朝早くに、サッカーの神様に。
というわけで、宿舎から散歩しながらの小学生なのか。
ぞろぞろと、神社に蝟集し、という姿を眺めながらの定位置。
たぶん、夕べのお酒も少しばかり残っているんだろうけど。
今朝もそんな具合に始まったのですが。
今日は、終戦記念日なんだね。
終戦とか敗戦とか、喧しい議論は置いといても、あの夏。
という思い起こし方になる。
セミが鳴いていて、暑い夏、開襟シャツを着た男たちが、シケモクを吸いながら。
なんて光景が浮かぶ。
いや、もんぺ姿の女性たちか。
モノクロの絵柄だ。
英霊たちは、今はいずこ、という感じだな。
以前、ブレイクスルーというセミナーで、あれは、過呼吸にして、記憶を遡る。
というものだったけど、20人くらいの受講生の中、大声を出して、米軍の戦艦に突撃した。
そんな御仁もいらっしゃった。
よくよく聞いてみると、特攻機で体当たりをしたらしく。
なんてことも思い出す。
あちらこちらで、記念の式典が開催されるのか。
戦争に対して、抗った陣営もその逆の陣営も、それぞれに、それぞれの思いのままに、ね。
いずれにしても、事実は矮小化され、SNS上に流れる、キャッチ、小見出しみたいな。
そんな具合に語られ始めるのかも。
戦争なんて、悲しくて、苦しくて、辛くて、痛くて、とどなただったか、ほんまもんの戦場を経験された方が。
つぶやいていた。
そんな方は、当時、二十歳であっても、すでに、90歳を超えている。
語り部さんたちは、ほんの一握りになっているわけだ。
すると、イデオロギーによって色付けられた、戦争、というものが、幅を利かしてくる。
って算段で。
イデー、ってのは、この世のものでない、とか、現実でない、とか、言ってみれば。
絵空事、でもいいか。
そんなことを前提にした議論、とでも言えるかな。
だいたい、勇ましいのは、35歳以上の人士方、つまり、徴兵に取られない。
予備役にも入らない、という方々かね。
あの当時もそうだったのか、どこまで続くぬかるみぞ、の道を進ませたのは。
なぜか、今朝は、終戦の記念日という字句から離れない。
あの時、つまり、清水が空前絶後の空襲にあった時、オタクのおじいさんは、村の先頭に立って、消化活動をしていた。
とおっしゃったのは、その祖父と同じ名前をもらった御仁だった。
たぶん、それも、その方の親御さんからの伝聞なんだろうな。
「日本のいちばん長い日」という映画ね、別所広司でないやつ、誰が主役だったか、父親と観た映画だ。
予科練に行こうと思っていた、という軍国少年の父親が見た戦争は、どんなものだったのか。
空襲で多くの同級生を亡くし、さらに、自分の寿命は二十歳まで、と言っていたという。
次兄は、その頃、通信兵として戦地へ赴いていた、長兄は、徴兵された宿舎近くの、西の方の軍需工場で働く女性を嫁にしていた。
彼の父親は、軍国オヤジだったそうだし。
その映画を、どんな心持ちで、しかも、息子と一緒に観ていたのか。
なんてことを、思う。
そんな終戦記念日です。