青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

若い時には「夫唱婦随」でも、高齢になると「婦唱夫随」をお薦めします

2017-07-20 | プライベート
 当家では、夜寝るのは寝室にシングルベッドを二つ並べ、いつも冷房を27度に設定し、扇風機を「弱」で回した上で寝ています。

 昨夜も、妻は蚊取り線香を持って上がってきたが、私の「蚊はおらんぞ」の一言で、「それなら」と妻は線香の火を消した。

 寝ていても蚊の鳴く音はしなかったから、いつものように熟睡できた。


 かつて40歳の時から喫茶店主だったこともあって、朝は私の方が先に起きて食パンを焼き、珈琲を点て、サラダを皿に盛り、ヨーグルトとバナナをソーサーに置きして、モーニングを二人分作っている。

 そうして用意ができたら、「おい、できたぞ」と寝室に妻を起こしに行く。食事が済めば、朝もそうですが、妻が仕事から帰って来てからの昼食の後片付けもすべて私がやっている。いや、勿論いやいやではなく、私から率先して洗っています。もと喫茶店主ですから。

 こうし始めたのは、23年5月からでした。

 かつて私は、地元の高校を出て美大を志していましたが、父が「画家で飯が食えるのか」と進学を巌と許さず、家業の製材所で働き、21歳で結婚。40歳からは喫茶店主、45歳からは地域雑誌の編集長・・と続き、平成15年に議員の仕事についた。

 議員になってから解ったことは、行政や市議会には不正が蔓延していることでした。無論、その不正や不適正と正面から向かい合い、戦ってきた。

 23年4月の市議選において室戸に住む悪い人たちの「谷口は市長が行う違法や不正に反対し批判しているから、あいつを落とせ、投票するな」と広めた落選運動にあえなく落選したことがきっかけでした。不正なのは市長、それを「改めよ」と言ったのは私。落選すべきは市長の方なのに、私の方が落とされた。

 世の中間違っていると思ったものです。

 以後、30歳代に7年間、画家のように絵を描き続けた経験も活かしながらでしたが、平成16年に自宅の庭に一人で建設した議員事務所をこの23年5月からアトリエとして使い、画家として生きていこうと決意。毎日、毎日、大作ばかり描き続けました。それと同時に、私が仕事を変える度にことごとく反対しながらもついてきてくれた妻に対して感謝と罪滅ぼしの気持ちが強く、「これまで失敗もあったし成功もあったが、こうして自分の望む人生が送れたのは妻の支えのお陰。これからは女房のために生きていこう」と決め、実家のパン屋さんに朝6時過ぎに勤務する妻を思い、4時半からモーニングを作り始め、準備ができた5時に起こしに行く。


 それが、私は昨夜は蚊がいなかったと思って寝て、先に起きたのに、妻は5時前に起きてくるなり、こう言い放った。

 「あんたー、あたしが『蚊はおる?』と聞いたら『おらん』ゆうたろ。そうゆうたきん蚊取り線香の火を消したに、これば噛まれたっちゃ、見て。ほんまにもう腹が立つ」と太い腕や足をこれ見よがしに見せつける。

 そして追い打ちをかけるようにこう言う。「あたしはB型やきん、蚊に噛まれるがあやっちゃ。あんたらO型やきん噛まれんろ?」と。

 「その通りかもしれん」と思った。妻は5、6カ所も噛まれ、私は1カ所も噛まれてないんだから。但し、こういう調査結果もあった。←(クリック)だから、妻を信用してよいやら、調査結果を信用してよいやら解りませんが、妻の主張を信じた方が身の安全を守れることだけは確かだ。 

 私はいつも寝起きが良い。しかし、妻も大概は寝起きが良いが、時にこのように寝起きが悪い日がある。

 私は内心、「今日は、寝起きが悪い日だな」と気付き、珈琲を飲みながら、こう優しく声を掛けてやりました。「おかあさん、今日は一段とお美しいですね」。

 これが悪かった、蚊に対する怒りに燃えているところに油を注いでしまい、「ほんだら、いっつもは美しくないというがかね!」。

 「そういうことじゃないわ。『一段と』と言うたじゃないか」。

 ま、これはこれで事なきを得たが、口は禍の元だ。読者の皆さんも奥さんに話す時だけはよく気を付けてお話ししないと、いつ何時、こういうふうに逆ねじを食らうかもしれませんよ。

 政治の場では非常に強い私ですが、妻にだけは弱い私です。理由は、政治の場にはルールがあるが、夫婦の間にはルールが無い。又、政治の場でルール無視の市長の機嫌を取る必要はないが、家庭ではルール無視の奥さんでも機嫌を取らないと何日も嫌な思いを抱え自分が損をすることになる。だから、いつもは“ボケ”と“ツッコミ”の役をお互いにこなしてうまくいっているが、時に、こういうようにうまくかみ合わない場合もある。

 特に、議員を一旦落選してからの私は、議場においては2期目の頃の何倍も不正との戦いを強化し少々荒っぽくなったが、家庭では「私のことよりも、お母さんさえよければえい」と非常に従順で、妻を大事にしています。

 こんな生活パターンが、かれこれ六年間続いていることになる。

 思うに、若い時には「夫唱婦随」でも、年齢がいき60歳を過ぎますと、「婦唱夫随」を奨励いたします。家業を持っている人以外は、男が「忙しい」なんてことは理由にならない。例え忙しくても「婦唱夫随」が一番無難です。家から放り出されないためにも極力、家事は手伝うようにしましょう。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、7月20日(木)Gooブログランキング(2744986ブログ)中、2294位でした。
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家族の笑える秘蔵写真を大公開!

2017-05-30 | プライベート
 いつも政治の悪さに厳しい私ですが、根は“気は優しくて力持ち”。

 仕事柄、当然のこととして市議会では市民の皆さんのことを一番に考えながら市政とは厳しく対峙していますが、読者の皆さんと同様に、家族にも愛情を注いでいます。

 愛する妻にはもちろんのこと、遠く岡山県に住む娘家族の頑張る姿を見て、「オレも頑張らなきゃ」と思っています。

 今日は、そういう家族のプライベーと写真を何枚か選んでご覧いただこうと思う。

 笑ってもいいですが、他の人には言いふらさないで下さいよ。「見てみろ。谷口議員の家族はアホや」なんてネ。

 次の三枚は、先日、5月初めに40代の娘だけ飼い犬と一緒に室戸に帰ってきていた時、娘がスマホで撮った写真。

 スマホでは画像がどうにでも変形させることができるそうで、こんな写真を撮った。

    
 
 これはまだ、ちょっと可愛いめで我慢できる。

    
 
 横から、妻の「我慢できん!! あたしはこんな顔じゃない!」と叫ぶ声が聞こえますが、これもまだ我慢できます。(我慢し―!)

    

 ひどいでしょ。
 
 こうなると我慢も限界で、ちょっと腹立たしいやら、悲しいやら、悔しいやら、情けないやら。

 「そこのひとー! 笑いすぎ――!」。

 娘はスマホの画面を覗いてこの写真を作りながら、言うに事欠いてこう言い放った。

 「こいつらアホや」。

 「親に向かってアホやとは何だ」と言いながら画像を見せてもらって、夫婦は大笑いです。

   

 愛犬のアニーと私。頭の状況が悪化していることで自分の老いを感じています。中身はますます若返っているんですが、外見がちょっと・・・。

 これだけは、自分の努力ではどうにもならず。トホホ・・。 

 さてお次は、連休中ゆえ、姉はゴルフ場勤務のため、もう一人は看護学校の都合で来られなかった、可愛い二人の孫娘の写真をご覧あれ。

 まず、今年高校を卒業した妹の看護師姿です。タレントの足立梨花ちゃんに似ていると言ったら、岡山でもよくそう言われているそうです。

    

 かわいいでしょ。

 最後は、姉のほう。中学時代はホッケーの選手、高校時代はサッカー部のマネージャーをやっていた、なかなかの張り切り娘です。ゴルフ場の事務職員として頑張っています。

    

 きれいでしょ。

 私たちの自慢のこの二人も、もう何年もしない間に結婚して自分の人生を切り開いてゆくことになりますが、真面目に学び、真面目に自分の生きてゆく方向を誤らずに前進している姿を見ると、おじいちゃんやおばあちゃんとしてはもう何も言うことはありません。

 例え娘や孫にスマホで弄ばれたとしても、です。(笑)


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、5月30日(火)Gooブログランキング(2719402ブログ)中、2142位でした
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ウッド・デッキの改修が終了

2016-12-24 | プライベート
 いつも小難しい政治の在り方ばかり記事にしているので、読者の皆さんも記事を読んでいて肩がこるでしょうね。

 お正月も近いこともありますので、今日はプライベートなお話にします。 

 議会新聞の配布も13日ごろに配り終わりましたが、次の仕事が待っていました。

 ここ1、2年、ずっと気になっていたのが、自宅の居間の前に十何年も前に自作したウッド・デッキの土台や敷いた縁板の腐食でした。

 そこで今月に入ると、「お金もかかるがこれをそのまま放っておくわけにもいかないから、今やっておかなきゃな。議会が終わり新聞の配達を終えたら、改修工事をしようか」と決めていた。

 まず、17日に実家の製材所に桧の2間(4m)の縁板(幅4寸×厚さ6分)を25枚を注文。そこから高知市新井田の高知龍馬木材市場に発注、20日にトラックに乗ってその製品を積みに行ってきた。

 そこからは、子どものころから木に慣れ親しんできた身で、日曜大工の達人(?)である私の独壇場。二十年ほど使ってきた3寸幅のカンナも交換時期だと考え、事前にアマゾンで4寸幅の電気ガンナの中古品(新品で4万円ほどのものが6800円)を購入。それがわずか二日で届いたのには驚きました。

 桧の4寸角の土台を替えるとなると結構金額も張るので、2本を交換しただけで我慢。

 縁板などをカンナ掛けして作業を続け、23日のお昼にはすべての作業を終えた。
 
  

 ご覧いただいたように、ま、いいでしょう、どうでも。(笑)

 実家のパン屋に勤務している当家の奥さんも、これは毎年のことですが、12月中旬ごろからカンバモチの製造に追いまくられていて、朝の6時過ぎから午後6時ごろまで立ちっぱなしの仕事ゆえ、もともと太い足なんですが、ここんところ15日ぐらいはさらに腫れて太くなり、ますますたくましくなっています。

 その女房もここ数日は帰宅するとこのウッドデッキの作業が少しづつ進んでいるのを見て喜んでいて、「いやー、えいやいか。癒されるっちゃ」と褒め称えてくれます。
 

 妻は褒め上手な嫁である。

 いつも「お父さんがおらんと室戸の議会はダメやきん、あんたが頑張らないかんちゃ」と言っている妻だ。

 もしかすると彼女は、「褒めて育てる」タイプかもしれない。すると私は、「褒めて育てられる」タイプか。
  

 デッキでは当年で10歳になる愛犬のアニーちゃんが眠たそうでした。「やっぱり新しくなったところは気分がいいなぁ」「またつくってね」。

 当家の「ペコちゃん」です。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、12月24日(土)付けGooブログランキング(2647903ブログ)中、3590位でした。

 これは毎年のことですが、皆さん三連休で、しかも正月前とあってご多忙らしく、めっきり訪問者が少なくなりました。車の走りには注意し、お仕事も慌ててけがなどしないようにお気を付け下さいね。糸魚川市の大火を見ると、ほんとうに正月前に焼き出されてしまったたくさんの人たちに同情します。

 読者の皆さんもまだ月曜日からの3日間、仕事があるんでしょうし、年末年始も仕事を続ける職場もたくさんあります。慌ただしいままお正月に突入しますが、どなたさんももうひと頑張りです。何事も抜かりのないように、ネ。
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旧友、木屋くんと中野くんの「無念」を想う

2016-08-08 | プライベート
  よく「スポーツの秋」とか言うが、今はまさに「スポーツの夏、来たる」という状態です。

 小生、生まれは昭和21年。室戸岬町津呂という小さな町ですがその頃は人もたくさんいて、子供もたくさんいて、小学生ともなるとみんな少年野球(バットなんかは木切れを丸めて作ったものだったが)に夢中でした。・・・というよりも、野球か水泳、ビン玉やバイぐらいしか休みの日の子どもの遊びはなかったからですが。

 3年生の時でした。好きが高じて隣町の室戸町に行ってスポーツ店でスコアブックを買ってきて、ラジオを聴きながら記録の練習をした。
 
 当時はテレビを持っている家が町に2軒しかなかった時代でしたが、そんな話を誰かから聞いたのか、その一軒の、遠洋マグロ漁船の船主をしていた家の同級生、木屋章詞くんから「プロ野球のテレビを見ながらスコアブックの付け方を教えてほしい」と頼まれた。(彼もやがて中学校に入ると野球部に入った友人)

 当家は父が製材所を経営していてもテレビが持てない家だったことと、いつも「テレビでプロ野球が見たい」と思っていたもんで、これ幸いとその依頼に応え、親から「夜、木屋さんの家の邪魔になるからあんまり毎日のように行ったらいかんぞ」と言われながらも、週に2回ぐらいは巨人戦の中継を見に(これが本心だった)行った。
 
 昭和30年ごろのプロ野球中継は日本テレビが巨人戦の中継をしていたぐらいだったので、当然日本中が巨人ファンとなった。これは全て読売新聞社と日本テレビの努力があったからこそで、このテレビ中継という努力をこの会社が行わなかったと仮定すれば、今のように野球が日本一人気のあるスポーツにはならなかったのは疑いない。

 当時の中継は午後7時30分から午後9時まででしたが、それでもラジオではわからない動きが手に取るようにわかるから、心躍らせて見せてもらっていた。勿論、画面を見ながら章司くんには「ボールはこう、ストライクはこう、ヒットはHと書き、こう線を引き、フライアウトはFと書き、・・・」と教えていました。

 巨人軍はまだ、川上哲治選手が一塁を守っていた現役時代で、藤尾捕手や与那嶺外野手、坂崎外野手らがいて、長嶋や広岡などはまだそのあとの時代でした。

 それから二年ぐらいたって、小学5年生頃だったか、室戸岬中学校の野球部から依頼が来た。「野球部に部員にスコアブックの付け方を教えてくれんか」。早速放課後の野球部の練習試合に行き、バックネットの横で二人ぐらいの部員に教えた。そんなこともありました。

 小学6年生の昭和33年でした。書店で『冒険王』や『少年』などに交じって『野球少年』という本があり、その年の大リーグ終了後にやってきたセントルイス・カージナルスの左のリーディング・ヒッター、スタン・ミュージアルに夢中になり、読んだことを思い出す。テレビで見たわけでもないのに、本の中の写真でその姿を見ただけで心躍らせた。

 小学生の時には野球をうまくなりたい、ボールを遠くまでかっ飛ばしたい、そう思って野球に興じていましたが、悔しいことに、小さなころから栄養失調で体力など無かった私は中学校の野球部に入っても木屋くんや中野くんのようにはうまくも力強くもなく、走り回るとすぐに息切れがしてチームのみんなについていけず迷惑をかけるだけだと思い、一年足らずで退部した。

 そうして、月日が経ち、中学校を卒業するとき、木屋章詞くんから「俺と同じ室戸岬水産高校に行かんか」と声をかけられたが、私は画家かイラストレーターになりたかったこともあり、「すまん、おれは普通高校の室戸高校へ行くわ」と、私は室戸高校へ。そうして卒業後、彼は家業の遠洋マグロ漁船に乗り、これ以後、彼と話したことも出会ったこともなくなった。一回、町の喫茶店で船員たちといる彼に出会ったが、偉くなった彼に気安く話をするのも気が引けて、あいさつするぐらいしかできなかった。

 やがて彼は家業の「王子丸」という300トンの船頭になり活躍していると聞いていたが、40歳半ばだったか、病気で亡くなった。それも洋上のマグロ船の上でだったそうな。

 近所の自宅で営まれた葬儀にも行ったが、いつまでも心の友だった彼の死をどうしても受け止めることができなかったし、自分の中で一つの時代が終わった感がした。

 大勢の弔問の人たちの中にいて、「病気を押して、体に鞭打って働いていたんだな」と悲しくなったし、旧友の一人を失いひどく落胆したことを覚えている。

 もう一人、友人だった中野泰雄くんも早く逝った人。

 彼も木屋くんと同じ室戸岬水産高校へ進学し、高校を卒業してしばらくして「福岡県の人と縁があり、結婚して博多ラーメンの店を経営している」と聞いていたが、私が家業の製材所で大型トラックに乗り丸太を積んで運ぶ仕事をしていたその30歳代に、彼の訃報を聞いた。この時も、「なんでこんなに早く死ななきゃならなかったのか」と思ったものです。

 木屋くん、中野くん、彼らとは小学生の時から一緒になって少年野球に没頭し、虚弱体質だった私よりもずっと体格もよかったこともあって、中学校でも野球部に入って活躍した二人ですが、今はいない。

 子供のころから体が軟弱だった私も今や70歳ですが、50年前、私が二十歳の年、もしかしたら彼らよりも早く逝っていたかもしれない出来事があった。

 冬の寒い夜でした。6トントラックに銘木製品を満載し、真夜中の淡路島を走っていた。昭和41年という車にエアコンなど無い時代のことだから、室内は温風ヒーターを付け。

 淡路島の洲本を過ぎてしばらくしてでした。室戸を出てから約7時間。いつの間にか昼間の積み込み作業の疲れが出て居眠りをし、反対車線いっぱいに寄った所を走り、ふと目を覚ますと右車線の右の端。びっくりしてガラス越しに右側を見ると、道路から2メートル下に畑が見えた。

 大慌てでハンドルを大きく左に切り、すると当然、荷物を高く積んだトラックは右に傾きトラックは転倒寸前。すぐに右に切り返す。するとトラックは左に大きく傾いた。そうして車を蛇行させながらもその動作を繰り返すことで、なんとかトラックを道路の左側に寄せて、停車することができた。「フー」。血の気が引いた。

 もちろん、製品が荷崩れしていないかを確認するためと気を落ち着かせるため、車から降りた。荷物を積んだ荷台をシートを張った上からあっちこっちと手で確認したが、ワイヤーでがっちりと縛っていることから荷崩れはなかった。現場で「死ぬ思い」とはこういうことを言うんだと思いました。対向車線を車が走って来なかった幸運もあった。

 生死の分かれ目は、ほんの1秒ぐらい。もう1秒目が覚めるのが遅かったら、間違いなくトラックは2、3メートル下の畑に転落。私の体はトラックと荷物の十数トンの重さでぐしゃぐしゃになり、即死していた。

 今でもこの出来事を思い出すたびに身震いするし、「その時に死んだつもりで大事に人生を歩んでいかなきゃ」という思いとは別に、「神様や仏様が活かしてくれた命だ。他の人にはできないような自分らしい人生を歩いていこう」との想いも強かった。どなたでも思った通りに生きられるわけではないが、決めた方向にだけは真っすぐ進んでいきたい。そう心に決めてあっちにフラフラ、こっちにフラフラしながらですが、生きてきた。

 体が強かった中野のやっさんが30歳代で亡くなり、木屋のしょうじくんは40歳代で亡くなり、今はこの世にいない。一方、虚弱体質だった私はトラックの仕事で体も精神も強くなり、あれから40年近く経つが自分なりにこうして「負けて堪るか」と生きている。

 人の人生はほんとうに解らないものです。

 よく「あの人の分まで生きてゆく」と言いますが、こうして立ち止まり思い起こすと、本当にそんなことを思い、考えますね。

 木屋章詞くんと中野泰雄くんの「無念」を思いながら、私にあとどのくらいの人生が残っているのかわかりませんが、生真面目に生きて、彼らの分まで頑張らなくちゃと思っている。そのことが彼らの供養になるとも思っていませんが、彼らの「無念」な思いを考えながらこれから生きてゆくことは大事だと思っている。

 時折、思うんですよね。木屋くんと中野くんが私と同じ70歳になって目の前に出てきて、三人が生きていたころの人生や仕事ぶりを語り合うことができたらうれしいだろうなと。

 そろそろ、お盆。

 旧友二人の供養を心の中でしようと思っています。

 ま、やがて5年か10年かしたら私も彼らがいる“彼岸”に逝くことになるが、それまでもうひと頑張りしましょうか。

 彼らの分まで。


 彼らもファンだった巨人が10ゲーム差から7連勝した。昨夜は負けてしまったが、あと5.5ゲーム差だ。リオ・オリンピックも始まった。

 スポーツの夏だ。みんな、みんな頑張れ!


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巨人が勝って、今日は Zaz を聞いている

2016-06-01 | プライベート
 昨夜は巨人が珍しく3点も取って勝った。もし阿部が一軍に上がってこなかったら、またもやオリックスに1対2で負けていた試合。

 うれしいやら、情けないやら。

 ま、ともかく巨人ファンとしてはうれしいことは間違いない。

 そこで、6月議会で行う一般質問の原稿書きはすでに終わっているので、今朝は久しぶりにZaz(ザーズ)を聞いている。(こんな時間も無いと市議会特捜部の議員は疲れ果ててしまいますので)

 フランスの若いシャンソン歌手Zazは、2011年9月にNHK・BSプレミアムで海外の無名だが才能ある歌手を紹介する番組「アメイジング・ヴォイス・驚異の歌声」という番組で紹介されて知り、夢中になってDVDまで買って聞いていた、女性シンガー。

 かすれた声で軽やかに歌う歌は、昔のシャンソンではなくて、新しい時代を感じさせた。

 まずは、「ザーズ・スペシャルサイト」を。(←クリック)

 2011年に日本で紹介された時はまだモンマルトルの路地で歌うシンガーだったが、今やもうフランスだけではなくて広く名が知られる存在となっているみたいで人気も上がり、聞いたことのない曲がたくさん出ている。

 ま、お時間がある方はYouTubeで聞いてみてください。

 Zazヒット曲集 (←クリック)


 さて、巨人ですが、阿部がいないと勝てないようでは、これからも一試合1点か2点の打線が続きそうです。

 打っているのは坂本と村田ぐらいで、いつまでたっても打線の主軸になれないのが長野や亀井。岡本や重信ら新人も、2軍から上がてきてスターティングメンバーに出てきたときには大いに期待し、「ホームランを」と思うんですが、投球のスピードと変化に順応できず活躍できない日々が続いていて、実に歯がゆい。「やっぱり1軍の壁は厚いか」と思ってみています。

 ファンが我慢し続ける野球というのも限界がありますが、でも、やっぱり離れられないんですよね、古女房のように。(笑) 我慢、我慢。我慢が肝心。

 「妻は家族です!」ってどこかの知事が言ってました。これに倣うと、「ファンは他人です!」が、川上哲治さんがまだ一塁手だった私が小学生のころからの巨人ファンだから、「ファンも家族みたいなものです!」。

 8年目だったかの太田などは見ただけで体が硬そうなのが解り、「そんなにガチガチじゃ、来たボールに柔軟に対応できないだろう」と思ってしまう光景がもう何年も続いている。いつまでたっても上がったり下がったりの1軍半の立場で、「能力はあるが、巧者がないこの子を大成させる指導者はいないのか」と思ってしまいます。

 地方議員でもプロ野球選手でも同じで、“巧者”と、日々の努力と、研究心が足らない人は大成しませんね。

 投手陣も菅野を見てお分かりのようにすでに8勝ぐらい挙げていなきゃいけないピッチャーがまだ4勝ですから、投手は抑えているのに勝てないという試合が続く。見ていて試合が終わる8回や9回になると、毎試合毎試合、かわいそうになります。

 一試合平均の得点力が1.8点でリーグ最下位だそうだから、これが上がってせめて2点以上、願わくは2.5点ぐらいになれば、チームにも勢いがついてくるんですがね。

 巨人はとにもかくにも勝って、全国のジャイアンツファンを喜ばせてもらいたいものです。そうしてくだされば、私の議員活動もさらにパワーアップするのは間違いナシ!?


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孫にも衣裳

2016-04-11 | プライベート
 孫娘二人のうち、岡山市内のゴルフ場に勤務している19歳の姉の方が来年お正月に成人式の時に仕事が休めないとあって、着物を着ての前撮りをすると聞き、土曜、日曜にかけて女房と二人で岡山に車で行ってきました。

 “馬子にも衣裳”というが、これは悪口。

 ですが、これこそ「孫にも衣裳」で、普段見る女の子ではなくて、大人びてきれいになった姿に感心しました。

 ほんの5年も前はまだ中学生の子供だったのに・・・。

 カメラマンの撮影後に私が撮った写真ですが、見てやってくださいな。

      

      

 一枚は一人で、もう一枚は女房と並んで。

 純真さでは藤原紀香女史に負けてないでしょ、女房じゃなくて、孫が。

 七十前にもなると、夫婦二人で遠くで暮らす娘や孫にちょっこりと車で会いに行く機会もだんだんと遠のきますが、久しぶりで会うと孫は急に大人びてきれいになっていて、「次は結婚式か」と思ってしまいました。

 下の孫娘も高校生で、もう1年もすれば就職とか。

 素直に育ち将来を見据えて真面目に前を見て進んでいる孫と娘らの華やいだ光景を見ると、おじいちゃんもおばあちゃんも、一安心でした。

 失礼ながら、今日はいつになくプライベートのご報告をさせていただきました。

 道中、考えました。

 “極彩色の彫刻”を画業に生かせないかと思い日光東照宮に行くことが夢で、退職したら行くことに決めているんですが、「やっぱりこの年齢になると高速道路など車が多い都会に出てゆくのは神経をすり減らすので、車で行くのは止めて列車にしようか」と。

 前や後ろや右や左に注意して100キロぐらいの速度で車を走らせながら、「目的地に早く着けるとて、なぜこんなに神経をすり減らしながら先を急いで車を運転しなきゃならないのか」と考えていた。

 車だけでなく何でもかんでもですが、時代のスピード化に最近は首をかしげています。

 加えて、スマホなど携帯機器に弄ばれて紙の媒体(新聞や本)で活字を読まなくなった人間たちの生き方を憂えている。

 行きつく先は決まっている。情報過多、軽薄短小の世の中しかない。

 地域に強い問題ごとがあっても深く掘り下げることもなくやり飛ばしすぐに次のことを進めようとする愚かさに、みんなが気付いていない。

 室戸市が良い例だ。

 「一億総白痴化」とは、1957年に社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語。「テレビに至っては、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言ってよい。テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉ですが、今はこれをテレビじゃなくて携帯機器に置き換えられる。

 狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。

 ちょっと立ち止まりスマホなんかポイッと捨て、自分の人生に役立つ本を読んでみないか。一つ一つの物事をじっくりと考えてみようではないか。


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「谷口總一郎展」開催のお知らせ

2016-01-06 | プライベート
        ―七福神と室戸ジオパークの新作展―
             谷口總一郎展                

●会期・平成28年1月9日(土)~1月20日(水) (会期中無休)
              午前9時から午後5時(最終日は4時まで)
●会場・室戸世界ジオパークセンター  (室戸市室戸岬町三津)
              ☆入場無料です。お気軽にご来場下さい。

  

  

  

  

      
  
●個展開催の目的

 私は、子どもの頃から画家になる夢を抱き続けながら、やむなく家業の杉銘木を挽く製材所に勤務。29歳の時に初めて高知県展に出品するも、あえなく落選。その悔しさに、その翌月から、重労働の昼間の仕事が終わり家に帰ると油絵の勉強を始めました。すべて独学で。そして翌年、昭和51年秋の高知県展には自分で1点、2点を選ぶことができず、17点を出品。審査員もその出品された点数に驚いたのか、その中の1点が初入選。それから七年連続で県展洋画部門に入選させていただいた。

 それ以降、40歳を前にして自立心に燃え、独立を決意。〝二兎を追う者、一兎も得ず〟と考えて絵画作品の制作は止めて、喫茶店経営や地域雑誌『あおぞら』の出版と、高知県東部の地域文化を高める為の仕事に情熱を燃やし働いてきました。

 “地質を室戸市の観光事業に活かせ”とのジオパークの提唱も平成3年と平成8年にその地域雑誌で特集を組み、更に平成20年には夢であった地質写真集も自費出版して、その重要性を広く県内外の関係者に訴え、広報してきました。

 市議選で落選した平成23年5月からは、画家という新たな夢に挑戦しようと決意。これを機に三十年ぶりに絵筆を握り、県展作家として四年間、作品作りに精を出してきました。

   

  

●展示する作品について

 私の作家としての活動は、昨年の1月に地元有志から市議選出馬を要請されたことで急に出馬を決めたこともあって、その2月でいったん筆をおきました。

 だから、今回の個展に展示するのは、昨年の市議選直前の2月までの三年半の間に描いてきたアクリル絵の具で描いた100号の大作ばかりを、17点か18点展示させていただきます。

 この中には平成25年に審査員・智内兄助画伯から「山脇賞」をいただいた「岩、迫る」も展示します。
  

 又、年の初めの幕の内に開催するということもあり、注目の七福神の絵馬四点も展示します。
   

 是非、ご家族、ご友人と一緒にご来場下さい。

 
 最後に申し添えたいことがあります。

 私の今回の個展は、議員としてではなく、画家のはしくれとして自分がこれまでの四年間に描いてきた作品の発表会という意味で以って開くものであり、一部の人が言う「これは谷口の売名行為ではないか」という指摘は明らかに、的外れ。なぜならば、私は売名行為をしなくても、昭和61年からの地域づくり活動や地域雑誌出版等々の活動で以って、すでに市内外に名が売れているからです。

 「売名行為」とは名が売れていない人が行うものであり、すでに名が売れている人を指して言うのはお門違いであるとお教えしておきたい。

 私は、昨年4月までの四年間は画家でした。そういう人間がもう一つ、27年5月に議員の仕事もし始めたもの。室戸市議会議員の中には、漁業組合の関係者が議員をしている人間もいれば、養鶏業をしながら議員もしているという人がいます。その点から考察するに、「画家である議員が個展を開くことやその個展開催を広報する看板を立てるのは売名行為だ」などと言えるのでしょうか。よく考えてモノを言っていただきたいものです。

 「自分のする不正なことは許せるが、ほかの議員が市民のために活躍する立派な行いは許せないから妨害する」では、子供に笑われてしまうのではないか。「おんちゃん、そんなに谷口のおんちゃんの働きぶりがうらやましかったら、おんちゃんももっと自分の力で室戸のために頑張ったらえいやんか」と。

 とにかく、政治家たちの嫉妬心、ジェラシーにはほとほと呆れてしまう。

 私が個展を開催するのには意味があります。

 私が喫茶店を開店したのは昭和61年2月でした。その3月、高知新聞室戸支局長が本社に帰る間際、「土佐あちこち」のコラムで「文化果つる町室戸」という記事を書いた。室戸市がいかに文化がすたれた町であるかを書いてあった。喫茶店開店前の7時ごろでしたが、新聞を開きその記事を見て、非常に腹が立ちました。「室戸市民の中に文化を高めたいと頑張っている人たちがいるのに、それをまともに知りもしないで・・」と。数日たってその記者が来店した。厳しく言ってやりました。「あんたに室戸の文化の何がわかるのか。それも本社に帰り際にこんな記事を書く」とね。

 もともと文化を高めるためもあって店を開いたのですが、そんなこともあって奮起し、喫茶店経営の売り上げを使って次々と町おこし活動にお金をつぎ込み、コンサートや映画会を開催した。その売り上げを地元の障がい者更生施設や上海列車事故でたくさんの生徒が亡くなった学芸高校に寄付する活動を続けた。そして、地域雑誌出版の時も経営赤字が増えるのをわかっておりながら、「室戸にはこういう文化もあるぞ」とばかりに県地域政策課と一緒になって私のお金で「全国いごっそう会議」という地域づくりの全国大会を行ったり、阪神大震災へのチャリティーコンサートなども開催した。

 そして、今回、個展を行うのも、この室戸市が衰退してゆくことを見るに見かね、室戸岬海岸の地質を描いた作品を「室戸ジオパークセンター」に人を呼び込む一助にしてほしいと考えての、一つのアイデア。いわば、室戸市救援絵画展と言い換えてもよい。

 また、ジオパークセンターという室戸市の一観光施設を作っておいて、人が来ない状態では困ると考えて企画したものでもある。“衰退するスピードを少しでも遅くするには自分が何ができるのか”と考えてのことだ。

 とにもかくにも、室戸市が衰退するスピードを少しでも遅くしようとの私独自の活動。加えて、この個展開催は誰かからお金を出してもらって行うのでもなく、私個人のお金で使用料を室戸市に支払い、ちゃんと開催許可もとって開催するものであり、そんな不正なことではないと考えている。

 世の中は“何が正しくて、何が不正なことか”を基本に動いている。私が議会で市政の不正を追及するからとか、議員が発言妨害したことを一喝したからとて、それは悪意ある自分たちが蒔いた種。反省すべきはそちらにあろう。

 とにかく、私は任期のこの四年間、室戸市民から報酬をいただいて働く身。この個展開催も、議員として「地質絵画で室戸の文化を高めたい」との一心で描いた作品を展示することでその職責をの一端を果たそうと働くもの。どうか私の仕事の邪魔をしないでいただきたいものだ。

 それよりも、個展を見に来ていただいて、「世の中には議員によるこういう文化活動もあるんだ」ということを学んでいただけたら嬉しく思います。


 さて、気分を戻して、個展では「室戸岬海岸の岩の表現を見ていただけたら」と思って開催するものですので、高知県展でどうだったかなんか一切関係なく、あまり期待しないで気楽に、「あー、谷口が描く絵はこの程度のもんか」ぐらいな気持ちで見ていただけたら私も安心してお迎えできます。その点、よろしくご配慮ください。(笑)


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年の初めの例とて

2016-01-01 | プライベート
 全世界の読者の皆様、明けましておめでとうございます。

 今年もこの電子情報誌『青空エクスプレス』をよろしくお願いいたします。 

 1、年の始めの例(ためし)とて 終りなき世のめでたさを 松竹(まつたけ)たてて門ごとに 祝(いお)う今日こそ楽しけれ。
 2、初日のひかり指し出でて 四方(よも)に輝く今朝のそら 君がみかげに比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ尊とけれ。


 今朝は7時前から私が住んでいる室戸岬の東、三津海岸に初日の出を拝みに行ってきました。
  

 公職選挙法147条の2には「候補者となる人物が選挙区内の有権者に対して年賀状などに類するあいさつ状を出してはいけない」という禁止条項がありますが、それを規定するのは「年賀状や暑中見舞いなどに類するあいさつ状」と目に見える形をした郵便物のみで、インターネット上で全世界の不特定多数の人々に新年のあいさつをしてはいけないという法律はありません。もしこれが違反とならば、全世界の人々は室戸市議選の対象となる有権者になってしまいます。

 よって、全世界の読者の皆さんにご挨拶します。

 あけましておめでとうございます! 今年もやるぜよ!

  

 私も三期目で今年で2年目に入りますが、残る3年余りはこれまでにも勝る法令順守の精神で行政監視に努め、“室戸市議会特別捜査本部の本部長”としての職責を全うしたいと考えています。

 一日一日を真面目に議員としての仕事を続け、一議会一議会、欠かすことなくバッターボックス(議段)に立ち、投げられるボール(議案)をよく見て、食らいついてでもヒット(市民への貢献)を目標に働き、チーム(市民)が期待する成果を上げたいと思っています。

 70歳を過ぎて議会で質問も質疑もできなくなり市民に貢献できないでいる議員の姿を見てると、地方議員は「三期、70歳」で定年にすべき。ですが、いかんせん、議員定数を決めるのはその議員たち。議員報酬と同じように、削減することに賛成するわけがありません。それは、14名の定数を12名にできなかった室戸市議会を見れば解るだろう。
 

 さて、年初の当家ですが、みんなで初日の出を拝みに行って帰ってきた元旦の朝は、谷口家の昔からの習わしで、食事をする前に恒例となっている「歳を戴く行事」を行います。

 それは、鏡餅を乗せた三方を両手で持って少し差し上げながら、頭を垂れて押し頂き、この元日を以っての数え年を唱える。私ならば満69歳に数え年の1を足した年齢、「70歳」と唱える。家族みんなが年を取った後は、それぞれがほんの少しだけお神酒を口にする。それを家長から順に行います。続いて、みんながお雑煮を頂き、それからはみんなが重箱に入ったお正月のごちそうを食べて、これで正月のセレモニーは一応、終わりとなる。

  

 この習わしは宗教とは一切関係のないもので、銘木製材業を昭和18年に創業した私の父・谷口義貴が若いころに大正末期から昭和10年ごろまで大阪の大店・鴻池家のお抱え大工をしていたことから、その店がお正月を迎えるときの習わしを学び覚えてきて、故郷室戸に帰ってきて家の習わしとしたものと聞いている。

 指折り数えると、これは昭和の初め頃から約90年続いていることになります。よって、これは室戸市という地域のお正月を迎えたときの習慣ではありません。

 若い娘や孫は変わった風習のように思っているようだが、当家はこれをやらないとどうも正月が来た気分になれない。

 女房は、嫁に来たころ、実家がある浮津地区では行われていないこの習慣に結構カルチャーショックを受けていたが、やがて馴染み、いまでは子どもたちも岡山で暮らしている19歳と17歳の孫娘たちも、高知でも谷口家にしかないだろうこの習わしを「面白い」と、楽しみにして室戸に帰ってきます。

 女房は正月前、実家の家業である餅突きの仕事で忙しくなるため、時にこれを省こうとしますが、よい習慣は続けるものだとのこだわりがある私が「良い制度は継続すべきだー!」と(笑)妻の事業仕分けに反対し、これを許しません。だから、この習慣が今も継承されて続いている。

 「1番じゃないといけないんですか、2番じゃだめなんですか?」と妻は言うが、「2番じゃだめだ、1番じゃないと!」と徹底抗戦して、当家の制度改正に反対している。(笑)

 家族が帰省してきて孫娘と何年振りかで顔を合わすと、身長も一層高くなっていて、こどもこどもしていた孫の次女も数年会わなかったら美しくなっていて、「武井咲ちゃんと双璧」といっても言い過ぎではない。(?)私は娘に「おじいちゃんがプロモーターになって、この娘をNHKの朝ドラの主人公役に売り込もうか」と言うと、「おじいちゃんの言うことを聞いたらいかんぜ。おじいはあんたを売り込んで一儲けしちゃろうと考えちょうきんね」と孫に言い聞かせている。

 残念だ。間違いなく女優か女子アナになれば、やがて玉の輿は疑いないのに…。本人さんは「AKBはいやだ」って言ってるので、やっぱり女優にして、おじいちゃんとおばあちゃんは左うちわで悠々自適の生活を送ることにしようと企んでいる。

 孫の長女は昨春、地元のゴルフ場の社員に就職、今年のお正月は仕事が忙しくて帰省しなかったが、元気に働いているとか。岡山までは近いと思っているのになかなか会いに行くこともなくなり、年は取りたくないものだと思っている。


 さて、今年もこれからまた一年が始まりますが、今年も悪人とは議場で刺し違えるぐらいの気高い武士の魂を持って、力強くやっていく所存。

 “寄らば切るぞ”の精神で戦ってゆこうと決意しています。

 個人的には、家族みんなが病気やケガなく一年が暮らせたら良しとします。それに欲をいえば、それぞれの夢や希望が叶うことを祈念したい。今年も宜しくお願いします。

 そして、当電子情報誌をご覧くださっています皆さんにもご多幸がありますように願っています。  

 
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パソコンが故障して買い換えました

2015-12-28 | プライベート
 ここ数日、ブログの記事をかけなかったのは、12月25日に「尾崎高知県知事の講話、その実行力は」の記事を書いて一部の言葉を修正していた時、急にパソコンが行き場を見失ったのか、完全にアウト。

 青画面全体が青くなり、英文字でなんたらかんたら書いてあります。まったくどうしてよいのやらわからず、午前9時になって富士通に電話をかけて聞いてみた。それも、待ち時間が約20分もかかってでしたが。

 教えてもらったように修復作業をしては見ましたが、結局、「重要な問題があり、修復不可能です」と表示が出て、富士通の係りの男性は「故障として修理すれば5万円か6万円いります」といい、私が「えー、そんなにいるのかね。それじゃ買い替えたほうがましやねえ」というと、「買ってから6年も経ったパソコンですが、パソコンの寿命は5年か6年ですから、私なら買い換えます」とのこと。うれしいやら、悲しいやら。

 結局、その25日の午後、安芸市の大型電気店に見に行ってきました。

 すぐに必要になるパソコンであり急を要するので、店頭に並んでいるパソコンの商品から購入することに決めて選んでいましたが、富士通のものは消費税を入れて18万円を超し、同じく消費税を入れると15万円ぐらいのものもあったが、結局、「年も年だし、あと4、5年使えればいいか」と考え、安い商品で、消費税込みで12万円ほどのNECのwindows8-1の製品を買った。

 そうしてからが大忙し。

 翌26日にパソコンを外してその店に持ち込み、データの移動をお願いして帰宅した。

 そして昨日の27日は、早朝から自宅の大掃除。妻は勤務する実家のパン屋さんが毎年恒例のお餅つきで忙しく午後8時や9時ごろまで帰ってこないため、一人でハタキではたいてほこりを落とし、掃除機をかけ、床は雑巾がけして午後3時ごろに何とか終わらせた。あとかたずけをしていたそんなとき、電気店から電話がかかる。

 「谷口さん、データの移動をやっては見たが、ハードディスクが破損しているようで、どうしてもいきませんでした。申し訳ないですが、このままお渡しするようになります」とのこと。しばし絶句し、頭を抱えました。

「それじゃ、議会などの保存文書もたくさんの写真も移せなかったということですか?」と問うと、「ハイ、だめでした」と。

 「ウーン。けんどダメなことはダメなもので、だめやったら諦めるしかないねえ」と話し、「それじゃ今から取りに行きますので、よろしくお願いします」と言って電話を切った。

 私の落胆ぶりはパソコンを持っておられる読者の皆さんはようくお分かりだと思います。車に乗っての安芸市までの1時間の、長かったこと。

 電気店では、「パソコンを買ってきたときに、バックアップを取っておいていたらねえ」と言われた。

 そしてまた日没後の午後6時半ごろ、自宅に帰り着いた。すぐに配線をつないでやっては見たが、なかなか前のwindows7のように使えなくて、ちょっと使いにくそうです。でも、買った以上は慣れるしかないので、徐々に使いこなせるように努力しようと思っています。

 以上、年も押し詰まった25日から27日までの顛末をご報告させていただきました。

 でも、無駄なお金は使いたくないと思って生きていますが、思わぬ時に思わぬところにお金は流れてゆくものですね。

 皆さんも年末でお金がどんどん使ってしまうでしょうが、年を越したら少しの間は節約しましょうか。

 ま、そんなこと思っていても、出てゆくときには出てゆきますがね。(笑)


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、12月28日(木)付けGooブログランキング(2351182ブログ)中、2774位でした。
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サバが当たった?

2015-08-06 | プライベート
 昨日の昼過ぎに食った昼食のおかずに見事、当たちゃいました。

 女房が市内の魚屋さんで買ってきて作った、サバの酢和え。これを食べたのが、午後1時過ぎ。

 そのあと、2時ごろからは事務所で9月議会の一般質問の原稿書きをワードを使って書いていました。(準備は怠りなく、今できることを今やっています)

 4時ごろになって何か急に吐き気がしてきて、慌てて自宅の方に胃薬を取りに行くも、「いかん」と感じ、トイレに駆け込む。口の奥に二本の指を突っ込み、グエーグエーと叫び声を上げながら無理やり胃の中にある物を全部吐き出した。(ヒスタミンとかいう細菌を早く出してしまうにはこの方法が良かったみたいです)

 目から涙を出しながら、「なにが当たったのか」と考え、思いついたのが、サバの酢和え。「サバは当たる」とか聞くので、犯人はこいつだと決めつけた。 

 その光景を見ていた女房、「病院へ行こう」というので、結局なじみの病院に行ってみていただいた。

 無理やり全部吐いてしまったことが良かったのか、車に乗ってからは徐々に楽になり、家に帰って来てからはだいぶん楽になりましたが、「サバはもう食わん」と決意した。

 それにしても、「食べてから2時間半も3時間も経ってから気分が悪くなるかものかなァ」とは思いましたが、酢和えといえども生もの、食あたりになることもあるそうです。

 今朝も、起きた時にはちょっと胃がイガイガしてましたが、食事を終えたら、何とか普通の体調に戻ってきた。

 でも、食あたりなんて、過去にいつあったかを思いだせないほど遠い昔のこと。生来、虚弱体質のために内臓が弱くて、いつも体調が悪かった小学生や中学生の頃、以来かも。

 皆さんも夏場の食当たりにはお気を付けください。特に魚の生ものは避けた方がよろしいかと。

 ご参考までに、サバの食あたりについての解説を添付しますので、ご一読の上、皆さんもご注意ください。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、8月6日(木)付けGooブログランキング(224万2993ブログ)中、2604位でした。

 サバに当たらず、宝くじにでも大当たりすればよかったナー。
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