まわりで起こっていること

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天女が舞い降りるのも宜なるかな

2016年10月19日 | Weblog

という感懐を抱いたのが、昨日で。

静岡の商工会議所で、新規入場者教育、という講習で、いつものご挨拶。

が終わり、そのまま、久能海岸を走り、母親の病院に向かう。

その道中でね。

あの駿河湾と伊豆半島の山の稜線、雲がたなびき。

これじゃ、天女も、と表題のごとくで、思わず、笑いがこみ上げた。

その後、交差点で止まっている時には、涙が出そうになった。

すべてが美しい、という、思い、感懐、感情、こみ上げるものがあったんだ。

この話を、午後の個人ミーティングで、相方にご披露申し上げ。

というのも、目の前の御仁が、伊勢の御仁のお話会から刺激を受け、今では。

彼も、瞑想をしている由。

3分間だそうだけど、ほとんど、永遠にもつながるような時間だ。

なにか、といえば、頭の中から思考を外す、というか、思考を自分の思考、という具合に。

自分に所属させない、とでもいうか、通りすがりのおじさん、あるいは、吹き抜けていく風。

くらいの立ち位置かな。

直接に引き金は、テレビ、ためしてガッテンで、志の輔がやっていたことからのようだけど。

海馬を休める、すると、海馬が生き生きと、例えば、記憶などを引き出す役割を全うできる、というような。

そんなことだったけどね。

その流れから、実は、久能の海岸では、彼には、クラッシックに懲りだし、くらいの話にしたけど。

悪魔のトリル、です。

それを聴いていて、まんま、瞑想状態、思考がとび、眼が、つまり、視覚が際立ち、とね。

その相方、毎朝、読経しているそうで、それも、一緒だよね、と会話が、終わりかけに弾み。

次回は、ゴータマシッダルータの話で盛り上がりそうな気配を残して、終了、とあいなり。

会話によって、美しさの感動は、さらに相乗作用が働き、という次第。

夕方、母親のところで、夕食のおつきあい。

彼女は彼女で、彼女の物語を紡ぎ。

なんでこうして私が捉えられているのか、と訝り。

あんたもそうなっちゃうと困るから、早く、帰って、と母心を満載の表情で物語り。

こちらはこちらで、手術前に、顎を動かし、体全体に指令を飛ばす、作業をさせなきゃ。

という物語の中で、彼女の口へ、ご飯を、おかずを運び。

というしばしの時間を持った後、お腹空いたので、帰宅を急ぎ。

という時間が流れたのでした。

母親と僕のそれぞれの物語の合間、孫娘の写真や動画を見せると、破顔一笑。

彼女の中の、物語は、瞬間に変わり、そうだったね、大きくなったね、と。

なんだけど、僕の後に寄った妻には、うちの息子をそんな風に育てた覚えはないけれど。

と、つまり、孫娘は、僕の子供だとでも思ったのか、他に子供を作っていて、という物語に変わり。

嘆き節の中にいた、と。

そんな顛末が待っていたわけだ。

ことほどさように、人は、自由に物語を紡ぐことができ。

めでたし、めでたし、ということなんだけどね。

この週末には、どうやら、手術もできるようで、スケジュール通りに、着々とことは進み。

妹も、その頃には、帰省することになりそうだし。

新しい展開の家族像、ってのが、そこここに現れ出す予感だ。

さて、そんな本日、盛りだくさんなスケジュールが、流れ込んできます。

スケジュールのてんこ盛り、ってやつだ。

 

 

 

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