知ってるかな?知らないだろうな、って、僕も。
夕べ、初めて知ったんだけどね。
ジャイアントキリングの略だそうで、サッカー漫画です。
漫画でサッカーが上手くなった、と言うようなウタイで、NHKのスペシャル。
日本語にすると、番狂わせ、ありえないこと、勝てる望みのない相手に勝つ、と言うような。
番組の中、お前ん中のジャイアントキリングを起こせ!と言うフレーズがあってね。
なかなかいいな、と。
似たような言葉で、バットを振れ!ってのもあったね、お笑い芸人さんが言っていたか。
途中、3回くらい、目頭にグッときたシーンがあった。
涙もろいからね。
バットを振れ、と言うのも、好きな言葉で、当たり前だけど、振らなきゃ、当たらない。
当たらなきゃ、飛ばない。
これまた、当たり前だけど。
と書くと、闇雲に振っても、とか、しっかりとボールを見定めて、とか、お前の過去のデータからするとここは見逃すところだろ。
とかね、しかし、そんなこと、すべてが静まり返った、あの静寂の境地、とでも言うか。
その瞬間の、カラダの動きに任せ、たぶん、バットは振られる。
そこには、論評も入らず、毀誉褒貶もなく、バットだけが振られている。
そんな感じかね。
まるで、瞑想や禅の境地だよね。
くだんのジャイキリ、その漫画を読みながら、Jリーグの選手や監督達も影響を受けている、と言う番組作り。
だったんだけど、その後景に、たぶん、あれは、ラフマニノフのラプソディだ、と思うんだけど。
それが、ちょっと、イージーなジャズっぽくアレンジして、流れていて。
オシャレに使われていたな。
これね、最近知ったんだけど、正式には、って、それほど、知ってるわけじゃないけど、たしか。
例の、パガニーニのテーマによる狂詩曲、って副題もついてるようなやつだと思う。
なんてこと、たぶん、とか、きっと、とかとエクスキューズ入れて書いてるのも、ある意味。
上記のバットを振れ、の応用編、と言ったところで。
振らなきゃ当たんない、ってやつだ。
それはともかく、今朝は、やっと師走らしい寒さのとば口、って言ったところで、車内温度、7度だった。
にしても、駿河の地は、暖かだよね。
ところで、このところ、母親やらおじやら、リハビリというのか、ご老人の多くいる病院へ行くことが多いんだけど。
光景がね、昔読んだ、ヨーロッパの療養病棟のような感じで。
カミュとかマルローとかサルトルとか、ある時期、フランス文学が、なんての、流行ったんだよね。
そんなこと、思い出しちゃうような、そんな光景で。
あそこにも、ここにも、老人のケアするための建物が、というわけでもあり。
介護施設で働く人が、ひところと比べれば、格段に多くなっているんだろうし。
かたや、ジャイキリを叫び、かたや、はい、足を上げて、左からですよ、みたいなリハビリの光景があり、というね。
当たり前だけど、世の中は、一様に、あるわけではなく、って次第。
まさに、多様性、ダイバーシティ、ってわけだ。
上記、ジャイキリの漫画のシーン、将来を嘱望された選手が、プロになり、しかし、そこで。
俺はいつもあそこがダメだ、ここが悪い、とやってきた。
そして、今、まったく成果が上がらず、苦しんでいる、みたいなこと、達海監督に愚痴る、というのか。
そんなシーンがあって、そこで監督は。
お前はそのままでいいよ、全部しくじっても、一つだけ、大向こうをうならせるようなプレーをしてこい。
くらいの言葉を投げかけるんだよね、ここ、よかったな。
インスパイア。
言葉の向こう側への働きかけ、そこには命そのものが息づいている。
目には見えない、しかし、人それぞれの方法、やり方、感じ方、考え方で、表には現れている、そんな命の叫び。
震え、振動、そことのコミュニオン、交感、と。
短兵急、とか、ハリアップ、とか、急げ、とか、成果を上げろ、とか、結果がすべてだ、とかの言葉が虚ろに響く、そんな。
ところとの交感。
ここんとこ、テストに出ますよ、とね。
さて、じゃ、師走の、そうか、昔で言えば、開戦記念日だ、そんな一日に、ジャイキリ、ジャイアントキリングを。
起こすとしますか。