まわりで起こっていること

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人類は愛せても隣人は愛せない

2016年10月14日 | Weblog

って言い方、あるでしょ。

壮大なる、世界への、人類への、愛のような言葉を吐き出しつつ。

自分の隣の人には、呪詛を吐く、というようなね。

考え方の空中戦、あるいは、遠くの富士山は美しいけど、とかね。

わが家の母親が、毎日顔を合わせる孫には、あれだこれだと、その不都合、不足分を嘆くけど。

遠くの孫には、今頃、何してるかね、いつも思ってるんだよ、という、愛、なんて言葉で語られそうな。

感懐を漏らす、という仕組み。

最近のエントリー、父帰る、で触れたいとこが、父親への怒り、嘆きが、5年ぶりに見た病い姿で、一新し。

というようなものもありで、妻が、じゃ、あたしも、ちょっと旅に出てみようか、と。

すれば、わが母親への、心の持ち方が変わるかも、ということなのか、あるいは、僕への、かもですが。

いずれにしても、故郷は遠くにありて思うもの、と啄木を気取りたくなるような、ね。

たしかに、石をもて追われるように旅立った停車場、ってのが、彼のリアルな故郷だったのかも、だしね。

言葉にしてしまえば、それらは、リアルを装いつつ、わが手のうちのものになる、という感じ、ってのは。

いろんな場面であるにはあって、この二足歩行者のあり方からすると、そうなんです、ってわけだ。

戦前の、わが列島の共産党が、外では、壮大な、人類愛から発した、という革命を唱え、家に帰れば。

ベタな家父長制の生き写し、のように、女房をかしづかせ、という絵柄ね。

芸のためなら女房も泣かす、という阪田三吉みたいな。

それを噺のネタにする、誰だっけ、噺家、関西の。

ことほどさように、言葉ってのは、便利なもので、いかようにも、現実を歪めることもでき。

なので、各人各様の物語を紡ぐこともできるわけだけどね。

なんてことに、気がついちゃうと、逆に、であるからこそ、この世を楽しむには、という発想に行くには行くんだけど。

そんなこと、つらつらと思い浮かべ始めると、今では、胡散臭そうに見えもする、様々な、宗教的な。

道徳的な、賢人、哲人、の教え、というようなものの、その時代の意義、なんてことも、納得するにはするね。

そりゃ、腹が減ったら食うし、邪魔なものは投げとばしもするだろうし。

人を食ったり殺したり、ってのは、よそもんに対しては、むしろ、英雄扱い、なんてことは。

例えば、道、という文字の由来が、以前にも書いたけど、異族の首を持って進む、ってことのようだからね。

白川静さんによれば。

異なるもの、には、道徳、というのか、仲間意識、というのか、哀切の情、というのは、及ばず。

って、まるで、今、周辺で起こっていることと、そう大差ないか。

今でも、例えば、仕事をとる、なんて言い方が残っていて、営業マンは、日夜、なぜ取れないんだ、あそこのライバル企業は。

云々カンヌン、って使い方ね、まんま、異族の地へ首を持って侵入、ってのと変わらないメンタルだよね。

芸のために泣かすのが女房、というのが、思い出したけど、桂春団治、だ。

先代のね。

かの御仁は、ま、語弊があるけど、泣かすのは女房一人、だったけど、油のために泣かすのがシリアという国全体、みたいな。

歴史の教科書では、気宇壮大、なんて言葉に置き換えられたりするかも、みたいな事業家ってのが。

いるにはいてね、豪華な客船、贅沢なホテル、なんてのが、浮かんできそうな利権屋さん方、と。

さて、今日は、わが妹が、帰ってきて、おじのお見舞いに参上、とあいなり。

そして、明日は、おじ不在のおじおば会、なので、おじの身代わりに妹が乗り、ということで。

おじおば会も新しい展開となっていく、という予感の中。

流れに浮かぶ泡沫(うたかた)はカツ消えかつ結び、ってわけだ。

 

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