まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

車椅子に座り、平行棒を伝い歩きし、次は。

2016年10月25日 | Weblog

歩行器で歩きましょうか、というのが。

昨日の母親の現況、といったところで。

このところ、母親日記、みたいだけど。

毎日が、新しく、部屋も映って、スカイラウンジで、だけど。

暑いからカーテン下ろして、と身も蓋もないこと言うんだよ、というのは。

ちょうど、その時間、付き添ってくれていたおばの弁で。

リハビリに入る前は、帰る、帰る、というようなネガティブなモードで。

そこへ到着した僕が、それはこれこれこうでできない、ということを、ノートに書いて伝え。

たという気に、こちらはなっているんだけど、結果、通じず。

半ばふて腐れて、寝るからいいよ、という次第だったのが、リハビリのお姉さん、ま、理学療法士。

という方が来ると、瞬間に変化し、まさに、変幻自在の人間の原点、みたいな風情でね。

表題のごとき顛末だったのでした。

その後、夕方、妻が行ったときには、すっかり、元のモードに戻ってしまったのか、車で来たなら乗せてって。

というわけだ。

当方、夜は、某大手さんの役員会で、二次会まで。

大手さんは、なんだかんだと言いながら、リクルートがうまくいっている、というのか、採用計画が。

で、新陳代謝が鮮明で。

早い話が、若返り、世代交代が進む中、こちらはこちらで、年嵩だけ増えていって、という体たらく。

ということを実感もするんだけど、そこはそれ、亀の甲より年の功、だっけ。

そんな具合に、時は過ぎ、最終前の電車内。

古くからの知り合いの女史にお会いし、こちらは、悪魔のトリルを聴いていたイヤホンを外し、話が始まった。

401Kのセミナーで、東京からの帰りだそうで、いろいろとご教示いただき。

そのうちに、首にかけられたペンダントが、クロスで。

つまり、十字架だね。

受洗するんです、というわけだ。

詳しい仕組みはわからないけど、神との契約を結ぶ、という言い方になるのか。

そりゃ、いろいろとご苦労されてきたんだろう。

なんとか瞑想というミャンマーだったか、チベットだったか、そんなのも、何年かやってきて。

というんだよね。

にしても、以前と比べて穏やかになっていた、その雰囲気から、通り過ぎてきた道のりが、感じられもし。

という時間を、清水駅までの、ほんの少しの間、過ごしたのでした。

今朝はまた、母親ネタに戻ると、病院のケアマネさんにお会いし、この先の過ごし方についてのご意見をお聞きし。

ということでね。

まわりを見渡せば、そんな話に満ち溢れ、建物も働く人も、多くがそちらの方向へ転換していて。

深刻な顔をしながらの、人口減少が、限界集落が、成長率が、などなど、気がつけば。

時候の挨拶のような、ね。

ところが、人類初のテーマに立ち向かっている、とも言えて。

中国でも、ジェットコースターのような、急転直下の人口減、なんてのも、何回も繰り返してはきたようだけど。

それは、戦乱で焼け野原、統治が聞かず、農耕生産ができない、というような事情だったんだろうから、ちょっと。

わが列島で、今起こっていることとは違い。

なので、人類を代表して、このテーマを受け止め、受け入れ、生きていく。

くらいの気概で、いきますか。

このところ、気に入って、気になってるのが、老子の。

大木の話、他の木が切り倒されたのに、どうして、この大木はそうならないのですか。

と聞くと、あれは、大きいだけで、何の役にも立たないんだ。

枝は曲がり、ふしくれ立ち、家具も何も、作ることはできず、と。

それを聞いた老子が、弟子に言う。

人間もあのように生きなきゃいけない、だから、暑さの夏の木陰もでき、鳥も虫も寄ってくる。

くらいの話だったか、無用の用、とでも言ったか。

俺が俺が、あたしがあたしが、がデフォみたいな世の中には、ちょうどいい話と思えるので、もう少し。

正確に覚えておきます、そのうち、たぶん、きっと。

このところ、書きたいことはたくさんあるような気もするんだけど、さて、この前に座ると、出てこない。

相変わらず、パガニーニとタルティーニを聴いている、というのは、たしかなことで。

アマゾンのプライムミュージックとyoutubeからclipboxと言うのが、僕の日常です。

 

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