まわりで起こっていること

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昨日は、?な表題だった

2017年04月22日 | Weblog

ブログをアップした後、いきなり、魂と会話した。

と出ていたから、驚いてね。

あの時、何を書こうとしていたのか。

それに続く内容、あってないものね。

昨日、来社された御仁から、あの写真は山登りの格好で行くの、それとも、ハイキングくらいの。

なんて質問が飛んできて。

当方よりちょっと年上の方なんだけど、改めて、Facebookの浸透度を実感したわけだ。

仮に、エゴサーチのような感じで、Facebookを遡って行ったら、ツイッターにも行き。

このブログにもたどり着くんだろうからね。

この時代、簡便な検索が可能なので、ちゃっちゃとスマホでも、だから。

まるで、先生を携帯しているようなもので。

中学の時の美術の先生、思い出すよ。

大酒呑みだったから、肝臓かな、どこかが悪くて入院していた。

同室の患者さんたちが、先生だということで、なんでも知ってるかと、いろいろ聞いて来るんだ。

まったく、なんておっしゃっていた。

ある意味、検索係でもあったわけだ。

そんな時代風潮だった、とも言えるね。

知に価値があった、知は重大事でもあった、のかも。

教師は聖職者か労働者か、なんて議論があったな、たしか。

そもそも、そんなことが議論になること自体、時代の変わり目でもあったんだろうし。

行く川の流れは、元の水にあらず、って。

近代は自我の目覚め、なんて言い方もあるし、中也は、自恃だ、自恃だ、つまり、自らを恃む。

と歌った。

ヨーロッパで勃興した自我の目覚め、ってやつ、巨大な精神の収容所、と書いたら叱られるか。

教団の大きな力に、ひれ伏していた個々人が、声を上げ始め、ってね。

あれ、これと聖職者たる先生、とどう繋がるんだったか。

ところで、いつものご神木に朝のご挨拶をした時、スピリチュアルはお正月のことだよ。

なんてフレーズが浮かんできた。

というのも、夕べ、長男坊と妻との会話の中で、スピリチュアルってなに?という問いかけがあり。

沈黙で答えておいたんだけど。

それが朝になってやってきたわけだ。

時ところを超えてね。

見えない世界を語るということが、ヒソヒソと、まるで禁教を信ずる異教徒みたいに、語り継がれる。

みたいな時期もあって、トンデモ話とか怪しい話とか言われもし。

これは、江戸から明治への文明開化というウタイとともに、それまでの神々が零落して行った姿を。

目の当たりにした人々のメンタリティーが蓄積し、集合無意識にもなり。

なんてことかな、って、勝手に解釈しているんだけどね。

お正月には、おめでとう、と言って、凧を揚げてコマを回す、お雑煮を食べ、あとなんだっけ。

あれ、スピリチュアルなんだよね。

なんだけど、見えない世界は、なかなか、確認することができないから、どうしても。

高価な壺が売られたり、なけなしのお金が寄進されたり、なんてこともあったりね。

欲が欲を呼ぶ、みたいな。

欲、というといかにも悪いもののように見えるけど、意識の意をつけると、意欲。

なんてなるように、実のところ、当たり前だけど、命の発露でもあるんだよね。

見えるも見えないも、人の作る世界は、どちらもリアル。

というのが、当方のスタンスで。

根拠、とか、科学的なデータ、とかの言葉で表現されざるを得ない、この人間の。

認識の仕組み、とでもいうか、慣れ親しんだ方法、とでもいうか。

そんなところなわけで。

実は、五感の外側にも、認識のすべはある、と実感するかどうか、体感するかどうか。

なんだよね、人に教えられたことでなく、古くから言われていることでもなく。

心とか意識とかの摩訶不思議さ、なんて言い方が出て来る、その根っこ、とでもいうか。

そんなわけで、今日の土曜日は、妹が東京から母親に会いに来てくれる。

って、どこがそんなわけなのか、だけど、そろそろ、骨ストレッチを始めるとしますか。

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