青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。絵馬修復師。

所沢市長の「ふるさと納税の返礼品廃止」の判断は正しい

2017-06-02 | 国のあり方
 「ふるさと納税」で全国の町や村が大騒ぎしていることは皆さんもご存知でしょう。

 「ふるさと納税」とは、個人住民税の制度の一つで、日本国内の任意の自治体(都道府県、市町村など)に寄付することにより、寄付金額のうち2000円を超える部分について、所得税と住民税から原則として全額が控除される制度のことをいう。ただし一定の制限や限度がある。いわゆる、寄附金と思ってもよい。

 であるが、自分の「ふるさと」でもないところに寄付している点から、この「任意の」がそもそもの間違いだと私は思っている。

 この制度の発端はこうだった。

 2007年5月に菅総務大臣(現・官房長官)が表明した「地方のふるさとで生まれ、進学や就職を機に都会に出て都会で納税する人に、自分を育んでくれたふるさとに自分の意思でいくらか納税できる制度があってもよいのではないか」という問題意識から始まったもの。これが「ふるさと納税」制度の基本構想だった。

 私も菅大臣の意図と制度原則に寄り添いたい。

 であるが、現状として、実際に現住所と出生地が同じ人の割合は約8割で、残りの人は現住地が出生地と異なり、その多くは東京圏や大阪圏などの大都市圏に居住している。

 もともと私は「ふるさと納税」というから、これは「自分が生まれ育ったまちの財政支援を行うことを目的として都会に住む人たちが地元の自治体に納税という形で支援するもの」であり、国のこの事業が始まった当時は「大変良いことだ」と思っていた。それが制度が始まってすぐ、「違っている」と気付いた。現状として、納税(寄付)するのは「任意の自治体」だから、「ふるさと」ではない自治体に寄付している例が大半だという。

 そうです。今や、かつて菅総務大臣が構想を描いた制度とは内容が違う制度になってしまっているということです。

 それに、どこの自治体が始めたのか知らないが、都会に住む人が田舎の自治体に寄付目的で「納税」したのに対し、その七割や八割の地元の特産物を送るようなことを始めた。100万円の寄付を受けた時、自治体はそのまま「ありがとう」といって受け取り、感謝を込めて礼状を出せばいいのに、その大半の金額を返礼品として送り返し始めた。

 こんなことが行われると国は最初に考えていたのか、です。

 やがて、「地元の産品が売れるからいいじゃないか」なんて言って、この返礼品競争はとどまるところを知らず、最近になって、ようやく総務省が「返礼品は三割までにしてください」「それも、地元産品ではない、大手メーカーの電気製品や家具などはおやめいただきたい」と支持したが、もう後の祭り。なかなか国の言うことを聞かなくなってしまっている状況が続いている。

 この大騒ぎぶりも、そもそも全国の自治体が国の制度の趣旨をはき違えているから発生したものであるが、それにしても国が制度開始時に細かく詳細に規制していないから今のような状況が発生したもので、そもそも総務省が悪い。

 原点は、菅総務大臣が制度を構想したように、「自分が生まれた育ったまちの自治体に寄付をして町が衰退するのを助けてあげてください」であるべき。この原点こそ、「ふるさと納税」であろう。当然、「返礼品」など無用だ。

 それが、自分が生まれた町でもないし、何の縁もゆかりもない町の自治体に、牛肉ほしさやマツタケ欲しさにお金を振り込み商品を送り返してもらうなんぞ、間違いなく制度をゆがめており、そんなのは納税でも寄付金でもなかろう。例え二割や三割の寄付金がその自治体に残ろうともだ。

 「納税」には、「返礼」など無い。「納税」に「お礼」をする必要などない。礼状か感謝状でいいではないか。いや、「返礼」などあってはならない。理由は、制度をゆがめるからだ。

 「税金を納める」とは、そうしたものだ。

 制度が始まったのは、2008年4月30日に公布された「地方税法等の一部を改正する法律」の改正によってですが、この発端から私はそう思い、そう考え、返礼品競争が始まった途中からは首を傾げ続けてきた。

 室戸市議会でも、議会のたびに担当課長から「何千万円、何億円の納税があり、何千万円の返礼品を送った」と執行部から説明があるが、そのたびに考えた。

 「このように自分の故郷でもない室戸市に納税する人があり、室戸がふるさとでもない都会の人に“ふるさと納税への返礼品だ”といって室戸の産品を送っているが、いつまでもこのように制度をゆがめ乍ら『寄付金が入り室戸の地場産品が売れるからいいじゃないか』と言っていていいんだろうか」。

 この制度がゆがみ始めたころから、そう思い続けてきた。

 「制度がどうであろうとも、室戸市役所に寄付金が入り、地元の商店の商品が売れたらそれでいいじゃないか」、これでいいのかと考え続けてきた。

 室戸市には、私の他にこのような考え方を持っている議員や職員がいなかったため、このことはずっと言わないできた。

 そこで、国(総務省)は「ふるさと納税」の意義をどう規定してきたのかを検索してみた。

 総務省ポータルサイトから  ←(クリック)

 ここには制度の理念を次のように示している。

 <【総務省が示す「ふるさと納税」の三つの意義】

●第一に、納税者が寄附先を選択する制度であり、選択するからこそ、その使われ方を考えるきっかけとなる制度であること。それにより、税に対する意識が高まり、納税の大切さを自分ごととしてとらえる貴重な機会になる。

●第二に、生まれ故郷はもちろん、お世話になった地域に、これから応援したい地域へも力になれる制度であること。それにより、人を育て、自然を守る、地方の環境を育む支援になる。

●第三に、自治体が国民に取組をアピールすることでふるさと納税を呼びかけ、自治体間の競争が進むこと。それは、選んでもらうに相応しい、地域のあり方をあらためて考えるきっかけへとつながる。>


 要は、現在の「ふるさと納税」の大騒ぎは、第三点目に上げている「自治体間の競争が進むこと」の意味をはき違えていることは疑いない。国は「納税を自治体間で競い合ってほしい」と言っているが、「納税された寄付金獲得は度返しして、自治体間で返礼品の競争が進んでほしい」等とは一言も言っていないこと。

 つまり、全国の自治体の首長や職員らが「ふるさと納税」の趣旨をはき違え、その競争に巻き込まれてしまっているから、もう後戻りできなくなっているということだ。

 
 そんな6月1日(木)のこと。TBSの朝の番組「ビビット」で埼玉県内の市長がふるさと納税で返礼品を贈ることを廃止したというニュースを伝えていた。私はその放送を見て、我が意を得たりの気持ちになった。「こういう政治家もいるんだ」と。

 見たのはそのニュースの終わる頃だったので放送の内容はあまり詳しく解りませんでしたが、「ふるさと納税の返礼品の廃止」、「所沢市の藤本直人市長」とテロップに書いてあったのを手掛かりにネットで調べてみた。

 すると、次のような記事があった。

 今年2月21日の『埼玉新聞』の記事から  ←(クリック)

 今年5月13日の『朝日新聞デジタル』の記事から ←(クリック)

 二紙の内容を要約するとこうなる。

 <所沢市の藤本正人市長は2月20日、ふるさと納税の寄付に対する返礼品競争が制度の理念に不相応と判断、「返礼品による納税獲得競争から離脱する」として平成29年度から返礼品の取りやめを決めた。

 これまでの経過として、所沢市は2008年度から「ふるさと納税」制度の運用を開始し、初年度の寄付額は4件・440万円だった。2015年度の寄付額は前年度(11件・485万円)を大きく上回り、378件・約3700万円に上った。一方で、所沢市民が市外自治体に寄付したことに伴う、控除額は約1億7800万円で約1億4千万円の赤字が生じた。

 これまでの状況を鑑み、藤本市長は20日の記者会見で「そもそも古里への思いより、返礼品を選ぶことに視点が向いてしまっている」と「ふるさと納税」の現状に疑義を唱え、返礼品をなくすことで、市に入る寄付金の減少が予想されるが「(寄付者の)ふるさとを思う心に期待したい」と強調した。

 藤本市長は今後について、ふるさと納税の寄付受け入れは来年度以降も継続させる考えで、寄付金を活用する事業については改めて検討する方針。「ふるさと納税の理念を否定するつもりはない。制度当初の願いに立ち戻り、この終わりなき競争から、ひとまず降りる」と述べた。(埼玉新聞)>


 
 <埼玉県所沢市は4月から、2年続けた「ふるさと納税」の返礼品をやめた。昨年の同時期に23件231万円あった寄付が、今年はゼロ(2月12日現在)。それでも「決断して良かった」と言い、藤本正人市長は次のように語っている。

 「ふるさと納税」をやめた理由は、ふるさと納税の現状はこの制度の理念を逸脱している。自治体がほかとの差別化を意識し終わりなきレースになっていて、参加したら最後、闘い続けなければならない。そう考え、降りるしかないと思い決断した。

 所沢市には返礼品として、山岳テントや天体望遠鏡、ファッション性のあるイヤホン、ローストビーフ、遊園地のチケットなど地場産品はたくさんあるが、かといって「だからレースを続ける意味があるか」と考えると、制度の在り方が本来の理念からかけ離れている。だから、廃止した。

 「ふるさと納税」制度の本来の趣旨は、自分を育ててくれた、世話になった場所に感謝や応援する趣旨だったはず。それを、モノで釣って、よその自治体に納められるはずだった税金を自治体間で奪い合う始末。納税した人たちもモノを得ることに夢中になっている。納める税金を他の自治体から奪う必要はなく、救われるべき弱小自治体にふるさと納税されれば、それで構わない。

 そもそも「納税」とは、民主主義社会への参加ケンですよ。教育や介護などの福祉、インフラをみんなで支えあうという民主主義社会をつくる資本が税金だ。納税は、その「参加権」であり「参加券」だ。今の「ふるさと納税」の姿はその理念と離れている。その「参加権」と「参加券」を出し合ってこその民主主義社会ではないかと思う。

 それと、税金は累進課税が原則。「ふるさと納税」はお金持ちほど見返りが大きい構図だ。誤解を恐れずに言えば、きちんと所沢市に納税すべき人ほど、おいしいモノが得られる。所沢市の2016年度の納税実態は、よその自治体に行った額は約1億7千万円、よその自治体から来た額は約3700万円。しかも、その4割は返礼品に消えた。

 所沢市の福祉や教育に使われただろう税金が返礼品になり、すべてモノ(物)として消費されたということ。行政で大切なのは市民へのモノではなくコト(事)だ。

 「コト」とは、自分たちが住む街の未来を拓く施策のことで、所沢市なら緑の保全、教育の充実、子どものための施策や文化振興策。首長にも、市職員にも市民のためのコトの実現こそが大切だ。返礼品返上議論は、民主的なふるさとづくりという本来の視点を、市長の私に深く考えさせた。(朝日新聞デジタル)>



 同感だ。やっぱり、頭のいい政治家は主張からして違いますねえ。他の、「ふるさと納税で何千万円入った。何億円になった」と子どものように喜び自慢しているだけの首長と違って。

 法律や条令は守るためにある。国や地方自治体の制度も、基本理念を守りながら実施してこそ意義がある。室戸市長のようにこれらを無視して、「俺と利害関係にある業者や議員さえよければ何をやってもいいじゃないか」とばかりに、違法な事業を実施したり不正や不適正な行政運営を行うなど、許されるわけがない。

 “どんな形で制度を進めれば公正であり、どのような形で進めると不公正な制度運用になるのか”、“何が人を育て、何が人を怠け者にさせるか”、“何が自治体の財政を健全にするか、何が自治体の財政を不健全にするか”、“商店が喜ぶことだったらどんな形であっても事業を進めればいいのか”等々、いくつでも思いは浮かんでくる。

 「金が入るんなら、制度の趣旨を違えていてもいいじゃないか」なんて思っている知恵の浅い首長や議員ばかりでは、いくら他県からふるさと納税があったとしても、やがてこの喧騒が鎮まった頃、まちに人はいなくなっている。

 全国の首長や行政職員、地方議員のみなさんにも、ネットで検索してもらって、所沢市の藤本正人市長の考えについてと、ふるさと納税制度の功罪についてご一考いただけたらと思っています。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、6月2日(金)Gooブログランキング(2720904ブログ)中、1843位でした
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 市長が拒否する「室戸市長等... | トップ | 政治家の決断は「瞬時に、そ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

国のあり方」カテゴリの最新記事