青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

平民宰相、原敬の生き方

2018-02-06 | 政治家のあり方
 この寒さ続きで風邪なのか咳が出て体調があまりよろしくないので、先日に続いて十年近く前に書いた記事をご覧いただきます。あしからず。また体調が戻りましたら室戸市政と市長選情報などをお伝えさせていただきます。

 私は来年4月の引退を前にして、この政治家の生き方をもう一度振り返ってみた。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
 かつて、大正7年に首相に就任した原敬(はら・たかし)という人がいました。

 原以前の首相は全て華族でしたが、原は大多数の国民と同じ平民出身ということから、「平民宰相」と謳われたことは有名です。数多くの政治家と違って、叙爵(じょしゃく)を拒否し、平民であり続けました。「叙爵」とは、爵位を授けられること。その理由は、《国の指導者は、国民から選ばれた衆議院議員でなければならない》と考えていたからといいます。

 明治、大正から、戦後の昭和22年までは、選挙を経ないで華族らが議員となる貴族院があった。爵位を得ると貴族院議員とされる、それ故、原は爵位を頑なに拒否した。このことから、政治家を目指すに当り、国民に選挙で選ばれることの重要性と、国民の審査をなんら経ずに議員となった人ばかりの貴族院にいることで、国民から自分も他の議員に向けられていると同じ目で見られるこの二つのことを嫌い、頑なに爵位を受けなかった事が分かります。

 この原敬の座右の銘は「宝積(ほうじゃく)」。

 「宝積」は「宝積経(ほうしゃくきょう)」を指し、この経の本義に「人を守りて己を守らず」とある。これは、人に尽くして見返りを求めないことで、同経を実践しようとしたもので、原の生き方が単的に表された言葉といわれている。

 栄誉を求めず、爵位を求めず、ただ平民を全うすること。誠に感じ入る。

 私は議員の端くれとして、この方を見習わなくてはならない。

 地方の政治家たちには「市長になりたい」だの、「議長になりたい」だの、「委員長になりたい」だの、そんな名誉や権威を追い求める人がたくさんいますが、そんなことよりもっと大事な事があるということです。

 それは、議員としての職責を果たすこと、住民のために尽くすこと、住民の負託に叶うだけの成果を挙げるよう努力すること、報酬分以上の働きぶりで仕事をすること・・・・。いくらでも挙げられる。

 手前味噌になるが、私は平成15年に議員になった時、自分に“重い荷物を背負わせた”。

 それは住民に選んでいただいたことを考えると、気を抜くこと自体がもう職責を全うしていないと判断したからです。その「重い荷を背負う」とは、県外のある元議員が戒めとしている言葉を基に、市会議員になった平成15年に私なりに次のような十訓を作ったことに因る。

「市議会議員の評価基準」

1、一般質問は毎議会行っているか。
2、どの議案に質疑し、賛成(または反対)討論し、賛成し、反対したか。それは積極的か。
3、政策実現はどのくらい出来たか。
4、公約は守っているか。公約以上の活動を実践しているか。
5、全市的な視野と観点で政治に取り組んでいるか。ドブ板議員にはなるな。
6、違法をしていないか。違法を追求しているか。悪人を許してないか。
7、市民の視点で働き、市民の声を代弁しているか。市民の犠牲になれているか。
8、公平、公正で、大局に立った姿勢を忘れていないか、何が重要か忘れるな。
9、利益誘導、不合理な口利きや働きかけをしていないか。
10、威張ったり、傲慢になっていないか。

 筆書きしたこの十訓を、私が毎日座っているパソコン・デスクの前の壁に貼ってある。

 議員として揺るぐことなく、毎日これを守り、一日として気を抜いたことがなく、真面目一筋で活動を続けている。だから、自慢ではなく事実を申せば、この5年間、一般質問を欠かしたことがないのは私だけですし、普通どなたもしない討論に登壇した回数も一番多い。勿論、用意周到、議会で大綱質疑がある前日までに質疑原稿も仕上げて、その日に臨んでいます。

 なぜ、こうして精力的に議員活動をするのかと言うと、他の人のことは関知しないが、気を抜けば負けるから。それだけです。

 他の議員に負けるのが癪に触るから、負ける事がいやだから、頑張っているんです。夜昼無しに頑張るのは疲れますが、とにかく負けたくないから、一生懸命これまで四十年、生きてきました。(まるで遺言のようだが)

 それと、住民の皆さんに、「谷口、お前は議員報酬分の仕事をしていない」と言われたくないからです。

 それに、「谷口、お前は、不正を許しているのか」と言われたくないから、不正を許さないのです。

 それに、「谷口、お前はしてはいけない不正な働きかけをしているじゃないか」と言われたくないから。

 どこかの議員みたいに、市長に対し「あの建設業者の仕事を作ってやってくれ」という働きかけをしたり、「あの会社を指定管理者にしてやって下さい」なんて不正なことは絶対にしません。

 企業などとは利害を持ちたくないから、市議選では運動員の助けを借りることなく、女房と二人だけで選挙運動をしています。

 だから悪しき利害関係は全くないし、選挙で使ったお金も少なく、平成15年の初出馬の時には97000円、次の19年4月の市議選では45000円で済んだ。貧乏人とはこのように他人に頼らず生きていくものです。これを「清貧な生き方」と言います。

 とにかく、議員は自分に重い荷を背負うべきです。

 あれも、これもしなくちゃならないと思って仕事をすべきです。

 してもしなくてもいいなんて気持ちじゃ、いつまで経っても議員として一人前にはなりません。そんなんじゃ、市民の皆さんから「あいつらは・・」と後ろ指を指されることになります。

 そして、仕事は自分で作るもの。仕事は自分で課題を設定した上で、次から次ぎとその課題に関して取材・調査・研究を重ねることです。

 県庁の担当課に行き、自分の役所の担当課に行き、又はインターネットで調査して資料を集め、その上で自分の考えをまとめて、やっと次の議会の課題、質問項目が固まって来ます。

 憲法第15条には、「全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定されています。議員は、住民全体の利益のため、この法令に基づいて公平にその権限を行使すべき厳しい立場にある。つまり、住民全体の立場に立つ議員として、勇気を以って公平・公正に、正しい判断を下すべきもの。議員は正義の味方として努めなくてはならないのです。

 地方自治体議会の議員は、決して一部の地域や特別の個人や企業の利害で物事を判断してはなりません。原敬首相のように、「名誉的地位に恋々とせず、人に尽くして見返りを求めない姿勢」。これこそが政治家や議員が守らなくてはならないルールではないでしょうか。

 私はそう思いこれまで十一年間努力してきましたし、全国の地方議員もそうあってほしいと願っています。


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恩師、ふくおひろし氏の教え

2018-01-26 | 政治家のあり方
 小松市政の不正・不適正な政策について色々とご教示いただいたのが、遠く東京におられた、ふくおひろし氏でした。

 そのふくお氏が2014年1月30日に亡くなられたことをネットで知ったのは、数か月経ってからだった。

 あれからもう四年が過ぎました。

 お元気だったころには何度か「室戸市の事業についてご判断頂きたい」と教えを乞うと、メールや法律について詳細に書かれた手紙をいただき、再度こちらからも手紙と御礼として室戸沖で獲れた魚をクール便で送らせていただいたりして親交を深めたが、それも数年で終わってしまいました。

 今日は、私の“師匠”(氏は「同志だ」と言って下さったが)のふくおひろし氏の著書の一文をお読みいただこうと思うが、その前にふくおひろし氏の略歴から紹介します。地方議会で改革に取り組んでおられる方々はご存じでしょうが、初めてこの方のお名前を聞いた方のために。

 お名前は通常「ふくおひろし」ですが、本名は「富久尾浩」。

 1929年に北海道で生まれ、公務員、会社員を経て、東京都の武蔵村山町(後に武蔵村山市)の議員を通算七期務め、1999年(平成11年)に引退する。
 
 議員在職中に議会報として書いて支持者に配布していた議員活動の記録をまとめた本『たった一人の革命』が1986年(昭和61年)、第二回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞を受賞する。

 この議会報と比べれば、私が室戸市政と市議会の違法や不正や不適正な運営を厳しく指摘し記事にして発行している議会報『青空新聞』など子どもみたいなもので、氏が発行する議会報は大半が市長の実名はもちろんのこと、市議が行った行動記録も全て実名で市民に広報していることから、議員からは“デスマッチ議員の紙爆弾”と恐れられていたそうです。

 それを一冊にまとめて応募した『たった一人の革命』は1986年度の「ノンフィクション朝日ジャーナル大賞」に受賞。それは、1987年にタイトルを『東京村デスマッチ議員奮戦記』に変えて出版された。

 私は平成15年に室戸市議会議員に初当選して議員の仕事を始めましたが、その頃にふくお氏の活躍ぶりも本についても全く知りませんでした。

 議員となり1議会目が終わり、2議会目の平成15年9月議会が終わりしても議会全般について教えてくれる者はどこにもいないし、地方議員は如何に在るべきかについても議会の中にそれを教える程の知識や見識を持った議員は一人もいませんでした。

 そんな頃でした。

 当時、議会事務局にいたN職員(現在は課長職にある)の机の本立てから、一冊の本を見つけた。それが『地方議会活性化マニュアル』でした。

 「一日貸して」と頼んで読んで見たがそれはそれは痛快で、「地方議員の中にはこんなに前向きで、恐れを知らず、ダメなことはダメと言える議員がいるんだ」と思い、すぐに同じ本を本屋さんに頼み、買った。

 やがて議員になって3年目にパソコンを購入し使い始めると、ネットでアマゾンを通じて次々と氏の著書を買い、読んだ。

 最初は私もなかなかふくお氏のような真似は簡単にできませんでしたが、少しずつ少しずつ本に教えられるように努力し、出来るようになってきた。

 そのうち、平成20年に室戸市が地方自治法違反(公の施設)となる「室戸岬高速バスターミナル建設事業」を行ったときに直接、ふくお氏に手紙を出しご教授いただいたことから、親しくお付き合いするようになり、お教えいただいたお礼として市内の魚屋さんで獲れたての魚を買い、クール便で送ったことも何度もある。

 そのお礼として著書を何冊か送ってくださったが、次の本もそのうちの一冊。

    

  

 うれしかったですし、読めば読むほど議員としての技術的な手法が理解でき、発言や行動する上においての勇気も沸いてきたものです。  

 もう一つが、室戸市が平成19年11月から昨年7月までの七年九か月間、私が何度止めても市長も議長など議会も聞く耳を持たずやめなかった、議員総会においての不正な「議案の事前審議」。これについてもふくおひろし氏の著書から学び、これまで長年、室戸市議会に物申してきた。

 そうして室戸に住む市長支持グループによる落選運動で落ち、4年間、冷や飯を食ってきて、27年4月の「市議会にはおまんがおらんといかん」の声が大きくなり、市議選で再選されました。

 その直後の6月議会が開かれる頃に再度「事前審議の廃止」についての要望書を議長に提出。久保議長と山本議会運営委員長と他数名の議員の理解もあって、ようやくその議員総会での議案の事前審議は廃止された。恩師のふくお氏がお亡くなりになって、九か月目のことでした。

 私はふくおひろし氏の真似はまだまだできません。でも、室戸市においての市民のためにならない予算を浪費するだけの無駄事業や、不正や不適正な行政運営や議会運営に対しては徹底抗戦し、それに関する情報も安芸市以東の地域に広く公開しています。

 落選中の2014年、元室戸市議のK氏と話した時のこと。

 K氏は「谷口さんは市議会に無くてはならない議員ですよ。次回の市議選にも出てほしい。何人かの議員と行動を共にするようにできないか」と言うが、即刻、「それは無理。私のようにダメなことはダメなものですと議会で発言するには勇気と度胸がないと無理で、誰も行動を共にしないでしょう。『議会で反対したり市長の不正を追及したりしてたら次の選挙で市民の反感を買って落ちる』なんてことを考えて怖がっているようではとても無理で、私と一緒に行動を共にするなんて議員は、まずいません」と答えました。

 K氏には悪かったが、室戸市議会で「ダメなことはダメ」と言える議員が果たして何人いるのか。その時はそう思った。

 議会において、発言するときや採決の時に周囲を見回しているようじゃ、地方議員の職責は果たせない。

 議会においての判断というものは、いったん議場に入ったら自分一人の考えで決めるもの。他の議員の判断を見ながら賛成したり反対したりするものではない。

 その判断は、「この事業案が市民にとって正しいことなのか」、「市民にとって価値あるものなのか」、「市民生活に寄与するものなのか」等々を考慮し、最終的な判断を下すものであるべき。つまり、「市民にとって議員である自分は如何になすべきか」だ。決して、「この事業案は自分が親しくお付き合いしている建設業者にとって有利な事業なのか」、「自分が知っている団体にとって有利なものなのか」、「それらは自分にとって効果があるものなのか」、「他の議員は賛成するんだろうか、反対するんだろうか」等々と考え、判断を下すものではない。

 室戸市議会においては、賛成議員の大半が「この問題があるという議案に賛成したら市長は喜ぶだろう」と考えてのことだが、議員が市民の側に立たず市長の側に立つということは、市民の負託に応えていないことであり、地方議員の職責に背いたことになる。・・・となると辞職していただかなくてはならない。

 しかし、そういう“市民に逆らうよりも市長に逆らうほうが損になる”と思っている議員に「議員の判断は、市民にとって必要なのか必要ではないのか」を説明しても無益。だから私は、二期目あたりから他の議員諸氏に向けて説得などしないと決め、放置している。つまり、木偶の坊は見放す。考えの違う人とは同調しない。だから、それらの議員はいざとなっても助けないということだ。

 「私一人だけでもいいから議員としての務めを果たす」と決意している。

 これからも議員任期が続く限り、「この事業は市民全体にとって効果があるかどうか、必要なものかどうか」、「この行政運営は正しいか、不適正か」、「この条例は市民のために効果があるのか、それとも市が市民を下において優位に立とうとするルールか」を基準に発言し、賛成し、反対します。

 長くなりましたが、以上が前置き。


 さて、本論です。いつも「学び」の気持ちを以って勉強しておられる地方議員の皆さんにお届けします。

 ふくおひろし氏の著書『地方議会議員生態白書』の中の、「沈黙も議員の権利だが」のページから引く。

 《「ふくお君よ、議会は町長が出してきたものをシャンシャンと賛成すればいいところだ。自治会(※室戸でいう「常会」)の延長のようなものだから、君のように毎回毎回質問しなくてもいいんだぞ」。

 まだ市制施行前の初当選の頃、先輩ぶった保守系議員のご忠告である。

 「そうですか、僕は黙って賛成要員を務めるために議員になったわけではありませんから、必要な質疑と質問をするんです」。

 この先輩議員だけの質ではなく、「与党だから何も言わずに黙って賛成する」というのが議員の仕事と思われているようで、一般質問はするが、議案の質疑は一つもしない議員が圧倒的に多い。沈黙も権利だといってしまえばそれまでだが、膨大な額の予算・決算を審査しているのに一つの質疑もないというのは不思議なことである。

 そうかといって、なんでも発言すればよいというものでもない。不動産屋議員が自分の仕事がらみのことを取り上げ、「開発指導要綱の規制がきつすぎる。建ぺい率をもっと緩やかにしろ」とやって、同業者議員に「おめぇ、自分のしょうべえ(商売)のことべぇ、言うな。笑われるぞ」と、たびたび野次られていた。

 商売がらみのことを言ってもいつもこうなるとは限らない。野次どころか、同情されることもある。寡黙で有名?な“隠れ自民”(自民党員の議員だが「無所属」で出馬した議員のこと)の議員が初めての質問で。汗を拭き拭きやったのが同情を買っていた。

 「一中の校庭のフェンスが低すぎるので。休み時間や放課後、野球のボールが外に飛び出して近所迷惑になっている。何とか考えてもらえないか」。

 一中の校庭に隣接している民地はその議員の経営する種苗園だけだ。だから、自分の商売のことを言っているのは誰にでも分かることから、大爆笑になった。

 種苗園に並べてある植木鉢に相当な被害が出ていることが分かったときには、応援の大合唱が起こった。「早くフェンスを高くしてやれ!」。

 お礼の意味なのか、周囲にペコペコ頭を下げて着席したが、この議員の任期中の発言はこの一回で終わりとなった。何のために議員になっていたのかわからないが、憎めない人だった。》


 ふくおひろし氏は指摘する。

 ●「私は黙って賛成要員を務めるために議員になったわけではない。だから、必要な質疑と質問をする」。

 ●「議案の質疑は一つもしない議員、市長に寄り添う与党議員だからすべての議案に無条件で賛成する議員は多いが、100億円を超える膨大な額の予算案や決算を審議しているのに、質疑が一つも無くてよいのか」。


 お分かりのように、ふくお氏と私の考えは同じで、地方議員が本議会において予算案に質疑をしない、質疑ができないようで、議員職が務まるのかと思っている。

 もし私がそういう性格なら、市議選なんぞ絶対に出馬しません。議員になんぞ、ならない。

 なぜならば、議員としての職責を果たせない、職務を遂行できない程度の能力の人間だったら、恥をかくだけだからだ。議員になっておりながら質疑もしないのは恥を晒すことになるから、“恥さらし”ということになる。

 オラ、そんなのいやだ~、オラ、そんなのイヤだ~・・・。

 私が市議選に出たのは、「議員になったら市民のために働くぞ」、「市民の意見や考えを市民に為り代わって議場で発言しよう」と考えたからで、それを実行に移しているだけのこと。他に出馬した理由はない。勿論、報酬を頂けることもなければただ働きは時間の無駄で、それなら好きな画業に精を出していたほうがよいが、それは後からついてくること。議員になったからには、まず「行政を厳しくチェックし、発言し、市政と議会の情報を市民に伝え、議員としての職責を果たす」、これがなければ市議選なんぞに出てはいけないのです。

 一度、一期目の時に「不法投棄防止条例」を議会に提案したが、委員会に付託された後、委員らは全員が不法投棄の現場に視察にもいかず否決、本議会でも否決されたことがあるが、その時の理由が「その条例は必要だが、一期目の新人議員が提案した条例案を可決させたら俺たちが恥をかく。だから反対した」と閉会後に聞いた。その時から、「アホばかりがいる議会にいくら条例案を提出しても全て否決されるだけだ。金輪際、この議会に条例案を出すことは止めよう」と決めた。自分たち二期目以上の議員の無能ぶりがあからさまになるから、市民のためになる条例案も否決するという市議会に明日はない。

 ふくお氏の記事の冒頭にある、先輩ぶって「ふくお君よ、議会は町長が出してきた議案をシャンシャンと賛成すればいい。君のように毎回毎回質問しなくてもいいんだぞ」と圧力をかける議員は室戸市議会にもいて、そういう圧力が他の議員の「質疑しよう」という意思を委縮させているのは疑いない。但し、そういう議員に対しては、「圧力には圧力」、「妨害には妨害」の対応が効果を挙げることを最近分かってきたので、これからはそれでいこうと決めている。

 どこでもそうですが、地方議会を活性化するには、議員が本会議場で次々と質問に立ち、次々と質疑に登壇し、発言すること。発言を妨害されたときには委縮したり我慢などせず、一喝して戦うこと。これに尽きます。

 また室戸市議会にはこういう議員がたくさんいるが、議場に来た議員が会議を早く終わらせて家に帰ろうとしているようでは、議会は活性化しない。議会を早く終わらせて家に帰りたいなら、なぜ議員になどなったのか。それほど会議での集中審議が嫌なら、議員を辞めればいいのにと思う。誰も止めはしないから。

 議会改革よりも、こっちの議員職に熱中することに関して厳格化することのほうが先だ。

 以上、今日はふくお氏の本から議員の在り方について書いた。


「僕は黙って賛成要員を務めるために議員になったわけではないから、必要な質疑と質問をする」

 地方議員は毎議会、こうあらねばなりません。もし議会で質疑や質問を行うことが嫌だったら、今すぐ議員辞職届を議長に提出せよ。そうすれば、毎日家にいてテレビを見て遊び呆けていても、その元議員の妻以外、誰も文句は言わない。

 全国の賢明なる議員の皆さんは決して、当初予算案や補正予算に対し黙秘権を行使する議員になんぞにならず、毎議会のように質問に立ち、議案審議の日には質疑に立って大いに疑義を質し、活躍していただきたい。

 故・ふくおひろし氏はそう教えている。


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政治は住民に迎合せず、将来の住民のためにいま如何にあるべきかを考えよ

2018-01-25 | 政治家のあり方
 22日に議員説明会があり、その結果、室戸病院が1月末日を以って閉院になるために室戸市が中央病院に依頼して内科の外来診療を依頼することが決まったと記事にしました。

 そして、その記事の最後に私は市の関係者や市議会議員、市民の皆さん、そして全国の地方自治に関わっておられる方々も含めて、次のように指摘させていただいた。

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 <人間と言うものは「理想」と「現実」は分けて考えるべきもの。「理想」ばかり追い求めて自分や地域が転落しては、何にもならない。「理想」を追いながらも「現実」を踏まえて将来を展望し、「理想」とすることが達成できないとならば、「現実」を踏まえながら依り理想に近づけるよう努力し物事を進めていくこと。これが、健全な将来設計というものではないか。

 それは、政治であろうが、会社のことであろうが、自分のことであろうが、家族のことであろうが同じだ。

 「現実」と「将来展望」を無視して夢描いてはならないということである。

 もう一つ言うと、これは勘違いしてはならないことだが、政治というものは国民や住民に媚びて政治的方向を決定してはならないものだ。それは所謂「ポピュリズム」(※)と言われるものだが、「国民の多くが言うから」とか「住民の多くが言うから」といって政治家がその声に惑わされて政治があっちへ行ったりこっちへ行ったりしてはならず、「いまさえ良ければ」よりも、10年後、20年後、そして50年後を見据え将来に後悔しないように政策を方向ずけていくべきもの。

 (※「ポピュリズム」とは、「大衆迎合主義」と訳される。国民(市民)が強く要請していることが将来的には却って国民が困る状況を生むことであっても、「選挙で支持を得られるなら」と政治家が企み、大衆の声に呼応し「あれもやります、これもやります」と訴えることを言う。政党が「消費税をゼロにします」と訴えたりするのが、それ。つまり、そこに政治家の責任感というものは皆無だ。

 次の市長選や県議選や市議選で勝利しようとして、「市立病院を作りますと主張すれば自分に投票してくれる」なんて浅い考えは捨てたほうが良い。それは知的な行いではない。

 政治家が考えるべきことは、「自分のために」ではなくて、私のように絶えず「市民のためにはどうしたらよいか」と考えることです。「今は医療環境が悪化し生活に困るようになったとしても、今の人口12000人が三分の二の8000人の町になる10年後の市民に、病院創設に係る債務や病院赤字の債務を背負わせてしまってはいけない」と考え、その正誤を見極めた上で市民に語り掛け披瀝するのが政治家というものだと私は考えます。

 政治家は住民に媚びてはならない。いくら市民が希望していることでも「そんなことはできません」と理路整然と語り掛けるだけの技量や才覚がないとだめだ。

 すべては人口減少が原因の、町の衰退です。理想は理想として追い求めながら、結論は、現実に沿ったベストな政治を行うのが賢明な政治活動であると私は考えています。>

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この1月に入ってからはこの「室戸病院の閉院」のニュースが市内全域に広がり、市民の皆さんは驚き慌て、その怒りと不安の矛先は室戸市役所と市議会に向かいました。「市長は何しよら、市会議員は何しよら」と。私がこの話を聞いた日は9日の日でしたが、その翌日から3人のご高齢の女性から次々とこのことについての問い合わせの電話がかかりました。議会でちゃんと仕事をしている私に向かって怒りをぶちまける人はいませんでしたが、その不安は理解できますので、適切にそしてその日に話せるだけの情報を伝え、今後に予想される流れについてもお話をさせていただきました。

 かといって、すぐに全面解決が成る問題でもないので、どの方も不安なまま電話をお切りになった。そして、22日までに市が動き、2月1日から中央病院で内科に限り受診出来ることになったので、当面は市民も安心できるのではないか。唯、室戸市の医療に関しての抜本的な対策とは言えず、緊急避難的な対応策ではある。

 さて、室戸市の医療に関する今後の対応については、この11月にある市長選で当選された市長にバトンは渡されます。でも、それはあくまでも「市の医療に関する改善策の構築」と書いたバトンであり、「室戸市民病院の建設」と書いたバトンではありません。この点は政治関係者も市民の皆さんも勘違いしてはなりません。

 1月7日に「室戸市長選に向けた前哨戦でのこぼれ話」という記事を掲載いたしましたが、そこでは3名の立候補を想定して紹介いたしました。その方々が皆さん立候補するとは私は言っておらず、あくまでも立候補が予定される方々。で、もしこの3名がそのまま立候補されるとならば、この室戸市の今の医療体制をどのように公約に描き込もうかとならむと想像します。

 ●1番目の候補は、自分が市長になって実現できないことでも公約に入れ、室戸市の医療機関の実態と将来の人口減少の推計も理解しないまま「室戸市民病院を設立します!」と書き込むでしょう。

 これは「勝って自分が市長になりさえすれば、後は野となれ山となれよ。何とか誤魔化せばえい」という、市民が一番投票したくなる候補であろうが、一番被害を受けるタイプ。こういう候補が先日の記事でも示した「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の人物で、いわば共産党が「消費税をゼロにします」といっているのと同じで、物事を深く考えない有権者が一番騙されやすい候補。

 ●2番目の候補は、市内の医療機関の実態も人口減少についての知識も無いまま、他の候補の公約などを基にして、「市内の医療実態を踏まえながら、室戸市民病院の設立を目指します!」と公約するでしょう。

 但し、こう書けば「市民病院の設立を公約にしていない」とその候補と支援者は考えてのことだろうが、市民はそんな“逃げ口上”なんか、許してはくれません。「市民病院の設立を目指す」と公約すれば市民は間違いなく、「◯◯候補、おまんは市民病院を設立をすると約束したじゃないか」と批判します。いくら「目指す」と「します」との違いを説明しても、論理の破綻について理解できない人に対しては無益。

 ●3番目の候補は、市内の医療機関の実態と人口減少の状況を見て、市民にウソをつき被害を与えるような公約は書けないと思い、「市内の医療機関の実態を踏まえた上、市としては支援策も含めた抜本的な改善策を構築してまいります」と冷静な公約を市民に示すでしょう。

 で、私はこの3例の中でいうと、3番目の候補が示すだろう公約を支持します。

 解説しますと、結局は「市民病院の設立を目指す」候補も「市民病院を設立します」候補も同じだから、当選後にこの二人のうちのどちらが市長になっても室戸市民病院の設立に向かって舵を切り病院が完成したとしても、10年後の2028年には7500人、15年後の2033年には5400人となる室戸市です。

 ですが、それで終わりではない。病院建設のために国から20億円や30億円を借り入れするから、その債務は25年から30年ぐらいかけて返済していくことになります。加えて、室戸市民病院の赤字は毎年5000万円、1億円と膨らむ上に、国保料も介護保険料もさらに高くなることは間違いない。だから、市民の負担は先が見えないほど膨らんでいくということです。病院経営はそこに行くまでに破綻するのは間違いありません。

 だから、小松市長が室戸中央病院で内科診療をしていただき、眼科や皮膚科なども加え、そこに市から五年間を目途に財政支援することにした政策については、支持します。

 財政支援をこの「五年間」と市が限定した理由は、自治体の政治は本来、「公平・公正・適性」に行うべきもの。だから、室戸市内には民間の医院や診療所があるのに、この中央病院にだけ市から支援をするのは明らかに公平性に欠けます。だから、今回の場合は室戸病院が1月末に閉院となったことで市民が途端に困る事態となったため、あくまでも緊急避難的な対応策として中央病院に依頼し、財政支援しようと決めたものですので、この点の対応は室戸市として適正であると私は考えています。

 でも、これから「五年」が経った時にどうするかはその時の市長が決めることになるが、もし市からの財政支援がなくても中央病院が経営していけるとなった場合、当然、室戸市は「公平性」の観点から支援は打ち切ることになろう。

 実に悩ましい問題が急に表面化しましたが、室戸市としても市議会としても絶えずその変化に対応してきましたので、市民の皆さんはどうか「市長は何しよら、市会議員は何しよら」なんてことは言わないでいただきたい。

 そして、市民の皆さんにお考えいただきたいのは、学校や保育所の統合も、商店の閉店も、企業の市外への移転に関しても、全ては人口が減少し続けていることに因るもので、この流れを市が止めることもできないし、この流れに抗っても失うものはあっても得るものは一つもありません。

 これらについては私は平成16年から議会が終わるたびに議会新聞を制作し、市民の皆さんにこう呼びかけてきました。市政と市議会の情報公開に加え、「人口減少によって地域の経済は衰退しているのでそのことを企業や商店の経営者はよくお考えになり、子どもさんはやがて働く所に困るときが来るので店の後を継げなどと言わず、県外に出してください」と。この私の呼びかけを踏まえて賢明な対応策を講じてこられた企業や商店もあるし、市民の中にも私の呼びかけを受けて家族で賢明な対応を講じておられる方々もいます。

  

 何度も掲載していますが、室戸市はこれからこの棒グラフのように人は減少し続け、2045年か2050年にはゼロとなる運命にあります。

 ですが、室戸市役所はこのような悲観的な数字やグラフで市民に向かって警鐘を鳴らしてはくれません。室戸市役所は「市民のため」よりも、人口が減少したら国からの交付金が減額されるから、悲観的な数字やグラフで示してそれを見た市民が「こんな町では暮らせん」と出て行かれたら困ると考え、私のように実態をズバリ表示しません

 でも、私は市民の皆さんのために働いている議員です。人口減少に伴って、学校が統合され、商店が閉店となり、企業の市外への移転の話もあり、病院も“お客さん”である患者が減少するのは市民の皆さんも五年前や十年前から解っていたであろうし、人口が減少したらこうなるのは当たり前の流れです。

 市民の皆さんが市や市議会を責めても、この町の衰退は止めようがないし、止まりません。理由は、市民がまちから出て行くからですし、若者が結婚せず子どもが生まれないから。だから、これからも衰退し続けることが決定的なこの町に残ってはならないと私は考えますし、議員になってからはずっと市民の皆さんに対し当電子情報誌と議会報の『青空新聞』上でそう警鐘を鳴らしてきました。

 市民の皆さんにすれば、「市長や職員や議員が何とかせえ」と思うでしょうが、そんなことは無理です。

 なぜなら、この人口減少が全国の1700あまりの自治体の中で室戸市だけのことなら、国の助けもいただきながら何とかすれば何とかなるかもしれませんが、全国の、特に地方と呼ばれている町や村の人口が減少し続けているんだから無理で、市民の皆さんはそのことを一日も早く悟る必要があります。

 学校や保育所の統合にしても、企業が室戸市から出て行くという話にしても、商店やスーパーが閉まるという話にしても、病院や医院や診療所が閉まるという話にしても、人口が減少していく途中の減少だと悟り、会社で、あるいは商店経営で、あるいは自分の家族みんなが集まって話し合い結論を出し、それを実行することです。

 「俺たちはもう高齢だから」と室戸市に残ってもよし、「病院が近くにある都会に移住しようか」と考えるのもよし、「僕とわたしは学校を出たら都会で働く」と考えるのもよし、「都市部への運送のためを考え、高速道路の近くに会社を移転しようか」と考えるのもよしです

 室戸市役所も市議会も、人口が減少すると国や県からの補助金や交付金などの予算も減額されると考え人口減少対策を講じるのが仕事ですが、市民の皆さんはご自分が経営している会社や自分の家族のためにどうすれば良いかをお考えいただきたい。

 繰り返しますが、自分たち政治にかかわっている者たちの責任を回避しようと思っているわけではありませんが、民間の医療機関である室戸病院が閉院するからと市や市議会議員を責めても詮無い話です。

 自治体は公平性の観点から、民間の会社や団体に市の予算を投入することはできないことになっています。「何とか診療を継続してほしい」と室戸病院に対し支援してすることも室戸市は考えただろうが、経営者側から「1月末で閉院する」と一方的に宣言されると市は他にも問題が山積しているためこの問題だけに長々と付き合うわけにはいかず、見切りを付けて他の手段を考えざるを得無かった、ということでしょう。

 依って、市は1月5日に経営者側が「1月末で閉院」と決めてからは次の手を打つ必要に駆られ、これも同じように民間の病院ですが、室戸中央病院と協議。その結果、2月1日からに内科診療と往診を開始することとなったということです。それに対して市から中央病院に財政支援することになりましたが、それはあくまでも緊急避難的な対策で、中央病院に対して室戸市からずっと財政支援が行われるということではないと考えます。

 以上、室戸市の衰退についてこのように道理に従い筋の通る話を説明するのは、市長や他の議員ではとても無理だと思いますので、私の方から室戸市と室戸市議会を代表いたしまして懇切丁寧にご説明させていただきました。


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「議士」たる者、会津藩の教えから学べ

2018-01-11 | 政治家のあり方
 今日は不正な地方の政治家に対するお話です。

 もう何年前になりますか、NHKの大河ドラマで、会津藩砲術師範の娘・山本八重後に新島譲の妻となり、新島八重)の物語「八重の桜」が放送されていました。

 その会津藩の藩校・日新館においては論語などを教えていましたが、その教えを基にして作った「什の掟」(じゅうのおきて)というのがありました。学ぶのは、あの白虎隊で名高い会津の少年たちです。

一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱い者をいじめてはなりませぬ
六つ、戸外でものを食べてはなりませぬ
七つ、戸外で夫人と言葉を交えてはなりませぬ


 これら七カ条の後は、こんな文句で結ばれている。

 「ならぬことはならぬものです」。

 これが重要。「やってはならないことは、してはならない」。そして、これは理屈抜きに押しつけてよいのです。

 このくらいのこと、人間として当たり前のルールですが、それを承知でやってしまう人があとを絶たないからこうして幕末の時代から規律として幼少の頃から厳しく教えなくてはならなかったのである。

 私が市議2期目の頃、県議(当時)の選挙参謀は私が議会において小松市長の地方自治法違反を追及していることを耳にし、市政に厳しいことに腹を立て、こう言い放ちました。

 「違法でもえいやないか。それでまちが良くなるなら」。

 所謂、不正な政治容認派、違法な政治推進派の人ですが、それを聞いて、「よくぬけしゃあしゃあとこんなことが言えるもんだな」と思いました。こういうことは自分の頭の中で考えていたとしても世間が認めるわけはなく、他人にその思いをぶつけるようなものではない。でも、その人は私よりも優位にあると考えているらしく、口に出して迫った。

 私はその言葉を聞いて呆れてしまい、二の句が継げませんでした。「政治を語り合うような相手ではない」と思った。

 違法に市の予算を使うということはムダに金を使っていることになり、一部の利害者らだけが良くなり一般市民は被害を受けることになる。違法な事業でこの町の政治が良くなるわけがない。この人の言っていることは、明らかに世間が認めないような、理不尽で自分勝手な思いだった。

 このように、世の中には数十年の長きにわたり政治に関わりを持ってきながら、「政治は法令順守が基本」ということすら理解できない人がいます。


 又、こういう例もある。

 市議会開催の一週間前のこと、地方自治法違反の事業を批判し市長を追及する私に向かって市の課長をしている職員は議会事務局において、こう言い放ちました。

 「企業誘致やきん、違法でもえいやないか!」。

 そう逆切れし、反対に私にこっぴどく叱られた。

 「それじゃ、企業誘致だから違法でもいいじゃないか、観光振興になるから違法でもいいじゃないか、地域振興につながるから違法でもいいじゃないか、健康福祉に寄与するから違法でもいいじゃないかと言うのか! それをあんたは議会の答弁で言えるのか!」。

 私に叱りつけられて自分が言っていることの理不尽さに「ハッ」と気付いたのか、担当課長は黙り込んでしまいました。

 「ならぬことは、ならぬもの」。当然だった。

 私はこれまでの間、「ドイツモコイツモだ」と何回思ったことかわかりません。

 とにかく、首長や議会議員ら地方の政治家や自治体職員が地方公共団体に係る法律も守れないのは情けない。

 「違法な政治でもいいじゃないか」と言う悪質な者たちに言っておきたいが、違法では町は良くはならない。政治と利害を持っている一部の者たちは利権によってふところが温もり良くなったとしても、一般市民はその違法な事業や行政運営によって被害を受けることをよく理解することだ。日本国憲法や地方自治法などの国の法律、そして自分たちの町や村の条例や規則や要綱など、これらのルールを守って政治をするつもりがないならば、今すぐさっさと辞職したほうがその町や村が良くなる。

 又、政治家を陰で操っている者たちにも言っておきたいが、政治は法令を基に健全な形で実行するものであり、「自分たちさえ良くなれば一般市民はどうなってもよい」という考え方は明らかに間違っている。「違法でも良い。それで町が良くなる」なんて自分勝手な考え方は捨てることだ。

 辺りを見回すことはない。市長、市会議員、市職員、そしてその政治関係者を陰で操っているあんたのことよ。

 作家・藤原正彦氏は会津藩の教えの最後の言葉に付いて、著書『国家の品格』の中で「全てのことを論理で説明できないことから、価値観を押し付けたのである」と説く。

 重要なことは押しつけなくてはならない。

 「虚言を言うな」、「卑怯な振る舞いをするな」、「国や町の規律や法律に背いてはならない」、「人生経験が豊富な人を陥れてはならない」、「礼・節を重んじ、品位と品格を以って行動しなくてはならない」。

 これらは「ならぬこと」であり、「ならぬもの」。特に、公職にある者はこれを厳格に守らねばならない。守れないならば、すぐに職を辞すべきだ。替わりはいくらでもいる。



 夫を助けようとした妻が騙され手込めにされた下級武士が卑怯者の上級武士に仇討ちをする映画『武士の一分』も、重いテーマの物語だった。

 平成23年4月の室戸市議選において、有権者は公職にある者に騙され、あげくは「あいつは市長の違法政治を批判するからけしからん。投票するなよ」と市内全域に広められ、地方議員に課せられた職務に忠実に働いていたその職まで奪われてしまった人物の【議士の一分】も、いまだに果たせないでいる長い長い仇討ちの物語の途中です。

 真面目な人間を、自分が町の政治権力を握るために利用して弄び、政治の場では違法な事業を不正と解っておりながら実施して1万4000余人(当時)の市民に多大な損失を与え、その挙句には誠心誠意を以って公正な議員活動をしていた人間を陥れて議会から排除し、「これで市議会には邪魔ものがいなくなった」と喜び、一味とともに勝ち誇っていた。

 そういう人間として決して許すことはできない者に対しては、“事実情報の公表”という合法的な方法によって駆逐しなくてはならない。

 もう一度、お教えしよう。

 重要なことは押しつけなくてはならない。

 「給与や報酬をもらいさえすれば何をしてもよい、何もしなくてもよいと思うな」、
 「虚言を言うな、言いふらすな」、
 「不正なことをするな」、「卑怯な振る舞いをするな」、
 「国や町の規律や法律に背いてはならない」、
 「人生経験が豊富な人を陥れてはならない」、
 「礼・節を重んじ、道徳心を基にして品位と品格を以って行動しなくてはならない」。

 これらは「ならぬこと」であり、「ならぬもの」だ。特に、公職に付くものはこれを厳格に守らねばならない。守れないとなれば、今すぐに政治の場から去ることだ。

 そんな人間たちが政治の場にいなくなっても誰一人、困る者はいない。替わりはいくらでもいる



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汚い政治と、道徳的な美しい政治

2017-11-07 | 政治家のあり方
 『週刊新潮』に連載されている藤原正彦氏のエッセー「管見妄語」が一年に一回ぐらい一冊の本となって発行されています。その中の一冊、『知れば知るほど』に次のようなコラムがある。

 題して「都知事の誤算」。内容は、舛添東京都知事について書いたものですが、その中の一節に共感したので、ご紹介したい。

 <(前略)頭のよいはずの彼なのに、日本人の善悪が、合法化不法かでなく美醜、すなわちきれいか汚いかで決まることを知らなかった。

 嘘をつく、強欲、ずる賢い、卑怯、信頼を裏切る、利己的、無慈悲、さもしい、浅ましい、ふてぶてしい、厚かましい、えげつない、せこい…はすべて汚いのだ。逆に、公のために尽くす、正直、誠実、勇気、献身、忍耐強い、勤勉、弱者への思いやり、潔い…は美しい。日本人のこの道徳基準に無頓着なまま、不法でなければ万事オーケーとばかりに自らを正当化しようとした。

 (中略)

 (日本人は善悪の判断を、美醜できめている。)日本人はこれがあるから、法律などほとんどない時代でも治安は見事に保たれていた。戦国時代末期に来日したフランシスコ・ザビエルも日本人の道徳の高さに瞠目(どうもく)したし、明治初年に来日した米人モースは「日本人は道徳や品性を生まれながらに身につけているようだ」と感嘆した。無論生まれつきではなく、誰もが幼い頃から「汚いことはするな」と諭され育てられているからそう見えるのだ。

 今も日本人の道徳の高さは世界でも飛びぬけている。合法か不法かに頼る諸外国は、何世紀も遅れているように私は見える。不法なことをしてはいけない都知事を国民の美醜感覚が辞任に追い込んだ今回の事件は、実に画期的であり、日本文化の神髄の表れであり、人心荒廃に苦悩する世界への良いメッセージでもあった。>



 もちろん、藤原氏は「不法」でもよいといっているのではなく、まず「不法」はいけないことだ。だったら、不法でなかったらいいのかというと、そうではない。合法である上に更に、「善悪は美醜で決まる」と指摘する。

 私も同じようにそう思って地方議員の仕事をしてきたが、なかなか思うように政治は動かないし、不法や藤原氏が言うところの“汚い”“醜い”政治も改まることがない。

 室戸市だけでなく、全国あちらこちらの自治体や議会にも法律すら守れない首長や議員がいます。「法令順守(コンプライアンス)」という言葉は議会でも行政でもよく飛び交う言葉ですが、どうしてもこれが守れない。

 だから、法律を遵守しながら道徳観を持った政治をしようと呼びかけてもちょっと無理があるように思っている。

 藤原氏の指摘に「政治」の言葉を重ねると、こうなる。

 「嘘をつく、強欲、ずる賢い、卑怯、信頼を裏切る、利己的、無慈悲、さもしい、浅ましい、ふてぶてしい、厚かましい、えげつない、せこい…はすべて汚いことだから、公のために尽くす、正直、誠実、勇気、献身、忍耐強い、勤勉、弱者への思いやり、潔い心を持て。そうすれば道徳的な美しい政治ができる」。

 簡単なことのようで、これがなかなか難しい。

 ●室戸市の行政運営で例えると、室戸岬高速バスターミナル施設建設事業は地方自治法違反だったし、改める方法を提案しても「適法だからこのまま管理運営を行ってまいります」とウソをつき、違法のまま今に至っている。

 ●又、市長選で市民に対し「国保料は値上げしません」と公約しながら、当選して三か月後に議会に値上げ案を提出、公約違反と分かっていながら大半の議員が賛成したことは、卑怯と言っていいのか、無慈悲と言っていいのか、ふてぶてしいといっていいのか、せこいと言っていいのか。明らかに市民の信頼も信用も失う出来事だった。

 本当なら、このような市民と約束したことをまちのトップである市長が反故にするなどあってはならず、市民を欺き騙すようなこのような人物は市民が許し問題を放置してはならないんですが、市民は陰で批判はしても「市長リコール運動」を行うまでの意欲はなく、問題解決にまではなかなか進展しない。だから、任期が来て選挙の時に代えるしか他に方策が見つからない状態が続く。

 ●そして、七年九か月間、私が「そんな不適正で違法なことは止めるべきで、議員もそれに同調してはならない」と言い続けてきた「議員総会での議案の事前審議」にしても、議会の大半の議員が黙認して続けてきたが、今任期初めの平成27年6月に強く言って、ようやく廃止されたもの。これも、法令順守の精神などかけらもない議会運営・行政運営であり、ずる賢くて卑怯で、市民の信頼を裏切ることで、利己的な行いであることは揺るぎない。

 ●さらに言うと、いま市民の間で批判の声があるのが、旧椎名小学校の校舎を改修して県外団体の研究施設として提供しようと約6億円の予算を投資して改修している事業にしても、県の事業で集落活動センターを建設して住民の皆さんの活動の場にしたいなら、校舎の建物をすべて撤去したうえで1億円等々の予算でそれを建設し、それ以外の敷地は地権者にすべて返還すれば、後々までの敷地賃貸料は集落活動センターの敷地の賃貸料支払いだけになり、「費用対効果」の面で大いに効果的となるのは疑いない。

 現在行っている改修事業は市の財源の無駄遣いと考えるし、強引にこの事業につき進んだ市の対応は市民の信頼を裏切るもので、弱者への思いやりに欠けていて、誠実とも道徳的とも言えません。

 ●落選運動によって落ちた期間も含めたこれまでの約十五年間の室戸市政を見てみると、国の法律や市の条例に違反した事業案や行政運営は他にも数知れずあったし、違法ではなくても不適正な事業案も数多くあった。3月議会に提案された「室戸市まちづくり条例案」等はその典型例。私を除く他の議員は全員それに賛成したが、条例の内容は空疎なもので、市長が下に位置する市民を管理する点において条例の構成に誤りがあるなど、容認できなかった。あれは明らかに「アクセサリー条例」で、あのような条例が室戸市の最高規範とされたことには「こんなんで室戸市は大丈夫か?」と思っています。

 議会の大綱質疑では他の議員から何一つ疑義は出ずにこの不出来な条例が市議会で簡単に可決されたことも、議員が全国の「自治基本条例」等々を調査することもなく、またそれがどのような内容であるべきかを研究もせず、何一つ問題点を指摘する議員もおらずに賛成して可決してしまったと言え、このような条例案に関して調査・研究する気構えも無いしチェック機能も発揮できない、そんな議会でいいのかと今でも思っている。

 この条例案に関しては、「市民の側に立って考えれば、条例案の疑わしい点は見えてくるものだ」と思っている。これに関しては、「汚い」ではなく、「弱者への思いやり」があれば見えてくるものだと思う。つまり、市民の思いに心を寄せることです。さらに言えば、市民の身になって考えれば、今まで見えなかったことでも見えてくるということだ。だから、市民の気持ちが理解できない首長や議員は、市民の身になっていない、市民の思いに心を寄せていないということになる。

 室戸市の違法や不適正やの事例を集めると他にもたくさんあるが、この程度にとどめておくが、首長や地方議員は「住民のためなら、死んでもいい」と思って働かなきゃ、そしてそう思えるようにまで意欲が高まらなきゃ、政治家なんて務まらない。私はそう思っている。但し、他の議員に強いるつもりはない。

 生まれて何十年もたち、60歳を過ぎ70歳を過ぎてくれば、性格を改め向上心や行動力や勤勉さを持つことなど、非常に難しい。況してや、そんな年齢になって「住民のためなら死んでもいい」と思うようになるなど、どだい無理な話です。だから、言えるのは、法律を守り道徳心に富んだ品格ある政治観を持つには、「鉄は熱いうちに打て」と言うように、若いうちにそういう道徳心を持つ人間になることでしょう。

 藤原氏はこう書いています。

 <フランシスコ・ザビエルやモースは「日本人は道徳や品性を生まれながらに身につけているようだ」と感嘆した。無論生まれつきではなく、誰もが幼い頃から「汚いことはするな」と諭され育てられているからそう見えるのだ。>

 「日本人の善悪の判断は、合法か不法かでなく美醜、すなわちきれいか汚いかで決めている」。その通りだと思うが、政治にかかわる人間は「合法か不法か」で判断し、さらに「きれいか汚いか」でも判断しなければならない。

 政治についていうと、嘘をつく、強欲、ずる賢い、卑怯、信頼を裏切る、利己的、無慈悲、さもしい、浅ましい、ふてぶてしい、厚かましい、えげつない、せこい…はすべて汚い。逆に、公のために尽くす、正直、誠実、勇気、献身、忍耐強い、勤勉、弱者への思いやり、潔い…は美しいことだ。日本人のこの道徳基準に無頓着であってはならないし、不法であってはならないのは言うまでもない。

 こう書いても悪政が改まるわけではありませんが、「これぐらいのこと、いいじゃないか」と周りの議員に言われても、私だけは今後も諦めることなく室戸市の予算の使い方に厳しくありたいと思っている。

 どこまでも頑固を貫く所存です。


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私の引退宣言

2017-11-06 | 政治家のあり方
 まず、日本国憲法に書かれている「公務員」について。

日本国憲法第15条・②全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

 この条項における「全体」とは、もちろん国民全体のことを指しており、「一部」とは利害の一致する人間など文字通り一部の国民のことを指します。

 また、「奉仕者」とは、首長、行政職員・教職員、議員ら「公務員」を指します。(議員も「非常勤特別職公務員」という公務員であり、首長も「常勤特別職公務員」です)

 つまり、この条文で問題になるのは、これら公務員が奉仕(※対象となる人に働き尽くすこと)すべき対象は「(国民)全体」か「一部(の国民)」であるかということです。(又は、その対象となる地域の「住民全体」か「一部の住民」であるかということ)

 これは当然、「一部」ではなく、「国民全体」。したがって、憲法のこの条項は「全ての公務員は、国民全体のために働き尽くすべきである」ということを示しているのです。一部の国民である一地域の人たちや一つの団体、一つの企業、一個人の利害を優先させて働いてはいけないと規定されています。


 又、議員のバイブル『議員必携』の「議員の心構え」には、この規定についてこう書かれています。

 「憲法第15条のこの規定は、議員という公職に身を置く者の心構えの基本を謳ったもので、厳粛に受け止めるべきである。
 議員は、住民全体の利益のため、法令に基づいて公平にその権限を行使すべき厳しい立場にあるということである。(中略)

 議員は、地域や団体の利害に関連する問題について、市町村全体の立場と、地域や団体の立場なりここの住民の立場の板ばさみになって悩み苦しむこともあり、また、いろいろな事業の実施や施設のをめぐって、地域住民や団体の利害得失が絡んで重大な決断を迫られることがある。そのような場合、一般的意思すなわち市町村全体の立場に立っての判断に立つ議員として、勇気を以って住民全体の利益を選ぶべきものである。昔の格言に「迷った時は、己が損をする方を選べ」というのがあるが、選挙をする立場上、ややもすれば地域や一部の利害に目が向きがちである議員にとって、学ぶべき格言と言える。(中略)

 議員は、常に執行機関とは一歩離れていなければならない。それが離れずに密着するのなら、議事機関・執行機関の二元的な仕組みは無用であり、有害である。執行機関を公正に眺め、厳正に批判し、行財政執行上の重要事項について適正で公平妥当な結論を見出してこれを決定するのが議事機関である。又、逆に議員が執行機関より離れすぎてもその役割が果たせされない。離れすぎては、適切な行政執行の正しい検証はできないし、また、非難や批判はできても、議会の使命である正しい批判と監視はできない」


 ・・・と書かれている。

 以上が議員の在り方ですが、議員の職責は推して知るべしで、私は上の基本精神を平成15年に議員にさせていただいた時から履行するように努めているし、併せてある参考書を参考にし乍ら自分でも次のような十カ条を作りました。

 これをパソコン机の前の壁に貼って日々、自らに課し、これまで厳格に守ってきました。

「市議会議員の評価基準」

1、一般質問は毎議会行っているか。
2、どの議案に質疑し、賛成(又は反対)討論し、賛成(反対)したか。それは積極的か。
3、政策実現はどのくらいできたか。
4、公約は守っているか。公約以上の活動を実践しているか。
5、全市的な視野と観点で政治に取り組んでいるか。(どぶ板議員になるな)
6、違法をしていないか、違法を追及しているか、悪人を許してないか。
7、市民の視点で働き、市民の声を代弁しているか、市民の犠牲になれているか。
8、公平公正で大局に立った姿勢を忘れていないか。何が重要かを忘れるな。
9、利益誘導、不正な口利きや働きかけをしていないか。
10、威張ったり、傲慢になっていないか。


 多分、他の方はこれらの「議員の職責」を守ることは余程の意欲がないとでき無いと思いますが、私はこれを頑なに守ろうと努め、これまで十年余りやってきた。

 その理由は、市民の皆さんから議会の開かれていない一年に八か月間も議員報酬を頂いているからと、「あいつは議員の仕事を全くしていない」と市民の皆さんに後ろ指をさされたくないから。

 だから、これを選挙の時に公約にしたわけではありませんが、この十カ条を守ることは議員として当たり前の為すべき職務であり、市民との約束だと思って厳格に守っている。

 その手段として議会では質問や質疑を行い、時には厳しく疑義を質し、市民の意思を議会に伝え、浸透させ、何がしかの市民への効果を生んでいると自認しているし、議会外では新聞やこの電子情報誌で行政や議会情報を市民にお伝えしてその実態を知っていただいています。

 憲法では、「議員は一部の奉仕者(公務員・議員)になるな」と規定されています。

 よって、私は、これまで一部の企業や団体や一個人と利害を持って動いたことはありませんし、これからもそんな欲に絡んだことをする恥ずべき議員にはなりません。

 又、これからも議員を辞めるまで本議会において、また委員会審議においても、積極的に質問と質疑に立ち、行政の監視・調査・点検を続けていきます。


 尚、私は個人的には地方議員も国が目指していると同じように「70歳定年」と考えていて、三期で議員としての成果を出せないままいくら議員を続けていても若者の出馬や議会の若返りを阻害し市民に迷惑をかけるだけだと思っています。

 だから、 私は公約通り、72歳となる平成31年4月の三期十二年で引退します。

 勿論、妻とは数年前から話し合ってこのことを決めており、家庭で揉めることはありません。
 
 昨日も、23年4月の市議選で落選後に「再起を目指して27年4月の選挙に出てや」と背中を押してくださり地域をまとめてくださった、地元地域の80歳代のご夫婦に散歩のときに会い、「次の市議選も出てよ。あんたじゃないといかん」とまで言って下さったが、「いや、出ない」とも言えず、笑いで誤魔化した。

 又、議会新聞を配布している議員活動が高く評価され、他の議員は「谷口さん、おまんが新聞を作って配りようきん、『議員報酬を使って活動をしよう議員は谷口だけやないか』と叱られる」と笑いながら打ち明けるが、私がいてもいなくなっても、私のようにブログを書き議会新聞を作り情報発信に努力すればいいだけのこと。こんな私がやっているようなことは誰にだって出来ます、それ相応に人の何倍も努力をすれば。
 
 
 引退する前に、まだ一仕事二仕事残っています。

 一つは違法や不正や公約違反の国保税値上げや無駄な公共事業が実行に移されてきた市政を健全なものにするには市長を替えるしかないと考えており、10月1日に市長選への立候補を表明された萩野氏を支持することに決めました。市長選は来年11月に行われますが、それまで萩野氏に対する支持を広げていこうと考えています。

 その後には、31年4月に高知県議選と室戸市議選が行われ、これまで親しくさせていただいた方々も多くおられますが、引退後は夢であり続けた「絵描き」(※絵で飯が食えて初めて「画家」と言えると思っているがそれはちょっと難しいと思っていて、「私は絵描きだ」と名乗るなら例え絵で飯が食えなくても誰に文句を言われることも無いと思っており)として死ぬまで妻と二人で仲良く暮らしていけたら幸せだろうなと考えています。

 因って、31年4月に行われる地方選挙にはあまりかかわりを持たず、私も彼らと同じようにその後の人生を考え、その4月ごろから画家としての準備を始めようと思っている。


 もう一つは、毎議会後に発行してきた議会新聞『青空新聞』をそれまでの6議会の後はどのような内容の特集を組めばこの室戸市のため、また市民の皆さんのためになるか、と考えています。(12月議会後に発行する新聞は「28年度の決算白書」として、既に10月に印刷も終わり今すぐにでも配布できるような状態ですが、配布は12月中旬と決めています)

 その時々の議会であったことをただ単に書き記し新聞を作り読者である市民の皆さんにお伝えすればそれで済むのかと、私は考えました。

 自分がいなくなった後(つまり当ブログや議会新聞が発行されなくなる31年6月以降)も市民の皆さんの市政と市議会を見る目が厳しくいてほしい。そのためには、引退するまでの間に発行する『青空新聞』は、自分の“遺言”のように「市政の在り方」や「市議会議員の在り方」などを特集しそれを保存していただき、折に触れ室戸市政と室戸市議会の在り方を観察し、点検し、批判していただくことが一番いいのではないかと考えています。

 ですので、来年3月議会後に発行する議会新聞から、その時の議会に大きな問題や事件が発生しない限り、その時々の議会とは直接関係がない、市の財政内容のこと、市長の選び方、市議会議員の選び方等を特集しようと考えています。

 時折記事にも書いていますが、「人生、照る日曇る日」といつも思っています。いい時もあれば悪い時もある。悪い時があっても挫けることなく前に進んでいくことは大事です。

 小学生から中学生にかけては虚弱体質でよくいじめられましたが、いつも「今に見よれ!」と思っていました。社会に出てからは家業の製材所で鍛えられて体力もつき、それに従い気力も備わってき、自分にも少しは自信もできた。40歳で独立して喫茶店、地域づくり活動、地域雑誌の出版、車の営業マン、葬儀社の社員などを経て議員の仕事につきましたが、体力は製材所で、作文力は地域雑誌の記者を経験したから今に活きています。人生一筋もいいでしょうが、これらの仕事から、いろんな仕事を経験すると後の人生に非常に役立つことも知りました。

 唯、それもそれぞれの仕事に懸命に取り組み熟練になろうと努力してこそだと思っているので、どの仕事も苦労ばかりでしたが、頑張ってきてよかったなとは思っています。議員の仕事は頑張れば頑張るほど苦労も多く、思うようにいかないことのほうが多くて成果と言えることはほんのわずかですが、任期の最後には「苦労した甲斐があった」と終わりたいと思っています。

 なんか、今日でお別れみたいな文章になりましたが、議員職はあと十八か月間続きますし、「青空エクスプレス」もまだまだ続きますので、これからもよろしくね!

 以上、私の政治家引退予告でした。


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衆院選前に批判された豊田議員と山尾議員について考える

2017-10-25 | 政治家のあり方
 夫に不倫された自民党の金子恵美氏が落選し、夫の目を盗んで若い弁護士と不倫関係を続けてきた山尾志桜里氏が当選した。このことに「これ以上の理不尽があろうか」と憤る声がある。

 私も同じように思う。

 秘書に暴言を吐いた豊田真由子議員が落選し、夫と子どもに隠れて若い弁護士との不倫関係を続けてきた山尾志桜里議員が当選した。このことにも私は理不尽を感じている。

 衆院選の前から二人を比較して考えてきた。「どちらが悪いのか」、また「どちらが国民に迷惑をかけているのか」、そして「政治家としてどちらが不適格か」と。

 ●まず豊田真由子議員について。

 豊田議員が雇用した秘書は、位置づけとして、「国会議員政策担当秘書」。国から給与等々や退職金まで出ている。

 この「政策秘書」とは、そもそも議員が雇用した人間だ。そこには間違いなく主従の関係が生まれる。給与等々は国から支払われるが、議員が「社長」、秘書は「従業員」の関係であることは疑いない。

 この社長と社長が雇った社員との関係においては、社員が社長の命令に背いたり命令や指示したことに従わずに間違いを犯した時には、社長や重役から叱責をうけたり、場合によっては雇用関係を切られることも大いにあり得るし、そういう事態になっても社員はそれに従う義務がある。そもそも雇用関係とは、そういう厳しいものだ。

 そこで豊田議員と政策秘書の関係を見てみると、車の中の二人の会話を秘書に隠し取りされたテープが週刊誌に持ち込まれ、それがテレビなどで広く拡散されたもの。全国の皆さんは豊田議員の「この、ハゲ―――」というセンセーショナルな言葉に驚いたと思います。

 ですが、私はそういう見方をせず、最初にこの出来事をテレビで見て思ったことは、「この秘書は自分の至らなさや無能さを棚に上げ、自分を雇ってくれた議員をやり込めようと企んで録音を取るとは何と醜い男よ。それに加え、「このテープを週刊誌に持ち込み豊田議員をやり込めてやれ」と考えたことなども、下劣だとしか言いようがない。そう思いましたね。

 全国の大半の皆さんは暴言を吐いた豊田議員が悪いとしか見ていませんが、私は物事を冷静に公平に、そして主従の関係をみて、そう判断を下しました。多分、これが公平な判断だと思っています。

 一般社会において、企業のことを考えますと、主従の関係が全てです。

 若く結婚した私は20歳代の頃から妻にこう言い教えてきました。

 「えいか、物事の良し悪しは別にして、夫が泥棒ならその手伝いをするのが妻だ。それを指して、『泥棒はしてはいかん。私は協力せん』なんて言っていたら、家庭内はうまくいかないものだ」。

 この教えが夫の勝手な考え方と言う方もおられようが、家庭がうまくいくとはこういうこと、そしてそこで発生したことの責任は夫が取る。「夫唱婦随」とはこういうことだと私は思っています。

 だから、国会議員と秘書の関係も、「議員がいて、秘書がある」ことを考えると、明らかに主従の関係にあります。そんな時、豊田議員の秘書が市民に配布する広報紙のあて名書きを間違ったり、車に乗っていてたびたび道を間違えることから、豊田議員が叱りつけた。あんまり叱られるのでその秘書は腹が立ち、その一部始終を録音に撮り、週刊誌などに持ち込んだ。さあ、どちらが悪いのか。

 全国の皆さんはテレビで面白おかしく何度も何度も取り上げられたその驚くような発言を聞いて、「なんと品のない荒っぽい議員なんだ」と思い、今回の衆院選で有権者は投票せず、豊田議員は落選してしまいました。

 自分が蒔いた種とは言え、哀れです。

 そもそもこの騒動の原点は、秘書があまりに無能だったから。逆に言うと、豊田議員が秘書として雇用する人間の人物評価も真面に行わず、安易な形でこういう無能な男を秘書に雇ったことが間違いの始まりと言える。かといって、自分が雇った人間を叱りつけることはあまりしない方が良いが、叱りつける事例はこれまでにもいくらでもあっただろう。

 読者の皆さんも考えてみてください。

 気ままに与党、野党を問わず批判記事を書き続ける質の悪いメディアの一つ、「日刊ゲンダイ」はこう書いている。

 「豊田氏に“ハゲ暴言”を浴びせられ、暴行を受けたとされる元秘書は、豊田氏落選の報を受け、こう語った。『暴行を認めないまま選挙に出たことは、有権者に真実を隠したことになり、政治家としては致命的な失態だと思います。本当の戦いはこれから。“暴力政治家”を二度と世に出してはならない。示談はあり得ません』」。

 ・・と書くが、日刊ゲンダイもこの秘書も程度は似たようなもので、秘書には「ハゲー」と叱られるだけの理由がある。又、そのダメな秘書の至らなさを擁護して一方的に豊田議員の方を悪者に仕立て上げているメディアにしても、秘書の方は批判できないからと批判せず、議員の方を批判すれば面白いニュースになってしばらくこの豊田議員がらみのニュースで遊べると考えてのこと。この件は、実はそういうことなんです。

 浅知恵のメディアの考えなんか、すべて御見通しです。

 では、少し視点を変えて考えてみましょうか。

 この男性の秘書を「道が間違っているじゃないか。このハゲ―――」と叱りつけた議員がもし男性議員だったら、この件はどう展開していたかと。

 国会議員にもいろいろあって、穏やかな議員もいるし荒っぽい、口の悪い議員も与野党を問わず、履いて捨てるぐらいいる。それを読者が見たり耳にした時、どう感じますか。私が議員だったら、豊田氏と同じように「ハゲー――」と一喝するかどうかはその時の秘書の態度次第ですが、豊田氏はその程度の能力しかない秘書を首にしなかったようだが、私なら即刻クビにする。

 だから、豊田議員が叱ったことは至極当然のことで、なぜクビにしなかったのか理由は知らないが、私が豊田議員に教えるとすれば「そんなトロコイ(※)秘書なんか、すぐにやめさせろ」と言うね。(※「とろこい」とは、土佐弁で「何をやらせてもダメな様をいう」)

 だから、この豊田議員と秘書の関係においては、全国の皆さんはみんな豊田議員の方が悪いと結論付けてはいますが、私は秘書が何をやらせてもダメな男でそれを叱りつけた豊田氏はそれほど悪いとは思っていません。

 ま、豊田議員に女性にしては品がなかったということと、そういう状況を録音に取られるスキがあったという点は否めず反省すべきで、「無能な秘書を雇ったがために自分が痛手を負った」と考え、今度議員になるときがあれば秘書に雇う人間はこういう無能な秘書を雇わず、もっとしっかりと仕事ができる高い能力を持つ人かどうかを調査した上で雇うことです。今までいたような、隠れて録音機を回すようなゴジクレ(※土佐弁でいう「ひねくれ者」)じゃなくて。

 でも、人間として許せない不正なことや、夫や子供を裏切る不倫をやった訳ではなく、自分が雇った人間にきつく当たっただけだから、次回の衆院選まで選挙区をくまなく回り、もう一度出直して、出馬すればよい。諦めてはならない。それと、秘書の後ろには候補である自分に投票してくれるだろう有権者がいることもよく理解することです。(東京大学法学部を出た方に田舎の高校しか出てない私がお教えするのもなんですが)

 ・・・と私は考えます。


 ●次に、山尾志桜里議員について。

 この女の子は悪い。とにかく性が悪すぎる。(「性」は「せい」とは読まず、「しょう」と読みますよ。実際は「せい」が悪いんですがね)

 世に「性悪女」という言葉があるが、あれだ。それも、不倫が発覚してからの態度も悪すぎた。

 何も無かったら民進党を離党することは無かったことから、離党した時点で「私は不倫をしました。不倫したことで民進党に迷惑をかけるから離党します」という意志表示であり、不倫があったことは確定した。

 それも民進党の代表が決まった直後の党がバタバタしている時の不倫。それも二人の愛は燃え滾っていたのか、一週間に4晩もその男と一緒にいたそうな。夫と子供を放っておいて。

 政治家としてはうかつと言えば、うかつ。

 それを、山尾氏は「男女の関係はなかった」と言い張るが、「不倫の関係がなかったら離党なんかしない」と誰もが考えるから、離党したことによって山尾議員が不倫を認めたことになる。

 それによって幹事長の椅子は無くなり、民進党の半分も希望の党に奪い取られて無くなってしまった。

 責任は重大だ。夫と子供に対しても、民進党に対しても。

 衆院選前に駅頭で通勤する会社員らに向かって頭を下げていました。頭を下げる意図は「衆院選の時にはご支持ください」と言ってではなく、「不倫してごめんなさい」という意味であるのは間違いない。

 でも、朝の通勤ラッシュの駅前で衆院選に関して「私は少子化対策に頑張って取り組みます」と訴え掛けていたら、横を通る男性の会社員から「おまえが言うな!」と叱られていた。

 夜、家に帰らず自分の子どもを放ったらかしにし、夫にその世話をさせておいて、自分は年下の弁護士と懇ろになって一週間に四晩もお泊りしたことが明るみになれば、世間の目が厳しくなるのは当然のこと。

 それだけではない。自分が所属する政党は党の代表が替わるという変化の時。そういう政治が動いている大事な時に自分の職務である政治を放ったらかしにし、若い男と燃え上がってどうするんだと誰だって考えるだろう。

 山尾氏はそういう無責任な行為を行っておいて、「知らぬ存ぜぬ」で選挙戦を戦い、なんと当選してしまいました。驚きましたねえ。何にって、有権者の判断にです。

 ・・・と私は考えます。

 
 で、こういう二人について私なりに「どちらが悪いのか」、また「どちらが国民に迷惑をかけているのか」を考えてきたが、衆院選に出馬して豊田氏は落選し、山尾氏は当選した。投票結果は以下の通り。

 読売新聞ニュースから、豊田候補  ←(クリック)

 読売新聞ニュースから、山尾候補  ←(クリック)

 人の世とは、出来事に対する考え方や受け止め方はそれぞれ違うものなんですね。

 私は、豊田真由子議員については不正や不適正なことをしたとは考えておらず、自分が雇用した人間に対してちょっと品のない対応をしたことだけのこと。つまり、“内うちのこと”。それに腹が立った従業員が雇用主を世間に告発してやれとばかりに、そのやり取りを録音して週刊誌に持ち込んで大騒動になったもので、むしろ批判されるべきはその従業員である自分の至らなさと不適正を省みずメディアに走った秘書の方だ。

 豊田議員と比べれば、この秘書の質の悪さの方が責任が重いと思っている。世間はそうは思っていないようであるが、私は物事の本質を探る政治家だからか、そう考えます。

 一方、山尾志桜里氏は、救いようがない人だ。離党はしたが議員辞職はしてなかったが、本来は議員辞職してしかるべきだった。

 で、衆院選に出馬して当選してしまったのには、本当に驚いています。「国会議員の不倫」なんか昔からたくさん見てきて、議員辞職した議員もあれば、辞職せずに離党で済ましてしまう議員もいる。山尾氏は後者。「男の議員だから、女の議員だから」と言うつもりはない。

 国会議員の不倫と簡単に言うが、男の議員が不倫を働いても、女の議員が不倫を働いても、どちらも「不貞を働いた」ことには違いない。

 「不貞」とは、自分が雇った従業員に対して暴言を吐いた程度の軽い物事ではなく、配偶者や交際相手がいながら別の人と肉体関係を持つこと。家庭にいる夫や妻や子供を裏切ること。不適切な関係を結ぶ重い問題だ。

 社長が失態を犯した従業員に厳しい言葉を投げかけても「不正」とはいえず、むしろ当たり前のことだが、妻が他の若い男と寝たらそれは間違いなく「不正」だ。

 又、豊田議員にも夫も子供もいるらしいが、秘書に暴言を吐いたことぐらいで離婚になんかならないが、夫も子供もいる山尾議員が若い男と寝たことは間違いなく離婚の理由となり、慰謝料は責任を負った山尾志桜里議員が支払うことになる。

 こう考えてきますと、豊田議員と山尾議員とならどちらが人間としての体質が悪いかと言うと、間違いなく山尾議員の方が質が悪いことが読者の皆さんもお分かりになるのではないでしょうか。

 山尾志桜里議員は「二人に男女の関係はない」と言っていたが、そういうウソをつくから「政治家はウソをつく」なんて世間から政治家が批判されるんだ。

 最後に言っておこうか。

 「山尾志桜里さん、あんたはあんたが惚れたあの弁護士と男女の関係は無いなんて言っていたが、脳でいくら忘れようとしても、あんたの下半身がしっかりと覚えているだろう」。

 
 この二人の明暗を考えると、世の中の出来事や世間の評価なんてあてにならないものだと思う。

 私が二期八年間、他の市会議員よりもずっと苦心して働いてきて、三期目を目指す市議選運動期間中に「あいつは市長の不正を追及するから投票するな」と市長支持グループによる落選運動を受けて落選したが、その時「四年間、市民のために働かない候補が上位で当選し、一生懸命に市民のために働いてきた自分がこれだ。世間なんてあてにならないな」と思ったものだが、同じようなものだろう。人一倍、真面目に働いても、当選順位から言うと下位の方。仕事をしていても、このことを深く考えると、精がない。

 今回の衆院選も、有権者にではなくて自分が雇った人間に暴言を吐いただけで落選する候補がいると思えば、その一方で、不貞を働いた女性候補が当選している。

 世間は暴言議員を低く評価し、不貞を働いた議員を高く評価したということになるが、私は世の中、間違っていると考えている。

 もしかしたらですが、有権者は単純に片方を「美人だから」と判断して投票し、もう片方を「美人ではない」と判断して投票せず、美人の方に投票したのか。多分、そうなんだろうナ。

 以上。


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「民進党」から「希望の党」に行くのは、変節の極み

2017-10-17 | 政治家のあり方
 大和大学政治経済学部講師の岩田温氏は、こう指摘する。

 <希望の党の候補者を眺めてみると、まことに不思議な思いがする。「排除」が悪いのではなく、むしろ「排除」が足りないのではないかと思えるのだ。

 昨日まで集団的自衛権の行使容認に反対し、護憲派として議論を展開していた人々が、今日は、安全保障関連法に賛成し、憲法改正を支持するというのだ。

 無論、生き残るためだろうが、あまりに醜悪だ。希望どころか絶望の念が込み上げてくる。>


 私もそう思う。

 昨日の産経新聞ニュースにはこういうのもある。←(クリック)

 こういう小川純也候補などはいわば“造反組”で、天に唾を吐いているようなもの。民進党時代は「憲法改正に反対、安保関連法案にも反対」と言っていたのに、当選しやすそうだと考え「希望の党」にお願いして公認をもらった。その時には自身の信念を変え、「憲法改正に賛成、安保関連法案にも賛成」とする誓約書に判を押して立候補した。それが、大人気でまたブームが起こり「希望の党」が圧勝すると思っていたのに立憲民主党ができたことなどもあり人気がなくなって自分の当選も危うくなると、また「憲法改正に反対、安保関連法案にも反対」と叫んでいる。

 愚かな男だ。自分に先を見る力が無いがために今の状況があるんじゃないか。そんなに云うんだったら、なぜ無所属か立憲民主党に行かなかったんだ。そのほうがもっと人間として筋が通っているだろう。自業自得だ。希望の党で当選しても、多分、選挙後の野党再編の動きに乗って離党し、立憲民主党に行くんだろう。


 高知県の小選挙区高知1区にも「民進党」から「希望の党」に移った、大石宗候補がいます。

 高知県議会の民進党県議を務め衆院選に二度出馬したが、残念ながら二回とも落選した。

 その後、平成27年4月の立候補者17名の室戸市議選において、大石氏はH候補(落選)を積極的に支援。市内の四国銀行前で行ったH候補の街頭演説に応援弁士として参加して、「(他の候補には投票せず)H候補に投票してください!」と連呼したことが市議選後に発覚。選挙後、その市議選に立候補していた私だけでなく、他の当選議員からも大石氏は反感を買っている。

 そして、今回の三回目の衆院選出馬は「今度こそ何とか国会議員になりたい」と考えたのか、民進党に所属してこれまで長く訴えてきた安保法案反対や憲法改正反対など左寄りの主義主張をかなぐり捨て、保守政党の「希望の党」に公認申請を出し、同党から出馬しています。

 岩田氏が指摘するように、大石候補はこれまで「集団的自衛権の行使容認に反対し、護憲派として議論を展開していた」。それが、希望の党に行った途端、街頭では「安全保障関連法に賛成し、憲法改正を支持する」と発言しないと反党行為になるから、そう演説をしているのでしょう。

 それとも、小池代表と交わした誓約書の内容を無視し、自党の「希望の党」の政策を無視し、安保関連法案のことと憲法改正のことについては一切口にせず、当たり障りのないお茶を濁すような演説で聴衆をけむに巻いているのか。

 又、こうも思う。

 比例区で当選すれば「私は最初から憲法改正と安保関連法案には賛成でした」なんてごまかしはつき、それを終生貫き通せばそれはそれで世間から受け入れられるであろう。だが、もし落選したらその後はどの政党に入りどのような主張を繰り返すのだろうか。今度はかつての民進党と同じ政策と主張をしている立憲民主党に入り、「集団的自衛権の行使容認には反対で、以前から憲法改正にも反対でした」と、またもや前言を翻すのだろうか。

 私は今回、左派の「民進党」から保守の「希望の党」に移った候補についてはこのように見ているが、全国の有権者の皆さんも私と同じように見ているのではないか。「あいつら信用ならない」と。

 岩田氏はこういう状況を「醜悪」と指摘するが、私は一言、「節操がない」と思いながら見ている。


 人間は揺らぎない心と揺らぎない精神を持たねばならない。

 それが「信念」だが、男は一本筋が通った行動をしなければ人から馬鹿にされます。

 政治家は特にそうだ。この前まで「左」と言っていたのに少し状況が変われば今度は「右」と言うようでは、有権者は信用しないし、それまでの信用も台無しにしてしまう。

 民進党の議員や新人ら左翼志向を持った者たちは、今回の衆院選では小池人気にあやかろうと保守政党の希望の党に鞍替えして立候補しているが、実に節操がない。誰が見ても愚かしく、軽々しい。だから、戦況を見ての通り、そういう候補には国民の人気が集まらず、「左」を貫き通している立憲民主党の人気が高いが、それは政治家になろうとする者たちの「信念」が問われている証だといってよい。立憲民主党のような「左」でこの国を守れるかと言うとそうではないが・・。

 橋下徹前大阪府知事はこのような候補に対し、次のように厳しく指摘する。

 ライブドア・ニュースから ←(クリック)

 <(前略) 当選するためだけに希望の党に来たチョロネズミが、小選挙区では落選しながら比例復活したらややこしい。こういう連中は自分に実力がないにもかかわらず、議員バッジを付けたとたん、偉そうないっぱしのことをほざく。おそらくこういう連中が党の結束を乱し、希望の党の勢いが弱いと見れば、まずは小池さんの看板のすげ替え、代表の交代を目論む。それでもダメなら、どこの党にいるのが一番当選しやすいかを考えて、党の移籍を目論む。比例復活議員は簡単に移籍はできないので、残存民進党参議院議員や立憲民主党と合わさる新党結成を考えるのか。ここまで来たらもう茶番だけど、これがチョロネズミ議員の実態で、こういう連中が野党にいる限り強い野党は誕生しない。

 こういう連中を小池さんにはズバッと斬って欲しかった。(後略)>


 手厳しいが、橋下氏がおっしゃっていることは至極当然のことで、私も同感だ。

 政治を目指す人間には「信念」が必要。この「信念」があれば、あっちへ行ったりこっちへ来たりはしないものだ。そういう政治家になろうとしている人間を橋下氏は「チョロネズミ」と言っているが、当人さんたちには腹立たしいかもしれないが、的を得ている。

 「物事を得か損かで判断して動く奴に碌な人間はいない」の教えもある。

 人生は若い時から夢を持つことは大事だ。だが、自分に基本となるものが備わっていないのに、分不相応に「国会議員になりたい」「代議士という偉い人になりたい」なんて夢を手に入れようとしてもなかなか実現しないし、知人と親戚以外には共感が得られないだろう。

 苦労もしないで大層なことを考えるから他人の痛みが理解できないんだから、政治を目指す前にもっと一般社会の中で色んな人生経験を積み、人生を学び、大いに揉まれることが大事。楽に世渡りしようとせず、つらい仕事に従事し没頭する。こう指摘すれば先の市議選後に私に一喝されたときのようにまた言い訳ばかり言い募り抗弁するだろうが、衆院選後はそこが自らの欠点と認めることから始めなくてはならない。

 そのような下積みがあってこそ、他人の痛みや辛さが少しづつ理解できてくるものだ。
 
 政治家になる前に、苦労して働きながら一般社会のルールや礼儀を学ぶこと。

 政治に口を出すのはそれからでも遅くはない。人の世(日本の現状)と人の心(人心)を知ってからでも遅くはない。

 そして、左志向で議員になろうと思っても、この日本の政治は成り立たないことを知る必要がある。左志向の政治家ではいつまで経っても国民の心、県民の心をつかむ(支持される)ことができない。この国は何十年たっても保守政党を軸に動いていくことを身をもって知ることだ。


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地方政治人材論

2017-10-15 | 政治家のあり方
 組織にとって、いい人材とはどういう人物だろう。

 初めて市議になった平成15年5月から、空白の四年間を除くと、これまで十年半になるが、市議会議員をしながらそんなことを何度も考える。

 市会議員が表立った場所で行なう仕事といえば、一年に4回行なわれているわずか六、七日間ぐらいの議会会期中に、本議会で質問と質疑と討論に参加することと委員会で質疑することぐらい。このどれかに何回か登壇し発言すれば、それほど内容の無い発言でも市民の皆さんには住民のために真面目に働いてくれている議員だと映る。

 そのことによってその議員は「忠実な議員」と評価してくれるかもしれない。

 その議場の姿だけで次の選挙で投票を決めることもあろう、わずか年間28日間の見た目だけの判断で。

 しかし、そんな一年の内のわずか28日間に一度の発言すら無い議員のことや、議会のない八ヶ月間も報酬を頂いているのに議員活動と言えるほどの行動をしていない議員のことを考えると、本当に彼らが「公に忠実な非常勤特別職公務員」かといえば、そうとは言い難い。

 では、議員の職務に対する心構えとはどんなものか。

 基本は、憲法第15条「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。これは「議員は、住民全体の利益のため、法令に基づいて公平にその権限を行使すべき立場にある」ということ。市長等執行機関と議事機関の二元代表制からいうと、議員は常に執行機関とは一歩離れていなければならない。それが離れずに密着するならば、議会は有害な組織となる。

 地方議員の“バイブル”『議員必携』は次のように教える。

 議員の職務は、「執行機関を公正に眺め、厳正に批判し、行財政執行上の重要事項について適正で公平・妥当な結論を見出してこれを決定するのが議事機関である。また、逆に、議員が執行機関から離れすぎては適切な行政執行の正しい検証は出来ないし、又、非難や批評は出来ても、議会の使命である正しい批判と監視はできない。この原則が守られなければ行政は乱れ、ゆがめられ、民主的で公平な運営が損なわれる。議会の構成員である議員は、常に執行機関とは一歩離れ、二歩離れない姿勢が大事である」。


 では、室戸市政の在り方はどうだ。市議会の在り方はどうなんだ。

 残念ながら、いまだに違法な事業案や無駄な公共施設改修事業案が議会に提案され、それに議会の三分の二の議員が賛成し続けていて、昔から全く変わり映えのしない道徳心のかけらもない政治が続いています。


 では、議会においていい人材とはどんな人物か。

 指標の一つは「行政の不正や不適正な業務に対して勇気を以って苦言を唱えることが出来るか」だと思う。

 地方議会においていい人材とは、上記した憲法第15条の規定と『議員必携』にある「議員の職務」の記述を堅実に順守する人物であるといえる。

 だが、一向に行政の過ちは改まらず、改めさせる立場の議会も4議員を除いて、みんな見て見ぬ振り。

 一般社会の人たちが次代に生き残ろうとするならば、室戸市と市議会の教訓に学ぶ必要がある。

 勿論、それは“反面教師”としてだ。


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衆院選で国会議員になる人の資質を問おう!

2017-10-14 | 政治家のあり方
 今日、14日(土)の読売新聞にこんな論説記事が掲載されていました。記事は、もう長く親しみを感じ乍らその評論を見て聞いている、読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏のもの。

 表題は、「政治家の原点を考える」。その記事の次の部分に共感を覚えた。

 <衆院選挙が公示され、選挙戦が真っ盛りです。今回の選挙はどの政党に政権をゆだねるのかと言う「政権選択選挙」です。さらに言えば「安倍政権是か非か」の選挙です。と同時に候補者が政治家にふさわしいのか、その真贋を見極める大事な機会でもあります。
 というのも、政治家のスキャンダルが相次いでいます。いったい何のために政治家になろうとしたのか。政治家の資質、品位が問われているからです。
 (中略)
 政治家が失ってはいけない原点とは何だろうか。こういう国にしたいというあふれるばかりの情熱を持って主張すべきを断固主張する。そしてその底には心から人を思いやる気持ちがなければならないと思うのです。>


 私は、橋本氏が言われる通りだと思います。特に、

 「候補者が政治家にふさわしいのか」、

 「政治家が失ってはならない原点は、心から人を思いやる気持ちがなければならない」、


 この二点は『政治家となる人の資質』として必ず持っていなければならないと思っています。

 よく国会議員が問題になったとき、その議員を見て思うのは、「政治家としての資質に欠ける」点。橋本氏が指摘するのはそういう国会議員であろう。

 かつて衆院選に二度出馬したことがある人が、先の室戸市議選において室戸市の町なかでH候補の応援演説を行いました。このことを考えると、市議選の候補者は17名でしたので、この演説は「他の16名の市議候補には投票せず、H候補に投票をお願いします」ということになります。

 二度も国会議員の選挙に出た方の応援演説が行われましたので、私も「また落選するかもしれない」と辛かったが、何とか無事に当選しました。

 このことを今も時折考えますが、国会議員候補だった人物が市議選の特定候補に肩入れして室戸市のど真ん中で街頭に立ち、「ほかの候補には投票しないでください。H候補に投票をお願いします」と演説をしたことは、如何にそのH候補が落選したとはいえ、その時の市議選で当選した現在の市議13名に対し、非常に失礼なことだし、あってはならない事だと思っています。

 橋本五郎氏は、記事で問う。

 「候補者が政治家にふさわしいのか」、

 「政治家が失ってはならない原点は、心から人を思いやる気持ちがなければならない」。

 そこで今回の衆院選に関し、私からも同じことを立候補されたそれぞれの候補に問いたい。

 「あなたは政治家にふさわしい資質を持った人か?」、「あなたは、心から人を思いやる気持ちがあるか?」。

 そして、有権者の皆さんにも問いたい。

 「あなたが支持し投票しようと考えている候補者は、政治家にふさわしいのか?」、「国会議員になってから議員の仕事もせず、不倫や不正をやってしまう人ではないか?」、

 「あなたが支持し投票しようと考えている候補者は、政治家の原点である、心から人を思いやる気持ちがあるか?」。


 選挙ではよく、「知り合いだから」「友達に頼まれたから」「親戚だから」等と投票しますが、その前に「その候補は政治家として他の候補よりも国を守る力や能力や経験があるか」を自分に問わなくてはなりません。

 いくら親戚であっても、市民や県民や国民を踏みつけにして「国会議員に何とかなりたい」が先走っている候補は、国民のためにも県民のためにも市民のためにもなりません。

 親戚や知り合いでなくても、親戚や知り合いの候補よりも他に優れた候補がいたら、その有能な候補に投票したほうが自分のためにもなる。これこそが道理というものです。

 室戸市議選でお判りでしょう。選挙結果が上位の親戚や知人に選ばれた議員よりも、選挙結果は下位の方でも議員として有能であればむしろこっちの方が市民のためになっています。

 国政選挙も、こうあるべきです。テレビや新聞に惑わされることなく、高知県民のために働けるだけの能力と経験を持った候補を支持すること。それが延いてはあなたのためになるものです。

 とにもかくにも、今回の選挙に行くべきです。行って、あなたの意思を込めて投票していただきたい。

 あなたの一票で国は右にもいくし左にもいきます。そのことによって発生した政治の動きはあなた方、有権者が責任を取ることです。

 国の政治が良くなればそれはあなたのお陰、悪くなればあなたの所為。

 そういうことです。


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