青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

伝説の工場再建屋、山田日登志に学ぶ

2018-02-05 | 人間のあり方
 まだ風邪ぎみで真面に記事が書けませんが愛読者の皆さんは毎日、私の電子情報誌を見においで下さっていて、うれしいと共に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 そこで今日は、十年近く前に書いた記事ですが読者の今のお仕事に何かヒントになればと思い、ご参考までに次の記事を掲載致します。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 数日前のNHKの番組「プロフェッショナル」の「輝け社員 よみがえれ会社」は、議員をしている自分にも大変勉強になり、貴重な時間だった。番組の副題は「伝説の工場再建屋 山田日登志」。山田さんが目指すのは、工夫すれば、努力次第で生産性は高まり、工場は無限に強くなる。これが山田さんの信念である。

 企業人だけでなく、行政職員、議会人にもその職務に関する能力アップの面で参考になるのではないかと思い番組を見ながらメモした言葉や要素を、列挙する。

●「ムダ」を見つける。

○トップの指示待ちでいいのか。

○社員の意識を変えるにはどうすればいいのか。

○トップは社員のやる気を引き出せ。

○会社の目指すところは何か。

●常識破りの工場改革で、社員が変わった。

○決められたことだけやっていた社員の意識が変わった。

●悪い点を悪いと誰かが言わなきゃ、人は変わらない。

○工場に潜むムダを取り除く男が必要だ。

 そして、〈赤字工場を再建するための手法〉

①材料は使う場所に置く。

②機械が商品を作る時に見ているだけの人はムダで、必要ない。

③動線を短くする。

④運ぶ距離は出来るだけ短くする。

⑤新製品は客のニーズに合ったものを作る。(これらは当たり前のことだが、気付かずに仕事をしている例が多分にある)

●変わることはいいことだとみんなが気付くと、組織は変わってくる。(誰も気付かないと、いつまでも組織は変わらないということになる)

○仕事が増えて文句を言っていた人も、効率が上がってくると「色々工夫できて、仕事が楽しい」と、やがてどんどんやる気が増大してくる。

○社員が仕事の楽しさを味わえば、工場はどんどん強くなる。

●働くことに喜びを持つこと。

●苦しいけれど、仕事が楽しいという人間を作らなければ、組織は荒廃する。

●変化を受け入れないから、改革が進まない。逆に言うと、改革が進まないのは、組織に属する人間が変化を受け入れないからだ。

●下手な伝統や昔から続いてきた慣習に固執し過ぎると、社員が好き勝ってやるから、会社がおかしくなるんだ。

●工夫の余地は無限にある。後は、やるかやらないかだけだ。

●プロフェッショナルとは、使命を感じて人が賞賛してくれる働きをする、そんな人をプロと言う。

 この番組を見てですが、やはり思った通り、これまで私が議員の責務として行ってきたことに誤りは無かったと確信した。「動かない人間の方が間違っている」と

 それと、この番組の中で特に注目したのは、山田さんに問題点を指摘された一人の家具職人がそれを改善しようと必死になって作業時間を短縮しようと苦心するシーンでした。機械や材料の置き場所を変えたり、取っ払ったりして、少しずつ時間を短縮して行く過程は、特に楽しく見せていただいた。こんな職人のいる会社や組織は強いと思いましたね。逆に言えば、こんな熱意のある人がいない会社や組織に将来は無いし良くはならないと、確信めいたものを感じた。

 この場合も、飛騨高山の家具会社社長が「再建屋・山田」に工場形体の改革改善を依頼して職人に指導してもらったことから木製チェアの製作時間が半分に短縮されたものであって、これがこの会社の別の工程で仕事をしている同僚職人が当該職人に改善点を指摘し助言を与えた時に、素直にそれを聞き入れ、改善に努めたかは大いに疑問だ。

 「上」から支持されたり、著名な人物が来て指導されたら改めようと努力するが、同僚や自分より経験の浅い人、分野の違う人から誤りや不適正や知識・技術の改善点などを指摘、指導されると、努力しない。むしろ反発する。人間とは概してそうしたものですが、そこを素直に反省し、受け入れてトライしてみるところに、勇気の有無、誠意の有無が表出する。

 でも、テレビや映画のように「あー、あいつが言うように、俺は今日まで間違っていた。改心して、組織のために尽くそう」とする人は、あまりいません。努力する人はもともと生真面目な努力家。だから、指摘されることは無い。指摘される人は大体、改心しないものです。

 ともかく、プロフェッショナルになるのはなかなか道は険しいものです。でも、その“高み”を目指すのが職務というもの。皆さん、励みましょうぞ。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、2月5日(月)Gooブログランキング(2805669ブログ)中、2638位でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

父親が厳しく育ててこそ、子は育つ

2018-02-01 | 人間のあり方
 私の愛読書、藤原正彦氏の著書『国家の品格』にはこう書かれている。

 「会津藩の教え」として、

 <「江戸時代、会津藩に日新館という藩校がありました。白虎隊も教えを受けていた藩校なのですが、ここに『什の掟』というのがありました。そこにはこう書いてあります。

 一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ、
 二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ、
 三つ、虚言を言うことはなりませぬ、
 四つ、卑怯なふるまいをしてはなりませぬ、
 五つ、弱い者をいじめてはなりませぬ、
 六つ、戸外でものを食べてはなりませぬ、
 七つ、戸外で夫人と言葉を交えてはなりませぬ、

 武士道精神に深く帰依している私には非常に納得できるものです。七つ目を除いて。そして、これら七箇条の後は、こんな文句で結ばれます。

 「ならぬことはならぬものです」

 要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが最も重要です。すべてを論理で説明しようとすることは出来ない。だからこそ、「ならぬことはならぬものです」と、価値観を押し付けたのです。

 本当に重要なことは、親や先生が(子供が)幼いうちから押し付けないといけません。大抵の場合、説明など不要です。頭ごなしに押し付けてよい。もちろん子供は、反発したり、後になって別の新しい価値観を見出すかも知れません。それはそれでよい。初めに何かの基準を与えないと、子供としては動きが取れないのです。(後略)>


 又、同じ本の中で藤原氏はこうも書いている。

 「父の教え」として、

 <私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした。父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と言われていました。

 父は「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりするのは卑怯だ」と言うのです。私にとって「秘境だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」と言うのと同じです。だから、弱い者いじめを見つけたら、当然身を踊らせて助けに行きます。

 (中略)父は「弱い者を救うときには力を用いても良い」とはっきり言いました。ただし五つの禁じ手がある。一つ、大きな者が小さな者をぶん殴っちゃいかん。二つ、大勢で一人をやっつけちゃいかん。三つ、男が女をぶん殴っちゃいかん。四つ、武器を手にしてはいかん。五つ、相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん。「この五つは絶対に守れ」と言われました。

 しかも、父の教えが非常に良かったと思うのは、「それには何の理由も無い」と認めていたことです。「卑怯だから」でおしまいです。

 で、私はその教えをひたすら守りました。(後略)>



 地方議員が議場で他の議員の発言を妨害することにしても「弱い者いじめ」であるし、不正な議案に賛成して可決させてしまうことも結果的に市民に被害を与えているから、「市民に対するいじめ」に他ならない。つまり、不正に賛成して市民を苦しめている彼らは、白虎隊の若者たちが守り通してきた会津藩の教えに背いた、卑怯者だともいえる。

 昭和18年生まれの藤原氏が子供の頃と言えば、戦後すぐの昭和20年代から30年代の初めです。その時代の父親と言えば当家のように、子供を家業にこき使い、厳しく鍛え教えていた。

 しかし、今の時代で子どもが小学生や中学生というと、父親の年齢は33歳ぐらいから40歳ぐらい。だからこの父親が生まれたのは昭和58年ぐらいから昭和51年あたりになるか。この時代に生まれた父親が家業にこき使われ、厳しく鍛え教えられてきたという例は稀で、大抵の家庭では子供を家業に使い鍛えるなんてことはしなくなり、家の使いなどもしたことがない、すくすくと育った子どもが大半だろう。

 このように、父親から厳しく鍛えられてこなかった今の時代の父親は、子どもに厳しく言うその言い方も教え方も親から学んでないので、どうしても厳しく言えないし、言っても真っ当な躾ができない。だから、子供が納得しない。

 つまり、今はスマホで遊んでいても平和に暮らせる時代であるし、若い父親に藤原氏がいうところの子どもに重要な「価値観を押し付ける能力」が備わっていないので、子どもに対し道理に叶ったことが言えない。だから、父や祖父から厳しく教えられないそういう現代の子供たちはかわいそうだと思う。

 子供に厳しく言い教えるのは父親の務め。それで子から嫌われても、その子が成人し、やがて「あの時、親父がこんなことを言ってたなあ」と思い出してくれる日が来れば、藤原正彦氏が父である新田次郎氏から受けた教えに対し「おかげ」を感じて本に書いたように、うれしいことではないか。

 とにもかくにも、親は子に厳しく教えること。そのためには家庭にそういう“空気”と“土壌”がなければ、ただ子どもから反感を買うだけであることは十分承知しておかねばならない。

 「鉄は熱いうちに打て」の教えもある。小さな2歳、3歳ごろから事あるごとに教えてこないと、10歳や15歳になって変な方向に行き始めてから「そういうことをしてはいけない」と言ったって、誰も聞かない。だから、結婚して子どもができた時から、子供への教えは始まる。

 そのためには、父親も本を読み、子どもにも小学生になったら本を与え読ませること。全ては鍛錬の積み重ねです。子どもが大きくなってから鍛えようと思っても、無理。

 後妻の子である私が21歳になった昭和42年に父は亡くなったが、その幼少期の昭和20年代、少年時代の昭和30年代に父親から言われたことは今でも折につけ思い出し、その父が言った言葉を妻と話す時に披瀝すると「あんたはお父さんが言うたことをよく覚えちょうねえ」と感心される。

 戦争が終わった翌年の昭和21年11月に生まれ、翌月の12月に南海大地震を経験しての、父と暮らした昭和42年までの約二十年間、父も私に教えるつもりで言ったのではないかもしれないが、私は折につけ父が語るともなく語った言葉を思い出し、笑い話も含め、妻に語りながらその一言一言を噛みしめている。

 振り返って、不正に賛成してしまう地方議員がいます。

 彼らに父からの厳しい教えは無かったのだろうか。

 「ならぬことはならぬものだ」「悪いことはしてはならん」「ウソをつくな」との。

 もしそうだったら、議場で不正な議案に賛成することによって自分の父親にも恥をかかせていることになるが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

叱ってくれる人がいるって、ありがたい

2018-01-17 | 人間のあり方
 この話は以前に記事にしましたが、もう一度、記事を修正・加筆して書こうと思う。

 お昼の番組、フジテレビの「バイキング」で坂上忍が東北の津波被害地を訪問した。プレハブの商店街を訪ねた後、小学生6名ぐらいの女の子の児童劇団が稽古をしているところに“乱入”した。

 そして、元劇団員の男性と女性に代わり、東京で子ども劇団を主宰している坂上くんが演劇指導となった。

 一人の背の高い女の子に対して「声が小さい!」「テレがある!」と矢継ぎ早に叱る。「それが邪魔をしているから、6年間も演劇をしていてもうまくならないんだ」と教えた。

 「演劇って、こういうようにたくさんの人が見ているところで、テレビカメラもある場所でやるんだよ。そういう状況だからできないじゃ、お芝居はできないよ」と教える。

 女の子は自分でもよく分かっている点を指摘されて、納得している様子。

 みんなで一緒に何度か稽古をやった後、坂上君から OK が出た。女の子はほっと安堵し、「ありがとうございました」とお礼を。

 私もそのやりとりに感動して、もらい泣きしました。

 そこで思ったのは、「叱ってくれる人がいることは、人生において、本当に大事なんだな」ということでした。

 「この子は叱られて本当によかったなあ」としみじみ思いました。そして、「この子が成長して大人になったら、もしかしたら演劇の道に進むかもしれない」、そう思った。


 振り返って、地方政治の世界です。

 市長に就任したら、「もうこれからはオレの世界だ」と思うのか、権力を振り回し、不正な事業を興したり、不正な行政運営を行う市長がいます。議会には「こんな不正な政治をしてはなりません」と指摘してくれる心優しい議員も数名いるが、全く聞こうとしない。

 坂上君の演技指導のように「それじゃダメだ! もう一度公正な事業計画に改めてきなさい!」と叱ってもいいならその議員も叱ってやるんでしょうが、議場でそんなことを言ったら即刻、議員の方が懲罰を受けてしまうからそれはできないし、例え叱ったとしても改めることなどない。

 市長の方もそれは先刻承知しているから、不正の指摘に対して答弁では「これは適法ですので、このまま管理運営を行っていきます」と白を切り、それで終わりになってしまうのが落ち。だから、議員が叱って市長が素直に改めることなど皆無といってよい。

 実に罪深い。

 更に言うと、議会に市長を庇い立てする与党的議員が過半数いると、そのまちの政治不正に終わりはなく、住民は被害を受け続けることになる。

 故に、議員も同罪だ。

 市長が提案した不正な事業計画案に対して賛成して不正の片棒を担ぐこういう議員らを坂上君と同じように大きな声で「もっと公正な政治をしなさい!」と叱っても、不正な議案を提出した市長やその不正に賛成する議員の方が悪いのに、叱りつける議員の方が懲罰を受けてしまう。

 だから、議員が不正に加担する議員を叱って教え導くことはできない。

 これが地方政治であり、地方議会である。不正は簡単にまかり通る。

 でも、基本を言うと、自分のしていることが間違っているとき、叱ってくれる人がいるってことは、うれしいものだし、ありがたいもの。坂上君が東北の子ども劇団の女の子に叱って教えていたが、叱られたその女の子はうれし涙を流していたことでもわかる。叱られたがため、坂上君が憎くて悔しくて泣いたわけでは、決してない。

 だから見方を変えれば、人間も薹が立ち(※)、誰も叱ってくれなくなったらもうお仕舞いともいえよう。全国の地方議会には間違ったことをしても他の議員らが叱ってもくれない議員がたくさんいますが、その議員らは公正と不公正、公平と不公平、適正と不適正、無駄と有益などの違いが判らない、叱っても無駄な議員だということです。
(※語彙:「薹(とう)が立つ」とは、何かをするのに最適な年齢を過ぎてしまうこと)

 首長にしても、政策や行政運営の十中八九が公正でも一割二割が不正や不適正なら、任期途中で「不正な首長」と烙印を押される。そういう不真面目が板につくと、健全な議員らからは「任期が切れるのを待つしかないなあ」と見放されてしまい、議会においては誰も叱ってくれなくなる。

 首長にしても議員にしても、例え「オレはよいこともたくさんやっているが」と言い張っても、無駄。行うことの全てが公正・公平・適性で市民のためになることじゃないと首長や議員の仕事は務まらないし、市民にしても安心して首長や議員の仕事を任せられない。

 議会に首長や議員に公正な政治について指摘する人がいればいいが、果たして皆さんが住んでいるまちにそんな人がいますか? 又、読者の皆さんには自分が間違いを犯したとき、叱ってくれる人がいますか? お伺いします。

 大事ですよ、「そんなことをしちゃだめじゃないか!」と怒ってくれる人って。こんな人ってこの世の中にそんなにいるものじゃない、その価値も含めてですが。

 ま、それも、他人の悪さを叱れば叱った方が反撃を受けることもあるから、よほどのことがない限り、人は自分を叱ってはくれません。ですが、今任期の私は、市議会においてあまりにも質が悪い議員に対しては議場であろうが議員控室であろうが叱りつけることにしており、その効果は十二分にあった。但し、「その人のために」と思ったことなど一度も無く、室戸市議会の健全化のために叱っている。

 勿論、それは、ピストルで撃たれようが刀で切りつけられようがかまわない、どうぞやってくれという気持ちを以って。

 「人の至らなさを叱ることの大事さと、自分の至らなさを叱ってくれる人がいる大事さ」。この番組では、坂上君にそれを再確認させてもらいました。

 唯、こういうことも言える。

 抽象画家・難波田龍起は自著『抽象』の中で友人の高村光太郎(詩人・歌人・彫刻家・画家)のことを次のように書いている。

 <高村光太郎は誰でも受け入れる。何ものでも受け入れる。いかなる虫けらでも、およそ生きとし生けるものの生命を尊重している。

 (中略)けれども高村光太郎は怠けものやずるいものまで抱擁しようとするお人よしではない。むきになって考え、むきになって仕事する人間が好きなのだ。むきになれないような人間は、最も大事なシンセリティを欠いている。

 「虫けらでさえもむきになって生きたがっているのだ。
 生きよ、生きよ、生き抜いて死ね、その先はない。無いからいい。」


 この短詩は弱い僕をどんなに勇気づけてくれたか知れない。生涯僕の内に生きる詩句である。>


 難波田は、「高村は、怠け者やずるい者まで抱擁しようとするお人よしではない。むきになってむきになって仕事をする人間が好き」で、「むきになって仕事をしようとしない人間は、(仕事に)最も大事なシンセリティ―(【sincerity】誠実・誠意)を欠いている(から嫌いだ)」と書く。

 同様に、私も基本的にはそう思って生きているが、「むきになって仕事をせず」不正な働きをする人間だけは放置できず、地域の将来や市民生活のことを考え、気を抜くことなく厳しく対応している。私のこの行為が例えいま効果を挙げずとも、その是非はやがて歴史が証明してくれると信じて。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、1月17日(水)Gooブログランキング(2800676ブログ)中、1705位、1月18日(木)Gooブログランキング(2800998ブログ)中、1691位でした。

その日の私が書くブログの「記事トップテンランキング」を見ますと、ここ数日ランキングの1位か2位に来ているのは上記の記事ではなくて、以前書いた「大鵬や貴乃花より弱い白鵬」の記事。白鵬の相撲に疑問を持たれた方々が検索してくださっているのでしょうね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

いつまでも賑わいは続かない。目鼻を付ける時はいつか来る

2018-01-15 | 人間のあり方
 読者の皆さんもご記憶かもしれませんが、私は昨年3月1日に次のような記事を書き、太陽光発電事業に乗り出すことに対し警鐘を鳴らしました。

 「ウナギの養殖事業破綻の次は、太陽光発電事業の破綻か」 ←(クリック)

 一年ほど前の記事を書いた頃からすでにその傾向がありましたが、売電金額の低下が原因で、昨年の平成29年の太陽光発電事業者の倒産は一昨年よりもさらに多くなっているというニュースも昨日見えました。

 産経ニュースから ←(クリック)

 記事の内容は、「平成29年の太陽光発電関連事業者の倒産件数が28年よりも35%増加した。これは過去最高の倒産件数だ。原因は、国の再生可能エネルギー政策の見直しで固定買取価格が引き下げられ、事業経営が苦しくなったためだ。その事業者向けの買い取り価格は、平成24年度は1kW時当たり40円だったものを、その五年後の平成29年度には21円と半額にした。これにより、太陽光発電関連事業者だけでなく、太陽光パネル製造会社などの採算も取れなくなり、業界全体が経営悪化を招いている。今後、事業者は徐々に淘汰されていくだろう」というもの。

 間違いなく、この太陽光発電事業も私が20歳代に見たウナギの養殖事業のように、衰退していくとみている。

 教訓として、何事も“丁度が良い”ということです。度が過ぎると、何事も途中で破たんします。

 でも、人とは欲張りなもので、他人が儲けていると自分も同じことをして儲けてみたくなるもの。他人が儲けているのを見ると「自分がやっても儲けられる」と考え、夢描き借金をし大金を投資しても、やがて時代が変わればほんの10年もしない間にそのブームは終わってしまう。そういう例って世の中にはたくさんあります。

 私が今、危ない商売だと感じているのは、近海でのサンゴ採り業です。

 いま室戸市ではその業者の皆さんの羽振りの良さを聞いて大変なニュースになってはいますが、この業界もそのサンゴが取れるエリアのサンゴを取りつくしてしまえば、すぐにサンゴ漁の仕事も終わりを告げることは間違いありません。かと言って、加減しながら採っていたら他の業者に採られてしまうと考えるだろうから、みんな競争のように採る。でも、今の状況と将来の展望を漁業関係者に聞くと、「ほんの10年、いや、もしかしたら5年ぐらいで許可されているエリアのサンゴを採りつくしてしまうのではないか」と聞いた。

 何事も“丁度が良い”が、金の欲が絡むと、長くは続かないということです。

 ウナギの養殖業が流行して、やがてそのブームは終わった。太陽光発電事業も飽和状態になり、全国の電気業界の状況が変わり国の買い取り価格がさらに安くなると業者も淘汰され、やがてそのブームは終わるでしょう。サンゴ漁にしても許可されている海域のサンゴを取りつくしてしまうと、やがてそのブームも終わりを告げます。

 ま、これらも儲けられるときに儲けておいて、サッとやめる。そういう判断力と決断力があれば、それほど大きな損失を招くことなく儲けを手にすることはできるでしょうが、これが難しい。人間とは欲深いから、「まだ儲けられる、まだいける」、「もう少し儲けてから、もう少し儲けてからやめよう」と思っている間に【儲け】から【損】に転じ、結局、「あの時にやめておけば損することもなかったなあ」と嘆いて事業に失敗する。

 所謂、「後悔先に立たず」。

 どんな仕事もいつまでもいつまでも利益が損益を上回ると思ってはいけません。目鼻を付ける時はいつか来るものです。

 室戸市の経済事情にしても、人口は毎年350人から400人が減少しています。私は発行している議会新聞でもそのことを市民の皆さんに克明に伝えています。
  

  

 人口は減少してゆく。すると、商店などを経営している業者が販売する商品を購入する人は、年々減少していって当たり前。やがて立ち行かなくなることは経営者たるもの、よく理解しておかねばなりません。そういう状況にあるから、スーパーの経営だって同じことです。年々、お客さんの入りが年々悪くなるのは、これも当たり前のことです。

 人口減少が原因で学校が次々と統合されるのも当然の現象だし、スーパーや商店が閉店に追い込まれるのも人口減少が原因。

 室戸病院が人口減少が原因で、「救急診療」をやめ、「入院病棟を閉鎖」したのも、ついに「病院を閉院」という事態になったのも、すべて病院の“お客さん”である患者が減少してしまい病院経営ができなくなったから。病院経営者が「室戸市じゃ病院を経営しても儲からん」と考え目鼻を付けたのですが、経営者は民間団体の長。自治体が経営不振に陥った特定の事業者を止めることなどできないし、財政支援もできません。

  上の人口減少グラフを拡大すると・・
  

 今から十数年後の2030年には約7000人の町になると考えると、市立病院なんかすぐに負債で倒産しそのツケは市民に回ってきます。わずか7000人、6000人になってしまった室戸に住んでいる市民に。

 残念なことですが、これらの流れはすべて、地方の人口減少が顕著で衰退してゆく町の姿。そう観念しないと明日に向かって歩んでいけないと私は考えています。

 重要なのは、「困ったら、誰かが自分を助けてくれる」、「市役所がすべて助けてくれる」なんてことは考えないことです。「自分のことは自分でする」という精神を持ち続けないと、とたんに困ることになります。

 そして、冷たいようですが、「自分が困っているのは他人の所為だ」なんて思わないことです。「自分が困っているのは、自分が判断を誤った所為」、世の中とはそうしたものです。そう考えた上で、「自分は今どうしたらいいのか」、「これからどうしたらいいのか」とお考え下さい。

 私はもともと、「役所などあてにならない」と考え、自分のお金を投資して40歳から自分が経営する喫茶店の売上金を使って地域づくり活動をやってきたし、雑誌出版業の時もそうしてきて、活動に対して県や市から支援してもらったことは一度もありません。なぜなら、行政に助けられていては、その活動を自分がやったことにならないからです。

 このように、役所に頼るのはおやめなさい。これを「自助努力」というのかどうかわかりませんが、自分のことは自分で助けること、室戸市に住むか出て行くかは自分で判断することです。

 自分が経営している商売のことは自分が見切りをつけることです。飛行機が墜落するように商売を止めてはなりません。「ソフト・ランディング」といって、墜落しかけていても「軟着陸」するように経営している商売を閉めることです。「そのうち、そのうち」と考えてはなりません。先にも書きましたが、「後悔先に立たず」と言います。地面に激突して大爆発するように商売を終えてはなりません。「軟着陸」できるように店を閉めることです。そして、商売を終えた時、借金をできるだけ残さないよう工夫することです。そう出来なくても、出来るだけ少なく終えること。

 室戸市民の皆さんが室戸市の明日のことを危ぶんだり心配したりすることはありません。ご自分のことと家族のことだけを心配し、考えて生きていくことです。

 私は議員だから「人口が減少するので、市民の皆さんは室戸に残ってください」という立場なんでしょうが、私は「市民の生活を考えるのが議員」だと考えて議員をやってきたので、そうは言いませんし、そう求めません。私が発行している議会新聞にも「ご両親は子どもの将来を考え、この町に残してはなりません。室戸市から出したほうが良い」と書き続けています。それが間違いなく子供たちのためになることだからです。

 だから、「この室戸じゃ、生活できん」と思って市民が室戸市を出て行くことについては、「そうしたほうが良い」と思っています。

 「室戸市に残れ」というのが公務員としての議員のあるべき姿でしょうが、私は市民のためにそういい続けてきた。

 どんなまちでも、いつまでも賑わいがあると思ってはいけない。住民が目鼻をつけなくてはならない時はいつか来る。

 大相撲の稀勢の里にしても白鵬にしても同じで、自分の体力や気力を考えると今場所で二人とも引退したほうが良い。今後の大相撲界を考えると、それがより効果的だろうと思っている。横綱ともなれば、自分がケガで休みながら時々出て金を貯め込むことよりも、大相撲界の将来を考えなくてはならない。それが一番大事だ。

 だから、一日も早く目鼻を付けて引退し、後進に道を譲りなさい。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、1月15日(月)Gooブログランキング(2800038ブログ)中、2181位でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

我が子を半殺しにされた貴乃花親方が怒りに震える気持ちは、私にはよくわかる

2017-12-30 | 人間のあり方
 <日本相撲協会から「理事解任」を突き付けられた平成の大横綱、貴乃花親方。「親方の対応は問題だ」「被害者側なのに」。貴乃花部屋がある東京都江東区の住民からは28日、協会の決定に賛否双方の声が上がった。

 長年の相撲ファンというタクシー運転手(73)は「過去にも力士をめぐって事件は起きていたし、早く協会に報告するべきだった。何を考えているのか分からないし、ふに落ちない」と貴乃花親方の対応を問題視。「角界は暴力を根絶してほしい。テレビでもよく見ているが、ファンとして残念だ」と語った。

 「なぜ、被害者側の親方が処分を受けなければならないのか」と疑問を呈するのは、和菓子店の店主(59)。「傷害事件なのだから警察の捜査を優先し、報告を後回しにするのは当たり前。問題は協会にある」と強調した。>


 上のような記事が時事ドットコムに掲載されていた。

 物事にはいろんな立場の人やいろんな考え方を持った人たちがいるので、これも社会全般の考え方かなとは思います。

 でも、ある出来事に対して声を挙げる人たち全員がそれらの物事の本質をよく認識して言っているかというとそうではなく、何も理解していないまま話している場合が大半です。

 「事件を相撲協会に報告しなかった貴乃花親方は何を考えているのか分からないし、やっていることがふに落ちない」と貴乃花親方の対応を問題視したご高齢の男性も物事を理解していない一人のようです。「貴乃花親方が何を考えているのかわからない」まま、批判の声を記者に語ったようだ。

 この声に対して、貴乃花親方に成り代わり指摘したい。

 「報告しなかったのは、相撲協会は不正や暴力沙汰を隠そうとする密閉体質にあるから」。これが回答。

 まず貴乃花親方から報告を受けたとしても、相撲協会は「事件の全貌を明らかにすると今の大相撲人気を引っ張ってくれている白鵬が共犯者であることが全国民に知られてしまい、そうなると白鵬は腹を立て引退もちらつかせ始める」と考え、事件をあからさまにせず、うやむやにしてしまう。だから、今の八角理事長がトップに立つ相撲協会の組織体質を全く信用していない貴乃花親方は、自分の身を切ることになるだろうがそれでもいいと考え、勝負に出たのである。


 物事とは、周辺でささやかれている色んな雑な情報を加味せず、その要点を抜き出して簡単に考えると、その実態が見えてくるものです。この事件と貴乃花親方の話もそうです。

 「どこの世界に我が息子を半殺しにされて、黙って見ている親がいるのか!」ということです。その怒りは、半殺しの目に合わせた張本人はもちろんのこと、そうして半殺しにされているのをその横で黙ってみていた共犯者足る人間にもその怒りは向けられて当然のことだ。

 「よくもうちの子どもを半殺しにしてくれたな」と、そして「その傍に助ける力を持った人間がいて、よくも助けなかったな」と考えるのは至極当然のことだ。


 だったら日本相撲協会の理事の面々もそのことをよく理解して罰すべき人間を適正に罰すべきは当然のことじゃないか。

 「なんだって? 報告しなかったから理事解任だって?」。

 だったら、その事件があった現場で、しかも障害を犯した主犯である人間が処罰を受けるのは当然として、その横にいた無能な人間がその事件についての報告を境界にしなかった人間よりも重い処罰を受けるのは、之もまた当然ではないか。

 自分の息子を半殺しにされた貴乃花親方が相撲協会に報告をしなかった罪で理事を降格となるのは良しとしよう。だが、この処分をするのなら、その事件現場の、それも犯人のすぐ横にいた白鵬はそれよりも重い、「横綱」から「大関」に落とすべきではないのか。

 罪と罰というものは、その罪の重さによって軽重に差を持たすべきものである。罪の重さでいえば、事件現場にいた日馬富士、白鵬とそばに居た鶴竜、その後、貴乃花親方の順だろう。

 だが、相撲を取っていた理事長や理事たちには法的処分の仕方なんか解らないとしても、このことを検事長をしたことのある危機管理委員会の高野利雄委員長ですら理解出来なかったとはなさけない。能力不足をさらけ出している。いったい日本相撲協会はどうなっているのか。

 昨日、「貴乃花親方の降格処分」を公表した相撲協会の見解から言うと、事件現場で暴行が行われているのをその横で見ていながら止めなかった加害者側の白鵬と、その事件を境界に報告しなかった被害者側の【親代わり】である貴乃花親方を比較すると、協会側は今の大相撲を支えてくれている白鵬には30万円とか50万円という横綱にすれば痛くもかゆくもないハシタ金の大甘な処分でお茶を濁し、一方の貴乃花親方には理事を解任した。

 「30万円の罰金」と「理事解任」ですよ、皆さん。どちらが罪が重いか、お解りになりますか?

 分かりやすく解説いたしますと、「30万円の罰金」は車の運転に例えると、いわばスピード違反で1万円とか2万円の罰金で、免許停止もないし免許取り消しもない処分。それに引き換え、「理事解任」は免許停止の処分だ。どちらが処分が重いかは歴然としていて、「免許停止」を受けたほうが重い処分。

 しかしだ。

 本当は、第1番目に重点を置くべきは、事件に関して誰がかかわり、誰が一番、罪が重いのかを調査し、次に二番目に罪の重い者は誰かと調査を行い、周りにいた者たちの加害的状況も調査したうえで、厳格に審議すること。こちらの事件の方が「主」だ。次に、「その事件について報告義務がある理事の貴乃花親方は報告したか」が問われる。こちらの方は事件後の「周辺事情」だ。

 依って、相撲協会が主として罰すべきは事件現場にいた人間を先に、そして重く処分を下し、その上で事件後すぐに報告しなかった貴乃花親方を通常の処分を下すこと。これが当然の処分であろう。

 しかし、この事件が発生後、相撲協会が怒りの矛先を向けてきたのは横綱である白鵬ではなく、ずっと貴乃花親方であったことは皆さんご承知の通りです。

 国民の中の物事を正しく判断できない人たちは「貴乃花親方は報告もしないしメディアにもしゃべらないから、あの親方の方が悪い」といっているが、「笑わせるな」と私は思いながらテレビのその声を聞いている。

 これについても貴乃花親方の思いを代弁させていただくと、

 ①貴乃花親方は何事も“臭い物には蓋をしよう”とする相撲協会の体質を知っているから、警察に届けず先に相撲協会に報告したらこの横綱がらみの事件はうやむやにされる。だから、「どうせ批判を浴びるだろうが、先に警察に届けて、こういう事件があったと世の中に明らかにしよう。その方が相撲協会の改革には役立つだろうと考えたこと。

 ②もう一つは、記者に聞かれたからといって少しでも話をすれば、間違いなく、その言葉に尾ひれがついて、誤った解釈をされ、その誤解でしかない話をまるで貴乃花親方が言ったかのようにニュースで流され、そのニュースに食いついた馬鹿なアナウンサーやコメンテーター、相撲関係者どもがテレビや週刊誌やスポーツ紙で騒ぎ立てることは貴乃花親方も子供の時から知っている。だから、部屋から出た時も部屋に帰ってきたときも周りの記者らの問いかけに一言もしゃべらないのである、「こいつらに話しても物事の正誤が解る奴らじゃない」と思って。親方のこの対応は正解。

 ①が相撲協会関係者についてで、②がメディア関係者について。

 私も市議会議員をしていていつも思うことですが、執行部の中に不正をやった人間がいて、市議会にも裏で建設業者とつながっている不正な人間がいて、その不正には大勢の者たちが賛成しているのを見て、私は「これじゃ室戸市は絶対に良くならない」と思い、自分のできる限りその不正を質し、改まるように努力しようとしてきました。でも、白鵬に似た者も含めた不正な人間たちは「この不正を無くされては困る」、「体質を改善されたら自分たちの欲望が果たせない」と考えるのか、抵抗し続けています。

 日本相撲協会の体質の悪さを見ていると、不正や不適正な事業や業務運営を続けてきた室戸市とそれを助けている室戸市議会みたいです。

 そうじゃないことはよく知っていますが、「どっこも、こんなんかなあ」と思ってしまいます。

 貴乃花親方の組織改革への強い思いと悔しさ、私の室戸市及び市議会改革への強い思いと悔しさ、この二つは比べるまでもなく、貴乃花親方の苦労は私の苦労の何十倍も大きなものだとはわかっていますが、組織改革への強い思いは同じだと思っています。

 ま、貴乃花親方がどこまで降格されても、来年2月の理事選に例え出れなくても、間違いなくいつかは貴乃花理事長となって今のぬるま湯体質の協会と大相撲を改革してくれると信じている。

 頑張れ、貴乃花親方。私はこれからも、四国の東南端の小さな町からあなたが相撲協会という大きな組織を健全体質に改めようと汗を流しているのを、ずっと応援しているよ!

 一方、白鵬は引退後に理事となり理事長となって、モンゴル人力士を中心にした相撲界に変えようと企んでいるようですが、高慢ちきで上の者の教えに逆らうという性格の彼は国民に認めてもらえないだろうから、実現は難しいでしょう。12月場所の11日目の負けを認めないあの態度と、千秋楽の優勝インタビューでの事件をなかったようにしようとしたことと万歳三唱。あの態度が横綱である白鵬には品格など皆無であることを証明しています。白鵬の1月場所での態度が見ものだ。

 最後に言っておきたいことは、20歳を超えたら人の性格は変わらないものです。

 「オレは今日から真人間になります」なんてことは漫画の世界だけ。真面目な貴乃花親方の強い改革への志はこれからも続き、不真面目な白鵬は死ぬまであのような人間のままです。

 あの韓国政府のやっていることを見てもそう思うでしょ。いくら国と国が約束したことであっても、韓国という国の人たちは約束を守らず、これから100年たとうが1000年たとうが、「国と国との約束も、人と人との約束も守らない。すぐに無かったことにする」という性格は今のままで、変わりません。要は、韓国の国民性として言うと、いつまで経っても昔のことを引きずり、いつまで経っても国としての発展性に乏しいということ。この病的症状は終生、治らない。それは、あのドイツという国は戦時中にあまりにもひどいことを行ったが、今も周辺諸国の人たちに貶められているかを見れば解るだろう。

 韓国人特有の、他人や他国に対し“ゆすり、たかり、すがり”の声を挙げる国民性はこれからもずっと続くと考えておいた方が良い。

 安倍総理、韓国の平昌五輪になんか行っちゃダメですよ。観光客も韓国だけは行ってはダメ。水戸黄門じゃないが、「しばらく懲らしめてやりなさい」。

 「不真面目な国も人もその性格は変わらない」、「真面目な人も国もその性格は変わらない」。「欲深い人は、ずっと欲が深い」、「欲がない人はずっと欲がない」。「自分さえよければいいという人は、ずっと我が強い」、「人に優しい人は、ずっと優しい」。

 処世訓としてそうお考え下さい。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、12月30日(土)Gooブログランキング(2794310ブログ)中、3394位でした。

読者の皆さんはお正月前で帰省したりお正月準備で大忙しのようで、ご訪問の人数も少なくなってまいりました。皆さん、良いお正月をお迎えになり、くる年が読者の皆様にとって良い年になるよう、ご祈念します。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「-らしく」するのは、本当に難しい

2017-12-22 | 人間のあり方
 何事も「-らしく」することは非常に難しい。

 ●私の仕事から先に言うと、地方議員が議員らしくするのは、本当に難しい。

 ●地方議員が住民に対して市政や市議会の情報を伝えることは責務であるが、それを地方議員らしく媒体として議会新聞やブログを使っての情報伝達することは非常な技術と労力と費用が必要だから、本当に難しい。

 ●市政で行われる違法などの不正、不公正、不適正、不道徳な事業や行政運営に対し、批判できずに賛成してしまうのを見ると、私は信念をもって仕事に取り組んでいるから左程難しいとは思わないが、地方議員らしく不正に「ノー」と言うのはどうも難しいようだ。

 ●その先に、その先に、室戸市長が違法や不正、不公正、不適正、不道徳など自治体の職務の中で絶対にあってはならないことを平然と計画し業務を行い議会に提案しているのを見ると、住民が選んだ首長の能力が低く浅く薄いがため、公正、公平、適正、道徳的に職務が遂行されることは非常に稀であり、難しい。

 ま、それも、単に能力不足の人間が首長などやろうとするからそうなるのであって、不正と毅然と戦うと決意した健全な人物が首長をやれば難しくなく簡単にできることだから、本当は難しいことではない。要は、首長選と市議選で公正な考え方ができる候補を住民が選ぶことが難しいとは言える。

 立候補した首長候補の中に公正な政治ができる人間がいないことと、市町村議選に立候補した中に公正な考え方を持ち不正と毅然と戦う人間がいない場合。こういう場合には、簡単に不公正な首長が当選し、不公正な議員ばかりが簡単に当選してくる。如何に住民の大半が健全な考え方を持っていようとも、10000人の有権者が投票に行き9900人が白票を投じ無効票になろうとも、候補と知人・親戚などの関係にあるあとの100人が不公正な考え方を持った候補に投票すれば、上から20票、16票、15票・・・と得票して14名の候補が当選してしまい、またぞろ不正な事業案が議会で次々と可決してしまう。

 地方政治の場でのこういう状態を防ぐことはできないということだ。

 ●国会議員が国会議員らしくするのは、本当に難しい。

 ●一例として、W不倫が発覚して夫や我が子に迷惑をかけ日本中を騒がしても、その若いツバメがどうしても忘れられず傍に置いておこうとするのを見ると、国会議員が国会議員らしくするのは難しいようだ。頭で考えて政治に没頭しなくてはいけないのにそれができないのか、下半身で物事を考える故に恋に狂い政治家らしくできないのか、簡単なようでいて山尾議員はこれを正しく判断するのは難しいようだ。

 ま、この事例は、政治家が国政よりも若い男を選ぶような考えしかできない山尾議員が幼稚なだけですが。表向きは威勢よく政治を語っても裏側を律して生きていかなきゃボロが出るという典型的な例。私も、どこかの市長や町長のようにキスなどしないよう、持論と自分の身の処し方を違えて恥をかかないようにとこのことを心に刻み、残る一年四か月間の議員の職務に努めている。

 ●この政治情報を伝えるメディアにしても、入ってきた政治に関わる情報を中立で公正・公平・適性に判断しそれに正しい評論を行うべき立場にいるメディアらしくするのは、そうできないメディアが多いことを見ると、本当に難しいようだ。

 ●今問題になっているが、相撲取りが相撲取りらしくするのは、本当に難しい。

 ●横綱が横綱らしくするのも、本当に難しい。

 ●相撲協会という組織が公正な判断を下すことも難しいし、健全な組織らしくするのもまた、難しい。

 ●闘争心をあらわにして戦うのは土俵の上と稽古場だけであることを横綱になっても解っていないところを見ると、力士が力士らしく品格を持つことは本当に難しいようだ。

 ●すったもんだ大騒ぎし、勝手気ままに論じ、勝手気ままに書き、自分勝手な解釈で以って報道しているメディアにしても、健全で公正な情報を伝えるメディアらしくするのもまた、難しいようだ。

 さて、こういう記事ならいくらでも書けます。

 ●学生が学生らしく勉学に励むのは、本当に難しい。

 ●会社員が会社から雇用された立場を考え、明日の仕事を考え、家で待つ家族のことを考えして、会社員らしく会社が終わるとすぐに家に帰って休息を取ることは、本当に難しい。どうしても息抜き、ストレス発散とばかりに、帰りに居酒屋に寄って酔ってしまいたくなる。これもたまにはいいが、雇用された立場だから、くれぐれも「会社員らしく」を忘れないようにご注意を。

 ●もちろん、会社員と同様に、公務員も「公務員らしく」は忘れてはならない。自治体職員も教員も、公務員。でも、「公務員らしく」もまた難しいようで、そうできない職員や教員がたくさんいる。

 会社ならその会社に雇われ社長からその会社の利益の中から給料をもらっていることはすぐに理解できるが、公務員は誰に雇用され誰から給料をもらっているかをすぐに忘れる職種。公務員が雇用されているのは、都道府県に勤務する職員はそこの都道府県民に雇われ、その都道府県民から給料をもらっている。市区町村職員はその市区町村の住民に雇われ、その住民から給料をもらっている。このことをよく理解していたら、自分が給料をもらっている住民に対して上から目線で偉そうなことは言えないはずだが、一部の職員は自分がえらくなったと勘違いして、横暴な言動を繰り返している。(それが先日の記事)

 兎角、人間とは、自分の給料が上がると自分が偉くなったかのように勘違いする動物。会社や自治体の組織では、それほど高い能力を持っていないのに年齢が上がってくると階級を上げなくてはならない雰囲気になってくるもので、その中には落ちこぼれももちろんいるが、そんな人間でも少しづつが昇進している。それに連れ、当然(半分は仕方なく会社が)昇給する。となると、能力があって上がった人はその類ではないが、それほどの成果を上げたわけでなく上司が今後を期待して昇進させた中にはそれを勘違いする者も出てくる、「オレは偉いんだ」とか「オレには実力があるんだとか」ね。

 自治体組織でいうと、それほど成果を上げてなくてただ使いよいからその地位に置いているだけの職員が、それ。その地位で成果を挙げれば「期待以上の働きだ」として評価できるが、期待以下の評価の時、公務員の階級を落とすこともまた、難しい。

 ●身近な話でいうと、夫が夫らしく振る舞うのも難しいし、妻が妻らしくするのもまた難しい。

 夫が家を守れない例もあるし、妻が家を守れない例もあろう。

 夫が冷静に妻に教え子に教えできるかと言うと、難しい。押さえつけてもだめだし、甘やかしてもだめだし、これもまた難しい。

 この「-らしく」を書いているときりがないが、とにかく皆さん、もうすぐ年が明けます。来年は「-らしく」ありましょう。

 私なら、自分らしく、地方議員らしく、夫らしく、親らしく、おじいちゃんらしく・・・・。

 難しいことなんですが、そうありたいと思っています。


 (追記)

 結論として、その職に「-らしく」ある続けるには、「その職責に筋を通して全うすること」です。簡単に言うと、「まー、いいか」と考えず貫き通すこと。大抵の人はこれができません。

 今日の室戸市議会の閉会日。昨年9月議会に提案された補正予算案の中の、廃校の校舎改修事業に係る無駄な公共施設工事予算約4億8000万円に私を含む4名の議員が反対しました。今議会の補正予算案にも約2300万円が提案され、私は筋を通してこれにも反対討論を行い、反対しました。

 唯、28年度の一般会計決算の認定の採決も行われましたが、これについてはうっかりしていて、賛成してしまいました。

 この決算書の中には昨年9月議会に提案された4億8000万円の工事費が入っていて自分は昨年9月議会でこれに反対しているので筋を通してこの決算認定にも反対すべきであることを完全に亡失し、その採決が終わって次の認定案の採決に移り賛成してから、昨年の補正予算案に反対したのに決算認定に賛成してしまったことに気付いたもの。

 如何に私がその一般会計の決算認定に賛成したとしても賛否の結果は変わるものではないにしても、このことを閉会日を迎えるまでに考えず、認定に反対せずうっかり賛成してしまったことに深く落ち込んでしまいました。

 このことを議場を出て階段を下りながら思い続け、市民感情などどこ吹く風で「まー、いいか」と全ての議案に賛成している議員らが市役所を後にして帰っていくのを見ながら、「オレはなんて馬鹿なんだろう。筋を通せなかった」、「この事業に反対してきた議員らしく出来なかった」と今、悔やんでいます。

 本当に「-らしく」するって難しいです。改革派議員として議員活動に筋を通して職務を全うすることって、本当に難しい。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、12月19日(火)Gooブログランキング(2791083ブログ)中、2165位でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

人間万事、塞翁が馬

2017-11-08 | 人間のあり方
  

 表題の言葉は次のように読む。

 「人間万事塞翁が馬」の「人間」は「じんかん」と読む。これは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味。 そして「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

 だから「人間万事、塞翁が馬」は、「世間は万事、塞翁が馬」となり、「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした」の意。

 歴史を踏まえて言うと、昔、中国の国境の塞(とりで)近くに住んでいたある翁(おきな)、飼い馬に逃げられたが、その馬が名馬をつれて戻ってきた。翁の息子はそれに乗り足の骨を折ってしまったが、そのため戦争になって若者たちが次々と招集された時、その息子だけは助かったという話。「世間とはそういうものだ」と教えています。

 人間の運命や幸不幸は定まりがないものであることを例えている。

 人のためにと良いことをしても、裏切られる時もある。その裏切りがあったことに負けずに一生懸命働いていれば、その頑張りの成果として幸運が舞い込むことだってある。

 いま会社を辞めさせられてくやしい思いをしていても、その辞めたことによってまた別の生き方が見つかり、新しい充実した人生が始まる。それは会社を辞めなかったら見つからなかった仕事。他人は他人、自分は自分。余所見をせず、自分がこれだと信じた道を歩んでいけば、いいことはきっとある。

 私だって、これまでそうやって自分が信じた道を真っ直ぐ生きてきたんだ。みんなも、そう考えてこれからも息を抜かずに生きていこうじゃないか。

 遊びは程ほどにして、仕事に精を出して頑張っていこう!

 どんなに生活が苦しくても、くじけちゃダメだ。きっと明るい明日がある。そう信じて、とにかくどんな仕事でもいいからすがりついて働くことだ。

 学校でいじめられ続けている子供たちだって、「今に見ていろ、僕だって」と決意し学業にスポーツにと励んでいれば、きっと良いことがある。決して死んではならぬ。

 なあ、同士よ! なあ、子供たちよ!

 世の中は万事、塞翁が馬。人生も万事、塞翁が馬だ。

 負けるな! 負けても、悔やむな! 辛くても、悲しむな!

 苦労の数だけ人間の知力や能力は高まるもの。人知れず励んだ結果は、後にきっと出る。

 未来は決まっていない。少年時代にいじめられたって、若い頃にうまくいかなかったって、頑張っていれば将来はどう転ぶかわからない。子供の頃にいじめられ続けた人が、二十歳を超えて励み、そんな努力の時代を経ていま多くの人の支えになっている例もある。

 励めよ、励め。

 さすれば、かつて挫け、負け、いじめられした時代は過ぎ、遠のき、やがて人の上に立てることもあろう。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、11月8日(水)Gooブログランキング(2781695ブログ)中、2239位でした。 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

再度、投票に行かない有権者に政治を批判する権利はない

2017-10-20 | 人間のあり方
 (投票日も近づきましたので、12日に掲載した記事を再度掲載します)

 全国の有権者の皆様に大事なお知らせです。

 今日は“政治参加とはいかなる意味か”について書きます。

 10日は衆院選の告示日でした。国の近未来を決める大事な選挙です。

 でも、中には大事な選挙なのにこの選挙で投票にも行かず、棄権する人がたくさんいます。まちの投票率が60%だとすると、そのまちの有権者の40%の住民は投票に行っていないということ。こんなことではダメです。こんな政治意識では、まちが良くなるわけがありません。

 そこで、お家を守る奥さんに私からお願いがあります。

 奥さんから旦那さんや投票権を持つ十八歳以上の子どもさんに、次のようにクギを刺してほしい。

 「えいかね、お父ちゃんも子供らもよう聞きよ。国の政治のやり方や無能な国会議員の仕事ぶりに不満を持っても、選挙の時に投票に行かんような人間にはその政党や議員を批判する権利はないぜ」。

 「そうやきん、ブツブツ言わんと、早よう投票に行ってき」。


 なぜ私がこんなことを書くのか、読者の皆さんはお分かりですか?

 まず、投票所に行って投票すれば「政治参加」したことになり、投票所に行かず投票しなかったら「政治不参加」となるからです。

 理由はお分かりでしょう。

 「政治不参加」、つまり選挙の投票日に投票しないということは、政治に関して参加していないということになります。因って、投票しないいうことは同時に、政治に対する発言権も失ってしまうということになります。

 こうして投票日に投票にも行かず政治に対する発言権を失えば、国政、県政、市町村政や市町村議会の不正や不馴染めや怠慢行為などについて批判できなくなる。

 もし、今後、衆院議員が不倫して議員辞職や離党やと騒がしくなっても、衆院選の時に投票所に行って投票していない有権者は、批判の一つもしてはなりません。なぜならば、投票権を放棄すれば同時に、発言権も失っているからです。


 よく、国政選挙や、都道府県知事選や、県議選や、市区町村長選や、市区町村議員選の時に投票にも行ってないのに、国政に対し、県政に対し、市区町村政に対し批判している御人がいますが、あれは以っての外で、政治に参加もしていない人間に政治を批判する権利などありません。

 日頃から関心がない政治を馬鹿にし、「民主党政治は…」とか「自民党政治は…」と批判しながら、選挙になると「おれには関係ない」とうそぶいて投票にも行かない人がいますね。あなたもそうじゃないですか?

 権利を放棄したそういう方々には、「それは政治が悪いんじゃなく、その前にあんたの方が悪いんだ」、「あんたがた有権者が投票に行かないから、政治も悪くなるんだ」、「国の有権者がみんなで投票しさえすれば、政治ももっと良くなるかもしれないじゃないか」とお教えしたい。

 投票に行った有権者が法令を順守しない悪質な政治家や職責を果たさない地方の政治家たちや自治体職員を批判するならいざ知らず、投票にも行っていない「政治不参加」の有権者が自分の不真面目さを棚に上げて政治や政治家を批判する等、以ての外です。

 なぜなら、政治に参加していないからです。政治に参加していないということは、いわば“蚊帳の外”。蚊に刺されるのは当たり前のことです。

 そんな投票にも行かない有権者に政党や政治家や行政を批判する権利など、これっぽっちもない。

 さあ、そう批判されないためにも、あなたも衆院選に投票に行きましょう。投票することで国の政治や政党、政治家にお願い事もできるし、批判もできます。なぜならば、その権利を持っているんだから。

 これは自分たちが住んでいる町や村の首長選や議員選の時でも同じです。

 市長の不正を市民が批判するには、市長選に投票に行きこの「批判権」を得ることが先。投票に行ってない市民は市長が如何に不正を重ねていても、批判する権利はないということです。市議についてもそうです。市長が議会に提出した事業案が違法であるにもかかわらずそれに賛成して可決させてしまうような木偶の坊な市議たちであっても、市議選に投票に行かなかった市民はそれらの市議たちを批判する権利など無い。

 お分かりでしょうか。


 「為すべき時に 為すべきことを 為せば成る」は私が作った教訓。「為せば成る 為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」の教訓を創ったのは上杉鷹山とされる。

 どちらも「何事もやるべきことをやろう、やるべき時にやろう」ということです。

 問題は、いま大きな台風が四国地方を目指して進んできていること。それも、どうも最接近した時には920ヘクパス前後の巨大台風になるようです。

 だから、日曜日の投票日は大雨になると思いますので、時間を確保して、
今日20日(金)か21日(土)に期日前投票に行こう!

 さすれば、あなたやご家族の皆さんに、国政に対する発言権は手に入ります。「雨やきんなあ」なんて言い投票に行かなかったら、今回の衆院選で当選した議員らをあなたは批判できませんよ。

 以上、室戸市議会の一人会派「鷹山会」から、衆院選投票についてのお知らせでした。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、10月20日(金)Gooブログランキング(2776408ブログ)中、1806位でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

投票に行かない有権者に政治を批判する権利はない

2017-10-12 | 人間のあり方
 全国の有権者のみなさまに選挙に関する大事なことをお教えします!!

 全国の有権者の皆様がもしや選挙について勘違いしていないかと思い、今日は“「政治参加」とはいかなる意味か”について書きます。

 10日は衆院選の告示日でした。国の近未来を決める大事な選挙です。

 でも、中には大事な選挙なのにこの選挙で投票にも行かず、棄権する人がたくさんいます。まちの投票率が60%だとすると、そのまちの有権者の40%の住民は投票に行っていないということ。こんなことではダメです。こんな政治意識では、まちが良くなるわけがありません。

 そこで、お願いがあります。

 お家を守る奥さんから旦那さんや投票権を持つ十八歳以上の子どもさんに、次のようにクギを刺してほしい。

 「えいかね、お父ちゃんも子供らもよう聞きよ。国の政治のやり方や無能な国会議員の仕事ぶりに不満を持っても、選挙の時に投票に行かんような人間にはその政党や議員を批判する権利はないぜ」。

 「そうやきん、ブツブツ言わんと、早よう投票に行ってき」。


 これはなぜなのか、読者の皆さんはお分かりですか?

 まず、投票所に行って投票すれば「政治参加」したことになり、投票所に行かず投票しなかったら「政治不参加」となります。

 これはお分かりでしょう。

 「政治不参加」、つまり選挙の投票日に投票しないということは、政治に関して参加していないということになります。因って、投票しないいうことは同時に、政治に対する発言権も失ってしまうということになります。

 こうして投票日に投票にも行かず政治に対する発言権を失えば、国政、県政、市町村政や市町村議会の不正や不馴染めや怠慢行為などについて批判できなくなる。

 もし、今後、衆院議員が不倫して議員辞職や離党やと騒がしくなっても、衆院選の時に投票所に行って投票していない有権者は、批判の一つもしてはなりません。なぜならば、投票権を放棄すれば同時に、発言権も失っているからです。

 お分かりかな。


 よく、国政選挙や、都道府県知事選や、県議選や、市区町村長選や、市区町村議員選の時に投票にも行ってないのに、国政に対し、県政に対し、市区町村政に対し批判している御人がいますが、あれは以っての外で、政治に参加もしていない人間に政治を批判する権利などありません。

 日頃から関心がない政治を馬鹿にし、「民主党政治は…」とか「自民党政治は…」と批判しながら、選挙になると「おれには関係ない」とうそぶいて投票にも行かない人がいますね。あなたもそうじゃないですか?

 権利を放棄したそういう方々には、「それは政治が悪いんじゃなく、その前にあんたの方が悪いんだ」、「あんたがた有権者が投票に行かないから、政治も悪くなるんだ」、「国の有権者がみんなで投票しさえすれば、政治ももっと良くなるかもしれないじゃないか」とお教えしたい。

 投票に行った有権者が法令を順守しない悪質な政治家や職責を果たさない地方の政治家たちや自治体職員を批判するならいざ知らず、投票にも行っていない「政治不参加」の有権者が自分の不真面目さを棚に上げて政治や政治家を批判する等、以ての外です。

 なぜなら、政治に参加していないからです。政治に参加していないということは、いわば“蚊帳の外”。蚊に刺されるのは当たり前のことです。

 そんな投票にも行かない有権者に政党や政治家や行政を批判する権利など、これっぽっちもない。

 さあ、私にそうやって批判されないためにも、あなたも衆院選に投票に行きましょう。そうすることで国の政治や政党、政治家にお願い事もできるし、批判もできます。だって、その権利を持っているんだもんね。


 「為すべき時に 為すべきことを 為せば成る」は私が作った教訓。「為せば成る 為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」の教訓を創ったのは上杉鷹山とされる。

 どちらも「何事もやるべきことをやろう、やるべき時にやろう」ということです。

 期日前投票もできますし、22日には近くの投票所へ行って投票してください。さすれば、国政に対する発言権は手に入ります。


 以上、室戸市議会の一人会派「鷹山会」から、衆院選投票についてのお知らせでした。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、10月12日(木)Gooブログランキング(2773662ブログ)中、2009位でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「人生、照る日曇る日」

2017-10-07 | 人間のあり方
 数年前の高知新聞のコラム「小社会」の記事の冒頭部分に次のような故事が紹介されていました。

 《中国・清末(清時代の末期)の政治家・軍事家で、太平天国の乱平定に活躍した曽国藩(そうこくはん)がこんな言葉を残している。「収穫を問うなかれ、ただ耕耘(こううん)を問え」。成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要、という意味だ。(後略)》

 この曽国藩という人物の名は初めて聞くし、この言葉、いわば教訓も初めて聞いた。そして「耕耘」とは、田畑を耕すことをいいます。

 そこで、自問した。

 まちづくり活動を実践してきた三十年ほど前からの過程を振り返って、「収穫は問うなかれ、ただ耕耘を問え」の言葉のように、“結果を追い求めるのではなく、どのくらいの田畑を耕してきたか”、いかに遮二無二努力してきたかと自らに問うてみた。


 色々とありました。まちづくり活動を始めたのは昭和61年、40歳から。それからはずっと自分の家庭を重視せず、顧みずに次から次へと喫茶店の売上げから、そしてそれでなくても赤字状態の地域雑誌の売上げの中からお金を出しながら、町おこし活動を続けてきた。

 儲けにならない事が分かっていても八年あまりの間、出版し続けてきた地域雑誌にしても、また議員になってから出版した地質写真集など二冊の本にしても、本当に自分の家庭のためになっているかと問われれば、なっていない。むしろ、その度、その度に家の借金になり、それを数年かけて返済してきている。

 そんな状態だったので、いまでも思いだすが、地域づくり活動を始めた頃に、中学生だった娘から「お父さんは自分勝手や」と強く言われたことがある。自分は頑張って町のために尽くそうとしていることでも、家庭にとっては何のためにもなっていないことを、痛烈に娘から批判されました。私はその通りだと思い、胸が痛んだ。

 でも、その娘が地元の高校を卒業し岡山の大きな会社に就職して数ヶ月経った夏ごろ、電話で聞いた言葉が忘れられません。「お父さんが町のために頑張りよったのが、働き出して、いま初めて解かった」。その時のこの言葉で、少しは救われた気がした。


 いま70歳を過ぎてこれまでを振りかえって思うが、地域づくりの活動を始めた頃から支えとなっていた言葉があります。

 特に地域雑誌を出版していた時の仕事は、夜寝る時間を減らし、飲食など遊行の機会を極力断って、全てをこのまちづくりに賭けた生き方をしていて、その頃に一つの言葉を思い浮かべ、それを何か支えのようにして活動の二十数年間を生きてきた。

 それがタイトルにした、「人生、照る日、曇る日」。

 わたくし如きがえらそうなことは申せませんが、良く言えば“悟りの境地”であり、またある面、“開き直り”ともいえます。「まあ、長い人生だ。こんな日もあらあ」と。

 意味するところは、「一所懸命に努力して働いていても、人生は良い時もあれば、悪い時もある。外的原因、内的原因によって、良くなったり、悪くなったりする。でも、悪い事があっても挫けず、怠けず、正直に、頑張って前向きに生きていたら、その内、また良い事がある」ということです。


 だから、何事をする時でも休まない。自分に自信がないから、ずっと毎日働き続けます。

 休む時間や休める日々のある議員になってからも、毎日、何かに取り組んで仕事を続けています。それは又、自分ひとりの勝手な判断で休む事が、市民の意識や感覚に立ち考えて見れば、間違いなく負託に応えていないことになるから。だから、毎日何か議員としての仕事か、発行した地質写真集や町並み画集の発行など、地域リーダーの一人としての仕事に取り組んでいる。

 休めば、「人生、照る日、曇る日」が、「人生、曇る日、嵐の日」になることが分かっているから、休まない。

 私自身が自分の全てを信用しているわけではないから、休みません。

 70歳も過ぎるといつ死を迎えるか分からないと悟っているから、休まず走り続けている。

 いつまでも命があると考えるほど欲深くは無いから、休まない。

 「収穫を問うなかれ、ただ耕耘を問え」。(成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要)

 議員でなくても、身銭を切って市民活動を実践している人ならば、成果を求めず、継続した努力をすることが大事です。ならば、「人生、照る日、曇る日」、“成果”は必ず向こうからやって来る。

 但し、いつ何時も身銭を切ることが無く、“収穫”を急ぎすぎるためにすぐに行政の補助金に頼る人たちは、その限りではない。金づるである行政からの金が途絶えれば、間違いなく努力しなくなり、早晩、やめてしまいます。

 行政もそんなグループへの支援は、もういい加減に止めることです。その“深情け”な行為はその人たちの“成長”のためにならない。何の継続的な効果も生まないし、却って、行政によってその土地に依存体質の人間や団体を生み、育て、増殖させてしまうだけだ。

 「可愛い子には旅をさせよ」というではないか。行政が住民に本当に地域力を付けてもらいたいと思ったら、冷たくして突き放す方がむしろ力がつく。さすれば、性急に“収穫”を求めない、ただ夢中で“耕耘”に励む人がたくさん生まれ、育つだろう。

 そういう面から言うと、今はやりの言葉に「ポピュリズム」(大衆に迎合して人気を得ようとする政治姿勢)という言葉があるが、補助金を与えて住民を過保護にしていることと、選挙で国民や住民に媚びへつらう政策を訴え掛ける政治家とは一緒で、そういう甘い考えのもとに編み出した政治の姿勢が国や一般社会を狂わせてしまうといえます。


 「ポピュリズム」で思い出しましたが、その最たるものが今の小池氏とその政党の動き。

 昨日に公表した「消費税凍結」と「原発ゼロ」の公約など、あの民主党が政権を取った衆院選の時と同じ(※)です。普通は、「こういう政策を実現したい」という意志を持った議員らが集まって協議し、そこで「この政策を実現するためには新しい政党を立ち上げなくては実現できない」と考え、政党を作るものです。つまり、「目的」があって、「手段」が後から来るものです。

 それが今度の「希望の党」は、「手段」が先に来て、後付けで「目的」が来ている点から、不純。小池氏は政党を作ることを「目的」にし、最近になってようやく政策や公約を「手段」として急ごしらえで作成し、公表しています。集まった顔ぶれを見ても、政権を取ってから誰がどんな立場につくのか、見えてきません。

 総理大臣をする人物はいない、財務大臣は、総務大臣は、法務大臣は、外務大臣は、文科大臣は、厚労大臣は、農水大臣は、経産大臣は、国交大臣は、環境大臣は、防衛大臣は、官房長官は、等々、それぞれの職務を今の自民党政権移譲に出来るものが「希望の党」の中にいるのか。立憲民主党や、日本維新の会や、社民党や共産党と連立を組むのか知らないが、その中の議員に大臣の仕事がまともにできる人間がいるのか。私はいないと思うが、どうだろう。またもや、民主党時代の3年3か月間のように国民を惑わせ困らせたいのか。

 皆さんは覚えておられますか? あの時、民主党は次のような公約で国民に投票を呼びかけました。

 ●埋蔵金60兆円を発掘します。
 ●公共事業9.1兆円のムダを削減します。
 ●公務員の人件費を2割カットします。
 ●沖縄基地は最低でも県外に移設します。
 ●高速道路を無料化します。
 ●ガソリン税を廃止します。
 ●最低時給を1000円にします。
 ●消費税は4年間、議論すらしません。
 ●日経平均株価は3倍になります。等々。

 あの時、私は「こういうことは実現不可能だ」と考え自民党に投票しましたが、大半の国民はこぞって騙され民主党に投票しました。その結果はあの通りです。国政は大きく揺らぎ混乱したことを皆さんは覚えておいででしょう。

 いくらカッコを付けて主張したって、能力がない人間が政治にかかわると、あの体たらくです。国政にしても室戸市政や市議会にしても同じで、懸命にそれに打ちこむ思いや考えがない人間を選挙で選ぶと、悪政は続き、それによって国民や住民は被害を受けてしまうのです。

 だから、いくら街頭演説で「私にお任せください。公正・公平な政治を行います」なんて行ったとしても、騙されてはならない。ダメな人を選挙で選んではならない。有権者は候補を見る目を持たなくてはなりません。

 知事が知事の仕事に専念しないために混乱が続いている東京都政の状況を見てもお分かりのように、その知事である小池百合子氏が扇動している「希望の党」に投票しても国政は乱れ、かつての民主党と同じ道をたどり、結局は投票した国民が騙されるだけだから、一票たりとも投票してはなりません。

 それが国民の賢明な判断というものです。


※電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、10月7日(土)Gooブログランキング(2772242ブログ)中、3036位でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加