、そして取材記者も含め、誰にも話していないことのようですが、これを私から明らかにしておきたい。清岡氏と私は同じような考え方を持っているから、多分こう考えて辞職したものだろう。

 「あのような議会の公正さが失われる恐れのある議員たちと同じ議場で議事を進めていたら、村民から『議会において議案が不正な形で決まっているじゃないか。あんなことはおかしいじゃないか。清岡、お前もそういう不正が行われているのを知っておりながら黙認しているのか』と批判されてしまう」。

 そうやって村民から厳しく指摘されることが予測できた。だから一日でも早く議員職から退こうとした・・のであろう。

 清岡氏にすれば、「おれはあのようなことはあってはならないと思っている。仲間じゃないぞ」と思っていても、村民はそうは見てくれません。

 「清岡も以前は公正な真面目な議員やったに、今じゃあんな議員と一緒に行動しているぞ」。

 村民のそういう的外れの批判は私も室戸市議会にいて受けたくなかったし、清岡氏も同じように受けたくなかったのではないか。

 簡単にいえば、「不公正な議員たちの体質と同じように見られたくなかった」。だから「辞職するしか他に方法は無かった」のであろう。

 唯、私がそう考えた場合、その任期中は当然のこととして報酬をもらいながらその報酬分以上の仕事をした上で議員職を全うし、次の市議選には出馬しない。23年4月に出馬した理由は、行政においては違法を繰り返し、市長選においては公職選挙法違反となる事後供与を繰り返し行ってきた小松現市長を、2期目の任期中に辞職に追い込もうと考えていたから。

 ま、その前に市長を支持支援する人たちの中にいる悪人たちによる「落選運動」という昭和34年に室戸市政が始まって以来初めての手を打たれてしまい、自分の方が先に落選しちゃいましたが。

    ---------------------------------  

 では以上の出来事を踏まえて、次は地方議員とはいかにあるべきかについて、議員のバイブル『議員必携』から部分的に拾って論じてみたいと思います。

 10ページの「議会の使命」から。

 ●議会の使命は、議会が決定した政策を中心に行う執行機関の行財政の運営や事務処理ないし事業の実施が、すべて適法・適正に、しかも、公平・効率的に、そして民主的になされているかどうかを批判し監視することである。

 この批判と監視は、非難でもなければ批評や論評でもなく、飽くまでも正しい意味での批判であり、また、住民の立場に立っての監視であるべきである。
 

 (室戸市議会はこれが全くできない議会であることと、市長が行った不正を批判した時に「もう、えいやないか」と市長を庇う議員たちばかりの議会であることを室戸市民はよく知っておく必要がある)

 同じ10ページの「議員の職責」から。

 ●議員は住民の代表者であり、人格・識見ともに優れた代表者である。従って、議員の一言一句は、とりもなおさず住民の意見であり声であるというべきあり、議員が行う質問や質疑・討論は、同時に住民の疑問であり意見であり、表決において投ずる一票は、住民の立場に立っての真剣な一票でなければならない。

 (室戸市議会の議員はこの一票を自分個人のちっちゃな考えの趣くままに決めている。「賛成してやったら市長が喜んでくれるから」なんて言って法令違反の議案に賛成しているのが、それ。「幼稚な判断だ」との誹りを受けてもグーの音も出まい。しかし、思うに、地方議会に人格・識見に富んだ優れた議員が何%いるんでしょうね)

 327ページの「議員の心構え」から。

 ●議員は、常に執行機関とは一歩離れていなけれなならない。それが、離れずに密着するのなら、議会・執行機関の二元的な仕組みは無用であり、有害である。(※つまり、傍目八目で政治を見ていなければならない。傍目八目とは、囲碁で少し離れてみると八目先まで見えるという意味)

 執行機関を公正に眺め、厳正に批判し、行財政執行上の重要事項について適正で公平妥当な結論を見出してこれを決定するのが議事機関、つまり議会である。

 議事機関が執行機関に近づきすぎて一つになってしまっては、批判も菅氏も適正な政策判断もできないのは当然で、議会の存在理由も無くなってしまう。


 (※だからいつも書くように、執行機関に近づきすぎて市長が行っている違法な議案に賛成し続けている室戸市議会は、無いに等しい。だから、廃止した方が良いがそうもいかんから、議場の司会者である議長と議場には議員試験に合格した公正な判断が下せる議員2名の、合計3名ほどいたらそれで十分だと言っている。そうすれば、1年に1億円ほど掛かる議会費の予算が3000万円ほどで済み、残る7000万円の予算はすべて住民の税金削減に使える)

 ●逆に、議員が執行機関より離れ過ぎてもその役割は果たせない。離れ過ぎては、適切な行政執行の正しい懸賞はできないし、また、非難や批評は出来ても、議会の使命である正しい批判と菅氏はできない。

 ●議会において、理由があれば批判、攻撃も、また、問題についての追及もいかに鋭くてもよい。

 (※私はこれに従い小松市長の地方自治法違反などの不正を追及し続けたということです。何事においても、法令に違反するものが悪いのであって、攻撃されるのは悪いことをするから。この道理も解らない首長や議員が今も政治の場にいて自治体の予算に縋り食いぶちを搾取し続けています)

 ●悪や不正を追及するためには、何が善であり、なにが正しいかを明確に示すとともに、自らも他人の厳しい批判に耐え得る覚悟を持たなければならない。

 (※室戸市議会において、登壇した私が市長の不正を批判する正論が耳触りとあって市長を擁護する議員たちからたくさんの批判を受けた。それは自分たちが違法な議案と分かっておりながら賛成した後ろめたさがあるから。

 それが、あろうことか後ろにいる議長からも「そんなに市長の違法に腹が立つんやったら告訴したらえいやないか」と言われた時には、カチンときて、「あんたは公平であるべき議長の立場でありながら、小松市長の肩を持つのか。議長がそんなことを言っていいのか」と一喝してやったことがある。

 思ったのは、「どいつもこいつも」でした。これが室戸市議会で、体質は今も変わってはいない)

 ●政治家に強く求められるのは、「勇気」と「奮起」です。勇気なくしては、思いきって発言し、行政や住民に訴えて説得し指導することができない。議員自らが奮起して発言し、行政当局と住民に訴えてこれを奮起させてこそ、行政の進展も地域の振興発展も実現し、真の指導性の発揮ができるというものである。

 (※私も武井前市長が市職員3名を引き連れて東京は六本木ヒルズのミクプランニング社に行き、指定管理者公募の前に事前交渉を行った行為は市の条例違反に該当するので、これを調査の上で証拠を集め、追及した。又、小松現市長が徳島バスの社員宿舎を市の予算(県の借入金・補助金)で建設した地方自治法違反を追及し、既に倒産状態にある指定管理者に6000万円もの市の予算を条例違反と知りながら投じようとしたのを追求。全て、住民の代表者としての職務を全うしようと思い、勇気を持って発言した。

 だが、他の議員は奮起することなく黙秘権を行使して沈黙。すべてこれらの議員たちによって不正な事業案は可決、事業は行われてきた)


    ------------------------------------

 さて、議員とは如何に在るべきかはこれでどなたにもご理解いただけたであろうから、終わりにしますが、議会のチェック機能などというものはそれほど難しいことではない。

 議員が住民から報酬をもらっている以上、真剣に議事に向き合い、「行政運営や事業が法令に順守しているか否か」、「行政運営や事業が、議員や企業や団体の圧力に左右されず、執行部の考えを基本に計画・構築されたものか」、「行政運営や事業が公平・公正・適正で、道徳的で民主的か」などの要素をすべてクリアしているかどうかをチェックすれば、自ずと事業として正しいか正しくないかなどの結果は見えるものだ。

 その直前に議員が首長や行政職員と慣れあって、不正に手心を加えたり不正に変更したりすることは絶対にあってはならない。これまで室戸市議会で聞き市民からも聞いたのは、福祉事務所で生活保護受給を「だめです」と言われたものが市議の圧力によって変更され、受給できるようになったという話。こういうとんでもないふざけた話がある。

 こういうことになりかねないから、清岡氏が「父親が議員で息子が職員ということでは、行政や議会が家族によってきめられる“家族会議”になるから駄目だ」と指摘したのであろう。

 清岡さん、あなたの言っていることは正しいので、四面楚歌でも気を落とすことはありません。私はあなたを支持していますよ。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月13日(金)付けGooブログランキング(202万9255ブログ)中、2052位でした。

 県内では今、6月定例会が開かれているそうですが、室戸市議会と市長と市職員の皆さん、そして県内市町村の首長と議員の皆さんはこの記事を読んでいかがお考えでしょうか?

 もし、公正に行うべき地方政治に関して異論があれば、匿名じゃなく、氏名と役職を名乗ったうえで、私への批判をコメントに寄せていただきたい。例えば「小松幹侍。室戸市の市長」などと。つまり陰口を叩いてばかりいないで、「度胸があれば表に出て来て言え」ということです。

 それに対し、私からは単なる返信コメントではなく、記事にて不正な地方政治を打破すべく反論を加えながら、地方政治・地方議会とは如何にあるべきかを全国の地方政治に関わっておられる方々に伝授いたしたいと考えています。

 なんせ、最後と決めていた3期目の任期を市長を支援する中の悪人たちによる落選運動で失って以来、ヒマを持て余しぎみなもんで。
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谷口絵馬修復工房の初仕事

2014-06-08 | 絵馬修復工房の仕事
 全国におられる読者の皆様、喜んでくださいな。

 昨日の夕食時、4月に開業した絵馬修復工房に初仕事となるご依頼の電話を頂いた。

 お電話は、その4月中旬にお問い合わせを頂いた、福岡市のある神社の役員をしておられるM氏からでした。

 「メールで絵馬の写真と大きさなどを書いたものを送るから見積書を書いてお送りください。それを次の氏子が集まる会に出した上で修復を依頼したい」とのこと。決まれば、嬉しい初仕事となる。

 開業以来、問い合わせはあったが、修復依頼は無くて気をもんでいました。ようやくこれからその準備をして、絵馬が送られてきたらすぐに修復に取り掛かることになる。

 これでやっと私の新しい仕事が始まりますが、以前から呼びかけていますように、全国の神社には修復しなくてはならない絵馬がたくさんあります。「絵馬を修復したいが、誰に頼んでいいのやら」とお考えの神社関係者の皆さんは是非とも、当方に修復についてご一報いただきたい。

 修復費用は氏子さんなど神社関係者の皆さん方からの出費が出来るだけ少なく済むようにしたいと考えていますので、お問い合わせだけでも頂きたい。そのうえで修復するかしないかをご判断いただければと思います。


 4月に「谷口絵馬修復工房」を開業。私が一人で建てた事務所に看板も掲け、これまで議員事務所として使ってきたここは絵馬修復の工房となる。

  

 開業のためには名刺も必要と、次のような名刺も作ったことは以前ご報告しました。裏面には自作の大きな七福神の絵馬を印刷。

        

 そして、自家用車も営業車に替えようと考えて1月中旬に契約も、人気車種になったがため、半年経った7月初めに納車される予定。 


 それでは、ここからは以前もPRのためにご紹介しましたが、もう一度、当工房の紹介をさせていただきたい。

 まず短く自己紹介です。

 小生、地方も地方、高知県室戸市という四国最南端の小さな町に住み、長く地域づくりリーダーとして町おこし活動を実践し、手書きの地域雑誌の発行に従事し、8年間は室戸市議会のたった一人の改革派議員として市政と市議会の不正を改善し組織を改革すべく働いてまいりました。

 そして、30歳代に7年連続で高知県展洋画部門に入選した経験もあって、以来、個人的に鍛錬を続けてきた絵画の腕を活かし、23年5月からは長年の夢であった画家としての画業に専念しています。

 それとともに、この腕を伝統的文化財である絵馬の修復にも活かしたいと考えまして、昨年春から全国に向けて絵馬修復を呼びかけていました。

 そんな昨年末の11月28日(月)でしたが、福岡市はN神社の関係者T氏から「絵馬を修復したい。その方法と修復の費用は?」とお問い合わせがありました。初めてのご依頼にうれしく感じながら短く説明しご依頼の連絡をお持ちしていましたが、残念ながらその後、ご連絡はありません。

 またこれは全くの偶然だと思いますが、今年の4月13日(日)、その福岡市のN神社からわずか5キロぐらいしか離れていない神社の関係者から「絵馬を修復したい。その費用は?」と、お問い合わせがありました。

 そして、しばらくありまして、昨日、再度、修復ご依頼を前提にした見積書送付の要請のお電話を頂いたということです。


 絵馬修復依頼で氏子さんたちが一番逡巡するのはやはり、その費用のことだと思います。

 私もあまり欲のない男ゆえ、費用を吹っかけているわけではないが、それでも修復する絵馬が横1メートル以上×縦1メートル以上の大きさとなると、まさか約1カ月かけて修復して1万円や2万円ではちょっと無理な話。費用は大きさや絵が消えてしまっているかまだ絵が消えていないかなどが費用の目安になりますが、高校での若いサラリーマンがひと月にもらう月給程度を目安にして下さればよいのではないか。

 修復期間は大体1メートル×1メートル1点に1カ月前後はかかるとお考えください。

 全国の神社の宮司及び氏子さん、寺院の住職及び檀家さん、あなたの近くの寺や神社に奉献されている古い絵馬で絵が消えかかっていて『これは早く何とかしないとなあ』と困っておられる方はいらっしゃいませんか? 

 私はかつては神社や寺の大きな絵馬を修復した経験もあります。腕も未熟ではありません。

 修復したい絵馬があるとお考えの神社関係者がおられましたら、ぜひ私にご一報ください。

 高知県内か高知県外かは問いません。まず、お問い合わせください。

 「一度、下見に来てほしい」とのご依頼は往復の旅費分を別途頂きましたら、県外の神社仏閣からの要請も喜んでお受けいたします。(県内の場合、下見に要する費用は不要)

 神社や寺に心ある有志が奉献して下さった古い絵馬は、放置せず、100年以上も経てば修復を考えていただきたい。そうしてさらにこれから100年、200年と次代に受け継いで行くべき財産だと思っています。
 

 修復の腕前は次に掲載した七福神の4点の絵の出来栄えを見て下さればお分かりいただけるのではないでしょうか。 

 ● 七福神の絵馬 (これらの大絵馬は全て販売いたします。希望者はご連絡ください)

 1、「七福神乗合宝船」 (大きさ:162×122㎝) 

  

 2、「七福神富士旭光宝船」 (180×100) 

  

 3、「七福神頼光伝説大騒動」 (180×100) 

  

 4、「歌舞伎七福神宝の酒盛り」 (180×100) 

  

 ●2014年高知県展「山脇賞」受賞作品(162×112)

  

 どうです? なかなかの腕前でしょ。(笑) 


 さて、私が描いた上の七福神の大きな絵馬も販売いたしますので、全国どこかにおられる豪傑はお買い求めください。

 社長さん、御社にはお取引のある会社などからたくさんの関係者がおいでになると思いますが、会社の社長室や広いロビーの壁に展示するなど、企業の社運をアップさせるために福の神がたくさんいるこの絵馬をお買い求めいただけませんか?

 また、全国の神社を支えておられる氏子の皆さん、皆さんがみんなでおカネを集めて「氏子総中」の名でこの絵馬を神社に奉寄進してはいかがでしょうか?


 江戸期に描いた日本画の顔料で描いた絵馬は絵具の原料が石を砕いて粉にしたもので、それを膠(にかわ)で固めたものであるため、風雨の影響を受けやすい神社の壁に展示したそういう絵馬は100年ぐらいを過ぎるとどうしても絵具の剥落を起こしやすくなります。

 さらに年に何回か行われる神社の祭りの前には氏子さんたちが大掃除をしますが、その時、掃除する人たちが雑巾を持ち、その絵馬を「まー、汚れちょうねえ。きれいに拭いておきましょう」と拭いてしまうこともたびたびあろうと思います。

 そうやって100年、200年、300年と経ちますと、当然、絵馬の絵は消えてしまいます。市町村の文化財に指定しておきながら、そういうことが行われていても行政はそのことに疑問も持たないんですから、無知と言えば無知。やっていることは、「あれはどうせ俺の文化財ではないんだ」的な目の配りよう。

 自治体が一端、文化財として指定したならば、為すべきは、神社に展示したままであっても、そういう点は行政がちゃんと神社の宮司など関係者に対し指示し、点検し続けなくてはならないものであろう。「雑巾で拭いてはならない」、「竹ぼうきで絵馬の表面を撫でてはなりません」と。

 そうやって、昔に日本画の顔料で描い絵馬の絵は、年月が経てば消えてゆきます。でも、私が修復した絵馬の絵は少なくても、このまま300年や400年はこのままの状態で保存されます。


 古くても後の世まで大事に残したいものはたくさんあります。その一つにこのような絵馬があります。

 もし、この記事をご覧くださった方の中に「うちの神社にある絵馬も古いものだから一度、修復せないかんが、誰かやってくれる画家はおらんかなあ」とお考えの宮司・氏子さんや住職・檀家さん、神社や寺の役員さんがおられましたら、問い合わせだけでも構いませんので是非とも当方にご一報下さい。

 タテ・ヨコが1メートルを超える大きな絵馬からタテ・ヨコが50センチぐらいの小さな絵馬まで、又、300年以上前から100年ぐらい前のものまで、どのような大きさの絵馬でも修復いたします。

 そして、300年前や200年前の絵馬は絵が消えてしまっていて以前はどんな絵が描いてあったのか皆目分からない、そんな絵でも下書きの線がかすかに見えていたら95%創作を行い、元の絵よりも数段良い絵馬に仕上げさせていただきます。

 費用も、絵画修復の会社みたいに暴利をむさぼるようなことはせず、ご相談の上、すべて絵の状態に準じた適正な価格で修復させていただきます。

 是非、お問い合わせだけでもいいのでお気軽にごお問い合わせください。その上で、私に仕事をさせていただきたい。

 何卒よろしくお願い申し上げます。(懇願)

 
 (連絡先)住所:高知県室戸市室戸岬町2845-2  
      電話:0887-23-1214  携帯:090-4506-6343
      
      谷口絵馬修復工房  絵馬師 谷口總一郎


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月8日(日)付けGooブログランキング(202万8494ブログ)中、1933位でした。
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新作『地層、渦巻く』の制作(2)

2014-06-07 | 私の絵画制作活動
 『雨あがる』(M100号)の制作を5月12日に終わり、新たに描き始めた『地層、渦巻く』(P100号)の制作もいまだ下塗りの段階から抜け出せずにいます。

 題材の風景は、室戸岬突端から岩場の上を波打ち際まで進み、その岩場の上から俯瞰したもので、これまでとは違った制作手法を取っている。

 室戸岬の海岸にはあちこちに砂泥互層の地層と斑レイ岩など火成岩の地層が混ざり合い、隆起・沈降し、褶曲し、直立した岩場が見られますが、この場所だけは岩の上に這い上がり下を見ると、まるで地層が渦巻いたように感じられます。

 ここは平成3年発行の地域雑誌で室戸半島の地質特集を組み室戸市の海岸全域を取材をした時から絵心をくすぐられていた。

 (その現場の写真)

 

 (下書きの途中)

  

 (何度か下塗りを行った現在の状態)

 

 未だ試行錯誤の下準備の段階で、人様に見て頂くようなものではありませんが、絵を描き始めて仕上がるまでの工程に関心のある方はどうぞ見てやってくださいな。 

 勿論、このような手法は、昨年の8月から9月にかけて描いた作品『岩、迫る』の制作中に編み出したもので、それ以来続けてきて、これで5作品目になる。

 下書きの上に下塗りをし、それをサンドペーパーで擦って画面をいじめ、また描き進んではサンドペーパーで擦る、そしてまた私独特の線描を行う。

 こんな作業を何度か繰り返し、制作が進行するにつれ主に面相筆を使い細密に描き込みながら、少しずつ完成に近付けていきます。

  

 そんなことをすれば上に置いた絵具はところどころ消えてしまいますが、そんなものお構いなしに擦りつけ、また絵具を置いてゆく。そうやって本当に少しずつですが前に進んでゆきます。

 進んでいたと思ったらまた後戻りし、進んだと思ったらまた後戻りする。こんな作業を繰り返しているとパッと仕上がりの形や色彩が見えてきて、そこからはどんどん仕上がりに向かって筆が進みます。 

 それと私の手法を明かしますと、私は筆だけでなく、右手に筆を持ち色を置きながらも、その色を周りに馴染ませるために左手の親指を除いた4本の指で撹拌させるように使います。だから、私が制作中の手はいつも、右手よりも左手の方が絵具で汚れています。

 でも、私が使っているのは油絵の具ではなくてアクリル絵具ですので、絵具が乾き固まっても水道の温水で洗えば何なく落とせるので、いつもこの手法で描いている。だから、私が絵を描いている光景は、いつもまるで絵具をあちらこちらにつけてしまった子どものよう。

 それと、私が制作に熱中した時の筆の動きはそれは速く、考える先に手の方が勝手に先に動いています。それを私が、どう動くかをじっと見ている。そんな状態に陥ります。

 そうやって作品はどんどんどんどん仕上がりに向かって進んでゆきます。

 右手の筆は岩のくぼみとでっぱりに沿ってくねくねと動き、左手の指はそれに負けじとササッと撫ぜつけ画面に馴染ませる。これは他の画家が真似ようとしても、まず誰も真似でき無い。そうしておいて、後で画面を整理します。

 ということで、5月26日から描き始めた作品ですが、地方政治について記事も書かなきゃいけませんのでね(笑)、仕上がるのは7月中頃かと思っています。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月7日(土)付けGooブログランキング(202万7185ブログ)中、2555位でした。
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青空エクスプレスの記事は面白い

2014-06-05 | 政治家のあり方
 昨日、ある市民曰く。

 私も毎日チェックして見ようけんど、あんたが書きようブログの記事には胸がすく思いがします。実に痛快や。

 それに毎日読みよったら、これまで室戸市の政治がどのように行われてきたかがよく解るきん、選挙の参考にもなるしね。

 しかし、あんたのように政治はいかにあるべきかを熟知した議員を落とすとは、ほんまに室戸の人も馬鹿やねえ。

 違法な議案に賛成するような議員じゃなしに、不正を追及する当たり前の考え方を持った谷口さんが議長になって抜本的に市議会を改革してくれたら議員らももっと市民のために働くようになるんやろけんどね。


 私、「ハイ、私もそう思います」。


 ※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月5日(木)付けGooブログランキング(202万6508ブログ)中、1770位でした。

 昨日は短い記事ですみませんでしたね。夏も近づいているため、ちょっと省エネとしゃれこみました。

 しかし、何が良かったのか、最近1カ月ぐらい前からでしょうか、閲覧数と訪問者数が急激に増加中です。

 書く記事は、ほんと普通の「地方政治のあるべき論」ばかり。これらに属する記事は議員当時からも書いて来ており、特段、目新しい内容ではない。指して面白いとは言えない部類の文章でしょうが、うれしいことに検索して下さる読者が増加しています。

 ただ言えることは、“事実は小説より奇なり”で、絵空事を書く小説よりも事実を基にして政治家の裏や表の動向を厳しく書くノンフィクションの方が興味深いのは、確か。

 地方の首長や議員さんたち、そして室戸市民にとっては耳の痛いところを突く記事ばかりで面白くはないでしょうが、全国の一般社会で働いておられる皆さんには地方政治や地方議会の悪しき実態を勉強しながら楽しく読めるのではないか。

 ところどころに意図的にちりばめている“学ぶべき言葉”などを参考に、それぞれのまちの政治改革と議会改革に活かしていただけたらと思っている。 

 小生は曲がりなりにも画家を名乗って毎日100号の大作に向かい格闘しているため、毎日のように記事を書くことはできませんが、日本の地方議会の改革のためにこれからも努力してゆく所存。(大きく出たなー)

 いやー、これからも「青空エクスプレス」から眼が離せませんねェ。(笑)
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