青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。絵馬修復師。

「人生、照る日、曇る日」と達観しよう!

2017-07-12 | 人間のあり方
 中国・清末(清時代の末期)の政治家・軍事家で、太平天国の乱平定に活躍した曽国藩(そうこくはん)の言葉です。

 「収穫を問うなかれ、ただ耕耘を問え」。

 成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要だ、という意味です。

 この曽国藩という人物の名は初めて聞くし、この言葉、いわば教訓も初めて聞いた。そして「耕耘」(こううん)とは、田畑を耕すことをいいます。

 そこで、自問した。まちづくり活動を実践してきた二十数年の過程を振り返って、「収穫は問うなかれ、ただ耕耘を問え」の言葉のように、“結果を追い求めるのではなく、どのくらいの田畑を耕してきたか”、いかに遮二無二努力してきたかと自らに問うてみた。


 これまで色々とありました。

 まちづくり活動を始めたのは、昭和61年の40歳の時。それからはずっと自分の家庭を重視せず、顧みずに次から次へと喫茶店の売上げから、そしてそれでなくても赤字状態の地域雑誌の売上げの中からお金を出しながら、町おこし活動を続けてきた。

 儲けにならない事が分かっていても八年あまりの間、出版し続けてきた地域雑誌にしても、また議員になってから出版した『青空地質博物館』と『民家美術館』』の二冊の本にしても、本当に自分の家庭のためになっているかと問われれば、なっていない。むしろ、その度、その度に家の借金になり、それを数年かけて返済してきている。

 そんな状態だったので、いまでも思いだすが、地域づくり活動を始めた頃に、中学生だった娘から「お父さんは自分勝手や」と強く言われたことがあります。自分は頑張って町のために尽くそうとしていることでも、家庭にとっては何のためにもなっていないことを、痛烈に娘から批判されました。私は、その通りだと思った。

 でも、その娘が地元の高校を卒業し岡山の大きな会社に就職して数ヶ月経った夏ごろ、電話で聞いた言葉が忘れられません。「お父さんが町のために頑張りよったのが、働き出して、いま初めて解かった」。その時のこの言葉で、少しは救われた気がした。


 いま70歳になりこれまでを振りかえって思うが、地域づくりの活動を始めた頃から支えとなっていた言葉があります。

 特に地域雑誌を出版していた時の仕事は、夜寝る時間を減らし、飲食など遊行の機会を極力断って、全てをこのまちづくりに賭けた生き方をしていて、その頃に一つの言葉を思い浮かべ、それを何か支えのようにして活動の三十年間を生きてきた。

 それが、今日の記事のタイトルにした、「人生、照る日、曇る日」。

 わたくし如きがえらそうなことは申せませんが、良く言えば“悟りの境地”であり、またある面、“開き直り”ともいえる。「まあ、長い人生だ。こんな日もあらあ」と。

 意味するところは、「一所懸命に努力して働いていても、人生は良い時もあれば、悪い時もある。外的原因、内的原因によって、良くなったり、悪くなったりする。でも、悪い事があっても挫けず、怠けず、正直に、頑張って前向きに生きていたら、その内、また良い事がある」ということです。

 だから、何事をする時でも休まない。自分に自信がないから、ずっと毎日働き続けます。休む時間や休める日々のある議員になってからも、毎日、何かに取り組んで仕事を続けています。それは又、自分ひとりの勝手な判断で休むことや怠けることが、市民の意識や感覚に立ち考えて見れば、間違いなく負託に応えていないことになるから。

 だから、毎日何か議員としての仕事か、先の地質写真集や町並み画集の発行など、地域リーダーの一人としての仕事に取り組んでいる。

 休めば、「人生、照る日、曇る日」が、「人生、曇る日、嵐の日」になることが分かっているから、休まない。私自身が自分の全てを信用しているわけではないから、休みません。

 60歳を過ぎ70歳を過ぎると「いつ死を迎えるか分からない」と悟っているから、休まず走り続けている。いつまでも命があると考えるほど欲深くは無いから、休まない。もうそこに来ていると考えるから、休まない。

 曽国藩の言葉を覚えておきましょう。

 「収穫を問うなかれ、ただ耕耘を問え」。(成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要)

 議員でなくても、身銭を切って市民活動を実践している人ならば、成果を求めず、継続した努力をすることが大事です。ならば、「人生、照る日、曇る日」、“成果”は必ず向こうからやって来る。


 但し、役所の金に頼って何かを成し遂げたとて、そんなのは役所の力。自分たちの成果とは言えない。いつ何時も身銭を切ることが無く、“収穫”を急ぎすぎるためにすぐに行政の補助金に頼る人たちは、その限りではない。そんな活動は私に言わせれば「まやかしもの」で、金づるである行政からの金が途絶えれば間違いなく努力しなくなり、早晩、やめてしまいます。

 役所は行政運営を効率的に運営するがため、そんな「役所の金に頼るグループ」も補助金支援で“利用”し持ちつ凭れつの関係を続けているが、行政はそんなグループへの支援は、もういい加減に止めることだ。その“深情け”な行為はその人たちの“成長”のためにならないし、むしろ“成長”を阻害する行為となっている。何の継続的な効果も生まないし、却って行政によってその土地に依存体質の人間や団体を生み育て、増殖させてしまっている。

 「可愛い子には旅をさせよ」というではないか。

 行政が住民に本当に地域力を付けてもらいたいと思ったら、冷たくして突き放す方がむしろ力がつく。さすれば、性急に“収穫”を求めない、ただ夢中で“耕耘”に励む人がたくさん生まれ、育つだろう。

 私のようにだ。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、7月12日(水)Gooブログランキング(2742082ブログ)中、1631位でした。
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