人生の踵R

劇団ちょーごーきん主宰の緑青青紫の雑談コラム。
主に旧HPに掲載していた文章の再録です♫

『最狂の俳優と最狂の映画監督』&『ぱちもんジョーズ特集』

2014-07-01 12:32:55 | ヒーロー
今回は、2004年9月の文章でふ。



『最狂の俳優と最狂の映画監督』


愛と野望のナイル、ちょーごーきん主宰の緑青です。

今回は映画のお話。


若い映画ファンには馴染みがないかも知れないが、昔ニュージャーマンシネマとゆうのがあった。
フランスヌーベルヴァーグのドイツ版みたいなものだ。
その三羽烏といわれたのがファスヴィンダー、ヴェンダース、そしてヘルツォークである。
中でもヴェルナー・ヘルツォークは三人の中で最強の監督である。映画の才能では他の二人に到底及ばないが、巨大な妄想力では誰もこの男には敵わない。
彼は自作の中で小人、聾唖者、野生児などを主人公(実験台)にして、誰も見たことない世界を見たいが為に、映画とは名ばかりの実験を繰り返し続けている。ヘルツォークは最強の超ど級変態監督なのだ。
そんな彼が遂に出会ってしまった最強の男、それが今回の主役、クラウス・キンスキーである。
キンスキーは最強の悪役俳優である。
何が最強なのか?最近悪役でのしている連中もただの俳優にすぎない。キンスキーは本当に悪人なのである。唯我独尊、暴虐無人、頭にあるのは金、セックス、暴力だけ。巨匠からの出演依頼も即却下、食えもしない映画なんかより金の貰える残虐アクションの方がいいに決まってんだろ!んで映画に出ても別に演技なんてしない。画面の外でやってる事をやるだけ。男を殴り殺し、女を犯し、金をむしりとる。
キンスキーの遺伝子を受け継ぐとは思えない娘で美人女優のナスターシャ・キンスキーが未婚の母になった時、「ひょっとして父親は父親なんじゃないのか?」と誰もが疑った極悪人、それがクラウス・キンスキーという男なのだ。

人並には興味ない、人外の世界を目指し実験を繰り返す最強の変態監督と、誇大妄想の塊で人外の狂人俳優。出会ってしまった最強の狂人二人は、全部で5本の映画の名をかりた激烈な闘いの記録を残す事となる。

「アギーレ神の怒り」では、エルドラドを探すアマゾン探検隊の副官アギーレは上官を殺して隊をのっとり、食糧も武器もなく敵味方皆殺しにして一人で奥地へとつき進む。という、全く理解できない内容だがこれが全て。狂い果てている。

「フィツカラルド」においては、ジャングル奥地の湖にオペラボートを浮かべて遊覧観光する計画をたてた男が、インディオに船を引っ張らせてオペラボートの山越えに挑むとゆう、またも常人には理解不能なストーリーが炸裂する。


ヘルツォーク映画の主人公は人並み外れた巨大な妄想を抱えた男で、あまりに大きいそれは人相手では話にならない。
こんな男を演技でなく、なりきる事で体現するキンスキーは、ただの悪人から狂人へと変身していく。
現場で実銃をぶっぱなし、小道具でエキストラを殴りたおし、自分がカメラの中心にいないとセットをばっこばこにぶっ壊す。
狂人キンスキーに内外の区別などなく、ヘルツォークの妄想を具現化するパワーも果てしない。
「こんな映画やめてやる!」と叫びまくるキンスキーに「お前を殺して俺も死ぬ!」と叫び返すヘルツォーク。凄まじい憎みあい。
なんで観て来たみたいに話すんだと思うだろう、実は観て来たのだ。キンスキー死後の99年、ヘルツォークが監督した「キンスキー、我が最愛の敵」とゆうドキュメンタリーで!

キンスキーは自伝にて、ヘルツォークを無能で卑劣でサドのうじ虫と罵倒し、ヘルツォークはキンスキーを殺す為に殺し屋を本気で雇いかけたと告白している。
ここまで憎みあいながらもキンスキーの死後まで離れられないこの最狂の二人の戦いは、永遠に続いていくのだ。
これはたまったもんではないが、演出家と俳優として、唯一無二の存在に出会えたこの間違った方向に凄まじい力を発揮するエネルギーをもった二人は、あるいはとてつもなく幸運なのかも知れない。

筆者は断じてごめんだけどもね。

※他の狂人コンビ作は「ノスフェラトゥ」、「コブラ・ヴェルテ」がある。ものすご~く体力がいるし、みたから何がどうなんだって映画なのだが、興味があったら、みてみて下さいな。



『ぱちもんジョーズ特集』


やほう。人間ナイアガラ、ちょーごーきん主宰の緑青がお送りする「人生の踵」、今回はサメのお話。
といっても、筆者は本物のサメに造詣が深い訳ではない。映画のサメについて焼き魚の小骨の様に語りたい。

筆者が若い頃、「ジョーズ」とゆう映画が流行った。
名前ぐらいは聞いた事があるだろう。巨大人食いザメと人間の死闘を描いた傑作で、監督は今をときめく(私の中ではもう全然ときめいてないが)S・スピルバーグである。
この作品が画期的だったのは、怪物と主人公の闘いだけで一本の作品が成立する事を証明した事である(この構図は同じスピルバーグの「激突」が最初だが、あれはトラックなので、一度も姿を現さないものの運転手がおり、人対人の闘いだった)。
それまで海洋冒険もののアクセント程度の扱いだったサメが、主役級で登場したのは初めての事で、それも画期的な事だった。

さて、映画があたれば、あやかろうと山の様に亜流が作られるのは今も昔も同じである。「ジョーズ」大ヒット後、色々な巨大生物が人間を襲いまくり、色々な警察署長が大概爆弾か電流でそれをぶち殺しまくる事になった。
巨大グマの「グリズリー」、巨大ワニ「アリゲーター」と更にそれの亜流で面白くもないのにシリーズ化された所が男らしい「キラークロコダイル」(アリゲーターにも2があるが・・・そういや「グリズリーも・・・)、巨大タコが微笑ましい「テンタクルズ」、シャチさんの復讐劇でひねりをみせた「オルカ」、「ピラニア」とその続編で「タイタニック」のJ・キャメロンの監督デビュー作「殺人魚フライングキラー」等々。
中にはクモのハリボテを上にのっけた車が暴走しまくる驚愕のSFXが炸裂する「ジャイアントスパイダー大襲来」なんて魔性の香りがする作品もあったな。
どいつもこいつもプライドよりも目先の金を握りしめる事を潔しとした清々しい作品ばかりなのだが、こいつらはオリジナリティとゆう言葉の意味を知っていたとゆう点で、まだまだひよっこである。
世の中にはもっと恐ろしい猛者たちがいるのだ。

「ジョーズ」のアイデアを模倣するのではなく、「ジョーズ」そのものを模倣してしまった人々である。


「ジョーズ」以降、角砂糖に群がる蟻んこの様に作られた映画の一部を挙げると、「人食いジョーズ」「シャークジョーズ」に「人食いシャーク」、「タイガーシャーク」(監督はパチもん界の大御所でメキシコ一の恥知らず、ルネ・カルドーナ。好きだ!)と、パチもんジョーズオンパレード。

そして満を持して登場したパチもんの聖地イタリア映画「最後のジョーズ」!
勝手にシリーズっぽいタイトルをつけた上に、勝手に最後にするなよ、日本はこれだから!原題はLASTJAWS・・・まんまだった。(監督はエンツォ・G・カステラーリ、代表作は「ビッグ・バイオレンス」に「ラスト・バイオレンス」。どんな人かわかるよね?)
ストーリーもほぼ完全に「ジョーズ」をなぞっており、棲家の難破船ごと爆破するとゆう非常に適当な方法でケリがつく点にパチもんの誇りが感じられて好感が持て、肝心のサメも頭しかないハリボテ一丁とゆうのが男らしかった。

こうして狂った様に量産されたサメ映画も、本家「ジョーズ」が2、3と続くうちにとんでもないヘボ映画に変化していき、最終作「ジョーズ87/復讐編」の、ゲスト出演の名優マイケル・ケインに「仕事選べよ」と忠告したくなるへっぽこっぷりでとどめを刺されて、みかける事はなくなった。

時は流れ、そんなブームなど忘れかけた頃、ビデオ屋で「ジョーズ96」とゆう作品を発見!製作国はイタリア!すごいよイタリアしつこいよ!喜び勇んで(俺も駄目駄目だが・・・)観始めると、何だか見慣れた惨劇・・・これ「最後のジョーズ」じゃん。
あれ?でも話は全然違う。そう、「ジョーズ96」は「最後のジョーズ」のフィルムを最大限に利用したおばあちゃんの知恵袋的なパチもんのパチもん作品だったのだ!
その流用の仕方で、なるほどと感心しつつも人としてやってはいけない倫理や道義をしっかりと学べる珠玉の作品である。イタリア侮り難し。
暫く後にビデオ屋で「ジョーズリターンズ」を発見!懲りずにとびつき、喜び勇んで(ほんとに駄目な、俺も・・・)観始める筆者、何だか見慣れた惨劇、そしてストーリー・・・「最後のジョーズ」そのものだった。名前変えんなよ・・・。

そんな訳で、筆者はおそらく日本で一番「最後のジョーズ」を観た男だろう。なりたくはなかったが。

※最近でも、地雷監督レニー・ハーリンの「ディープ・ブルー」(意外性だけを狙った演出が素敵♪)等、サメ映画は綿々と作られている。オリジナルの偉大さと金の亡者のしつこさがが良く解るよねぇ^^;

★加筆
一時はあまり見かけなくなった「ジョーズ」パチもん映画だったが、アサイラムなどの詐欺的映画会社の隆盛と共に、近年では再び大量に作られている。
ぜひともレンタル屋で手にとって、その素晴らしさを体感していただきたい。勿論、それらを見る前に本家「ジョーズ」を鑑賞しておく事を忘れずに。



コメントを投稿