まわりで起こっていること

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カレンダーとともに生きていると

2017年07月11日 | Weblog

知らない間に、日々がなんらかの予定で埋められて行き。

気がつくと、見ようによっては、それに振り回され。

使役され、というような様相を呈してきて。

このカレンダー、便利なようで、なんともかんとも、というね。

この間登った爺ヶ岳も、春に種まきをする老爺の形に雪が残り、という伝承。

いや、事実の光景から名付けられた、らしく。

和暦というわけだね。

あるいは、忍草浅間神社、忍野八海の、あそこで聞いた、カッコーが鳴いたら豆の種をまけ。

なんて言われているんです、ということやらね。

新暦、旧暦に習合される前の、自然とともに生きていた、生きざるを得なかった。

人々の暮らしを思ってしまうね。

祭りが、外来の民たち、圧倒的な力を持った、振興の勢力に奪われていく。

というか、上書きされ、消されていく、そんな姿が、気にもなり。

年間のタイムスケジュールに乗っ取った、さまざまなイベントの。

人工的な作り込みに、当方も、動かされ、気がつくと。

七夕祭りは終わっていた、とか。

何十年か前だと、秋葉山のお祭りは、大賑わいで、学校も休みになったそうで。

その前夜には、家に親戚衆が集い、祭りを祝った、なんて話ね。

それが、今では、点点点、ってわけだ。

なので、地域再生、活性、にぎわいを取り戻す、というウタイで、お祭りの再構成。

なんだよね。

お祭り、つまりは、神への、自然への畏怖、憧憬、願いなどなどから発生するものが。

経済の、地域の活性、というような、近代的な、なになにすべきである、というようなところからの。

ま、ルネッサンスみたいなムーブメントとも言えるか。

だから、真性の反逆者なら、カレンダーを破壊せよ、くらいの言説を吐くくらいじゃないと。

なんの変化も起きないかもね。

なんて書きながらも、本日も予定が入っているわけで、それに嫌気してるんでもないけど。

時には、そんな日常を相対化しちゃう、というチャレンジもありだ、というね。

このところの、妻のキャッチが、射手座のB型、完全なる自由人、みたいなものなんだけど。

そんなことを手に入れるためにも、カレンダーを破壊せよ、ってわけだ。

もっとも、それを突き詰めていくと、アメリカの一部で流行りの、リバタリアン。

いいよ、俺たちのことは、俺たちで守るから、銃で武装するからさ、だから、税金も、払わないぜ。

というような。

具合にもなりそうだけどね。

今日は、それこそ、人工の夏祭り、某大手さんのね、その打合せの後、同友会の納涼例会。

どちらも、ある意味、神に根ざさない祭りとも言えるか。

いやいや、現代風の神の物語、の一つか。

そうだ、昨日は、近くまで行ったので、富知六所浅間神社、通称三日市浅間神社ともいうらしいけど。

大楠の木が立派な。

すると、本殿は立派な建物に造り直されていて、驚いた。

宇佐・国東の旅以来、喉に違和感、タンが絡み、咳も出て、なんて症状だったので。

大楠の木の前で、地から天へ抜けるようなイメージを繰り返してみた。

自分のカラダの中をね。

それで、果たしてどうなりますか、という実験です。


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