高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

長岡に落とされた模擬原子爆弾

2016-10-17 05:36:34 | 歴史
9月中旬の北の旅の途中で長岡に立ち寄りました。特に長岡に用があったわけではありませんが、牧野家資料館、河井継之助記念館そして今回は模擬原子爆弾が投下された左近の土手に立ち寄りました。


(長生橋の上流に開いた正三尺玉、この左手付近に模擬原子爆弾が落とされました)

昭和20(1945)年7月20日、長岡市の信濃川にかかる長生橋の近くの左近の土手に1発の大型爆弾が落とされました。これが太平洋戦争で長岡に投下された初めての爆弾でした。
その12日後の8月1日の夜から2日にかけ、西太平洋テニアン島を飛び立った125機のB29による爆撃で長岡市の中心街は全焼し、死者は1500人を数えました。
日本の三大花火と言われます長岡の花火は、長岡空襲の慰霊と復興(戊申戦争、太平洋戦争、中越地震)そして長岡市民の平和の祈りをこめて、毎年8月2日~3日に打ち上げられます。

 
(永代橋の向こうは長岡市街、反対側は信濃川方面)

左近に落とされた爆弾が原子爆弾の模擬弾だったことがわかったのは平成に入ってからのことで、模擬原子爆弾は全国で49個落とされました。
アメリカは昭和20年に入りますと、原子爆弾攻撃の実行計画をたてました。その投下予定地として京都・広島・新潟・小倉・長崎の5都市を最初に選んでいました。
県下一の都市の新潟市へ空襲が行われなかったのは、無傷で原爆の威力を確認するためと言われています。
模擬原子爆弾投下の重要な目的は、原子爆弾の正確な目標地点への投下と投下した飛行機が急旋回より放射線から脱出する訓練でした。


(模擬原子爆弾投下の説明文)

(長岡市)

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