青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

高知県展出品作、制作完了

2011-08-27 | 私の絵画制作活動
 一か月のご無沙汰でした、谷口總一郎です。記事を書かずに唯しゃにむに作品を描いていましたので、お許しいただきたい。 

 誰も言って下さらないので自分で言います。これまでの8年間、どの市会議員にも負けない働きぶりで間違いなく大活躍してきた私ですが、4月で市会議員を引退後、高知県展入選を新たな目標として6月中ごろから取り組んでいます。そうして7月には1点、この8月に1点、作品を仕上げました。

 その出品作はここで公表できないので、そのほんのさわりとして、一番最初に描いた下描きだけ見ていただきます。

 一つは、タイトル「夕映え」(P100号)162×97センチ。・・・写真集『青空地質博物館』のP93に掲載。

  

 もう一つは、タイトル「室戸岬」(M100号)162×112センチ。・・・写真集『青空地質博物館』のP84に掲載。

  

 私が県展入選を目指したのは、製材所でまだ働いていたころで、大型トラックに乗って丸太や製品を県外に運ぶ仕事をしたり、家業である製材所では2メートルのバーのチエンソーで1メートル、ときには2メートル近い直径の杉の大材を玉切りしたり、工場内で製品化されたヒノキや杉の4寸角を肩に担いで工場前で待つ4トンフォークリフトに乗せて搬出し、工場敷地において市場に出品する製品として長さを切る、そんな仕事に従事していた、30歳の頃でした。

 手慰みに描いた小さな30号の作品を出品、ものの見事に落選した。当たり前の話でした。その落選した時、製材を経営する兄にこう言われました。

 「そういち、おんしゃあ、そんなものに出品する金があったらその金でビフテキでも食った方が何ぼか身の肥やしにならあ」。

 これにカチンときた私は、その落選した10月から翌年の県展の直前の9月まで一日の仕事が終わり帰宅した後、夕食を食べる時間も惜しんで7時ごろから10時、11時ごろまで作品を描き続けました。勿論、それは翌年の県展に初入選するため。

 そうして30号から100号の大作を一年間で24点描き上げ、どれが入選するのか自分ではわからないと考え、そのうちの17点を出品した。主催する高知新聞の関係者からは「そんなに出さなくても入選するでしょう」と諭されたが、「私は絶対に入選したいんです。もし入選すると言われるなら、その作品を3点ぐらい選んでください。その方が私も出品料が少なくて済みますから」。

 高知新聞の関係者は何も言えなくなってしまった。当たり前です。もしその3点ともが落選したら、私に叱られてしまうからです。

 そうしてそのまま17点を洋画部門に出品し、その中の一点が初入選しました。その理由は、たくさんの作品を毎日毎日描き続けたため、その過程において絵具にも慣れ、筆使いもこなれてきて、さばけてきたからでした。そうして、私は兄を見返してやりました。

 数日後、その入選した作品を見ようと妻と二人の子どもを連れて会場である高知市の郷土文化会館に行く。会場に展示してある自分のその作品「わがまち室戸」(170×90)を見て、本当に感激したものです。

 全部の作品を見終わり会場の外に出ると家族で施設前の芝生に座って、しばし歓談。そうしていると、「すみません。少しお話を聞かせてください」と高知新聞の記者が寄ってきた。「はい、実は17点出品したうちの1点が初入選で、うれしくて・・」。その記事は写真入りで記事になった。これが31歳のころの話。

 それ以降も相変わらず毎日、画家のように描き続けて、洋画部門に7年連続入選。油絵具から3年目には発色と速乾性の良さからアクリル絵具に転向した。その次の年は立体部門にも挑戦、入選します。それが昭和59年(1984年)です。

 ただ、その後、昭和61年(1986年)にはジャズ喫茶店を開業、自営の仕事を始めたため、私は若いころから人生訓として「二兎を追うもの一兎も得ず」の譬えがあることを強く戒めとしてきたこともあって、昭和59年以降になるが、きっぱりと絵筆を握ることを絶った。

 そうしてこの平成23年(2011年)4月の市議選において、8年間32議会すべての一般質問に立ち市議会で一番仕事をしてきたそんな市議会53年年の歴史上初めて登場したこの正義感の塊の改革派市議を、市長や県議を支援する市民は「市長の違法や不適正業務を追及して批判するから、けしからん。あいつを落とせ」と動き、この私を落選させた。けしからんのはどちらなのか、全国の賢明な方々はもうお分かりでしょう。議会で唯一コンプライアンスを貫く真面目な議員が排除されたのだから、お分かりだろう。

 「谷口落選」という選挙結果を受けて、近隣のある村会議員はいみじくも言いました。「室戸の人は変わっちょうの。おまんみたいな気まじめで議会で一番仕事をしよう議員を落選させてしまうんやきんなあ」。私の気まじめさが高知県庁にも県東部地域の行政関係者にも正しく伝わっていたことだけが、救いだった。

 そういう、室戸の町に貢献しようと30年間も自分の身銭を切って頑張ってきた、本来ならば市議選において900票以上の得票数でトップ当選させて当たり前の人間を、室戸市民は排除したということだ。「違法でもえいやないか、おれたちが関係する団体や企業が得をするならば」といった議員の参謀がいる。市長と市担当職員は「企業誘致だから違法でもいいじゃないか」と言った。呆れてものが言えん。これが室戸市の政治なんです。

 これから、こういう法令順守(コンプライアンス)の一つも理解できない地方行政関係者に拠って室戸の町は潰れていくことになる、確実に。それは、そういうまともに法律もわからないし守らない室戸市の政治関係者の所為であり、そういう政治家に選挙のたびに投票する市民の所為である。

 室戸のために昭和61年から平成23年までの二十五年間の長きにわたり誰にも負けないぐらいの力で尽力してきましたが、この4月の私への仕打ちはあまりにもひどすぎました。それを原因として町のために尽くすことから完全に卒業させていただく。室戸のためには今後、関知しないということです。

 さて、私が絵画制作から離れていた期間は、20年(2008年)に出版した地質写真・細密画集『青空地質博物館』、21年に出版した吉良川町の重要伝統的建造物群保存地区の画集『民家美術館』を除くと昭和59年(1984年)からだから、かれこれ二十七年間、展覧会出品作としての絵を描くことから完全に遠ざかっていたことになります。

 こうして今年6月にはシナベニヤを買ってきて二つの100号の基底材を制作し、この8月中旬までに上の2点仕上げました。但し、このうちの1点が入選するかどうかは解らない。二つともが落選することも当然あり得ます。しかしですが、この落選は公正な審査員の厳しい目で審査された上での結果で、室戸の市議選のような悪質さはあるわけがない。十分納得し、来年の県展入選を目指す。それだけのことです。

 できたらあと1点描きたいと考えており、昨日、3点目の基底材(キャンバスではない)を制作を終わった。

 私はいま64歳で、11月には65歳になります。これまでの職業を列挙すると、大型トラック運転手兼製材所社員、自動車修理工場営業マン、喫茶店主、地域雑誌出版の編集発行人兼記者兼カメラマン、葬儀社納棺士、地方議会議員などに従事してきましたが、とりあえず今年からは新たに洋画家として再出発しましたことをここに宣言します。

 以後、政治の世界に返り咲くかどうかは未定。次の室戸市長選を含め、近隣の首長選に出馬することもないとは言えません。

 ま、いつも言うように「ケセラセラ」です。なるようになる。乞う、ご期待。

 
※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、9月6日(火)付けGooブログランキング(162万9195ブログ)中、5208位でした。一か月ぶりの記事でしたが、いかがでしたでしょうか? いつもの批判精神を忘れず、また毎日目標を持って真面目にその時その時の職務に励んでいます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加