青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。絵馬修復師。

地域雑誌『あおぞら』の「土佐捕鯨砲手列伝」特集(2)

2017-05-18 | 青空編集室
 (昨日の続き。昨日の記事をご覧になってない方々は先にそれをご覧いただきたい)

 地域雑誌『あおぞら』の第63号では「土佐捕鯨砲手列伝」を大特集、室戸市出身の捕鯨砲手15名を紹介しています。

 昨日はその方々のお名前を紹介しませんでしたので、今日はまず、その15名の捕鯨砲手さんをご紹介したい。

 【室戸の南氷洋捕鯨砲手一覧表】(誕生日順、敬称略)砲手名、所属する捕鯨会社、生年月日、備考、(平成7年12月現在の年齢)

 ●小松菊一郎・・大洋漁業ー明治34年11月13日ー昭和20年7月10日没(43歳)

 ●泉井守一・・・大洋漁業―明治37年12月6日ー伊豆修善寺在住(91歳)

 ●大井政治・・・大洋漁業ー明治39年10月2日ー昭和19年10月25日没(38歳)

 ●坂本鹿弥太・・大洋漁業ー明治41年11月20日ー平成2年4月5日没(82歳)

 ●山下竹弥太・・極洋捕鯨ー明治44年1月15日ー昭和47年11月2日没(61歳)

 ●久保繁雄・・・大洋漁業ー対象12年1月8日ー昭和46年8月21日没(48歳)

 ●濱久保長命・・大洋漁業ー大正14年ー室戸市浮津在住・70歳

 ●尾崎清治・・・大洋漁業ー大正14年12月29日ー昭和54年1月21日没(54歳)

 ●小栗隆安・・・大洋漁業ー昭和2年ー室戸市浮津在住・68歳

 ●千代岡吉信・・極洋捕鯨ー昭和4年ー室戸市吉良川町在住・66歳

 ●松本昇二郎・・極洋捕鯨ー昭和6年ー室戸市浮津在住・64歳

 ●柳原米次・・・大洋漁業ー昭和6年ー高知市三園町在住・64歳

 ●長岡友久・・・極洋捕鯨ー昭和6年ー室戸市佐喜浜町在住・64歳

 ●戎井正満・・・極洋捕鯨ー昭和8年ー室戸市室戸岬町在住・62歳

 ●戎井 忠・・・共同捕鯨ー昭和18年ー室戸市在住(現役)・52歳

 以上、15名です。

 昨日は、山地土佐太郎、泉井守一、小栗隆安、小松菊一郎、千代岡吉信、松本昇二郎の六氏をご紹介しました。この私が出版した「土佐捕鯨砲手列伝」に紹介した方を全員紹介することはできませんが、あと何名か紹介させていただきます。

 ●戎井正満
  

 ●山下竹弥太
  

 この書は、極洋捕鯨の砲手・山下竹弥太さんが昭和43年12月に退職する少し前、同年3月24日に同郷の後輩砲手である戎井正満さんに書き贈ったもの。この書は、いわば「捕鯨砲手心得」のような内容になっています。

 「漁事は厳しく生きる者にのみ勝利をもたらす。船頭は自ら厳しくすれば部下も亦、厳しく努力する。其処(そこ)に勝利えの道がある。他に厳しさを要求し乍(ながら)に自らを厳しくせぬ人あり。それは漁師の厳しさではない。砲手を極めんとするには、他人の二倍努力をして居る思いにして、初めて其の目的に到達出来る。努力の必要な事は砲手以外の者でも同じである」。 どこかの市長に読んで聞かせたい一文である。
  

 この写真は、昭和31年10月18日に室戸岬にて、極洋捕鯨に勤務する社員の家族が南鯨(南氷洋捕鯨)航海の安全を願い参拝した時の一枚です。中央に45歳当時の山下竹弥太砲手がいます。

 ●長岡友久
  

 皆さんご存知の、大相撲は二代目「朝潮関」のお父さん。鯨ウオッティングでも室戸市に貢献してこられた「室戸鯨ネットワーク協会」の一員。長岡さんも「鯨館」開設の折には資料収集に努力してこられた中のお一人です。

 ●奈半利町、「藤村捕鯨」の創立者・藤村米太郎
  

 この会社のことは、高知県東部地域に住んでおられる方なら皆さんご存知の、「藤村製糸」。明治33年、奈半利町の包國(かねくに)可治、畠中兼太郎と共に共同で「丸三製材」を創立。続けて木炭運搬船事業、漁業などを始めたが、数年後に共同経営を解消、各事業を分割し、藤村米太郎は製材業と漁業に取り組む。明治41年に「丸三製材」に捕鯨部を作りに、ノルウエーで捕鯨船を建造、ノルウエー人砲手を雇い近海捕鯨を始めた。明治43年、同捕鯨部を「藤村捕鯨(株)」に変え、創立。事務所と鯨を引き上げる浜は室戸の浮津に置いた。いわゆる「丸三の浜」です。この船には泉井守一も大正11年に転船した記録が残っている。(以下、省略)

 ●泉井安吉

 室戸市だけでなく、日本の遠洋マグロ漁業に大きく貢献してこられた泉井安吉翁については、私から特段、説明する必要はなく、皆さんの方が良く知っておられるでしょう。そして、日本一の捕鯨砲手である泉井守一氏の兄であることもよくご存じのことです。

    

 泉井安吉氏がまだ十代の折に神戸の鉄工所に働きに出ての数年後、安芸郡室戸町浮津(元・室戸市浮津)に帰ってきて鉄工所を開業した。まだ20歳を少し過ぎた頃でした。
  

 この左上に掲載したのが、泉井安吉氏17歳の姿。神戸の写真館で油で汚れた作業着姿のまま撮影しています。
 

 この左ページの写真のお二人が泉井安吉氏(左)と、泉井守一氏。「二人の巨人」が一緒に写った貴重な一枚となっています。

 尚、この泉井安吉氏は捕鯨に直接かかわった方ではないと思いますが、この特集号「土佐捕鯨砲手列伝」に一緒に紹介記事を掲載した。その理由は、当時の思いも今の思いも同じですが、私は戦前、いや、明治時代、大正時代から、昭和の60年頃まで、この室戸市の産業や経済を支えてきたのは間違いなく、このマグロ遠洋漁業と近海捕鯨や南氷洋捕鯨であると思っており、この歴史とそこで働いてこられた多くの人々を顕彰すべきであると考えてきました。

 そういう意味もあり、私はたった一人で取材・撮影・広告募集・訪問販売・原稿書き作業を行って手書きの月刊誌を出版する中で、室戸市だけでなく高知県東部地域が良くなるようにと願い、発展するようにと願いを込めながら、苦しい経営状態の中、巨額の借金が年々増加するのも顧みず、地域の歴史を掘り起こしながら『あおぞら』という雑誌を出版してきました。そして、記事の中に書いていることを手立てとして地域に住む人たちが何か一つでも活かしてもらえたらと思い、書き続けました。

 その1冊がこの「捕鯨砲手」の本で、この本を拠り所として、室戸市に「室戸市立遠洋マグロ漁業・捕鯨歴史博物館」を創設してほしいと願ってきた。その後、平成15年に市議会議員となってすぐの6月議会の一般質問で「土佐捕鯨と遠洋漁業歴史館の開館について」と提案しましたが、答弁は「検討します」という、本当は実施する考えがないという内容で終わっています。

 「鯨館」開設当時の室戸市の考えを推察すると、「捕鯨の歴史」と「遠洋マグロ漁業の歴史」とを天秤にかけ、「捕鯨の歴史」の方が重かったからクジラに特化した「鯨館」を建設したということは明白。でも、本当にそうなんでしょうか? 私はどちらも忘れてはならない室戸市の歴史だと思っています。

 室戸の町がかかわってきた捕鯨文化は古い絵図が残っているように、江戸期からです。一方、遠洋マグロ漁業は昭和初めごろの近海から始まり、戦後あたりから大型船での遠洋マグロ漁業が盛んになっていきます。だから、「鯨の歴史」が先で、「遠洋マグロ漁業の歴史」は後であるという、たったそれだけの違いです。

 思い出します。室津港や室戸岬港に遠洋から300トンのマグロ船が帰ってくると、「大漁だ」と町に活気を生みました。しかし、悲しみに沈むときも何度もあった。

 私などと同じ年代の皆さんは覚えておられるでしょう。昭和30年代はインド洋などでのマグロ船の沈没・座礁事故がたて続きに起こり、多くの家族のことを思いそのたびに室戸市全体に悲しみが広がったことを覚えています。このような悲惨な海難事故も室戸市における遠洋マグロ漁業の歴史の一ページであることには間違いありません。

 良きにつけ悪しきにつけ、これらは全て遠洋マグロ漁業の歴史ですが、どなたも評価及び顕彰をしていません。そのような思いから、「室戸市は鯨の歴史だけ顕彰しているだけでいいのか」と、私はこの大特集の本を出版した平成7年からずっと考えてきました。頑張った歴史があるのに誰も評価しないことを、当時、“板こ一枚、海の上”と死ぬ思いで働いてこられた遠洋の漁師さんたちはどのような思いで今、この室戸の空の上から見ているのでしょうか。

 室戸出身の捕鯨砲手の皆さんが頑張ってこられたことの顕彰は除外することも忘却することもまかりなりません。併せて、遠洋マグロ漁業が始まりいま終焉を迎えようとしているが、この歴史を掘り起こし顕彰することも忘れてはならない。

 このような思いから、私は施設を建設するなら、あのような展示内容が軽い「鯨館」ではなく、「室戸市立遠洋マグロ漁業・捕鯨歴史博物館」であるべきだと今でも思っています。これからでも遅くは無いから、見学者が驚愕するほどの展示物を披露すべく資料を収集し、パネルで紹介し、時にはかつて捕鯨砲手をしておられた方、戦後の昭和30年代40年代にマグロ船に乗って働いていた漁師さんにおいでいただき、館内で講演していただくことも面白い企画となろう。

 室戸市民の皆さんは、いかがお考えでしょうか。

 「鯨館」が開設されると聞き、クジラにまつわる資料集めをしていた「室戸鯨ネットワーク協会」の関係者は和歌山県太地町から「資料がいるなら取りに来なさい」と連絡を受けたことから、軽トラックに乗って取りに行きました。そうして何人かの方々が努力して集め「鯨館」に寄贈又は貸与したそれらの資料が、資料提供者には何の断りもないまま、室戸市は施設の改修工事を機に資料を「鯨館」から撤去し、遠く離れた場所に移してしまった。そのことを知った資料提供者の皆さんは「おかしいじゃないか」と不満を口にします。

 私は、そんなのは当たり前だと思います。室戸市長と担当課には一分の理も無い。

 指摘しておきたいが、室戸市はその資料を提供してくださった皆さんのご自宅を一軒一軒訪問して謝罪と、今後その資料をどのように扱うかについて適切に説明する必要があります。

 お教えしておきましょう。

 まかり間違っても、市からその関係者に集まるように連絡し、市役所内で説明するような行為に及んではならない。自分たちの過ちに対しては、自分たちの方からその人たちのお家を一軒一軒訪問し、謝罪し、説明する必要がある。それが一般社会の常識というものです。

 何度も言うようですが、「室戸市」というまちの主権者は「市民」です。つまり市長や職員や議員の「雇用主」、つまり、このまちの「社長」が市民であることを忘れてはならない。従業員の立場の市長と職員が「社長」である市民を呼びつけるなど以ての外。今回の鯨に関係した資料を断りも無く「鯨館」以外に移した行為は間違いなく市役所の対応の過ち。なら、直接謝罪に赴くのは当たり前の話です。

 再度、市長と担当課職員(課長、補佐ら)がその資料提供者数名のお家を訪問して、直接謝罪すべきであることを最後に指摘しておきたい。もし、この謝罪に行かなかったら、この問題はいつまでたっても終わらず、資料の提供者のわだかまりはいつがきても消えない。

 でも、きっと行かないでしょうね。小心者のよすして、下手にプライドだけは高いから。

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