中越地震復興「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
寅太の家の庭に咲く山野草などのブログです。

牧野成定公450回忌(その3)

2015-12-14 06:59:51 | 歴史
その1その2のつづき)

【光輝院での講演と牛久保小学校の熱演】

牧野成定公450回忌法要に続き、光輝院の本堂を舞台にして、牧野家ご当主の講演や地元の小学生が演じます劇などの発表がありました。


(牧野家菩提寺の光輝院)

旧越後長岡藩17代当主の牧野忠昌さまからは「牛久保と牧野家」と題する講演で、地元の領民から愛された牧野家のことが語られました。
また地元の語り部からは「成定公徳川譜代への道」と題した朗読がありました。

 
(牧野忠昌さまの講演と語り部による朗読)

いよいよ牛久保小学校の児童の登場です。朗読と模造紙に牛久保時代の出来事を書き発表です。
牧野家と家臣は牛久保から上州の大胡へ、そして越後の長峰を経由し長岡に移りました。そして登場したのは牛久保で牧野家に参集した牛久保六騎です。

 
(牛久保小学校児童の熱演)


(圧巻は参州牛久保の壁書き「常在戦場」にひれ伏す藩士)

最後は牛久保小学校の児童が熱心に稽古した「米百俵」です。
戊辰戦争で焼け野原になった長岡に、支藩の三根山藩から百俵の米が送られてきました。
その日の食べ物に困っていた藩士は、米の分配を迫りましたが、大参事小林虎三郎は米を売って教育資金にするというのです。この時虎三郎は「常在戦場」の掛け軸を掲げました。
(「米百俵」は山本有三の戯曲や小泉総理の所信表明演説で知られています)


(熱演を終わり牛久保小学校の記念撮影)

(豊川市)          (おわり)

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