表題は、変な表現かな。
毎朝、水替えをする榊、一部、ちょっと元気がないので、切った。
よく水を吸い上げるようにね。
なんてことをしつつ、上のおばのことを思い出していた。
水に浸かってできたヌメリは、指で取るんだけど、だんだんね。
枝の端っこが、硬化してくるとでもいうのか、なので、そこを。
チョキンとして、真新しい細胞にしたわけだ。
いつだったか、榊の話になり、くだんのおばがそう言っていた。
それを思い出し、やってみた次第。
そこに、彼女がいるんだよね。
もちろん、リアルでも、まだ存命中ではあるんだから、変な表現でもあるんだけど。
しかし、そこにたしかに、おばは存在している。
ということは、思い出す、とか、記憶を蘇らせる、とかの中に、生命が湧き出す、とも言えて。
頭の中で考えれば、リアルに存在するおばとわが脳内に存在するおば、二つながらの生き様。
朝から、見ようによっては、世迷いごとのような文章でもあるけれど、これがわが今、でもあり。
昨夜は、妹も帰ってきていて、忘年会を一次会で引き上げ、急いで帰宅後、2度目の。
呑み、に参加。
長男坊も来ていて、ということなんだけど、そこでの会話のネタに。
わが父親、昭ちゃんが登場し、呑みのネタなら誰にも負けないくらいの仕込みもあり。
なんてこと、思い出すことが、亡き人への供養になるよ、なんてお坊さんはおっしゃるよね。
先ほどのおばの話じゃないけど、そこに存在する、たしかに存在するわけで。
お勝手からの出入り口、つまり勝手口が、以前は、くぼんでいて、そこからの出入りが可能だったんだけど。
そこへ、わが昭ちゃんが、お酒に酔って落ち、かつ、そこにはまり込む、というような。
大パフォーマンスがあったらしく、妻が、早速、彼女の父親に連絡して。
子どもたちが落ちると困るから、という言い訳で、ね。
そこを塞いでもらった。
それが残っているんだけど、そこには、わが父親と妻の父親、二人が存在しているんだよね、今でも。
もちろん、二人とも黄泉の国へ旅立ち済み、ではあるんだけど。
昨日は、母親もショートステイからの帰還がなり、都合、5人の団欒で。
僕の帰った時には、すでに、母親は眠りについていたんだけど、それにしても、人が集まると。
そこへ登場するネタは、共通の人、共通の出来事になるわけで、まさに、追善供養の宴会。
とまではいかないくらいの呑みの量ではあったけどね。
さて、本日は、御案内のように、さくめさんへうなぎを食しに、というおじおばの会。
この会の名称も、おじは、老健施設に入り、ということなんで、正確には違って来ているんだけど。
そこはそれ、先程来のストーリーまんまの、名称でもあるね。
そこにいなくても存在する、という意味でも。
というわけで、そろそろ、ルーティンのワークに入るとします。