青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。絵馬修復師。

行政視察に行ってのご報告(まとめ)

2016-11-07 | 議員活動
 視察から帰り、三日続けて各視察地で受けた事業説明と現場視察に対する、私の所感をつらつらと書いてきました。

 そこで受けた思いも少しはこの三日間の記事の中で書いてはいますが、自治体の在り方や政治にかかわる政治家(首長、議員)や行政職員の在り方、そしてそこに住む住民の在り方なども含め、もう少し書いてみたい。

 これらの記事は、串本町、綾部市、佐用町と視察してすぐ、高速道を走る帰りのバスの中で思いつくまま、ノートに走り書きしたものです。ちょっと散文詩的になるかもしれませんが、意図は掴み取っていただきたい。

 「視察を終えて、地方政治の在り方を思う」   

 ●アイデアが無いなら、恥ずかしがらず、先進地の真似をしてみること。

 ●その真似もそのままではなく、地域の特性や特質で“味付け”してみること。

 ●そして、他の市町村に劣るような点、ハンディや欠点を逆手に取ること。過疎地域ゆえのハンディを持つ中にも、そこにしかない特質、特徴がある。それをまちの重点施策として位置付けるべく地域づくり事業を興し、取り組むこと。

 ●アイデアがあって金が無い場合は、政治力によって国や県の協力、支援を得るべく心血を注ぐこと。

 政治力として求められるのは、一つの組織である自治体の長の手腕。その長が国や県の協力を得るべく営業力や組織経営者としての能力を発揮してこそ、自治体、町は生き返るのである。

 「住民のためにはこうするしかない」とまちが考えた時、それを成すべく政治力を使って、まず何年かかろうとも取り組む。それを他の自治体がやっていようがいまいが、まずは走り出したのではないだろうか。そこが他の町との違いではないか。特に串本町の急速に進んだ公共施設の津波避難対策は政治力以外の何物でもない。

 視察した三市町は、どこも室戸市よりも大きなまちであったが、室戸市との違いは、政治にかかわる人たちと住民が世に広く開けた考え方を持ち、人から学ぶ、先進地であること。この三市町が先進地であるのは、改めることや新しいことを行う時、「まず、やってみた」ことではないか。国と県と町の政治家が力を合わせ、心をつなぎして。 

 ●「住民のためになることは何か」と考え、走り出す。一部の利害者やまちの住民ではない人たちは喜ぶが住民は喜ばない、そういう事業は頑としてやらないこと。

 ●そして、串本町の施設高台移転の大事業は「三代前の町長が始めた」とお聞きしたから今の町長で4代目となるが、そのように、構想する大事業が何年かかろうが、住民のためなら汗を流し血を流しして、取り組む。

 ●たとえその時に不正な誘いや“外圧”があっても毅然と排除し、一切受け入れない度胸を持つこと。それには「殺すなら殺せ」と言えるほどの勇気が要る。

 ●住民の代表が不正な誘いや“外圧”に負けているようでは情けない。住民を見殺しにするようなそんな長なら住民は怒り、急ぎ引きずりおろすこと。

 ●自治体の長と言えど、威張るほど偉くはない。高が任期4年の“命”だ。相手にひれ伏す必要はないが、頭を下げるべき立場の人には礼節を以って頭を下げること、住民の代表者として。それが「自治体」という“会社”の長の務めと心得よ。

 ●そこには、何よりも「まちを変えるんだ」「まちを大改革するんだ」の強い意識がなくてはならない。長はもちろんのこと、行政職員にも、議員にも、その意識改革が必要だ。

 ●当然、住民も変わらねばならない。「これまでこうしてくれたのに・・・」「これまでこうだったのに・・・」は止めること。

 住民も意識を変える必要がある。今のように役所から金を引っ張り出すことばかり考えていては、いつまでたってもまちは良くならない。自分でできることは自分でやる。グループでできることはグループを組んで自分たちで工夫してやってみる。これが「自助」であり「共助」だ。自分たちが自分たちの持っているお金を集めてやってみて、どうしてもできないとならば、その時初めて自治体が考え、支援できることだと判断したら、その時ようやく役所がお金を出して応援する。

 こういう形が「正しい地方自治」であり、「正しい住民自治」だ。

 注釈を入れると、最近は自分たちが地域のためを思ってやっていることを「ボランティア活動」などという人たちばかりだが、あの「ボランティア」には「俺たちがやってあげている」「俺たちが奉仕活動をしてあげている」というニュアンスと意図が感じ取れ、40歳の時から自分が働いて稼いだお金で地域づくり活動に励んできた私が一番嫌いな言葉。それも言うなら、「私たちの地域活動」と言うべき。町のために働いていることに恩着せがましく言う人は大嫌いだ。「それほど恩着せがましく言うなら、いますぐやめてしまえ」とそのたびに思う。 

 ま、そのことはさておいて、考えてみてほしい。お金持ちはある程度は余裕があるから無駄な買い物もします。でも、貧乏をしていると残りの蓄えたお金を考え節約しながら買い物をします。役所の財政が豊かなまちでは無駄な建物を建てても余裕はあろうが、貧乏なまちの財政において無駄な建物を建てると住民は大きな被害を受ける。

 また、役所に基金と名がつく蓄えがあるのに住民のためには使わず、「オレは基金を何十億円と貯めた」と自慢する長もいる。自分は年収1000万円近い給料をもらい豊かな生活を送っているから苦はないが、住民に還元すべき基金を還元せず1億円、2億円と基金に積み上げるから、住民の暮らしぶりは良くならず、どんどん悪化していく。

 そんな時、傲慢な首長は自分中心主義で人の忠言を聞こうともせず物事を推し進めるから、職から離れるまで自分勝手な政治を行うことになる。

 よって、長が信用できない場合があるから、住民も変わらねばならないということだ。

 そこまでしないと、この衰退し、住民がそれにつれ町を出ていき、それによって更に衰退する町の状況は変わってはいかない。

 最後に。

 「串本町のあの大事業で分かるように、まちを良くすることや発展させるのに必要なのは、政治に関わる者たちの強い政治力。それは町の政治にかかわっている首長であり議員であり、県の政治家である知事や議員、そして職員であり、国の国会議員や職員。この者たちが心を通わせ、意思疎通よろしく一つの大事業に思いを賭けた時、まちはやがて大きく発展を遂げる。
 だが、まちの首長や議員の政治力が貧弱で、日頃から国や県と意思疎通はとれておらず互いの協力関係も築いておらず、県に行っても国に行っても耳を貸してくれないようでは、そのまちの発展は望めず、いつまでも住民から批判を浴びるような事業を続けるしかない。そうして住民は多大な被害を受け続けるということだ。


 私はかつて地域雑誌を出版していましたが、そこでその折々にこう書いた。

「外に学んで、内に活かせ」

これは当時、私が行っていた地域づくり活動についてだったが、地方自治もそうあるべきだと思う。意味はお分かりのように、「先進地や先進的な考え方を持った人たちに学んで、その学んだことを自分たちの行いや自分たちの町を変えるための知恵として活かせ」ということ。

 田舎の町ともなると、古い考え方に凝り固まってなかなか先進地や先進的な考え方を持った人から学ぼうしないが、それをするかしないかが境目。学べば開けるが、学ばなかったら開けてこない。結局はそういうことだ。全てはその人次第、その町次第。後で喜びを得るか泣きをみるかは、政治家と住民の在り方一つということになろうか。


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