まわりで起こっていること

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二親を介護して看取り、肩の腱が切れた

2016年11月20日 | Weblog

昨日、カーテン屋さんにいたら、お客様がいらっしゃって。

家のカーテンを考えているんだけど、とおっしゃる。

前の経営者の方と、なんとかの会でご一緒で、という話から、実は。

この8月から、私が後を引き継いで経営しているんです、と応じ。

じゃ、ちょっとカーテンを見させて、から話は始まったのでした。

それが、表題のごとくで。

わたしの頃は、今と違って、介護施設も充実してないし、さらに、家で介護する。

というのが、当たり前、というような時代だったので、明治生まれのご両親を介護したんです、と。

ご苦労されましたね、に、いやいや、苦労、という感覚がまったくなくて、なんだろう。

身を捧げる、とも違うし、介護、という言葉すらない、それそのものになりきる、とでもいうのか。

聖書を読んでいて、いろいろと教えられた、ともおっしゃっていて。

クリスチャンということで、なんかね、清々しさを感じながら、聖書という言葉も、介護という言葉も。

お聴きしていたわけだ。

看取った後、やりきった後、肩なのか腕なのか、腱が切れていたそうで、そりゃね。

母親の病院でも、大きな男性をベッドから車椅子に乗せ代えるのに、6人がかりでやっていたのを思い出し。

それを一人で、というのは、相当の負荷がかかっていたんだろうな。

世の中には、名もなきスーパーウーマンもいらっしゃるのです。

こんな話に耳が動くのも、わが母親との実体験があるからこそで、出来事は、こちら側の変化で。

当たり前だけど、変化する、というね、お手本のような話です。

彼女がお帰りになった後、コーディネーターの社員さんも戻り、京都への研修の旅。

の報告を受けたんだけどね。

生活スタイルが変化する中、和紙作りの職人さんたちが、仕事が減少、それをカバーするために。

アレヤコレヤの創意工夫を凝らし、という話やら。

何と言っても、茶室での話が、カラダにしみた。

まさに、茶道、と言われるように、道にまで昇華したような。

老子じゃないけど、タオに通じる道、禅にも通ずるな、と思いつつお聴きしたんだけどね。

門をくぐり、手水場で清め、さて、入っていく世界は、俗世とは異次元の空間で。

お庭は、お客様毎に彩りを変え、それに合わせ、掛け軸、茶碗などなどもしつらえ、と。

最初に入った方が、その感想を述べる、という式だったそうで、その辺りの変化、技巧について。

それなりの教養も必要で、ということだったけどね。

僕的には、教養、というより、そこにあるがままのものをただ見る、という境地。

それが禅にも通じ、茶道の本体ではないか、なんて勝手に解釈した。

どこでどう変化、進化、変容をしてきたのか、まったく、知らないけれど、すごい世界を作ったものだ。

というのが、率直なところで。

さらに進めて、日常の立ち居振る舞いの中に、禅的な、茶道的な、行為と自分が別物。

なんていう幻想から解き放たれて、ベタに、そのものである、という姿。

これ、実は、とんでもない世界ではあると思いつつ、逆に、この人間たるものの。

デフォルトスタンダード、とも言えて。

なんて感想をもたらしてくれた、彼女の京都への旅なのでした。

夜は夜で、妻と妹とで、60年代への旅、とでも言えるか。

先々週だったか、わが山師匠のバンドの感謝祭で行った、ケントスへ。

この旅で、彼女たちの細胞はときめき、たぶん、よみがえる。

そんな時間だったのですが。

さて、雨上がりの日曜日、果たしてどんな旅になりますやら。

 

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